忘れん坊のメモ帳42

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去年の今頃、私はK1のずる休みに悩まされていた。かぜひきが発端で、オリンピック見たさに昼夜逆転した一ヶ月。今年は、順調に行っていてホッとしている。

先日バレンタインデーに、KAYOちゃんがチョコをくれた。もちろん、峠の女性もチョコを用意して、K1だけでなく生活塾にその週来た子には全員渡したのだが、去年も同じように、KAYOちゃんもわれわれも準備していた。が、ヤツは来ない。ようやく3月1日になって、弟さんに来るまで連れて来られたその日、「バレンタインデーのチョコを用意して、今ここにあるけど、もうオマエにはやらない」とみんなで目の前でいやみたっぷりに食べてしまった。今年は、ちゃんと手渡せて本当によかったと思う。

順調なだけでなく、また成長しているな、と感じることがよくある。必要なことが、とくにあいさつなどは、きちんとしているし、仕事上でも自分でやりやすいように考えて自主的に工夫していることがある。もちろん、たまには気を廻しすぎて失敗することもあるし、叱られることもあるが。

TVのニュースなども、かなり身を入れてみているようだが、それも自ら話題を切り出したいという強い気持ちを持っているから。で、その「切り出しかた」が唐突で、一瞬あっけにとられることもある。たとえば、食事中に、口の中にいっぱいつめこんだまま、「名前が決まったよネ」。えっ?こっちは何か急いで言わなきゃならないこと?と考えをめぐらし、そうか、天皇家の赤ちゃんのことか、と思い当たるってな具合。けっこうそういうことがあるが、中には、「そんなことに興味を持つなんてエライじゃん」と褒めることも多い。

きょうの昼時は、「かぜ薬飲んで人が死んだよね」。

タミフルのことだ。「かわいそうだよネ」と言う。

そこで、彼でも理解できるように、ことのいきさつをさらにくわしく説明。しめくくりは、「でもネ、政府はその薬のせいじゃないって言ってるんだよ。へんだよネ、もう何人も同じような感じで亡くなってるのに。あと10人ぐらい死ななきゃ認めないのかなァ」

「どれだけ人が死ねば・・・・・・」と歌い出される60年代のフォークソングがあるが、「答えは風が知ってるだけ」では、あまりにもむなしい。そういえば、薬のことも厚生労働省の担当なんだよね。

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きょう、MINO君が木を切りに来てくれた。「サポーター戦隊手ベンター」
木は、こぶしと山桜で、両方とも数年前に近所の大工さんが「市価の半値でやってあげるから」と、その友人と2人で切ったものなのだ。しかし、依頼主の日本語が通じなかったと見えて、頼んだとおりにやらなかった。昔と違ってとなりの家が出来たり、ご近所ができたりで、台風の季節、吹雪の季節、春の大風の季節、万が一木が倒れたらと気が気じゃなかったから、「屋根より低い位置で芯を切り詰めて、その下方の枝葉そのままで」という注文だった。平日だったから、私は中で仕事をしていたが、たびたびドサンという物音。はてな、と外へ出てみたら、こぶしは下から順番に太い枝が切られて、もうかなり上の方まで行っており、再度説明するにも時すでに遅く、しかも先端はそのままにされた。まるで極太の電柱の先に何かがモヤモヤとはえてる状態。なんだ、これは・・・・・・と怒りがこみあげたが、そこはオトナですからおさえて、もう一度、桜の木についての説明を、ちゃんとした日本語で、説明したのだが、結果は似たようなものだった。その上、手をつけなくていいですと言った椿は2本根こそぎ切られ、あやうく、くちなしもぢんちょうげも引っこ抜かれそうなところ。「これで金払えってか・・・・・・」と、心底後悔したがもう遅い。「萠」には、本心を明かさず、やんわりと書いたけど、その後何年も気持ちが収まらなかった。「あのオヤジドモめ!」
そんなところへ、山の子MINO君、木を切りたくてうずうずしているMINO君が「切りましょう」と、心なしかウキウキしつつ言う。でもねェ、ひとりじゃ大変だよ、と数年前の光景を思い浮かべる。「だいじょうぶっスヨー。チェーンソーがあるじゃないスかー」ああ、あれは使えない。以前に近くの人から、「これはもう使えネェよ」って言われて、どう処分しようかと物置にころがしておいたもの。でも彼は、「だいじょうぶっスヨー」の連発で、本当に使い物になったのだ。「こんな面白いおもちゃがあるのに、もったいないっス」はりきって、ガンガン仕事を進める様子を見ながら、またもや怒りがこみあげた。「あのオヤジ、ひとんちの道具を勝手に使えないなんて言いやがって。あったまにくる」
こぶしも山桜も、私が望んだように、低くつめられたし、切り落とした枝や幹も、お役立ちのチェーンソーで短く解体してくれた。すごいぞ、手ベンター。ありがとう。
彼は、どうしてこの庭が草ぼうぼうのままなのか、不思議でならないらしい。もちろん、伸び放題の葛のつるとか、いつのまにか育っちゃった得体の知れない木は、願い下げなのだが、種をまくのが趣味の私は、谷川岳でひろったぶなの実からの木とか、種から育てた白いすみれとか、かりん酒を作ったときの種からのかりんとか、他者にはどうでもいいようなものをあちこちに植えてある。以前にウォーキングの人が、「ここって草が伸び放題だけど、意外といいものがあるのよネー」と言っていた。いいもつまらないも、両方ともすきなんだよー。
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忘れん坊のメモ帳40

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昼食時の話題で、以前ここにいた者のことから、AD君のことになり、ああなんだよ、こういうふうなんだ、と話していたら、K1が、「のめりこんじゃうんだねェ」と言った。いいこというじゃん。K1に限らず、生活塾に来ている小学生たちも時々秀逸な表現をして楽しい。 これじゃ代人にはなれないねェと笑った。大臣ってもちろんあの厚労大臣のことだ。昨日、夕食のしたくをしながらTVのニュースを聞いてて、大爆笑したくだりがある。「どうも、私は国語力がないもので表現に関しては・・・・・・」 。あのォ、峠工房というところで生活塾というのをやっていまして、国語力を磨くことに力を入れているんですが、週1ぐらいの割で通ったらいかがですか?大臣が、というか、国会という場所でやりとりするにしては、ギャグのようでなさけない。 失言、失言と大騒ぎしているけど、私は失言とは思わない。かわいそうに、何も知らないのに大臣になんかなっちゃって、ヤバい表現した結果、おおいに責められて、「あやまれど あやまれど なお 我が立場 うまくいかざり 頭さげている」 あの人と、あの人を強くかばっている人たちは、赤ん坊が生まれさえすれば、少子化問題は回復に向かうと信じているのだと思う。赤ん坊は育てなければおとなにならないし、育てるのは誰かな?そのためにはどういうことが大急ぎで解決され、何を整備していかなきゃならないか、なんて、知らないんだよ、きっと。 だから失言ではない。ついまちがった言い方をしたとか、うっかり言いまちがえた、という次元ではなくて、なァーンにも考えていない、知ろうとしないところが大問題! 「あやまっているから」「反省しているのだから」と言っても、何を反省するのかわからなければ・・・・・・ネェ。ただ、ごめんなさい、と言っても・・・・・・ネェ。私たち教育現場では、免罪符のように「ごめんなさい」「もうしません」「悪かったから反省します」という状況を作らないように、叱ることに、苦心している。よく、「ごめんなさい」とあやまって許されると、自分のやったすべてのワルが帳消しになったような行動をとる、アタマにくるやつがいるもの。 何が悪かったのかがわかり、何をあやまっているのか認識するようにしていくのが教育でして、ひょうっとして教育し直したほうがいいんじゃない?「教育し直し会議」でも設置してやりなおし特別支援教育部門でも作って急いだ方が良いと思うよ。ホント、心から心配しているのだから私は。
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