2009-11-20 22:22:14
<walk73日目>百済滅亡の地「白村江」を歩く
テーマ:ウォーカー日記
わたしたちは今、高敞(コチャン)にいます。
この先、扶安(プアン)、金是(キムジェ)という地域を歩いていきます。
ここは、663年、百済が新羅と唐の軍隊に攻められたときに、大和王朝から何万もの援軍を送ったといわれている「白村江の戦い」があった場所です。
歴史的には、「白村江」があった場所は特定されておらず、色々な研究があるそうですが、私たちを案内してくれた李先生は地理学の先生で、「歴史書だけをおっていても事実は見えてこない、地理学からみると、ここに違いない」と話していました。
大和王朝が百済の危機に、これほどの援軍を送った背景には、大和王朝と百済の王朝が兄弟関係にあったからです。このとき新羅と唐に負けた百済の人たちが大勢日本に渡り、その子孫が現在の日本人だという話は、正木さんが「蝶文明」の中でも書いていますが、先生も同じことをおっしゃていました。
李先生は、この「白村江」の歴史を知るこが、日韓の間にある壁をとりさる分岐点になると信じて、歴史の保存と伝承のために力を尽くしています。
コチャンの美しい農道を私たちと一緒に歩き案内してくれながら色々な話を聞かせてくださいました。

コチャンは海にも面した地域なのですが、チルポという海辺には、干拓が行われ、海をせき止めて埋め立てて作った土地に環境公園が作られていました。
そしてゴミの埋立地もありました。
そこに捨てられていたゴミには冷蔵庫とか洗濯機がありました。
土に返ることのないゴミが土の中に埋められていく現実に胸が痛みました。
そして、私たちが歩いていた道の横で、まさに埋め立てが行われていました。
たくさんの土を載せた大きなトラックが通りすぎ、そのたびに土ぼこりがまいます。
田んぼに流し込まれる土をみているとなんだか悲しくなりました。

歴史から学ぶこと
今の現実から学ぶこと
どちらも私たちがこれからどう生きていくか、ということと深く関わっていると思います。
すべてのいきものが幸せに暮らせる世界を作ること。
それを深く深く祈りながら一歩一歩あるきました。
(yejin)
この先、扶安(プアン)、金是(キムジェ)という地域を歩いていきます。
ここは、663年、百済が新羅と唐の軍隊に攻められたときに、大和王朝から何万もの援軍を送ったといわれている「白村江の戦い」があった場所です。
歴史的には、「白村江」があった場所は特定されておらず、色々な研究があるそうですが、私たちを案内してくれた李先生は地理学の先生で、「歴史書だけをおっていても事実は見えてこない、地理学からみると、ここに違いない」と話していました。
大和王朝が百済の危機に、これほどの援軍を送った背景には、大和王朝と百済の王朝が兄弟関係にあったからです。このとき新羅と唐に負けた百済の人たちが大勢日本に渡り、その子孫が現在の日本人だという話は、正木さんが「蝶文明」の中でも書いていますが、先生も同じことをおっしゃていました。
李先生は、この「白村江」の歴史を知るこが、日韓の間にある壁をとりさる分岐点になると信じて、歴史の保存と伝承のために力を尽くしています。
コチャンの美しい農道を私たちと一緒に歩き案内してくれながら色々な話を聞かせてくださいました。

コチャンは海にも面した地域なのですが、チルポという海辺には、干拓が行われ、海をせき止めて埋め立てて作った土地に環境公園が作られていました。
そしてゴミの埋立地もありました。
そこに捨てられていたゴミには冷蔵庫とか洗濯機がありました。
土に返ることのないゴミが土の中に埋められていく現実に胸が痛みました。
そして、私たちが歩いていた道の横で、まさに埋め立てが行われていました。
たくさんの土を載せた大きなトラックが通りすぎ、そのたびに土ぼこりがまいます。
田んぼに流し込まれる土をみているとなんだか悲しくなりました。

歴史から学ぶこと
今の現実から学ぶこと
どちらも私たちがこれからどう生きていくか、ということと深く関わっていると思います。
すべてのいきものが幸せに暮らせる世界を作ること。
それを深く深く祈りながら一歩一歩あるきました。
(yejin)
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