【内観20】から続く)

●誰もが仏様

 内観面接の場で、意外な場面に出くわして「驚いた」と書きましたが、同時にうれしい気持ちにもなったのも事実でした。

 たくさんの内観者に面接させていただき、内観者の生まれたときから今に至るまでのお話をたくさん聞かせていただくことができたからです。

 一人一人に、今に至るまでの長い長いドラマがあります。

 一人一人の方が、それぞれの父母から大切にされ、愛され、育てられてきたことが、わかります。

 もちろん、特別な事情で父母に育てられなかったという方もいますが、そんな方でも、父母の代わりになる人たちの力(父母なる力)によって、今まで生かされてきたことがわかります。

 そして、父母をも包み込む大いなる存在によって生かされていることに気づきます。

 多くの内観者が、そうして生かされている一方、自分がして差し上げたことの少なさ、ご迷惑をかけたことの多さ(特に元オウム信者の内観者の場合は、オウムに入ってご迷惑をかけたことの多さ)に気づき、感謝と反省を深め、輝いていきます。

 その姿は、まさに仏様の姿と重なります。

 前記の通り、面接者は、面接の最初と最後に、内観者に直接対面して深々とお辞儀をしますが、実は、屏風を開ける前と締めた後にも、屏風越しに内観者に向かって深々とお辞儀をすることになっています。つまり、面接者は、内観者に一度面接する度に、四度もお辞儀をするのです。

 最初はお辞儀が多いような気がしていましたが、こうして内観者の素晴らしい姿を拝見する度に、このお辞儀も大げさではないという気になっていきました。

 内観を創始した吉本伊信先生は、面接者が内観者の屏風を開けるときは厨子(仏像を納める箱)を開けるような気持ちで行うこと、とおっしゃったそうですが、それもわかる気がしました。

 私は2009年から現在までにかけて、A先生のご指導を受けながら、のべ約200名の内観者に面接をさせていただきましたが、こうした体験が重なっていくにしたがって、どんな人でも仏になりうる、いや仏の性質を本来持っていて、それを表に表すことができるに違いないという感覚が自然と生じてきました。

 それは、町を歩いていたり、電車に乗っていたりして目にする、自分とは縁がないように見える人々ですら皆そうなのだという気がしてきて、不思議とうれしい気持ちが湧いてくるのでした。

 A先生にこのようにお話ししたところ、先生は「そうです。そういう人たちも単に『まだ内観をしていない人』というだけのことです」と述べ、皆がひとしく仏のように尊いという考えにうなずいてくださいました。

●大いなる尊い大生命

 これまでは、自分が父母に生かされている、自分が大自然に生かされている、などと表現してきました。つまり、生かされている自分と、生かしてくださっている他者とが分離していたのですが、徐々に、その両者が「つながり」、分け目なく融合し、自分も父母も大自然も大宇宙も、ありとあらゆる万物が共に大きな生命を形作っている――いやそれこそが本質であり、その大きな生命の一部が自分と見える存在として仮に表出しているにすぎないという感覚に包まれるようになってきました。

 自分の内観体験だけでなく、たくさんの方々の内観をお手伝いしているうちに、そう感じるようになってきたのです。

 これを言葉で表現するのは難しいのですが、しばらく前に京都にある浄土真宗のお寺が「今、いのちがあなたを生きている」という標語を掲げているのを見て、「これだ!」と思ったのを覚えています。かなり私の感覚に近いことを表現していると思いました。

 また、ひかりの輪でも、三悟心経【さんごしんぎょう】というオリジナルの経文で、「万物仏【ばんぶつほとけ】、万物尊重【ばんぶつそんちょう】」「万物一体【ばんぶついったい】、万物愛す【ばんぶつあいす】」などと唱えますが、私は以上のような体験をもとに唱えています。

 ここにおいては、全ての存在が一体となって「つながり」、その無限の「つながり」は、その存在だけで尊いという感覚に満たされます。私が小さい頃から感じていた「大宇宙の意思」に包まれるように感じます。

                                                    〈【内観22】へ続く〉

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【内観19】から続く)

 

●全国の元オウム信者に内観を実践していただく

 さて、内観の実践を通じて、2011年までには以上のような心境に至っていた私でしたが、このような素晴らしい自己反省法は、限られた人だけではなく、ひかりの輪に集まる全国の人々に広く体験してほしいと思うに至りました。

 そこで、私は、ひかりの輪の施設・住居がある全国各地を巡回して、現地の会員等に対して内観の指導や面接をしてくださるようA先生にお願いし、先生のご快諾をいただきました。

 翌2012年4月から現在までの間に、仙台・東京・千葉・長野・名古屋・大阪・福岡をA先生と一緒に訪れ、「1日内観セミナー」を開き、たくさんの会員や一般の参加者に内観を実践していただきました。

 先にも記したとおり、本来の内観は1週間こもって行う「集中内観」が基本なのですが、仕事や学業の都合で不可能な人たちのために、特別に1日だけで短縮して行う方法もあります。それが「1日内観」です。もちろん集中内観を行うことが好ましいのですが、まずは1日だけでも行うのは意義あることです。たとえ1日だけといえども、この1日がなければ、今後一生、自分の人生を振り返ることはなかったかもしれないのですから。

 それに1日内観を行って、さらに深い内観を行いたいという方は、内観研修所に行って集中内観をすることもできますので、内観の入口としても有効なものです。

 この1日内観では、(ひかりの輪で行う場合は)朝10時から夜9時までの11時間をかけて内観を行います(A先生が一般の方を対象に普段指導されている1日内観は夕方5時までのものが多いそうですが、ひかりの輪では特に夜9時まで長時間かけて行うことにしました。時間が長い方が集中して深い内観ができるからです)。

 基本的な方法は、集中内観と同じで、まずは母親に対する自分について、自分の人生の期間を区切りながら、3つの質問に取り組みます。すなわち、①していただいたこと②してさしあげたこと③ご迷惑をかけたこと――を想起していきます。

 区切りごとに先生の面接があるのも集中内観と同じですが、1日だけですので少しペースを速めて大体4~50分ごとの面接となります。そして、母が終わると父に移り、それが終わると他の家族などに移っていくのですが、1日だけの場合は、たいてい母または父で終わってしまいます。その次の1日内観の際に、その続きを行っていくことになります。

 私は、A先生と一緒に実施した1日内観において、先生のご指導を受けながら、先生と分担する形で面接者を務めさせていただきました。つまり、私が内観者の屏風を毎回訪れ、内観者のお話を聞く役割となったのです。私のように集中内観を終えた人は面接者を務める最低限の資格を得られるそうですが、まずは見よう見まねで、先生のお手伝いをさせていただくつもりで(短時間にたくさんの内観者の面接を一人で行うのは結構大変ですので)、面接者役に臨みました。

 面接者は、内観の区切りごとに内観者のもとを訪れます。静かに屏風を開けて、内観者に向かって深くお辞儀をし、手を床につけて、視線は下に落としたまま(内観者とは目を合わせずに)、次のような質問をします。

 「ただ今の時間は、どなたに対して、いつのご自分をお調べになりましたか?」

 すると、内観者は、冒頭に次のように答えるのがルールです。

 「ただ今の時間は、母に対して、生まれてから小学校に入学するまでの私を調べました」

 そして、3つの質問に対して思い出したことを、長くても3分以内で面接者に話します。

 これに対して面接者は、ただそのお話を黙って聞かせていただくだけです。お話の内容については、一切評価をしません。つまり、いい内観ですねとか、それはダメですね等の論評は一切行いません。ただし、内観者が3つの質問以外のことを話し出したり、方法を間違えたりすれば、その軌道修正を行うのみです。

 それが終わると、内観者に向かって「ありがとうございました。では、次は、お母様に対して、小学校低学年の3年間のご自分をお調べ下さい」と、次の目標を告げ、深々とお辞儀をして、屏風を閉めて去っていきます。

 それを1日中、数名ほどの内観者に対して、数十分おきに繰り返し、内観のお手伝いをさせていただきました。


●内観者は仏様

 こうして現在に至るまでに、のべ約200人の内観者の面接をさせていただいた私は、驚きの連続でした。

 たとえば、普段は皮肉屋っぽい性格の人が、内観中は、母にしていただいたこと、父にしていただいたことを訥々と語り、涙しているのです。

 「この人に、こんな面があったなんて!」

と、もちろん口には出しませんが、意表を突かれた思いがしたものでした。

 その他にも、その人の日常からは想像もつかないような感謝の言葉が、両親やお世話になった人々に対して語られるのを、面接中に何度も聞かせていただくことがありました。

 また、私はロシア人の元オウム信者たちに、インターネット中継を用いて、内観を教えたことがあります。遠隔地からなので通訳を介した特殊な方法で行い、内観を終えたロシア人から、

 「私は寒い中、毎朝お母さんに車で学校に送ってもらったことを思い出しました」
 「私は、鶏肉の固いところをお母さんが取って、私には柔らかい部分を食べさせてくれたことを思い出しました」

等の発表報告を受けました。

 「親に対する感謝、親の子に対する愛情には、やっぱり国家も民族も関係ないんだ」

と、頭ではわかっていたものの、実際に面接で話を聞いてみて、新鮮な驚きを覚えたものでした(なお、面接者が面接の際に内観者から聞いたことは第三者に漏らしてはいけませんが、上記の例は皆の前で内観者が発表した事例だったので記しました)。

 前にも述べたとおり、私は、オウムに入る前に右派的傾向を持っていましたから、共産主義やソ連というものを毛嫌いし、その結果、ロシア人にも知らず知らずのうちに偏見を抱いていました。かつてアメリカのレーガン政権はソ連を「悪の帝国」と盛んに非難し、日本の最大の仮想敵だったこともあって、子供の頃から何となくロシア人のことも悪魔のように一方的にイメージしてしまっていたのです。

 しかし、きわめて当たり前のことですが、ロシア人も、全く同じ血の通った人間でした。

 意外な場面に出くわして驚いた――と書きましたが、驚いたというのは、恥ずかしながら私が偏見をもってその人(人たち)を見ていたというだけで、私の目が曇っていたということにほかなりません。当然に、その人(人たち)も、これまでの無限の恩愛に対してありがたく感謝できる存在であり、また、その人を生かしてきた大切な存在があるのです。

 感謝する人は美しいものです。

 内観者は、その時、仏になっています。

 そういう仏の性質を持っている人を、偏見などの誤ったイメージで見ていた私は、自分のことを恥じるとともに、またその恐ろしさを再確認した思いでした。というのも、かつてのオウム真理教は、修行していない人などを「悪業多き魂」と勝手に位置付け、ポワ(大量殺人)の対象にしてしまったのですから。

 目が曇って、特定の人や集団を色眼鏡で見ると、誤って仏を殺すような大罪を犯しかねないのだと、あらためて思い起こしたのです。

 

                                          〈【内観21】へ続く〉
 

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【内観18】から続く)

●「史上最悪の悪人」を自覚して

 実際、これまでにも書いてきたとおり、内観などに基づいて反省を深めていくと、私のエゴには、どうしようもない悪い要素が含まれていることがわかります。最大の悪が含まれています。自分が史上最大の悪人だという自覚まで生まれてきます。

 つまり、見たくないことですし、認めたくないことですが、勇気をもって認めなければならないこととして、私のエゴは、これ以上にない最悪の犯罪――無差別大量殺人を容認していたのです。無差別に人を殺すという行為、誰もが許すことのできない恐るべきこの行為を、私のエゴは容認していた。

 もちろん私自身は、オウムの無差別大量殺人行為には直接的には関与しませんでしたし、知りもしませんでした。後から知って驚き、動揺したのが真実です。しかし、すでに書いたとおり、自分自身を肯定するために、それが正しい行為であってほしいという「願望」に基づき、そう「推測」して、宗教的に正当化していったのも、紛れもない真実なのです。

 これは非常に重大なことです。なぜならば、無差別大量殺人を後から知って正当化していたということは、事前に知って関与を促されていたら、関与してしまった可能性が十分にあるということを意味するからです。実際に関与して、逮捕して裁かれ、死刑判決を受けたオウム事件の実行犯らと全く同じように。

 彼ら実行犯と、私との間には、何ら違いはありません。単に、実際に命令されたか、されなかったか、実行したか、しなかったかという違いがあるだけであって、「命令されれば実行できた」という意味では、私は彼らと全く違わなかったわけです。

 だから私はどんな残虐なこともできうる最悪の人間だということです。どの時代のどの場所に生きたとしても、そこにおける最悪の歴史的事件に加担できたに違いありません。

 たとえば、もし私が中世に生きて、十字軍に従軍していれば、「神のために」と称して、異教徒であるイスラム教徒を殺すことに躊躇しなかったでしょう。

 逆にイスラム陣営にいれば、同じく「聖戦」の名の下に、キリスト教徒を殲滅したでしょう。

 フランス革命下に生まれれば、「人民の敵」を次々にギロチンに送り込んだでしょう。

 ナチス政権下のドイツにいれば、「優秀なアーリア人」が支配する世界の実現のために、「劣ったユダヤ人」を根絶やしにしたでしょう。

 一昔前の日本に生まれれば、「東洋平和のために」との理想を信じて、抵抗する中国人を皆殺しにしたでしょう。

 対するアメリカにいれば、「自由と民主主義を守るために」「ファシズムを打倒するために」と呼号して、日本全土に爆弾の雨を降らせ、最後には核兵器で広島・長崎を壊滅させ、無数の日本人を焼き殺したでしょう。新兵器の開発実験も兼ねて。

 スターリン治下のソヴィエト連邦、毛沢東治下の共産中国、ポルポト治下のカンボジアに生まれれば、「人民のため」と言いながらも、自国の人民を何百万人、何千万人と粛清し、殺したのでしょう。

 特に、中国やカンボジアでは、子どもたちに反体制的な自分たちの親を告発させたといいます。なんと残酷なことをと思いますが、自分の理想のために家出して、親を二十年間も放置し、悲しませた私には、とうてい彼らを非難することができません。

 私は、子供の頃、こうした歴史上の悲劇を見て、戦争の悲惨を見て、戦争のない世の中を作るにはどうしたらいいんだろうと探究して、この道に入りました。仏教の戒律――蚊もゴキブリも殺さない不殺生の戒律を守り、修行して、自分が善人になったつもりでいました。しかし、フタを空ければ、この私自身が、戦争でも人殺しでも何でもしてしまえる大悪人だったというわけです。

 私は、歴史にも残りうる史上最悪の人間になりうる、そういう存在だったということです。


●自分が「史上最悪の人間」なら誰でも許せる
 
 今「そういう存在だった」と過去形で書きました。

 しかし、今はどうなのか。未来はどうなのか。自分という存在は、もう完全に安全で大丈夫な存在なのか。

 先ほども告白しましたが、率直なところ、やはりそう言い切れない自分がいます。

 ただし、それは「つながり」から切れた自分です。「つながり」から切れて「自分」が生じてしまっているときの「自分」です。

 たとえば、全ての存在との「つながり」が切れて、たった一人になった「自分」は、身近な人のことを全く考えずに、迷惑も考えずに、好き放題の自分勝手・自己中心的な行動をとるでしょう。そして他者に嫌悪感をもって攻撃するでしょう。

 少し「つながり」の範囲を広げて、「自分の家族」との「つながり」を持ったとしましょう。しかし、それ以外の家族との「つながり」を断ち切っている場合、「自分の家族」を守るために、他人の家族を嫌悪感をもって攻撃できるでしょう。

 もう少し「つながり」の範囲を広げて、「自分の属する会社や学校、その他の組織(宗教団体など)」との「つながり」を持ったとしましょう。しかし、それ以外の組織との「つながり」を断ち切っている場合、「自分の組織」を守るために、他の組織や、あるいは社会全体を嫌悪感をもって攻撃できるでしょう。

 さらに「つながり」の範囲を広げて、「自分の国・日本」との「つながり」を持ったとしましょう。しかし、それ以外の国との「つながり」を断ち切っている場合、私は「自分の国・日本」を守るために、他国を嫌悪感をもって攻撃できるでしょう。

 もっと「つながり」の範囲を広げて、「自分の種族=人類」との「つながり」を持ったとしましょう。しかし、それ以外の生き物との「つながり」を断ち切っている場合、私は「自分の種族=人類」のために、他の動植物を平気で犠牲にし、自然破壊を繰り返し、地球を傷つけていくでしょう。

 そして、たとえ「自分の地球」との「つながり」を持ったとしても、宇宙との「つながり」を断ち切っている場合、私は宇宙を汚し続けていくのでしょう。

 自分→自分の家族→自分の組織→自分の国家(や民族)→自分の種族(人類)→自分の地球→宇宙へと、どんどん「つながり」を広げていき、全ての存在との「つながり」を回復して、「自」もなく「他」もなく、「自分の……」という表現が不可能なほどの究極の「つながり」の中に近づいていくとき、「自分」が、「エゴ」が消滅して、全存在と調和して存在できるような感覚が生じてきます。

 そして、この究極の「つながり」としか表現のしようがない存在が、親鸞が信仰した阿弥陀仏に見えて仕方がなくなったのです。阿弥陀仏の名を意訳すると「無量の光の仏」「無量の寿命の仏」となりますが、無量の光は全ての空間を包み込み、無量の寿命は全ての時間を包み込む。つまり全ての空間と時間に「つながり」を持ち、あらゆるものを生かし続ける存在だと私には思えるのです。

 しかし、その「つながり」が切れれば切れるほど、切れた程度に従って、「つながり」の外部に対して嫌悪感をもって攻撃してしまいかねないのが、悲しいことに、この「自分」であり「エゴ」なのです。現に、かつての私はオウムという組織と「つながり」を持ち、それ以上の範囲とは「つながり」を持たなかったため、「つながり」の外に置いた社会を攻撃したのです。そして、場合によっては無差別殺人に及んだ可能性すらあったのです。

 こんな醜い「自分」を直視すると、たとえ今後自分に攻撃を加えてくるような個人や組織があったとしても、かつての「自分」の姿と重なってしまい、怒ることもできません。むしろ、「自分」のような歴史上最大の悪事をなしうる悪人に比べれば、そんなことは大した罪に感じられません。

 もう「許す」ほかないのです。いや、「許させていただく」といった方がよい心境になります。私にとって許せない人間などは、誰もいないことに気づかされます。現に私も許され、こうして生かしていただいているのですから。

 こうして自分を振り返っていく作業というのは、実のところ、精神的に辛いものでした。象徴的な表現ですが、うずくまって考え込むしかないような状態でした。

 しかし、自分の中の悪人性に気づき、何があっても他者を許させていただくという心境になると、結果として、他者への攻撃的な心がなくなり、あらゆる人々と共存できるということに気づいてきたのです。

 自らが悪人であるという自覚があってこそ、反省があってこそ、はじめて他を許し、共存できる。

 悪人という自覚があるからこそ、エゴを捨てて、無限の「つながり」に身を委ねようと思う。

 つまり、自分や他人という相対的な存在を超えた、それを包み込む存在に身を委ねようという気持ちが出てくるのです。

 そう思うと、心が明るくなってくるのを感じるのでした。

                                                        (【内観20】へ続く)

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【内観17】から続く)

 

 世界との「つながり」が浅くて狭かったがゆえに滅びの道に至ったのがオウムでした。

 そして、それは、まさに私自身の姿でした。

 世界との「つながり」をどんどん切り離していき、どんどん狭く、どんどん浅くなっていった果てに残ったのは、「自分」だけ。それは「エゴ」と言い換えてもいいでしょう。

 このエゴは醜く、悲しい。

 自分一人だけで立ってきたかのように、自分一人だけで生きているかのように思い上がる傲慢さ。

 自分は正しく、相手は間違っていると思い上がる傲慢さ。

 自分は聖なる存在で、それを受け入れない相手は邪な存在だと思い上がる傲慢さ。

 他を押しのけてでも自分さえ良ければという傲慢さ。

 こういう私のエゴがつくりだしたのが、あのオウムという教団でした。

 しかし……、実は、それを「過去形」で話し終えることのできない「自分」がいるのも事実です。

 私の中には、まだまだこうしたエゴが存在していることがわかるのです。

 たとえば、意見のぶつかり合いが生じたときに、絶対に自分の方が正しいのだから、何とか言い負かしてやろうとプライドを出して鼻息を荒くしている私。

 仕事に忙殺されてイライラしているときに、自分を頼ってくる人に対して、素っ気なく対応したり、あるいは無視したりする冷たい心の私。

 相手に忠告した方がいいのに、言うと嫌われるかもしれないからと思って、逃げて何も言わない自己保全の強い卑怯な私。

 「私」が優位に立ちたい、「自分」を守りたい――そんなエゴの働きは、今この瞬間の私の中にも巣くっています。

 「つながり」が切れて、「自分」だけになり、「自分」のことしか考えられない状態の私は、かくも弱く醜いものです。

 再びオウム・麻原を信奉することはありえませんが、ひょっとして私のエゴは同じような傾向の道を再び歩んでしまうんじゃないか……。そんな不安にかられたこともありました。

 私に醜いエゴが依然として存在していること。これ自体は、実はオウム・麻原を信奉していたときと何も変わっていないのです。

 ただ、変わった点もあると思っています。

 一つ目は、内観の効果といえますが、自分のエゴを、以前よりも一定程度、客観的に見つめられるようになったということ。昔はそういうエゴがあることにも気づかず、没入していたと思うのです。

 二つ目は、以前よりも一定程度、客観的に見つめられるようになったがゆえに、そこから離れることも、比較的容易になったということです。エゴ丸出しの醜い意識だと気づいたときに、「つながり」から切り離されている「自分」を認識します。すると「自分」を「つながり」の中に戻していくのです。どんどん深く、どんどん広く……。天地万物に支えられていること、目の前の人にも助けられてきたこと、自分の発祥(誕生)からして自分の力ではないこと、あらゆるものへの感謝を捧げる。そうして「自分」の意識が万物と「つながり」、溶け込んでいくと、心が静かに落ち着き、広がり、それまでの感情は何だったのだろうかと思えるようになります。それまでの醜くかった私が、まるで仏に救われたかのような感覚になります。

 三つ目は――これが非常に大きいのですが――他人を許せるようになったということです。そもそも、なぜ人は他人のある言動を「許せない」と感じ、嫌悪感を催すのかというと、実は本人のエゴに潜んでいるが普段は見ないように押し隠している醜い部分を、他人の言動の中に見いだしてしまうからだといいます。つまり、見たくないから押し隠している自分の醜い部分を、他人を通して見せつけられているような気がして、自分に対する嫌悪感を、他人にぶつけているというわけです。

 しかし、押し隠している醜い部分――言い換えれば潜在化している自分の醜い部分を、逃げずにきちんと直視し、意識的に自覚できるようになると、つまり顕在化させるようになると、相手の言動の中に見えた醜いものが、実は自分自身の中の醜いものと同じなのだということに気づく。要するに、相手と自分とは「つながり」のある存在で、同じ要素を持っているのだということに気づく。すると、相手の言動に対しては、嫌悪感ではなくて、哀れみ・悲しみの感情が生起するようになるのです。

 それが、他人を許せるようになったという意味です。

 もちろん、それが人の身心に害を加えるような危険な行動であれば、その行動を適切な範囲で阻止したり、罰したりすることは当然のことです。そういう意味では、その行動に出ること自体は容認してはならないのですが、自分自身の心の中では、嫌悪感を持って他人事として排斥するのではなく、哀れみ・悲しみをもって自分のこととして受け止めるということです。そういう意味での「許し」です。

 

                                      〈【内観19】へ続く〉

【内観(16)】から続く〉

●「つながり」が「浅い」とオウムになる

 親子関係によってつながりを深め、それを宇宙大にまで広げていくことによって、私はそういう感覚に包まれるようになりました。やはり、「親子関係は人間関係の基本」ともいわれるように、親子関係による最初の深まりがなければ、つながりは不十分なものになるような気がします。

 それは、次に述べるオウム・麻原のケースからも明らかです。

 実は、オウムの中でも、「全ての生き物を親のように見る」という見方は、一応紹介されてはいました。

 しかし、困ったことに、オウムにおいては、そもそも親へ感謝するという考え方自体が希薄でした。「親は子供を自己の所有物とみなし、子供の精神性を理解せず、子供の修行を妨害する敵である」と位置づけられ、オウム教団は、出家信者の親たちの組織と激しく戦っていたのです。

 それは麻原の幼少期の体験に端を発しているようです。

 ジャーナリストの高山文彦氏の著書『麻原彰晃の誕生』〔文春文庫〕によれば、麻原は少年期に親から無理やり盲学校に入れられたり、自分に支払われるべき給付金を親に横領されたりしたという被害感情を抱き、親に恨みを持っていたといいます。

 現に、「(麻原の両親は)来世に地獄・餓鬼という低い世界に生まれ変わるだろう」という麻原の説法もありました。その教義の中に、親への感謝などはなく、親への敵視や蔑視の方が明らかに顕著に見て取れました

 こういう考え方に基づいて「全ての生き物を親のように見る」という実践をすればどうなるでしょうか。親への感謝が希薄なまま、つまり、「浅い」つながりのまま対象を広げていっても、それは「浅く広く」なるだけです。全ての生き物に対して希薄な感謝しか持てなくなってしまいます。

 いや、感謝が少しでもあれば、まだましかもしれません。もし親に抱いた感情が恨みであれば、その対象を広げれば広げるほど、全ての生き物が恨むべき敵になってしまいます。それは、外部への激しい攻撃という悲劇を招くおそれがあります。オウム事件の原因の一つは、こういうところにも求められるかもしれません。

 現に、出家した信者とその親のトラブルを解決するために、親たちの代理人になったのが、オウムに殺害された坂本堤弁護士でした。つまり親子関係のトラブルが、一連のオウム事件の発端ともいえるのです。

 これが、「つながり」が「浅い」オウムの結末です。


●「つながり」が「狭い」とオウムになる

 「つながり」が「浅い」だけではなく、「狭い」のもオウムの特徴だったと思います。

 先に述べたとおり、オウムでは現実の親を軽視する傾向がありましたが、その代わりに、麻原を親のように見る見方がありました。麻原のことを隠語で「お父さん」と呼ぶこともオウム内で行われていました。

 それならばそれで、自分の「親」である麻原を育てた親や、その親を育てたまたその親が……と「つながり」は広がっていくはずですが、麻原の本当の親は、前記の通り「地獄と餓鬼」に落ちる悪い魂とされ、事実上「つながり」は断ち切られていました。

 麻原は、高い世界から降臨してきた聖なる魂として、あたかもこの世界の「つながり」とは全く無関係に、全てから超越して存在しているかのように位置付けられました。

 そして信者は、「グルと弟子とは一対一の関係」という言葉のもと、ただ麻原との間の「つながり」だけを強固にし、それ以外の人との「つながり」は否定されました。ですから、意外に思われるかもしれませんが、信者相互の「つながり」は希薄なものでした。

 もっとも、それがオウム真理教という"組織"として意識された場合、その「つながり」は、また強固なものがありました。それならば、そんな教団を生かしてくれている社会との「つながり」を考えてもよさそうですが、そうとはならず、「この社会は煩悩に満ちた汚れた社会」であり、「煩悩を超えようとしている聖なる集団」としての自分たちとの間に画然と線を引き、「つながり」を断ち切っていたのでした。

 この社会は、オウム教団を生み出した母体であり、かつその存在を支えてくれているという意味で、一体不可分の存在なのではなく、あくまでも教団とは異なる汚れた存在であり、オウム教団によって一方的に「救済」されるべき哀れな存在と見なされていたのです。

 それが、「つながり」の外にある社会への軽視、蔑視、攻撃に結びついていきました。

 これが、「つながり」が「狭い」オウムの結末です。

                                                   〈【内観(18)】へ続く〉
 

【内観(15)】から続く〉

 こうして私の中では「つながり」がどんどん回復していくにつれて、オウム・麻原=カルト的傾向からますます脱却していくことができました。

 その「つながり」の度合いが、「深さ」と「広さ」をともなっていくにつれて、心が解きほぐされ、温かく、喜びに満ちるようになってきました。

 ここにいう「深さ」とは、親子のつながりです。

 私は、私の人生のスタートである誕生のときから、いや正確には生まれる前、母胎の中にいるときから、親に様々なことを「していただいて」います。そして、万一、私が親より先に死ぬようなことがあっても、つまり人生のゴールを迎えるときにも、親から「していただく」ことになるのでしょう。

 そう、人生の最初から最後まで……。

 私の両親が、こんなにひどい私であっても受け入れてくれたように、自分の存在の根源であり、かつその存在を全面的に認めてくれる第一の人であり、ほとんど唯一の人が、まさに親だといえます。

 これ以上の深い「つながり」はありません。

 その「深さ」が、そのまま「広さ」を持つようになると、全ての存在が愛おしくなります。道行くご老人を見て両親の姿と重なるようになったと先ほど書きましたが、そうなると、あらゆる人々が大切に思えるようになるのです。

 そして、仏教には、こういう考え方があります。全ての生き物は、途方もない昔から生まれ変わり(輪廻転生【りんねてんしょう】)を続けてきた。その過程で、数え切れないほど多くの生き物が、かつて自分の親となり、自分を慈しんでくれたことがある。だとすれば、今、自分の周囲にいる人――いや、人に限らず動物や虫のような生き物たちでさえ、全て自分の親だったとしても不思議はない。だから、全ての生き物に感謝を捧げ、慈しみなさい、と。

 こう考えれば、確かに、人だけではなく、全ての生き物に対して、深い「つながり」を「広げて」いくことができます。

 輪廻転生の思想に頼らずとも、そう考えることはできます。

 たとえば、親には親がいて、その親にもまた親がいて……と、延々と系譜をさかのぼれば、この地球上で原初の生命を生み出したといわれる海(=生み)にたどり着きます。海から上陸した生命は大地に上がって、大地の力でまた育まれてきました。「母なる大地」という言葉がそれを象徴しています。

 生命を生み出した、母としての海、母としての大地、それを生んだ地球、さらには地球やあらゆる無数の天体を生んだ宇宙。その始原を求めていけば、ついには宇宙創造のビッグバンにまで到達します。
 
 私は今、無限の時間の、無限の存在によって生み出され育まれ、生かされている。

 現に、このような私であっても――この日本の社会で存在を否定され、嫌がられ、蔑まれてきた私であっても、大地は私を立たせてくれているし、太陽の光は私を包んでくれているし、木々の緑は新鮮な空気を供給してくれているし、雨も降り注いでくれる。

 そして、実は私を否定し、蔑んできた人たちの力によって、この社会の力によって、また私は生かされてきたし、今も生かしていただいている。さらには、私を憎んであまりあるはずのオウム事件の一部の被害者の方たちまでもが、手を差し伸べてくださった。

 私の母が「あんたはどこに行ってもうちの子やで」と私に言ってくれたように、この宇宙が、地球が、全ての存在が、あたかも壮大なスケールの親であるかのように、私を見捨てず受け入れてくれている。そんな感覚と、感動に包まれるようになってきたのです。

 全ての存在は、「つながり」ある一つの存在として、ありがたく、尊い。

 もうこれで十分満足、もう何もいらない、ありがたい……日常生活の中で、道を歩いていても、電車に乗っていても、食事をしていても、そういう気持ちが頻繁に生じてくるようになりました。
                                    〈【内観(17)】へ続く〉

【内観(14)】から続く〉

 以上に、この時期(2009年頃)に気づいた、かつての私の過ちを整理して記しました。次に、こうした過ちを二度と繰り返さないためにはどうしたらよいか、内観で気づき、そこからさらに発展して気づいたことを記していきたいと思います。

 前記の通り、内観では、自分が他者からしてもらったことを思い起こします。両親や兄弟、親戚をはじめ、友達、上司、会社の同僚、学校の先生などからしてもらったことを細かく思い出していくと、今の自分が、自分一人だけの力で立っているのではないことに気づかされます。とても多くの人びとに支えられて、生かされてきたことに気づきます。

 さらに、その対象をどんどん広げていきます。ここからは、内観をヒントにはしているものの、実際の内観で行う方法を超えていきます。

 たとえば朝起きて、朝食をとって、電車に乗って、学校に行くという行動だけを見ても、そこには無数の人が関わっています。

 朝食のご飯を作ってくれた人はむろん、米を苦労して栽培した農家の人、その米を包装し、運送し、店まで運んでくれた人。店でそれを売ってくれた人がいます。

 電車に乗るために駅まで道を歩いていきますが、道を整備してくれた人がいる。気持ちよく安全に歩けるように道を掃除してくれている人もいる。

 電車に乗れば、電車を運転してくれている人がいる。線路を敷いて維持してくれている人もいる。電車が走れるよう電気を作って流してくれている人がいる。電気を作るための石油を採掘する人、それを日本に運んできてくれている人もいる。

 そうした人たちが働けるよう、陰ながら支えている家族の人たちがいる。また、そういう人たち皆が安全に暮らし、活動できるよう、法律や経済などの社会のシステムをつくり、運営してくれている人がいる。

 そして、対象を人だけではなくて、自然にも広げていきます。

 朝食に出てきた米や味噌は、私の体内に入って力になってくれますし、体の一部にもなってくれますが、これは農家の人の力だけではなくて、太陽と水と土の力でつくられています。

 電車を走らせる電気を作るために必要な石油も、植物や地球の力でつくられています。歩いていけば当然行う呼吸も、木々の緑が酸素を生み出してくれているから可能なことです。そうした木々の緑も、また太陽と水と土の力で育てられています。

 朝食を食べて電車に乗って学校に行くという、ごくごくありふれた行動一つだけを見ても、実は数え切れないほどの人や自然から「していただいていること」があるからこそ可能だということがわかります。

 こうした物質的な面だけではなく、私は自分の思想や考え方を形成するにあたって、つまり精神的な面においても、たくさんの人から影響を受けています。両親のしつけ、学校での教育をはじめ、友人やマスコミの影響も受けますし、また古今東西の人物から書物を通じて影響を受けることもあります。

 そもそも私の発祥自体が自分の力によるものではないし、私の心臓すら私の意思で動かしているわけではありません。

 このように、物質的にも精神的にも、時間や空間を超えた無限の支えによって、無数の関わりによって、果てしない「つながり」によって、私は生み出され、育てられ、今ここにこうして存在させてもらっています。

 こうなると、もうどこからどこまでが厳密に「私」と呼べるものなのかすらわかりません。

 これは、仏教では「縁起」という言葉で表現されます。「全ての事物は相互に依存して存在しており、独立した不変の実体はない」という意味です。

 全てはつながっている、全ては一つ、と言ってもよいでしょう。

 この「つながり」から切り離されて、独立して、永遠に存在できるものなどないのです。

 これが「一元的な世界観」です。

 これは近年、科学的にも明らかになってきています。量子力学によれば、この世界には物質を構成する最小単位の質量ある物質は存在しない。つまり、モノをどんどん細かく分割していっても、もうこれ以上分割できないという究極のモノは残らない。しいていえば、そこにあるのは、宇宙全体に広がっていて、観測するときだけ一点に現れるという性質の現象だけだといいます。全ての事物は、バラバラなように見えて、実はつながっているということなのです。

 私は、こうした無限の「つながり」ある宇宙の中に生み出され、存在させていただいています。

 それは、どんな人だって、そうだということが容易にわかります。例外はありません。

 内観が大きなきっかけになって、私はそういう世界観がより強く認識できるようになってきました。私が子供の頃から大切にしてきた「大宇宙の意思」なるものに近づいてきたような気がしたのです。そして、先ほど述べた私の5つの過ちに対して、以下のように考えられるようになりました。

(1)特定個人の神格化などの個人崇拝を超えるために

 たとえ自分がすごいと思う人物がここにいるとしても、その人物だけをこの世界の「つながり」から切り離して評価することができるでしょうか。その人物も、これまで両親をはじめとする無数の人たちの力によって、無限の自然の力によって、生み出され、育まれ、今そこに立たせてもらっているのです。

 だとすれば、その人物だけを特に神のように崇めたり、ましてや、その人物以外をバカにしたり、その人物の命令で他の存在を傷つけたりするようなことができるでしょうか。

 そんなことはできません。
 
(2)善悪二元論で人を二分化することを超えるために

 今この瞬間も、私は無数の人たちに支えられて存在しています。

 この相互に無限の「つながり」をもって、様々な形で私を支えてくれている人たちを、単純に「善人」と「悪人」で色分けすることは、私にはできません。

 仮に悪いことをしているように見える人であっても、その人も無限の「つながり」の中で生きている以上は、ある「つながり」の中では――たとえば自分の親や子に対しては――善いことをしているでしょう。

 また、その人の悪い行為も、善い「つながり」の中での影響を受けて、改められていく可能性が十分にあります。悪い行為から苦しみが生じて改心し、善いことを行うようになる可能性もあります。

 いずれにせよ「善人」「悪人」を区別することはできません。

(3)自分への過度なプライドを超えるために

 無数の人が無限の「つながり」の中で私を支えてくれています。私が普通に朝起きて電車に乗ってどこかに行くだけでも、私が普通にお茶碗のご飯を箸でとって口に運ぶだけでも、そこには極めて多くの人たちに「していただいている」ことがあります。そう思えば、誰もが感謝の対象となります。天地自然の万物の一切が感謝の対象となります。

 ありがとうございます――そう私が手を合わせる相手に向かって、私がプライドを持つことなどあるでしょうか。いえ、その相手は、恩返しの対象となります。

 無限の「つながり」の中で生かされている私は、その自らの在り方に気づかせてもらったとき、過度な自意識――エゴが弱まって、プライドが弱まります。自分一人で生きてきたかのような思い上がり、他人と比べて優位に立とうという思い上がりが、恥ずかしく感じられるようになります。

 生かされ支えられているという感謝、無限の存在から「していただいている」ことへの御礼として、私が「してさしあげられること」を中心に考えるようになってきました。
 
(4)特定個人への依存心(怠惰な心)を超えるために

 どんなにすごく見える人であっても「つながり」から切り離して存在することはできません。その人、その部分だけを切り離して見れば、人はあまりに非力で不完全です。だとすれば、特定の人だけに依存しようという考えること自体が、そもそも不合理です。

 また、私自身を振り返って反省してみますと、依存心とは、人に何かを「してもらう」ことが当たり前になっていて、それへの自覚や感謝がない人が抱きがちな心の働きだと思います。「してもらう」ことが当たり前だから、それがクセになってしまっているのです。

 しかし、無限の「つながり」の中で自分が支えられていることへの自覚と感謝が生じれば、その感謝の表れとして、自然と、自分の「してさしあげられること」を他にやってあげよう、いや、やらせていただこうという意欲が出てきます。私の場合、それが依存心からの脱却につながりました。

 さらに、この世界が無限の「つながり」で存在しているということは、言い換えれば、複雑に絡み合っているということでもあります。だとすれば、特定の人による何らかの単純な行動――たとえば暴力行為などで世界があっという間に変わってしまうという魔法のようなことは起こりえません。

 あらゆる方面のあらゆる存在と密接に協力し合って地道に物事を進めていかなければなりませんし、皆がつながりを持っているのだから、協力すればたいていのことが可能なはずです。私の場合、そう思うと健全な希望もやる気も出てきました。
 
(5)他者への冷淡・無関心を超えるために

 私が今こうしてここにあるのは、無数の人たちに「していただいている」ことがあるからこそ。無限の支えがあるからこそ――。それがわかってきて、感謝の心を持って、「してさしあげられること」を考えるようになってきました。

 こうして、他者への冷淡・無関心を少しずつ超えていけるようになってきました。

 以上に、私がオウム時代に犯した過ちと、その過ちを克服するための内観的方法について順に記しました。

 ここでのポイントは、「つながり」を回復していくことです。

 私の過ちは、「つながり」を切り離したことから生じていたのです。

(※なお厳密には「つながり」は回復したり切り離したりするものではなく、人の主観にかかわらず常につながっているものですが、人間は錯覚によって「つながり」を切り離して見たり、その過ちを改めて「つながり」を再認識することがあります。そういう作用を指して、以下に、「つながり」を切り離す、広げる、狭める等の表現を使います。)

                                       〈【内観(16)】へ続く〉

【内観(13)】から続く〉

 以上に書いてきた出来事をきっかけに、私はこの時期(2009年以降)から、さらに深く自分自身を見直していくことになったのでした。

 あらためて、私自身のオウム・アレフ時代の過ちを整理すると、次の5つとなりました。

(1)麻原を神格化した過ち

 麻原を神格化してしまった理由はこれまで詳細に述べてきたとおりです。そして、その神格化が、一連のオウム事件を宗教的に肯定させることになりました(逆に、事件を宗教的に肯定するために、あえて麻原を神格化した面もあったように思います)。

 私は「自分に一定の利益を与えてくれて、自分を認めてくれて、しかも自分が出家までして一生をかけた存在なのだから、完全な存在であってほしい」という「願望」を、麻原に投影していたのだと思います。

 だからこそ、麻原が狂気に陥った結果あのような残虐な事件を引き起こし、裁判の場でも現実逃避して責任をとろうとしない見苦しい態度をとったにもかかわらず、わざわざ深い意味があると思いこもうとしたのでした。

(2)善悪二元論的な考えで人を二分化して見た過ち

 人間を「善い人」と「悪い人」、「煩悩を超越する聖なる魂」と「煩悩を肯定する邪なる魂」などと単純に二分化して見てしまう、善悪二元論的な考えを持ってしまいました。

 その結果、「悪い人」や「煩悩を肯定する邪なる魂」は、神格化された麻原によって「ポワ」されても仕方がないという考えを、オウム教団が事件を起こしたことを知った後で容認してしまうことになりました。

(3)自分への過度なプライドがあった過ち

 このような麻原神格化や善悪二元論の背景には、「自分は他人と違って常に絶対的に正しくありたい」という過度なプライドがありました。

 絶対的に正しくあるために、自分が帰依する麻原を神格化し、他人と違いをつけるために「自分は善で、他者は悪」という定義付けをしたわけです。

 とにかく「自分は正しい」というプライドです。

 このような自分に対する過度なプライドを持つと、自分や自分が属する集団を批判してくる人に対して、過剰反応が生じ、過度な嫌悪感を抱き、過度な闘争心を燃やすことになります。

 それが、教団の一連の事件を招き、事件前後の私自身が社会に対して行った攻撃的な対応を招いたのだと考えています。

 また、麻原の起こした事件は正しいことだったのだという無理な「推測」や「願望」を重ねさせた背景にも、過ちを認めたくないという自分のプライドがあったことは、間違いありません。

 結局は、自分に対する過度なプライドという私の煩悩が、あのような教団を生み、事件を引き起こしたのです。
 
(4)麻原への依存心(怠惰な心)があった過ち

 これもすでに何度か書きましたが、麻原への神格化の背景には、麻原への依存心もあったと思います。麻原が完全な存在であれば、その指示に従うだけでよく、自分で考えなくてもよく、その結果の責任を――たとえサリン事件のような重大事件の責任であっても――とる必要もありませんから、非常に楽になります(現に、これまでのオウム・アレフ教団は、真の意味で事件の責任をとっていません)。

 これは裏返せば、自分自身の怠惰な心の現れだったということもできます。

 前述した「マハームドラー」の教義(こちらの総括文の「●6,事件を肯定させた教義」に記載)を受け入れる一つの素地が、ここにあったということもできます。

 これに関連して、さらに反省するならば、この地球上の様々な複雑な問題が、自分たちの地道な努力によって解決されるのではなく、ハルマゲドンのような現象で一気に解決されることを望んでいたのも間違いでした。

 自分たちが地道になすべき努力を放棄し、いわば神頼みのような形で、奇跡的な問題解決を待望していたのは、あまりに安易であり、怠惰な心の現れでした。そうした意識が、あのような過激で現実離れした、ある意味子どもっぽい教団を形成することにつながったのだとも思っています。

 そういう意味では、依存心や怠惰な心という私の煩悩が、あの教団を生み、事件を招いたともいえます。

(5)他者に冷淡、無関心だったこと

 さらに、自分や自分が属する集団を守ることに精一杯になるあまり、つまり自分のことしか考えていなかったがために、オウム事件のたくさんの被害者の方や、教団施設の周辺住民、社会の平穏を守る多くの機関の皆さんの苦しみに対して冷淡になり、無関心になっていました。

 特に、私の両親に対しては、20年もの間、家出をして大変な苦しみを与えてしまいました。これこそ私の冷淡な心のあらわれの最大のものでした。

 そして、こうした冷淡な心という私の煩悩が、あれだけの被害者を生むオウム事件を引き起こしていったのだと思います。

                                                                                    〈【内観(15)】へ続く〉

【内観(12)】から続く〉

●「あんたはどこに行っても、うちの子やで」

 その翌日、両親には、私がオウムを脱けてから今までの経緯を話しました。

 今やろうとしていることは、オウムを反省・総括して、二度と宗教テロを起こさない・起こさせないための活動であって、自分はオウムという組織を支えた責任を感じていて、いろいろな人に対して責任をとるためにも中途半端に投げ出すわけにはいかない、自分なりに人生にケジメを付けるつもりでやっていること等を話しました。

 父も母も一応の理解を示してくれましたが、それはたぶん今の私を受け入れようと、かなりの無理をして受け入れてくれているのだと思います。

 「被害者の方には誠意をもって対応するんやで」という母の言葉は、何としても守っていくつもりです。

 東京に戻る私に、母は、手編みのセーターやら弁当やら正露丸やら、非常にたくさんの荷物を私に持たせて、父と一緒に見送ってくれました。

 私は、この20年間、単に苦痛を与え、迷惑をかけただけの存在だったのにもかかわらず、両親は何の見返りもなく、あたたかく迎え入れてくれました。

 内観でいえば、「していただいたこと」ばっかりで、私が「してさしあげたこと」など全くといっていいほどなく、「ご迷惑をかけた」ことばかりです。

 そして今回も、していただくことばかりでした。

 別れる直前に、母が私に背中を向けながら、「あんたはどこに行っても、うちの子やで」と言ってくれたのが、とても泣けました。


●母の愛は仏の愛の縮図

 母のこの言葉には、まるで仏様の慈悲の片鱗を見た思いでした。

 私は20年近くにわたって、オウム・アレフ教団の外部対応役として社会と接し、一歩外に出れば「人殺し!」「気違い!」「出て行け!」と無数の人々から罵倒され、あらゆる場面で人格を全面否定され続けてきました。

 

 オウムのやったことや、その後の私の無反省ぶりからすれば、あまりにも当然の報いなのですが、私にとっての「日常」とは、多数の人に取り囲まれて人格と存在を全否定されることであり、疑念のまなざしを向けられることであり、それが当たり前でした。

 そんなところに、無条件で私を受け入れてくれた母の言葉が、まるで真っ暗闇の中で見つけた光のように感じられたのです。

 仏様は、たとえ悪事を繰り返し、間違いを犯す人間であっても、温かく見守り、済度しようと慈悲のまなざしを向けていらっしゃる存在だといわれます。

 もちろん、母とて一人の人間ですから、仏様のように大宇宙の全ての衆生を無条件に受け入れることは無理な話です。しかし、私と母との間に形成された「小宇宙」においては、母は間違いなく私に対しては無条件の慈悲に富む仏様の役割を果たしてくれたのです。

 「部分の中に全体が含まれている、部分の中に全体が現れる」という仏教の考えに基づけば、両親は、大宇宙に遍く存在する仏様の慈悲の一つの現れに違いないと感じました。


●オウム事件被害者にも親や子がいた

 すると、やがて、不思議な感覚でしたが、道ですれ違うご老人が、まるで私の両親と重なり合って見えるようになったのです。「このおじいさんにも、このおばあさんにも、私と同じくらいの年の息子さんや娘さんがいて、その幸福や健康を祈っているんだろうな」と。

 また、自分と同年代の人を見ると、「この人にも私の両親と同じくらい年の両親がいて、両親をいたわりつつ生きているのだろうな」と、そして小さな子供を見ると、「かつて自分もこれくらいの年齢だったことがあって、母に手を引いて歩いてもらっていたな」という思いが生じるようになりました。

 つまり、町を歩いている普通の人たちを見渡すと、その一人一人が、まるで自分の大切な家族であるかのような感覚に包まれるようになったのです。

 そんなときに、ふと気づいたのです。こうして普通に町を歩いていて、普通に電車に乗っていて、普通に家でくつろいでいた人たちが、オウムの毒ガスのせいで、麻原の指示した様々な凶行のせいで、ある日突然、大変な事件の被害者になった。この被害者の人たちにも、もちろん大切な親がいて、子供がいて、家族がいた。その親御さん、子供さん、そして家族の人たちは、大切な人が被害にあって、どんなに苦しかっただろう、悲しかっただろう。

 もし私の両親が被害に遭ったら、私はどんなに苦しむだろう。もし私が被害に遭ったら、私の両親はどんなに悲しむだろう。

 それを思ったとき、どうしても感情の揺れを押さえることができなくなりました。

 そして、それ以来、私の脳裏には、お見舞いに行ったときに目の当たりにした、寝たきりの河野澄子さんと、澄子さんを介護する夫の義行さんの姿がしばしば思い浮かぶようになったのです。

 よくよく考えますと、私がこうした思いを抱くようになったきっかけは、内観をしたことにあって、その内観をしたきっかけは、澄子さんが亡くなる4日前にお見舞いに行ったときに、まさに澄子さんが負傷されたお家でMさん(地下鉄サリン被害者の妻で保護司の方)から内観を勧められたからでした。

 被害者にも愛する大切な家族がいたこと、その悲しみや苦しみを決して忘れないでほしい、そういう人を二度と生み出さないでほしい――それが、澄子さんを通じて私が得たメッセージではないだろうかと思わずにはいられませんでした。

 返す返すも、こんなことに今ごろになって気づくとは……という悔悟の念も、また襲ってくるのでした。

                                   (【内観(14)】へ続く)
 

【内観(11)】から続く〉

 もう実家に帰ることに迷いはありませんでした。

 集中内観を終えて12日後の2009年3月30日、私は大阪の実家のすぐ近くまで行き、まずは実家に電話を入れました。父が出ました。電話の向こうの驚いた様子の父の声は、昔と違って、何だか弱々しく聞こえました。すぐ帰ってこいと言ってくれたので、私は実家の玄関をくぐりました。

 そうするつもりはなかったのですが、20年ぶりに見た年老いた父と母の姿を前にして、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになり、涙があふれてきて、思わずその場に土下座をして謝りました。父も母も、「帰ってきてくれただけでええんや」と言いながら、私を両脇から抱え上げて、家に上げてくれました。

 両親ともども「とにかく、よう帰ってきてくれた。帰ってきてくれた」と涙ながらに喜んでくれました。さっそく母は、食事を作って食べさせてくれました。20年ぶりの母の食事が、身体から心にしみ入ってくるように感じました。

 そして、母方の祖母の墓に、墓参りに行きました。私を幼少の頃に大事に育ててくれた祖母です。もちろん内観のときにも、母と父の次に時間をとって思い出す作業をしたのが、この祖母でした。手を合わせながら、ご心配をかけたことを心中でお詫びしました。

 その後、母方の親戚のおばさんの家に行きました。いざ私の姿を見ると、駆け寄って抱きつき、「よう戻ってきてくれた、よう戻ってきてくれた!」と、泣きながら喜んでくれました。おばさんは以前、食料品店を営んでいましたので、私が子供の頃は、よく店の売り物のお菓子を自由に私に選ばせて持っていかせてくれました。内観のときに、そんな「していただいたこと」を思い出したりしました。

 夕方になって、両親と家に戻ってきました。

 夕食は、母のご馳走でした。

 あの気丈な父が、親族一同に電話をかけて「息子が帰ってきた。家族揃って食事したのは20年ぶりや……」と涙声で話していました。

 普段は酒を1杯しか飲まないという父が今日は2杯も飲んでる、と母が言っていました。

 また、父からは、私が出家して以来、母がしきりに泣いていたことや、母が私のために陰膳(不在者の安全や健康を祈って、あたかもその人がいるかのように作って捧げる食事)まで上げてくれていたことを聞かされました。

 こうした話を聞いて、私は両親に多大な苦痛ばかり与えてしまったな……と、申し訳なくなりました。

 その後、深夜の3時頃まで、私の赤ちゃんから高校時代までの姿が家族と一緒に写った大量の写真アルバムを皆で見ながら、昔話に花を咲かせました。父はきちんと整理して私の写真を保管しておいてくれたのです。

 写真の1枚1枚を見ていると、私は本当に両親の世話になってきたんだなと実感させられました。私は、決して一人で立って歩いてきたわけではなかったのです。現に、父親に支えられて立っているよちよち歩きの私の写真もありました。当たり前といえば、あまりに当たり前のことなのですが。

 部屋には、私が帰ってくることを願って、大小様々な種類の蛙(かえる)の置物がたくさん置かれていました。

 その夜は、20年ぶりに実家の風呂に入り、20年ぶりに自分がもともと使っていた部屋のベッドで眠りにつきました。「戻って来られた」という安堵感と、両親への感謝の念に包まれながら……。
                                  (【内観(13)】に続く)