1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2017-02-21 00:01:32

『奇跡の男』後編〜酒井若菜と8人の男たち、エッセイより〜

テーマ:ブログ

『奇跡の男』

勝つことしか許されない人間というのが世の中にはいる。
みんな闘ってますよ、みんな負けないように必死に生きてますよ、なんて野暮なことは言わないでいただきたい。
岡村隆史という人の「勝つ」は桁外れだ。
それは「奇跡を起こす」ということだから。
勝てるわけがない無謀な企画に挑戦し、普通の人間が一生かけて一度か二度しか起こせないような奇跡を、国民が見守る中で20年以上起こし続けてきた。
かつての岡村さんのストイックさは有名なところだが、ストイックな分、自分にも他人にも厳しかった。現在の岡村さんは、ストイックさの影に隠れていた優しさが滲み出てきたような、そんな安心感がある。
「俺、ロボットでもサイボーグでもないんやけどな」と時々呟きながらも、闘いの場に胸を張って立つ姿は変わらない。

対談を読むと、まるで私だけが助けているようだが、そうでもない。
初めて岡村さんが助け舟を出してくれたのは、私が舞台復帰をする前日の夜だった。舞台復帰をするまでのあれこれを当時ブログとメルマガに書いたのだが、その際、普段は実名を挙げないような方達も、全員名前を挙げさせていただいた。
しかし、私は一人だけ、名前を伏せた。
その部分を書き出してみる。

“家で台本を読んでいたら、逃げ出したくなって泣いた。正直に言うと、今回は、ほんの少しだけ二度目の降板を期待していた。「二回連続で舞台降板をしたら、さすがに潔く芸能界自体を諦める」と。その覚悟もあっての舞台再挑戦だった。
電話が鳴っていた。出なかった。また鳴った。出なかったけど、電話を見た。かつて、助けてあげたくてたまらなかった宝物のような先輩からの着信だった。メールも来ていた。メールに「電話でれる?」と書いてあった。「うん」と返信したら、すぐにまた電話が鳴った。先輩は「昔の酒井若菜じゃないんだよ」と言った。そして「自分ができる練習はちゃんとしたんだから大丈夫」って。「やる!って決めた時点で前より進んでる」「本番前日まできた時点でさらに進んでる」「楽に、楽に」「はいはいやりまーす!よろしくお願いしまーす!ができるんじゃ、復帰に挑戦する意味ないよ」って。「怖くて出来ない。をやりにいくんだ」って。ああ。そうだった。はいはいやりまーす!よろしくお願いしまーす!を保とうとしていた自分に気がついた。私は、怖くてできない、をやりにいく。そう思ったら、心が軽くなって、泣き止んだ。そしてその先輩は、芸人さんなのだが、「何かあったら(ロバートの)秋山を見れば助けてくれる!」と断言した。「芸人は、アクシデントやハプニングを山ほど越えてきてる。何かあったら必ず芸人は助けてくれるよ。そういうもんやで、芸人って」。”
これが一体誰なのか、どうしてその人物だけ名前を伏せるのか、当時色々な人に聞かれたが、私は決して答えなかった。
無論、この正体は、岡村さんだ。
バレてしまうと困るので当時は書かなかったが、この電話のやりとりには続きがあった。
「舞台をやらないと、本物の女優じゃないって言われたりもする?」
「うん」
「俺もおんなじや」
「え?」
「俺も、舞台でネタをやらないと芸人じゃないって言われたりするよ。でも、ほんならテレビのど真ん中だけで勝負してみろや、って、思うねん。それがどんなに怖いか、経験してみろや、って、思うねん。それがどんなに怖いか、経験してみろや、って思うねん」
「うん」
「舞台はできるよ。でも、できなかったら一生やらなくたってええねん。それでも若菜っちは女優さんや。な。俺はそう思うで」“

岡村さんは、この日から毎日、千秋楽を迎えるまで、本番前と本番後にメールを送ってくれていた。
たった4日間の公演だったが、多忙を極める中、私を支えてくれていた。
そういえば、こんなことも言っていた。
「練習以上のものは出せない。でも、練習した分は必ず出せる」。
今思えば、岡村さんがいかに努力型なのかが象徴されている言葉だと思う。

岡村さんの闘病期間に秘密の絆を深めていた私たちにとって、この関係性そのものを、他人に知られたくなかった。
今回この書籍を作るにあたり「普通にお友達」ということならアリかなと思い、聞いてみたら、岡村さんはすぐに動いてくれた。
私はもちろん、闘病の話をするつもりなどなく、映画で共演したね、絶交したの面白かったね、今も実は仲良しなんだよね、だけで充分だった。
対談が決まってしばらく経った頃、岡村さんから「休んでたときの話、するー」と突然メールがきて、正直躊躇った。
私は編集者にもそれを言い出せず、当日まで悩んでいた。
しかし対談当日、岡村さんは、ご自身のマネージャーさんたちにも私たちの関係性を秘密にしたまま対談場所へやってきて、強行突破するようにあの時の話をしだした。
さすがに私も腹をくくり、洗いざらい話をしたが、後日上がってきたテープ起こしを読めば読むほど、岡村さんは一体なんのために初書籍を私などの本に委ねてくれたのか分からなくなった。
対談前も、対談後も、「何を書いてもいいんやからね」と言ってくれていたが、岡村さんにとってなんのメリットがあるというのだろう。
一流でも旬でもなければ青田買いするようなところにもいない、酒井若菜でいいのかな。
どうして出てくれたの?と岡村さんにメールをしたら、簡潔かつ明確な返事がきた。

「助けてくれたから」

病気が「過去」になっても、岡村さんは私を「過去」にはしなかった。

酷い縁の切り方だった。
最後に交わした言葉は、
私「役者をバカにしないでください」
岡「芸人なめんなよ」
お互いの、仕事に対するプライドのすれ違いだった。
私についてはこの本の対談相手のラインナップを見ていただければ、岡村さんについてはその休業理由が芝居であったことを知っていただければ分かることだが、本当は、むしろお互いの仕事に対する敬意は強いはずだった。しかし、誤解は解けぬまま、私たちはお互いに「最低」の烙印を押しあって、別れた。
それが数年後に、おはようから始まって、おやすみで終わる生活がスタートするのだから、人生何が起こるか分からない。
顔を見ないから話せることを、私は岡村さんから沢山聞いた。
メールは毎日、電話は2,3日に一回。
対談にあるように「今日はお花に水をあげたんだよ」と嬉しそうに教えてくれる時もあれば、「洗い物も出来ないような俺は、もうダメなんだと思う」と途切れ途切れに教えてくれる時もあった。
長電話をしすぎて、療養先のおじさんに怒られて「あかん、もう切るわな」と小声でクスクスしながら電話を切ったこともあるし、一切言葉を交わさず岡村さんの泣く声だけが受話器から漏れてくるだけのこともあった。
私は、絶対に傷つけない、ということを第一に考えていた。
藁にもすがる気持ち、というが、あの頃の私は、岡村さんにとって藁だった。
私が傷つけたら、岡村さんは死んでしまう。
その自覚があったから、岡村さんが呑気なふりをする私に苛立とうとも、絶対に傷つけることだけはしない、と心に決めていた。しかし、私に苛立つことがあったとはいえ、岡村さんが私を責めることは一度もなかった。どんなに落ち込んでも、どんなに感情が乱れても、復帰ができないことを私のせいにすることはなかった。日が経つにつれ、休業に至ったのは自分だけのせいではないことを自覚しはじめても、関係者や身内を責めるような悪口だって、ただの一度も言わなかった。
誰の悪口も言わず、暗闇の中でただ、ひたすらに耐えていた。

必ず毎日聞かれていた質問があった。
「復帰できると思う?」
私がかつて休業した時は、復帰のことなど考えられなかった。そこそこ売れっ子だった私でも、登りかけの山から落っこちた痛みは相当なものだった。
登っていた山が高ければ高いほど、叩きつけられる痛みも強くなるとは一概には言い切れないかもしれないが、やはりあの落差は桁外れだった。
岡村さんほどの大きな山の頂に20年以上居続けた人が、そこから奈落の底まで一気に叩きつけられる痛みは、どれほどのものだったのか。
計り知れない。
私なら、まず生きていないくらいの衝撃だったのではないかと思う。
ところが岡村さんは、私が連絡を取り始めたその日から、今日を生き抜けるかもわからない体調不良にもかかわらず、復帰について考えていた。
「復帰できると思う?」と聞く一方では「死なない、って、家族と約束したの」と言っているようなレベルだったのにも関わらずだ。
そんなレベルの時から、復帰について考えているのである。

マギーさんとの対談で、マギーさんは私に対し、「言葉の力を信じてみよう」と思ったと仰っていたが、あの頃の私もまさに、岡村さんにそう思っていた。ましてや私は、立候補者なのである。
言葉だけで、必ず救う。
一生治らないなら、一生支えればいい。
絶対に、死なせない。
絶対に、お笑い芸人に戻す。
私には、それができる。
そう疑わなかった。

ーどうしてこの人だけがこんなに頑張らないといけないの
負けてたまるか。
俺が一番笑いを取る。
笑われてたまるか。笑わせるんだ。
頑張るなんて、当たり前だ。
芸人という職業を愛し、誇りを持っているのに、本物じゃないと時に言われ、悔しい思いをしながらも、俺は芸人だと歯をくいしばって闘ってきた。

『めちゃイケ』復帰、前夜のことだ。
岡村さんは、復帰することを怖がっていた。
行きたくない、不安だ、というので理由を聞いたら「病気が病気だから、いじりにくいと思われそうだし。太ったし」。
太ったし、は笑ってしまったが、私は、いじりにくいだなんだについては、間違えていると思った。お前にバラエティーの何が分かるんだと言われればそれまでだが、今度は私が「芸人なめんなよ」と思った。私は岡村さんのことをプライベートではサポートしてきたけれど、仕事場では岡村さんをサポートできないということ。私が一流の芸能人じゃないから、同じ土俵に上がれないということ。自虐ではなく、ただ、岡村さんと一緒に仕事をしている人は全員一流だと知ってほしいということ。いじりにくいも何も、岡村さんの復帰なんて、簡単に笑いにしてくれる。エース不在の間、土曜8時を守ってきた人たちのことを信じたほうがいいと話した。岡村さんは、ほんまにそうや、と言って、翌日の収録に臨んだ。
当日は、私も気が気ではなかった。
岡村さんが帰宅して、まだグエェッとなる前だろうか。
「出来たよ!」とメールが届いて、私はガッツポーズをした。
あの日あの瞬間、岡村さんはお笑い芸人に戻った。

後日放送を観たら、感動も束の間、よゐこの有野さんが岡村さんに対し「あれ?太ってる?」。
あの一言で、視聴者である私たちは「笑っていいんだ」と促された。そして岡村さんは、国民に自分の姿を晒し、感動と笑いを日本中に提供した。
岡村さんは、山の頂に戻った。
そして、そこで待っていた仲間たちと、また芸能生活を送り始めた。
奇跡としか言いようのない復帰劇だった。
芸人・岡村隆史は、やはり奇跡の男だった。

ーどうしてこの人だけがこんなに頑張らないといけないの
復帰をしてから、岡村さんは、「頑張るって言葉、嫌い」と言うようになった。
私はそのたび、「頑なに張るときと、張りを切るとき、使い分けたらどうかな」と言ってきた。
頑張らないといけないときだって、絶対あるから。
頑張る、の半分を、張り切る、に変えてみたらどうだろう、と。

岡村さんが、今も昔も、テレビでよく口にするフレーズがある。
「嘘」「ズルいぞぉ」「卑怯やぞぉ」。
岡村さんの本質として、そういったことに関してやけに敏感なように思う。

「私が必ず救います」と宣言したあの日、私はもう一つ、岡村さんと約束をしていた。
それは、岡村さんが治ったら、私は必ず、岡村さんの前からいなくなる、ということだった。
どうして?と聞く岡村さんに、私のことを実体のある病気の象徴にしてもらえば、私がいなくなる=病気もいなくなる、と分かりやすい安心材料になるから、と答えた。
11月に復帰してしばらく経ってから、もう大丈夫だな、と判断した私は、1月頃だっただろうか、少しずつメールを減らしていくことを伝えた。岡村さんが、このままでもいいんじゃないかと提案してくれた。
それは、私への依存とかそんなことではなく、むしろ、私に対する岡村さんの優しさだったんだと思う。自分本位に言い換えれば、病気が治るということは、岡村さんが私の前からいなくなってしまう、ということでもあったから。しかし約束は約束だ。「約束したから」と私が言うと、岡村さんは、「んー」と唸った。
もし私がもう一押ししたら、岡村さんは何と答えただろう。岡村さんの言葉を待つ前に、私は言った。
「約束、破ってもいいですか?」
「やった!」と無邪気な返事に戸惑いながら、私は、嘘が大嫌いな岡村さんに、嘘を許された。

岡村さんとは、もう一つ、まだ実現していない約束がある。
「もしもまた岡村さんが落っこちてきたら、私が絶対またキャッチするから、大丈夫」
しかし、この約束が果たされることはないだろう。
裾野が広がったその山は、かつての孤高のとんがった山よりも雄大で優しい。
なだらかな斜面は、今後岡村さんを一気に奈落の底まで叩きつけることもないだろう。
しかしもし、万が一、また岡村さんが落っこちてくる日がきてしまったとしたら、私はきっとまた、山の麓からこうメールする。
5年後でも、10年後でも、30年後でも。
「私が必ず救います」

「体調はどう?」「大丈夫!」このやりとりは、あれから五年経った今も、続いている。

最近の画像つき記事
 もっと見る >>
2017-02-21 00:00:23

『奇跡の男』前編〜ブログ版まえがき〜

テーマ:ブログ

『酒井若菜と8人の男たち』は、
対談+エッセイ、という二重構成です
エッセイでは、対談で張った伏線を回収しながら文章を書いています
ですので、今回の記事で、唐突に感じる部分や、分かりにくい部分、意味を汲み取りにくい部分は、本の対談部分を読んでいただければ分かると思います


今回は、ナインティナイン岡村隆史さんの章で書いたエッセイ『奇跡の男』を、載せます

水道橋博士さんはじめ、多くの諸先輩方に、「若菜ちゃんが岡村くんを守りたい気持ちも、あのエピソードを無闇に語りたくない気持ちも分かるけど、岡村くんが若菜ちゃんのためにここまで晒してくれたのだから、ちゃんとそれを踏まえて、岡村くんの章も宣伝しないといけないよ」とアドバイスを頂いてきました
一理あるな、と思いました
岡村さんが身を削り、リスクを背負って話してくれたこのエピソードを、私は本には載せておきながら、本を読んでいない人にはミーハー心でこの話を知られたくない、と思っていたことに、違和感を覚えるようになりました

岡村さんは、本を発売する時点で、いや、オファーを受けてくれた時点で、私と「ともに晒されること」を、覚悟していたに違いありません
それくらい、岡村さんなら知っていたはずです
その上で、初書籍を私の本に委ねてくれた岡村さんの章をひた隠しにするのは、かえって失礼なのではないかと思い始めたのです

今回、エッセイ部分だけをここに転載することにしましたが、もちろん岡村さんご本人には事前に許可を取りました
私の文章と、私という人間を信頼してくれている岡村さんは、私の思うようにするよう、あらためて背中を押してくれました

ざっくり対談内容をご説明しますと、数年前、岡村さんが休業していた5ヶ月間、私は岡村さんと毎日連絡をとっていました
当時、岡村さんはほぼ全てのかたとの連絡を絶っていました
そんな中、唯一連絡をとっていたのが私、というのも不思議に思われるかたも多いでしょう
ですので、私と連絡をとっていたことは体裁上、お互いの暗黙の了解のもと、公にしませんでした
対談では、その時期のことを話しています
毎日連絡をとっていた私しか知らないこと
岡村さんが休業に至った経緯、休業中の様子、等
それから、そもそも何故私だけが連絡をとることを許されたのか
そんな、岡村さんのこれまで明かされてこなかったディープすぎる話を、しています

その対談部分がなく、エッセイ部分だけを載せることで、どれだけ岡村さんの魅力が伝わるかは分かりませんが、本文は後編で、お読みください

ちなみに、この『ネオン堂』では、テリーさん、博士さん、おさむさんのエピソードを三部作としてますが、これにて、四部作、となります  へへ

今回記載することを許可してくださった岡村さんへ、心より感謝申し上げます

それでは、本文へ
2017-02-20 21:46:19

続き

テーマ:ブログ


言葉を尽くす

という意味では、私が信頼する一人に、てれびのスキマさんがいます

スキマさんは昨年、『酒井若菜と8人の男たち』と同時期に、『1989年のテレビっ子』を発売されたのですが、その際、『水道橋博士のメルマ旬報』にこんな記事を書いてくださいました

ご本人に許可をいただいたので、先ほどの続きとして、ここに転載します

(リンク的な、貼り付け方法が分かれば前記事に後ほど載せ直すかもしれません)


また、『〜8人の男たち』には、分かる人には分かる(いや、もはや私にしか分からないレベルのものもある)、とてつもない数の仕掛けを入れているのですが、いまだその正解をひとっつも明かしていない私…

しかしその一つにすぐに気づいたスキマさんのテレビっ子っぷりに、私は驚愕しました

マギーさんの章、『オモクリ監督』とのリンク、ここに気がつく人がいるとは…

マギーさんについてのエッセイで私が「かもしれない」を連発していたのは、まさしく、マギーさんが『オモクリ監督』で書いた脚本、演じられていた台詞にかぶせていたのです

すごすぎるわ、スキマさん



以下、ちょうど一年前のスキマさんの文章です


↓↓↓



1989年のテレビっ子』 http://amzn.to/1TbP7s9 、おかげさまで229日に重版決定の連絡が入りました。

ありがとうございます!

ナインティナインの岡村さんや東野幸治さん、スピードワゴンの小沢さん、アルコ&ピースの平子さん、麒麟の川島さん、アル北郷さん等々、芸人さんたちの中にも手にとっていただける方が出てきて担当編集者ともども泣きながら喜んでいます。

水道橋博士さんのおかげで、是非とも読んでいただきたかった本書前半の主人公ともいえる島田洋七さんの手にわたったことも感無量でした。

そんなわけでまだまだ広く長く読んでいただきたい本なので引き続きよろしくお願いします!

 

さて、『1989年のテレビっ子』と同じくたくさんの人に読んでいただきたい本といえば、酒井若菜による『酒井若菜と8人の男たち』 http://amzn.to/1RM2eNN です。

みなさま、もう買って読まれたでしょうか。

凄かったよね!ねっ!ね!

と、読んだ後、必ず誰かと話したくなる本です。

ですが、読んでない人に薦めるのが難しい本でもあると思います。

なぜなら、この本の断片を紹介するだけでは、この本の本質から必ずズレていってしまうからです。

膠原病告白を見出しにほとんどそれしか伝えない芸能ニュースがそれを象徴しています。

たとえば、読んだ人なら誰もが岡村隆史との対談で明かされる事実に驚き、震え、泣くでしょう。

ですが、これをまだ読んでいない人に伝えるのは至難の業です。「実は岡村さんが休養中に……」とちょっとでも伝えようものなら、全部を話さないと、その凄さは伝わらないし、聞いた人が想像する凄さは実際の何十分の一程度でしょう。

そもそも、この岡村隆史の章だけをピックアップすること自体、膠原病告白のことをピックアップするのと同じようにこの本の本質とズレていってしまうものです。

だから、もう、とにかく読んで!ってことしか言えません。

 

で、31日に行われた『酒井若菜と8人の男たち』の出版イベントになんと僕がゲストで招かれてしまったのです。

酒井さんからの依頼を僕に断るなんていう選択肢はありません。けど、まずイベントに来ていただく方の大半にとって「誰なんだ、お前は?」感がものすごい。そもそも、僕は喋れない。だから本当に僕でいいの?という不安はもの凄く大きかったのですが、もうひとり九龍ジョーさんがキャスティングされていたので、ああ、だったらなんとかなるかも、と若干安心しました。(九龍さんは打合せや打ち上げで、実は「極度の人見知り」だとおっしゃっていて、学生時代の「ええ?」っていう人見知りエピソードも話されていて、驚きました。実際、よくよく話してみるとそういう匂いもするのですが、九龍さんは僕の人見知りのほうが全然マシとも言われましたが、それは違います。やっぱり九龍さんは仕事モードになればまったくそんなことを感じさせないくらいになるし、自分がいかに人見知りであることを説明できるほど、ある意味、克服されていますが、僕は、自分が人見知りであることすら説明できない段階なのです。割ともっと暗い過去も持っていますが、それもまだ言えないくらい)

 

そんなわけでイベントが始まり、そこに芸能マスコミのカメラがあることにたじろぎつつもスイッチの入った九龍さんの見事な進行のおかげでとってもいいイベントになったんじゃないでしょうか。

「呼び名へのこだわりが面白かった」とか「写真の使い方がめちゃくちゃ良かった」とか「日村勇紀の存在感が凄かった」とか、言っておきたかったことはある程度言えて良かったです。

今回は時間的にも話の流れ的にも、本全体の話になりましたが、もし8人の男たち個別の話題になったら、と思って用意していた、酒井若菜と岡村隆史の出会いとなった『オールナイトニッポン』の模様を記した『オールナイトニッ本』vol.2を最後の最後に紹介できて良かったです。が、話の流れ的にもう出さなくてもいいかなと思っていたり、終了時間も来ていて時間もないっていう焦りと、それまでちょくちょく口を挟んでいただけだったので、急に目線が僕に集中してドギマギしてしまい、ホントは全部音読しようと思っていた部分を見失ってしまいグダグダっとなってしまったのが心残りです。

紹介したかった全文は以下のとおりです。

 

(※東スポに出た岡村と酒井の「熱愛」報道を受けて)

222日 酒井若菜の緊急出演が決定。いつもはジャージ一辺倒の岡村、突然「SOPHの上着」&「501のジ-パン」&「アイリッシュセーターの靴」という、自称「シブヤ系」のいでたちでニッポン放送に現れる。(明らかに酒井若菜を意識してのファッション。)

酒井若菜、スタジオに登場するなり、岡村に「はじめまして」と丁寧に挨拶。(初対面だった。)さらに酒井、「(好きなタイプは)ロビン・ウィリアムズとエリック・プランクトン」と明かす。(岡村、まるで「脈なし」と判明。シブヤ系ファッション、横スベリ。)」

 

ちなみに翌週の項では、「隆史の“好きかもしんない”ランキング」を発表したと書かれています。「1位:メグ・ライアン、2位:倉木麻衣、3位:酒井若菜」だったそうです。

で、イベントでも話したんですが、ここでごく個人的に奇跡的な巡り合わせが起こります。

実は、この本のまさにこのページにあるチラシが挟まれていたのです。

僕はそのチラシをもらったことも忘れていましたし、この本に挟んだことも記憶にありません。

それが岡村隆史の一人舞台「二人前」のチラシだったのです。

それは、岡村さんが、休養に至る直接的な原因となった舞台です。『酒井若菜と8人の男たち』を読んだ方なら、「酒井若菜」が書かれたページにこのチラシが挟まっていた偶然に僕がどれだけ驚いたかが分かっていただけるのではないでしょうか。九龍さん言うところの“関係妄想”がものすごい勢いで広がった瞬間でした。

そしてこのチラシの裏面にはこう書かれていました。

 

「岡村隆史です。

自分でやりたいと言い出しときながら、ほんまにやるのが怖くなってきました。

今から緊張しています。

今現在、どんな脚本が届くのかもわかりません。

   (略)

もはやひとり芝居ですらないかもしれません。

岡村隆史歌謡ショーになってしまうかもしれません。

プレッシャーで痔が再発するかもしれません。

でも、この公演がどんなことになってもチケット代は返しません。

覚悟して見に来てください。ご来場お待ちしております。

                    2010年 春 岡村隆史」

 

 

と、キレイに(?)締めたところで、本来、イベントで言い忘れたことを書くために、この原稿を書き始めたのだったということをすっかり忘れてました。

それは、『酒井若菜と8人の男たち』の最初に出てくるマギーによる『オモクリ監督』での作品についてです。

彼は、『オモクリ監督』ゴールデン進出1回目、「スタート」をテーマにした短編作品に酒井若菜を主演にした作品を作っています。

この作品はMVO(その回でもっとも素晴らしい作品)にも選ばれたように珠玉の短編なのですが、この本を読み終わった後、改めて見るとさらに味わい深いものになっています。

酒井若菜は「みゆき」(この役名も本を読むと「わあ」ってなりますね)という自動車教習生。バツイチという設定。マギーは彼女を教える教官役です。

教官はみゆきに「かもしれない運転」が大事だと教えます。

「周りに障害物があるかもしれない」「後ろからバイクが来るかもしれない」「子供が飛び出してくるかもしれない」……。

教習所に通ったことがある人なら、「安全だろう」という「だろう運転」に対し、「かもしれない運転」の大切さは口を酸っぱく教えられたと思います。

思えば、酒井若菜の文章は「かもしれない」という思慮に満ちています。そういう眼差しがあるからこそ、対象の良さを引き立てている文章を書けるのかもしれません。

 

物語は、教官が過剰に「かもしれない」を要求しはじめることからおかしな展開になっていく。

「気をつけてください。静電気がバチッというかもしれない」「車の中に猫がいるかもしれない」「猫の家族がご飯を食べているかもしれない」……。

うんざりして「もうスタートしていいですか?」というみゆきに教官は「本当にスタートできますか?」と投げかける。

「あなた、もう自分は幸せになれない“だろう”。そう思ってませんか?」

「だろう運転は事故のもとです。そんな気分じゃ再スタートできませんよ」

「あなたはもう一度幸せになれるかもしれない」

「あなたと一緒に幸せに向かって走りだすそんな人があらわれるかもしれない。その人はもう案外あなたのそばにいるかもしれない」

それを聞いたみゆきは笑顔で言うのです。

「私もようやく走り出せるかもしれない」

 

僕はこの短編が、『酒井若菜と8人の男たち』とリンクしているように思えて仕方がなかった。また“関係妄想”ですけど。

水道橋博士に悪意があった“だろう”という思い込みから博士と距離を取ったり、舞台降板をきっかけに休業しマイナス思考に陥り、もうダメ“だろう”と思い込んで塞ぎこんだ時期もあったのでしょう。

考えすぎてしまうゆえの「どうせ~だろう」というネガティブな思い込み

けれど、同じように考え抜くことによって思い込みから解放されて「~かもしれない」という希望を得ることもできる。

『酒井若菜と8人の男たち』には、そんな希望が全編に漂っています。

酒井若菜はまた走り出した。

 

 

というわけでまだ買っていない方は『酒井若菜と8人の男たち』と『1989年のテレビっ子』をAmazonがオススメするように併せて買ってください!

ご注文はこちらから! http://amzn.to/1TbP7s9

 

1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>

Ameba芸能人・有名人ブログ

芸能ブログニュース

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。

      Ameba芸能人・有名人ブログ 健全運営のための取り組み