忘れん坊のメモ帳2

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山桜が散りはじめ、むらさきのすみれも白いすみれも咲いて、川ではつばめが身をひるがえし、朝早くにはうぐいすの声……本物の春。たまに、だまし打ちのように寒い日もあるが、いかにも春うららな土曜日、近くで子どもの声がにぎやかだった。南側の隣接住宅地への道路と庭をへだてる金網のフェンスのむこうに、ちょろちょろと姿が見える。フェンスから1Mぐらい離れて道路際に植えこみがあり、ちょうど畳1畳分ぐらいのスペースで、何やらお仕事中。ウーム、きっとアレにちがいない。「秘密の基地」。見に行ったら、そこはきれいに枯れ葉などが取り除かれて、「秘密基地作ってるのー。」やっぱりネ。なんと魅惑的な言葉。昔、子どもだった人は、多かれ少なかれ覚えがあるのではないかな? わが家でも、「日曜日、秘密基地でお弁当食べるから作ってね」なんて、よくあった。私は、山奥育ちだから、場所にはこと欠かなかった。中でも究極の基地は、木の上の小屋。その頃人気だった「ジャングルの王者・ターザン」にあこがれて、自分はここで暮らすべきだとまで思いつめた。 他に遊びといえば、探検ごっこ。谷川を友達と遡り、適当なところで、そろそろ帰ろうかと、がけをよじ登る。もっと先へとか、今度はちがう場所を登るとか、けっこう次々と興味がわいた。何回やっても面白かった。おとなになって、丹沢で沢登りにさそわれた初体験のとき、「子どもの頃の遊びの続きだ!」と、うれしかったものだ。 先日、鹿児島で中学生4人が洞くつで亡くなった事故があったが、ニュースで知った時、まっさきに「探検に行ったんだな」と思った。近くに、おとなの知らない洞くつがあったら、遊び場にしないはずがない。どんなにか、ワクワク、ゾクゾクしながら出かけたことだろうと思うと、かわいそうでならない。子どもの頃、いつ、どこで知ったのかわからないが、古井戸の中へ降りる時は、必ずろうそくをつけて先におろし、灯が消えたら毒があるだとか、寒い中で眠ったら死んでしまうとか、知識があった。いっそのこと、学校の総合的学習の時間などで、洞くつについてあれこれ調べ、勉強し、授業としてちゃんと探検すればよかったんじゃないかと思う。
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忘れん坊のメモ帳1

峠工房の冬は寒いと言われるし、自分でもそう思う。冬、横浜駅から相模鉄道に乗り、いずみ野駅のホームに降り立つと、「ウ~、やっぱり寒いな」と感じる。さらにバスに乗り、ひなた山バス停で降りると、「一段と冷えこんだなー」と。そして、歩いてわずか8分、峠工房へたどりつくと、さらに温度差を感じる。  天気予報で、「横浜、最低気温3度」なら、ここは0度だな、明日は凍るな、と思う。  だから、毎年春が待ち遠しい。雪柳の1輪2輪を見つけたり、枯れちゃったかなと心配していた鉢に新芽が頭をのぞかせてたりすると、本当にホッとするが、とりわけうれしいのは、こぶしの花芽が白んできた時で、心の底から、春だ!と思える。  このこぶし、35年も前にわずか30cmぐらいの実生の苗を100円ナリで買ったもので、ずーっと同じ場所に植えてある。10年以上も花が咲かなくて、「本当にこぶしなの?」と悪口を言われていた。最初に花芽がついた時には、もう天にも昇る心地で、何ヶ月も花の時期を待ったのに、ナ、ナント、ひよどりめがやっと白んだつぼみをつっつき、喰い荒らしに来る。「おのれ、大事なこぶしに何てことをするんだ!」私は、ひよどりめがけて、くさったみかんだとか、じゃがいもを投げつけた。だって、石でも投げて、万が一にも命中しちゃったら困るもの。  それから後は、ひよどりは天敵?となり、翌年からは飛距離5mの水でっぽうを用意して迎えうったが、1日中見張っていられるわけではないから、結局やつらの成すがままだ。「公園に行けばいっぱい咲いてるでしょ。少ないウチのをねらわないでよ」と、どなったところで鳥にわかるわけがない。  そんな攻防をくりかえしつつ、こぶしは大木となり、「たとえこのボロ家がこわれたとしても、こぶしの木は残るのだ」と信じていたのに、ある年おそった9月の風台風で、根こそぎ倒れてしまった。ありえない光景だった。こぶしは私にとって特別な木だ。枯らすわけにはいかない。びっしり花芽をつけた枝を切り、土ごと持ち上がった根にシートをかけ、2ヶ月保たせて、植木屋さんにたてなおしてもらった。  以来、風が恐ろしくて、その上、隣に家が建ったという事態を迎え、恐怖はつのって、さらに枝を払い、まるで極太の電柱のようになってしまったけれど、今年も咲いた。そして、ひよどりも来た。この夏、また水でっぽうを買わなくては、と思っている。
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