ウォームハート 葬儀屋ナベちゃんの徒然草

〝可憐な花々に囲まれた心温まるお葬式〟をモットーに、日々お客様のために頑張っております葬儀社ウォームハート・・・の社長、人呼んで「葬儀屋ナベちゃん」です。 毎日の仕事や、人・映画・書籍等との出会いの中で感じたことなどを徒然なるままに綴ってまいります。

弊社HPには、オリジナル・デザイン生花祭壇の画像を種々掲載しております。

  

    


           是非ご覧下さい! 


     URL : http://www.warmheart.jp


  生前相談・見積依頼・葬儀に関するお問い合わせは 

        

      TEL : 03-5399-7123


  まで。 いずれも無料ですので、お気軽にどうぞ!


            バラ 必 見 バラ


     “オリジナル生花祭壇 Episode Series


          バックナンバーはこちら!

            ダウン     ダウン     ダウン


  1.〝オ-ストラリア〟《 http://ameblo.jp/warmheart2003/day-20080131.html
  2.〝 電  話  機 〟《 http://ameblo.jp/warmheart2003/day-20080208.html

  3.〝 美  術  館 〟《 http://ameblo.jp/warmheart2003/day-20080216.html

  4.〝 外  洋  船 〟《 http://ameblo.jp/warmheart2003/day-20080305.html
  5.〝 波      涛 〟《 http://ameblo.jp/warmheart2003/day-20080623.html

  6.〝 White Light 〟《 http://ameblo.jp/warmheart2003/day-20090129.html

  7.〝 別 れ の 曲 〟《 http://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11159923479.html

  8.〝ゴルフコース〟《 http://ameblo.jp/warmheart2003/entry-11795745868.html


 ★ Facebook もやってます。

    【https://www.facebook.com/tadashi.watanabe.718



NEW !
テーマ:

皆さんは人気映画シリーズの第3作目、『ダイハード3』 をご覧になったことがありますか?

1995年の公開と少しばかり古い作品ゆえに、我が家にはVHSしかありませんが・・・。

       

この中で、犯人からブルース・ウィルス演じるマクレーン警部補がいくつかクイズを出されたのですが、その中に 「42の中の21は何だ?」 という問題がありました。

マクレーンらは分からなかったものの、その答えをダンプの運転手が知っていました。

 

彼はあっさりと、

「第21代大統領はチェスター・A・アーサーだょ。 
1881年から1885年まで務めたんだ。 元税関の役人だった。」

と教えてくれたのですが・・・今日は、その

 

 チェスター・アラン・アーサー

      Chester Alan Arthur
 

の命日にあたります。

 

アーサーは、1829年に伝道師ウィリアム・アーサーの子としてバーモント州に生まれました。

幼少時からリーダーの素質を持っていた彼は1845年にユニオン・カレッジに進学し、卒業後はバーモント州のノース・ポーナル・アカデミーの校長に就任。

と同時に法律を学び、1854年にはニューヨークに出て弁護士事務所に入り、弁護士として活動を開始。

そして同年、白人専用の椅子に座ったという理由で市街電車を降ろされたことで、電車会社を訴えた黒人女性リジー・ジェニングスを弁護して見事勝利し、その名を知られるように。

その後もいくつか重要な裁判で勝った彼は名声を高め、人種差別反対を主張するリンカーンと同じ共和党に入党し、同党の経理部長などを歴任。

そして映画の中でダンプの運転手が解説した通りニューヨーク港収税官を務めた後、1880年に共和党議員として政界入り。

 

翌年3月に就任した第20代大統領ジェームズ・ガーフィールドから副大統領に任命されました。

ところがそのガーフィールドが就任4ヶ月後の7月に凶弾に倒れ、9月に死亡。

当時の法律により、副大統領だったアーサーが無投票で第21代の大統領に就任したのです。

 

             

 

ほとんど政治家としての実績もなく、(失礼ながら)棚ボタで大統領になった彼に、議員も国民もあまり期待はしていなかったようですが、彼は良い意味でそれを裏切りました。

それまで、米国の行政では公職の任命を政治的背景に基づいて行う〝猟官制〟を採用していましたが、ガーフィールド前大統領がそれを改革しようとしたものの凶弾に倒れて思いを果たせませんでした。

それを大方の予想に反し、アーサーは公務員任用・昇進の際に試験を導入し、その成績によって人事を公平に決定する 『ペンドルトン公務員改革法』 の議会通過に成功し、成立させたのです。

この業績により〝行政の父 (The Father of Civil Service )〟と呼ばれるようになった彼は、国民から多くの支持を集め再選を期待されました。

しかし既得権益を侵されることになった議員からは不興を買って共和党からの大統領候補の指名を受けられず、1885年に1期務めたのみでホワイトハウスから去ることに。

ただ彼は既にブライト病という難病に罹っていることを知っていましたから、敢えて強硬に再度立候補しようとはしなかったのかも。

また、だからこそ周囲の軋轢をもろともせず画期的な法案の議会通過に執念を燃やせたのかもしれません。

そして退任した翌1886年・・・公式・私的文書の全てを燃やすように命じた2日後の11月18日に、56歳でこの世を去ったのです。

彼の人生を振り返ると、政治的な実績を残せるかどうかは、政界でのキャリアではなくその決意と執念と行動力にかかっていることを痛感します。

少なくとも、鳴り物入りで就任しノーベル平和賞を授与されたオバマ前大統領よりも残した実績は上といえるでしょう。

更に言うなら、政治経験ゼロのトランプ現大統領に期待をかけても間違いではないかと。

日本人にとっては映画でしか名前を聞かないアーサー大統領ですが、彼の業績を評価しつつ改めて冥福を祈りたいと思います。笑3

 

 

             ペタしてね

 

              人気ブログランキング

AD
いいね!した人  |  コメント(10)  |  リブログ(0)
同じテーマ 「ブログ」 の記事
最近の画像つき記事  もっと見る >>

テーマ:

知っている彫刻家は、誰?・・・と世界中の人々からアンケートを取ったら、まず殆どの方がこの人の名を挙げることでしょう。

 フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン

    François-Auguste-René Rodin

 

今日は、この19世紀を代表する・・・というより、人類を代表するといってもいい彫刻家の命日・没後100周年にあたります。

 

       

 

しかし名声を欲しいままにするこの偉大な芸術家の生涯は、苦労・苦難の連続でした。
 

1840年に警察の事務職を務める父親の2人目の子としてパリに生まれたロダンは、10歳の時に初めて絵を描いたことで美術に目覚めましたが、それまでは専門的な美術教育を受けたわけではありませんでした。

 

14歳の時に入った地元の工芸学校の教師・ボードランが彼の才能を高く評価し、多くの画家や彫刻家に引き合わせてくれましたが、17歳で同校を退校し名門美術学校エコール・デ・ボザールへの入学を志したものの、3年連続で不合格。

 

失意の中、仕方なく室内装飾の職人となって食い繋ぐロダンに、更に修道女となっていた姉が病死するという不幸が追い打ちをかけます。

彼女の後を追うように修道院入りして神学を目指そうとした彼でしたが、美術の道に戻るよう司教に諭された彼は動物彫刻の大家アントワーヌ・ルイ・バリーに弟子入り・・・これが、彼を彫刻の世界へと誘うことに。
        

 

普仏戦争の際は近視だったために徴兵を免れたものの、24歳の時に結婚し子供をもうけた彼は生活費に困りベルギーに移住し、そこで建設作業員として6年間働きます。

そこで蓄えた貯金を手に、彼は妻を伴ってイタリアを旅行・・・同地でドナテッロやミケランジェロの作品を目の当たりにし、大きな衝撃を受けました。

ベルギーに戻るや、早速等身大の男性像 『青銅時代』 を制作。

これがあまりに精巧であったため 「人間から型を取ったのではないか」 と疑われて憤慨した彼は、2年後人間よりも大きな彫刻を完成させて専門家から絶賛を浴び、ロダンの名は一躍有名に。


創作活動の中、女性の弟子カミーユとの不倫問題に悩まされるなどしましたが、ロダンは1917年11月17日・・・妻ローズの死から僅か9ヶ月後、そして自身が77歳の誕生日を迎えた5日後に生涯を閉じるまで、未完成の 『地獄の門』 や186体もの単独像など、数多くの問題作・話題作を遺しました。

 

その数ある作品の中で最も有名と言えるのが、『考える人』 でしょう。


        

 

これは単独作ではなく、『地獄門』 の上部に据えられたもの。

 

モデルは 『神曲』 の作者ダンテ、あるいはロダン自身とも言われています。

 

          

そして元々は 『詩人』 と名付けられていたものを、ロダンの没後に鋳造したリュディエという人物が 『考える人』 と改名(?)したとのこと。

 

この作品は全世界で50体以上鋳造されていますが、日本では内閣総理大臣を務めた松方正義氏の息子・松方幸次郎氏が 『松方コレクション』 の一環としてロダンの作品を買い求めたこともあり、東京の国立西洋美術館とブリヂストン美術館、京都国立博物館、静岡県立美術館・長島美術館(鹿児島)の5ヵ所で展示されています。

 

芸術の秋・・・物思いにふけるべく、ロダンの名作をあらためて鑑賞したいものですネ。笑2
 

※現在、映画 『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』 も公開中です。
  興味のある方は、是非ご覧ください。  (予告映像は、こちら↓)

 

             http://rodin100.com/

 

 

             ペタしてね

 

              人気ブログランキング

AD
いいね!した人  |  コメント(16)  |  リブログ(0)

テーマ:

またしても、大相撲で不祥事が起きてしまいました。

横綱・日馬富士(33)が同じモンゴル出身力士・貴ノ岩(27)に暴行を加えた、というのです。

 

       

 

鳥取巡業の前夜だった10月25日夜、両名のほか横綱・白鳳らモンゴル人力士ら約10名が集まって開いた宴会の最中に、突如日馬富士が貴ノ岩の頭部をビール瓶で殴ったばかりか彼に馬乗りになって素手で2,30発、更にはカラオケのマイクや灰皿で殴ったとか。

白鷗も突き飛ばされ他の力士も殴られたそうで、怖くて誰も止められなかったと言いますから、まさに修羅場。

 

後に貴ノ岩から出された診断書によれば、左前頭部裂傷・右中頭蓋底骨折などで全治2週間のケガ。

稽古中ならいざ知らず、飲み会の席で大暴れしたりですから、これは完全に暴行傷害事件・・・更にアイスピックを手にしたという証言もありますから、殺人未遂にも問われかねない犯罪行為。
 

以前から酒乱癖を指摘されていたとはいえ、そんなのは言い訳になりません。

かつて一般人に暴行して半ば強制的に引退されられた朝青龍を兄とも慕う日馬富士・・・何ともつまらぬことを見習ったものです。

大相撲での暴行事件は、朝青龍の一件だけでなく今まで死亡事件を含め何度も起きています。

過去にはある横綱が部屋の若い力士を(相撲業界用語でいうところの)かわいがり、トレーニング機器で殴って大ケガを負わせ、廃業に追い込んだことも。

この若手力士は現役大関の弟でスキャンダル性十分でしたが、加害者が名力士と謳われた日本人横綱だったからか、殆ど報道されませんでした。

無理へんにゲンコツと言われ、どんなワルガキでも部屋に入門させればすぐ大人しくなると言われる大相撲ですから、多少荒っぽい稽古が行われるのは致し方ないでしょう。

しかし今回の一件は稽古中ではなく飲み会の席での大暴れですから、言語道断。

 

師匠の貴ノ花親方が被害届を提出し、それを受理した鳥取県警が既に捜査に入っているそうですから、下手すれば場所中に横綱が逮捕される可能性もある、前代未聞の大失態。

仮に示談が成立したとしても、それで手打ちとはいきません。
品格を重視される横綱ですから、常識的に引退は避けられないでしょう。

その場合、彼は朝青龍と同じく日本国籍を取得していませんから親方になれず、必然的に角界から去ることになりますが・・・。

なぜ場所前から力士たちが皆知っていたというこの暴行事件がすぐ明らかにされなかったのかを含め、日本相撲協会の体質・対応も厳しく批判されるでしょう。

私は個人的に、大相撲はスポーツでも、まして格闘技でもなく〝神事〟だと位置づけています。

 

元来、相撲は農村で豊作を祝う儀式でした
 

かつて横綱の初代若乃花は 「土俵には金が埋まっている」 と言いましたが、実際に埋められているのは日本酒・米・塩などの供え物であり、初日前日には立行司が祭主となって神事を執り行っているのです。

 

       

※ちなみに女性を土俵に上げないのは、豊作の神が女性であり、その女神を喜ばせるために若く強い男性が力と技を競うのが相撲だから、女性を上げると女神がヤキモチを焼く・・・というのが、その理由。
 

だからこそ日本相撲協会は公益財団法人に認定されているのであり、親方や力士らは神に祷りを捧げる清らかな身であるべき。
 

そんな歴史・伝統と自覚を、協会はまず最初に新弟子に叩きこむ必要があるはず。

しかし残念ながら、現在の大相撲は勝利至上主義の単なる興行だと言えましょう。

 

番付も勝敗のみで決まりますし、横綱昇進には成績と品格双方の条件を満たすことが求められているものの、実際にはその品格に関して具体的な指針はありません。

また各部屋に支払われる分配金も抱える関取の人数や関取によって決まりますから、親方は自ら中・高校生をスカウトして育てるより、体格も良くハングリーな勝てる外国人力士を入門させようとします。


そんな制度が、神事たる大相撲の伝統を壊している・・・と私は思うのですが、言い過ぎでしょうか?

故に私は朝青龍が台頭して以降、横綱・大関を外国人力士が席巻するようになってからは一切大相撲を観なくなりました。

日本相撲協会は、今回の事件をトカゲのしっぽ切りで済ませることなく、猛省して相撲道の原点回帰をしなければ、大相撲に未来はないと思います。
うー

そうならないことを、日本人としては願いますが・・・。

 

 

             ペタしてね

 

              人気ブログランキング

AD
いいね!した人  |  コメント(16)  |  リブログ(0)

テーマ:

今日は 、『七五三』。

 

その歳になるお子さんをお持ちのご家庭では、朝からおじいちゃんやおばあちゃんも巻き込んで大騒ぎかもしれませんネ。

 

実は、この11月15日は皆さんもよくご存じの〝幕末を一塵の嵐の如く駆け抜けた〟志士・・・そう、あの

 

 坂本 龍馬

 

の命日であり、今日は没後150周年にあたります。

         

龍馬は1835(天保3)年、偶然にも命日と同じ11月15日に土佐の裕福な商人の家に生まれました。

17歳の時に江戸に出て千葉周作の弟・定吉の道場に入門し、
22歳で北辰一刀流免許皆伝に。

 

その後は、幕末の政治混迷の中に身を投じ、亀山社中や海援隊の創設・薩長連合の仲立ちを行うなど、大政奉還までの日本に大きな影響を与えました。

 

そして時代が明治に変わる寸前の1867(慶応3)年11月15日・・・中岡慎太郎らと京都・近江屋2階にいたところを十津川郷士と名乗る者他数名 (※身元は未確定。 京都見廻組説が有力なれど諸説あり) に急襲され、絶命。 

 

まだ33歳という若さでした。

 

私が彼の名を初めて知ったのは、『巨人の星』 を読んでいた時のこと。

 

父・星一徹が息子・飛雄馬に語った、

 

「死ぬ時は、例えドブの中で死んでもなおっ、前向きで死んでいたい・・・それが男だ。」

 

 

これが坂本龍馬の残した言葉だと聞き、

 

(へぇ~、カッコいい事を言う人がいたんだなァ・・・。)

 

と感じ入ったことを、今でも憶えています。

 

しかし彼の存在は、存命中よりもむしろ後世で有名になったようです。

 

古くは日露戦争の時代、皇后陛下の夢枕に彼が立った・・・という逸話が新聞紙上に掲載されたことで彼の名が広く知られることになり、更に司馬遼太郎の小説 『龍馬がゆく』 でその人気は決定的なものになりました。

 

拳銃を持ち歩いたり、妻・お龍と日本で初めて新婚旅行をしたり、また日本で初めてボウリングをした・・・等々、龍馬に関しては様々なエピソードがありますが、その多くは後日創作されたもの。

実際 『巨人の星』 のエピソードも、原作者・梶原一騎の作り話だとか。


しかし同時代を生き抜いた人々の証言は、彼の真の姿を物語っているはず。

  

「彼れはおれを殺しに来た奴だが、なかなか人物さ。 

その時おれは笑って受けたが、沈着いてなんとなく冒しがたい威厳があってよい男だったよ。」 (勝海舟)

 

「天下に有志あり、余多く之と交わる。 

然れども度量の大、龍馬に如くもの、未だかつて之を見ず。 

龍馬の度胸や到底測るべからず」 (西郷隆盛)

 

「坂本は近世史上の一大傑物にして、その融通変化の才に富める、

その識見、議論の高き、その他人を遊説、感得するの能に富める、

同時の人、能く彼の右に出るものあらざりき。」 (陸奥宗光)

 

国内にとどまらず海外にまで目を向けた広い視野と見識、自由自在かつ柔軟な発想、大胆な行動力・・・まさに 「志高き武士」=〝志士〟といえましょう。

 

まっこと、男が憧れる男です。笑3

 

             ペタしてね

 

              人気ブログランキング

いいね!した人  |  コメント(14)  |  リブログ(0)

テーマ:

第二次世界大戦あたりから、海軍の主力は軍艦から航空機による機動部隊へと変換しました。

その基礎となるのは航空母艦の存在・・・ですが、同時に狭い滑走路での離発着ができるパイロットの技術が不可欠。

その甲板での離発着を世界で初めて

 

 ユージン・バートン・イーリー

      Eugene Burton Ely

 

が成功させたのが、今から107年前の今日でした。

       

彼は1886年にアイオワ州で生まれたアメリカ人パイロット。

地元アイオワ大学を卒業後自動車のセールスマンをしていましたが、会社のオーナーが所有していたカーチス複葉機を操縦していて壊してしまいます。

彼は、それを修理しながら操縦法を学び、航空機メーカーの創業者グレン・カーチスに雇われたという、変わった経歴の持ち主。

その彼が米海軍のワシントン・チェンバースと知り合ったことで、艦船から飛行機を離陸させる実験を行うことに。

そして1911年11月14日、軽巡洋艦USSバーミンガムの甲板に設置された特設の飛行甲板から離陸に成功。

 

         

まるで鳥人間コンテストみたいですが、最初に飛ぶのは相当に勇気が要ったでしょうネ。

そして彼はこの2ヶ月後、ヒュー・ロビンソンが考案した着艦フックを利用して装甲巡洋艦USSペンシルバニアの甲板への着陸に成功したのです。

 

       

残念ながら彼はその年の10月、航空ショーの飛行中に墜落し、25歳の誕生日を迎える2日前に亡くなってしまいます。

 

しかしその22年後にF・ルーズベルト大統領から殊勲飛行十字章が贈られましたから、その艦上離着陸が如何に大きな貢献をしたかが分かります。

 

さて、現在においては複葉機ではなく、ジェット戦闘機が主力。
イーリーのような特設滑走路では、重くて海面に落ちてしまいます。

そこで開発されたのが、カタパルトaircraft catapult )。

映画 『トップガン』 のオープニングにも登場しますが、戦闘機の前輪にフックをかけ強烈な推進力で甲板上で速度を上げさせるもの。

 

    

※実際の迫力ある離陸を、こちらでご覧いただけます。(↓)
   https://www.youtube.com/watch?v=UBVamjW-Ks4

 

リニア式も開発されているそうですが、主力は蒸気式。
ですから発進する際には蒸気が甲板から立ち上ります。

そのパワーは凄まじく、重さ数十トンのジェット戦闘機を90mの距離で時速300kmにまで加速できるとか。

でも、これだとピンとこないですょネ。

そこで問題です。
もしこのカタパルトに小型乗用車を装着したら、どれくらい飛ばせるでしょうか?

正解は・・・あまりに力が強くて、市販の自動車だと発進直後に壊れちゃうんですって。驚き顔

頑丈に補強すれば、軽く数百メートルは飛ばせるとか。
ちょっと一般人には想像できないパワーですょネ。

個人的にはカタパルトで隣の半島や大陸にフッ飛ばしたい政治家が何人もいるんですが、残念ながら生身の人間を括りつけるのは無理のようです。うー

 

 

             ペタしてね

 

              人気ブログランキング

いいね!した人  |  コメント(12)  |  リブログ(0)

テーマ:

早速ですが、皆さんに簡単なクイズをひとつ・・・今日のタイトル

“ japanの意味は?

 

「アホかっ、そんなの日本に決まってるでしょうが!」 

 

なんて怒られそうですが、実はブ~ッ。 それは“Japan ”。 

 

小文字で始まるのは〝漆(器)〟なんです。 

そして今日・11月13日は、その

 

 うるしの日

 

国名が付けられるほど日本を代表する工芸品である漆の技術については、平安時代初期・・・惟喬親王が京都・法輪寺に参籠して虚空蔵菩薩から教示されて完成したとされ、その参籠の満願の日と伝えられる11月13日を記念日としたとか。

※ただし、北海道・南茅部町の『垣ノ島B遺跡』から約9,000年前の縄文時代前期の漆器が見つかったことで、これが現在世界最古の漆器であると確認されています。

 

ウルシノキ等から採取された樹液から作られる漆は、熱・湿気・酸・アルカリに強く防虫効果もあることから、食器・家具に多く利用されます。

 

       

 

京漆器や輪島塗のお椀とお箸で味噌汁や煮物をいただくと、「日本人に生まれて良かったァ!」 なんてホッとする気持ちになるのは、私だけでしょうか?

 

・・・って、普段使っているのは、そんな高級品じゃないですけどネ。

我が葬儀業界にも〝漆塗(調)の棺〟なんてのがあるんですョ。


さて、あまたある漆製品ですが、個人的に思い出深いのは損保時代に転勤した青森で出会った、津軽塗

 

それまで漆塗というと、黒とか赤のシンプルな物しか知らなかった私は、青森で初めて見た津軽塗の独特の紋様に魅入られてしまいました。

       

津軽塗の始まりは江戸時代中期、弘前藩第4代藩主・津軽信政公(1646~1710)の治世の頃といわれています。

 

信政公は津軽の産業を育成するため、全国から多くの職人・技術者を弘前に招きましたが、その中に若狭国(現・福井県)から来た池田源兵衛という塗師がいました。

 

彼が1685(貞享2)年に江戸に上り、塗師・青海太郎左衛門に入門。
翌年彼は客死したものの、その子・源太郎が父の遺志を継いで修行に励み、後に青海源兵衛と名乗り、会得した技法を津軽の地で生み出したのが、津軽塗のルーツだとか。

そして1873(明治6)年に開催されたウィーン万博に、青森県は 『津軽塗』 の名で漆器を出品し賞を受けていこう、『津軽塗』 が広く知られるように。

約50もの工程を経て完成するこの技法には、唐塗・七々子塗・紋紗塗・錦塗の4種類があり、現在青森県唯一の経済産業大臣指定伝統工芸品に指定されています。

我が家にも、当時購入した茶托等いくつかの津軽塗が・・・。

 

最近は外食やテイクアウトの食品を利用する方が増え、発泡スチロールの器に盛られた食材を割り箸で食べる機会が多いと思います。
 

でも私は、少なくとも子供にはしっかりとしたお椀や箸を毎食使って欲しいのです。

それこそが、〝食育〟の第一歩だと思うから。

津軽塗のお箸、滑りにくくて使い心地イイですョ。

      

この津軽塗に興味が湧いた方は、拙ブログの読者である 『漆工房 牧門堂』 さんのHPをご覧になってみてください。(↓)

           http://www.bokumondoh.com/

 

 

             ペタしてね

 

              人気ブログランキング

いいね!した人  |  コメント(12)  |  リブログ(1)

テーマ:

・・・って、某野党政治家の話じゃありません。あせあせ

先日、エネゴリ君の店に行った時の事。
いつものカウンター席でメニューを見ていたら、彼が


「渡辺さん、済みません。 ちょっと失礼します。」


と言って、厨房からトイレに一目散。

「どうしたの? 腹具合が悪いの?」

とオーナーに聞いたら、

「えぇ、ランチタイムから調子よくないみたいです。」

出てきた彼に

「なに、下痢? まさかノロとかじゃないょナ?」

 

「いえ、そうじゃないんですけど・・・今日は、ゆるくて。」


「ってことは、硬くて出ない時もあるわけ?」

「えぇ、そういう時も・・・。」

 

「キミ、硬軟交互ってのはヤバいぞ。  病院に行った方が、いいかも。」
 

「そうなんスか? でも自分、後ろより前の方が・・・。」

        

「何だょ、それ。 もしかして、結石?」

「えぇ、2,3日前に出たんですょ。」

 

「あれまっ。 病院でレーザー照射してもらったの?」
 

「いえ、今回は自力で出しました。」

 

「そりゃ凄い。 で、その結石ってどれくらいの大きさだったの? 
 これくらい?」

と、私はたまたま目の前にあった料理についていた黒コショウの粒をフォークの先で指しながら、彼に聞きました。


「いや、そんなに大きくないです。」

 

「じゃあ、これくらい?」

「えぇ、ちょうどそれくらいです。」

 

「うわっ、こんな大きいのが出たの? さすがはゴリラだねェ。」

「いえ、違いますョ。 私は人間だもの。」

 

「お前は、相田みつをか?」

「だ、誰っスか? それ。」

 

いや、もう説明したくない。 うー

・・・なんて会話があってから数日後、彼は入院したんです。
石が全部出切っていなかったようで。

1泊2日の超短期入院だったそうですが、担当医から

「麻酔なしでやりますネ。」

 

と言われてレーザー照射されたら、あまりの痛さに気を失ったそうな。

レーザー照射って、ゴリラが失神する程痛いんですか?

もしそんなに痛いのなら、なぜ麻酔しないんでしょう?

 

彼のゴツい身体を見て医師が不要と判断したのかもしれませんが・・・是非とも経験者のご報告をお願い致します。
 

 

             ペタしてね

 

              人気ブログランキング

いいね!した人  |  コメント(18)  |  リブログ(0)

テーマ:

今や、これが無ければ私たちの日常生活は成り立たないでしょう。

今日・11月11日は、携帯やスマホ、テレビのリモコンやPCのキーボードやマウスなどに入っている必需品、


 電池の日

 

なんですって。

 

乾電池のプラスとマイナスを十一に見立てて、今からちょうど30年前の1987年に日本乾電池工業会(現・電池工業会)が制定したそうな。

 

さて、ここで皆さんに質問です。

電池の前になぜ〝乾〟がついているのか、またその意味は何なのか・・・ご存知ですか?

それでは記念日に因み、その乾電池を発明した日本人をご紹介致しましょう。 その発明家の名は


   や  い  さきぞう
 屋井 先蔵

 

     

 

彼は1863(文久3)年、現在の新潟県長岡市に長岡藩士の子として生まれました。

 

文武両道だった父親は数理にも明るかったそうですから、先蔵はそのDNAをしっかり受け継いでいたのでしょう。

しかし彼が6歳の時にその父が亡くなってしまい、母や妹と共に叔父の家に引き取られた彼は、13歳の時に東京の時計店へ丁稚奉公に。

 

そこで女中にいじめイジメられて体調を崩し一旦帰郷したものの、ひょんなことから永久機関の発明を目指し再び親戚を頼って上京。

 

そして21歳の時、東京職工学校(現・東京工業大学)を受験するも、不合格。

 

翌年も再挑戦したのですが、寝過ごした上に自分の持っていた時計が不正確だったため、僅か5分遅刻してしまい受験できず。

 

「もし正確な時計があれば、受験に間に合っていた」

 

と悔しがった彼は、正確な時計を作ろうと一念発起。

 

仕事の合間を縫って少しでも正確な時計作りに精を出した彼は、1885年・23歳の時に電池で正確に動く 『連続電気時計』 の発明に見事成功。

 

しかしこの時計に使用した電池は液体式のダニエル電池と呼ばれる〝湿電池〟で、手入れが必要な上に冬場は凍結して使えないという致命的な欠点がありました。

 

※もともと電池はイタリア人生物学者ルイジ・ガルヴァーニが、カエルの足に2種類の金属を触れさせると電流が流れて筋肉がピクビクすることから1791年に発明した〝ガルバニ電池〟が最初。
その後発明・改良された電池も、液体を使用した〝湿電池〟でした。

 

そこで既に東京物理学校(現・東京理科大学)の付属職工となっていた彼は、同校の学者と相談しつつ薬品が沁み出して金属が腐食するという湿電池の欠点を補うべく研究を重ね、1887(明治20)年にパラフィンを炭素棒に含浸させた、液体を使用しない〝乾電池〟の発明に成功したのです。

しかしこの乾電池を日本で特許出願しただけでシカゴ万博に出品したしまったため、模造品がアメリカで作られ日本に逆輸入される羽目に。

更に国際特許も1888年にドイツのカール・ガースナーとデンマークのヘレンセンなる人物が取得してしまいました。

嗚呼、なんと勿体ない・・・。

更に屋井式乾電池は、それを利用する電気製品そのものがなかったため、全く売れなかったそうな。

しかし暫く時が経ち1894年に勃発した日清戦争時、戦地・満州で湿電池が凍結して使い物にならない中、屋井式乾電池だけが電信用の電源として使用でき、新聞の号外で

「満州での勝利はひとえに乾電池によるもの」


と報道されたことで一気に知名度が上がり、日露戦争でも屋井式乾電池は活躍。

彼は1910年に 『合資会社 屋井乾電池』 を設立して東京・神田に販売部、浅草に工場を建設し、現在のような円筒形の乾電池を量産。

 

       


特許は先を越されたものの、海外メーカーとの競争にも打ち勝って〝乾電池王〟と謳われるまでになったのです。
 

乾電池を交換する際には、1927(昭和2)年に急性肺炎により66歳で急逝した日本の誇る〝乾電池王〟屋井先蔵の顔と名前を思い出してください。

やい、乾電池をに発明したのはオレだぞぅ〟・・・って。あせあせ

 

あっ、それからもう遅刻の理由を時計の誤作動や電池切れのせいにはしないように!

 

※彼の生涯・業績を詳しく知りたい方には、この本をオススメします。
 

  『白いツツジ 「乾電池王」 屋井先蔵の生涯
                     (上山明博・著 PHP・刊)

 

       

 

 

             ペタしてね

 

              人気ブログランキング

いいね!した人  |  コメント(12)  |  リブログ(0)

テーマ:

今日は11月10日・・・語呂合わせで

 井戸の日

なのだそうです。

井戸とは、地下水や温泉、更には石油や天然ガスを汲み上げるために地面を深く掘った設備のこと。

水の集まるところを意味する、今日のタイトル〝井処〟が語源の由来だとか。

皆さんは、井戸水を飲んだことがありますか?

私が子供の頃、毎日のように友達と野球をやっていた神社の境内に井戸があり、喉が渇くとそこに行って友達とこんな手漕ぎポンプを動かしてはお互いにゴクゴク飲んでました。

水道水より、甘くて美味しかった~!

       

水の出口には木綿の袋がついていて少し緑色に変色していましたが、そんなことは気にせず口にしていました。

今時の親がそんな水を子供が飲んでしたら、卒倒するか神社に 「不衛生だ!」 と怒鳴り込むかも。うー

 

井戸の歴史は古く、世界最古のものとしてはシリアの遺跡から約9,000年前のものが発見されており、日本でも古くから掘られていたようです。

江戸時代は、江戸・下町の殆どが埋立地。
 

井戸を掘っても海水しか出なかったため、玉川上水を起源とする上水道から取水するために井戸が作られ、そこから給水をしていたとか。

その水の出が弱く、桶に溜まるまでに時間がかかったため、その間に世間話をすることを〝井戸端会議〟という言葉が生まれたんですって。あせあせ

検索すると東京都内にも井戸掘業者が存在しますから、今でも井戸を利用する人がいらっしゃるようです。

ただ、井戸って人々のライフラインを支えてきた重要な施設だったため、古くから信仰の対象になっており、それがために古くは 『番町皿屋敷』、最近では 『リング』 など様々な怪談話の舞台にもなっています。

また井戸はあの世と現世を結ぶ〝霊の通り道〟でもあるので、家の建て替え時などでお払いもせずに井戸を埋めると、祟られる・・・って聞いたことがありますし。

       

他にも、

 ◆ 井戸に刃物・金物を投げ込んではいけない。
 ◆ 井戸に向かって大声を出してはいけない。


などの言い伝えがありますから、もしお住いの近くに井戸がある方は、くれぐれも近づいて悪さをしないように・・・。うー

 

 

             ペタしてね

 

              人気ブログランキング

いいね!した人  |  コメント(21)  |  リブログ(0)

テーマ:

今日・11月9日は、そのままの語呂合わせで

 

 119番の日

 

今からちょうど30年前の1987(昭和62)年に、消防庁が制定しました。

 

119番は言うまでもなく消防・救急要請の急通報用電話番号』

 

我が国で電話による火災報知が制度化されたのは、ちょうど100年前の1917(大正6)年。

 

そして電話がダイヤル式になったことに伴い、1926(大正15)年に緊急通報用として『112』番が定められました。

 

しかし番号が近かったせいか意外に間違いが多かったようで、翌1927年に 『119』 番に変更され、現在に至っています。

 

(以前 『110』 番の記事でも書きましたが)何で119番になったか?

 

それはまず緊急性を重視してダイヤルが最も早く回せる 『1』 を2回、そして心を落ち着けるために遠い番号を最後にしたというのが通説だそうですが、現在のプッシュホンしか知らない世代には〝?〟でしょうネ。あせあせ

 

皆さんは、今まで119番通報をしたことがありますか?

 

私が直近で電話したのは、今から6年ほど前。

自分が体調に異変をきたして、携帯でかけました。

「あの~、急病患者が出たんですが。」

「誰ですか?」

「私です。」

「えっ?」

なんて会話をした記憶がありますが、通報から5分もせずに救急車が到着。

自ら乗り込んだところまでは良かったのですが、それから数分後に血圧が下がって車内で気を失いましたから、もし到着が遅れたら今頃私はこの世にいなかったかも。

※その時の記事は、こちら。(↓)

 

 

その意味では、本当に命の恩人・・・出動してくれた消防署に足を向けて寝られません。

 

    119
           
左端が、私の命を救ってくれた救急車

 

しかしここ数年来、マスメディアで話題に上るのが利用者のモラル。

 

救急車をまるでタクシー代わりに利用しようとするケースが増えているとか。

 

大の大人が風邪ひいただけで119番する世の中に、一体いつからなってしまったのか?・・・本当に情けない限りです。

 

10年前から、東京消防庁では緊急性がないと判断した場合に救急搬送を断る 〝緊急搬送トリアージ〟の試行を始めましたが、実際にはその線引きが微妙で中々実行には至っていない様子。

 

やはり利用者のモラルに頼るしかないのが現状のようですネ。

そして4年前に救急車の有料化が提言されましたが、私は賛成です。

 

有料にすれば、ふざけた通報はかなり減るでしょうし、財政的にも有益でしょう。

命を救われた私にすれば、たとえ2万円でも3万円でも喜んで支払いますけどネ。

 

そしてもっと悪質なのが、いたずら電話。うー

 

残念ながら、119番通報の2割以上はイタ電なんだそうですが・・・これ、はっきり言って〝犯罪〟です。

 

消防法第44条では火災発生の虚偽の通報をした者に対し、30万円以下の罰金又は拘留と定めており、また刑法では偽計業務妨害(第233条)として3年以下の懲役、または50万円以下の罰金を課す旨明記されています。

 

実際に拘留されたケースもあるそうですし、たとえ携帯から非通知設定でかけても発信番号が特定できますので、絶対にイタ電はしないように!怒り顔

 

 

             ペタしてね

 

              人気ブログランキング

 

いいね!した人  |  コメント(20)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。