第1話(2) | 若の好きずき

第1話(2)

 ケーキの焼き上がりをチェックした尚人は、二重にした軍手をつけて手際よくケーキをレンジから出し、裏返した。シフォンケーキは逆さまにして冷まさないと、あっという間にしぼんでしまう。単純ながらデリケートなケーキである。


 時計に目を向けるとすでに開店10分前だった。店内には仕込みのときからJAZZのCDをBGMに流しているが、入り口の扉にはまだ「CLOSE」の札を出したままだ。そろそろ裏返してこようかと軍手をはずしていたところに、涼やかな鐘の音が響いた。来客を知らせる入口ドアの鐘である。


「いらっしゃいませー」

 軍手を置いて、作業台の正面に当たる入口ドアに笑顔を向けた尚人は、ドアから現れた顔を認めると、途端に声のトーンをオクターブ下げた。


「あぁ、伸宕か。今日は早いねぇ」

 藤崎伸宕は尚人の高校時代からの親友で、銀行勤めの32歳。銀行といえばお堅いイメージだが、そのイメージを裏切るふわふわ天然パーマで少し長めの茶髪、そしてちょっとタレ目。いわゆる「遊んでます」といった印象だ。しかしこの男、その雰囲気に反して仕事はデキルらしい。ちなみに彼の勤める本店のビルは、ここ「スパゲッティのお店」から歩いて5分ほどの距離にある。


「おぅ、昼飯食いにきたぞ。あ、表はOPENにしといたからな」

 季節は夏。学生はもう夏休みに入る時期である。外は梅雨も終わり、本格的に暑くなってきているのであろう、伸宕はスーツの上着を片手に持ってカウンターに座った。


「あ、ありがとう。でも、開店まではまだ10分もあるよ~」

 ちょうど、そろそろOPENにしようと考えていたのは棚に上げて、にっこり悪態をつく。

「早かった?悪いな。相変わらず笑顔で……尚ちゃんは伸ちゃんの友達なのに冷たいお言葉ですねえ~もうちょ~っとくらい愛想振りまいてくれたって、ね~?」


 かって知ったる親友の店。ほぼ毎日ランチを食べに来ている伸宕は、尚人がいつも通りにっこり笑顔でまったり喋るちょっときつめの言葉に軽口で答えながら、左手に持っていたスーツの上着を隣の椅子にかけ、そして……スーツの上着を持っていないほうの手に抱えた、30過ぎの男には恐ろしく不釣合い極まりない物体を逆側の椅子に置きながら、相槌を求めていた。


「ね~って伸宕、ナニに話しかけて……、ってかソレは何………」

 しかも尚ちゃんって何だ尚ちゃんって……。


 ここ10年を振り返ってみても、ちゃん付けで呼ばれた記憶などない尚人は、あまりに突っ込みどころの多すぎる今日の友の言動に動揺して、おしぼりと水を渡すはずが、おしぼりと、氷だけ入ったコップをカウンターに置いていた。

 氷だけ入ったガラスが、心地のよい音を響かせる。


「この暑いのに水も出してくれないなんて、尚ちゃんはひどいですね~嫌がらせですかね~ねえ?」

 そしてまたもや彼がその手に抱いている物体……それはクマのぬいぐるみ、サイズにして1mあまりのかなりのでかさの、ぬいぐるみではあるが細部が妙にリアルな造形ゆえに愛らしいとは表現し難い……に話しかける姿を目にし、今度こそ、動揺のあまり一言も声を発することができなくなったのだった。


(3) へつづく。


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『スパゲッティのお店』について 目次ページ
第1話(シンゴ×シロ編) 全11話/番外編 全3話
第2話(タツ×マモル編) 全16話/番外編 全8話
第3話(ミホ&ケンジ編) 全12話/番外編 全3話
第4話(トオル×リョウジ編) 全17話/番外編 全10話
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