4月の版画教室は27日だった。3人休んで、その上、アイドル兄弟も来なかったので、いつもと比べたら静かに進行した。とは言っても、孫のグチ、夫のグチ、息子のグチ、いろいろあるのだが、ユーモアに満ちていてからっとしているから、笑いを誘う。 さっちゃん先生は、「ほめて育てる」派だから、惜しみなくみんなをほめる。男の人はすべて「さん」、女の人はすべて「ちゃん」で呼ぶ。年齢に関係なく、ちゃんで呼ばれても、又、ほめちぎられても誰も、「私はうまいんだわ」とか「私ってかわいいのネー」なんて思うはずがない。 でも、K1はちがう。「Kちゃん」と呼ばれ、「なんてじょうずなんでしょう」「なんておりこうなんでしょう」とくりかえされると、そう思ってしまう危険がある。たしかに彼はうまくなった。動く左手1本で、本当に上達したなと思う。が、「版画がじょうずになったことと、おりこうとは別物」なのだ。それを言うと、「アラー、先生きびしいのねェ」となる。 「おりこうだったら丸1ヶ月もズル休みはしないでしょ。その1ヶ月のために、今までがんばって身につけてきたことができなくなるよなことはしないでしょ。私はこのところ同じことで注意したり叱ったりばっかりだよ」に対しても、「こんなにおりこうなのに園長先生なんで怒るのかしらネェ」すかさずWさんが「おりこうにするために起こるのよネー」とフォローしてくれる。いつもながら、タイミングの良い発言がうれしい。 私は、子どもに対して漠然と「おりこう」とほめるのは、私的にも仕事上でも良いと思っていない。「いい子にしていたら○○を買ってあげる」なんていうのもイヤだ。何に対して、何のことを評価しているのかが相手に伝わらなければならないと思うし、「いい子」って今の場合ではどういうことなのか相手が理解しなければそうしようがないんじゃないかと気にかかる。 もちろん私だって、惜しみなくK1をほめているし、良いところを多くの人にわかってもらいたいと努力している。が、惜しみなく、ハンパじゃなく怒ることもあるのだ。
AD

忘れん坊のメモ帳19

テーマ:
きのうケーイチに「お花見弁当」を持たせた。別にたいしたものではなく、定番のとりのから揚や卵焼き、弟のビールのおつまみになる枝豆など数品を、ピカチュウの2段重ねの重箱に詰めただけ。ぜひ”2人”でたべてほしいと思い多めに入れた。 このあたりは、車で15分以内のところに、桜並木が3か所もあって、その内の1か所、いずみ野駅の商店街(とは言えないほどさびれているのだが)の並木も実に見事で、車で通りぬけた時にクラクラッと眩暈を感じるほどだ。もっとも、桜色を帯びた街の空気のせいではなく、ひどい肩こりのせいだったかも・・・・・・。 ケーイチの家は、通称海軍道路と言われている、米軍の上瀬谷基地沿いの桜並木の近くにある。で、思いついてお花見弁当ということになった。 わが峠工房の山桜もほころびはじめた。気がつけば地面のうす紫のかたまりは満開の「野のすみれ」、山吹もいつのまにか咲き揃い、シャガもそろそろ花を見せはじめている。何か、一気に春!いつもこうだったっけ?とも思う。 多分そうだろう。10年以上も前の春休み行事で、丹沢湖方面へ1泊で出かけた。こぶしも桃も遅い梅も早咲きの桜も、一挙に咲き誇っていて、「きれいねェ」というおとなの感嘆の声がくり返し上がった。本当にすばらしい光景だった。ところが、「きれい」という言葉に強い拒否感を持っていたヤスヒロは、「言うな!セイケツ!」と叫びっぱなし。みんな、「きれいなものはきれいなんだから、しょうがないじゃん」「セイケツならあの花なめてみれば?」などと返しつつ、花を楽しんだ。 彼の「きれい」嫌いは強く、1度川へ飛来する鳥の話をしていた時「セ”キレイ”」に反応して思わず「セイケツ」と叫んでしまったことがあった。さすがに自分で気がついてニヤーっと笑っていたが、しばらくの間は峠のマイブームで、「セ”セイケツ”という鳥が川にいてね」とからかって遊んだ。 峠で生まれた猫に真っ白なのがいて、見る人皆が「きれいな猫ねェ」とほめてくれるので、「きれい」と名づけてしまういじわるもした。反応すると「猫呼んでるんだもの、オマエに関係ないよ」なんてネ。 峠の行事に参加する小学生たちは彼のことを「セイケツ君」と呼び、わざと、あれがきれい、これがきれいと話しかけ、笑い、いつのまにかヤスヒロ自身も拒否感からゲーム感覚に変化していった。からかわれていると認知して、にこにこ笑いながら「セイケツに」と言い返すようになっていった。彼が峠をやめてから「あれェ、セイケツ君来ないの?」と残念がる子もいた。 峠の山桜とシャガは、あと数日で満開になると思う。とてもセイケツなので見に来てください。
AD
3月31日に「お食事会」をやった。こじつけでいろいろな理由をたくさん作って。 私の献立は、中華おこわと春雨サラダの予定だったが、子どもはマカロニサラダの方が好きかもと、それに変えた。でも、となりのKAYOちゃんが作ってきた焼きそばのほうが、ダントツで子どもに人気だった。中華おこわはみんなおいしいと言ってくれたのだが、ひとり作り手は気に入らなかった。自分のイメージ通りに仕上がらないと私はムッとする。うまくいかなかった原因は、多分、はじめて無洗米のもち米を使って、水かげんとか味かげんとかいろいろ、使いこなせなかったのだ。知らない、わからない、うまくいかない。 ムッ、「まずい!」というわけ。 さて、休む間もなく翌4月1日から新学期体制で、面談とか、今年になって勝手に改名してしまった「生活塾(実はコミュニケーション教室)」の予約の消化が、土、日と続いた。その合間に、仕事ではない相談などがあったりで、朝、目覚めると、首がメチャクチャこっていて、ただでさえ後方確認しずらい身が、もっとひどいことになっている。車の運転はしないほうが身のためかなと思う。 気持ちだけは新学期気分で満々。子どもたちの成長も予測以上!未来のすばらしい人材揃いである。
AD