ご無沙汰しております。

前回の記事からだいぶ経ってしまいました💦

 

 

11月も下旬になりましたが

少し前のことを書かせてください。

いつもより長いので、お付き合いくださいね。

 

 

9月からの2ヶ月は

かなり動揺する出来事がありました。



9月の早朝に

主人が胸焼けをすると言って

静かになったかと思ったら

いきなり心肺停止になってしまったんです。

 

 

慌てて消防署に電話をし

救急車が来るまで

必死に心臓マッサージをしました。



病院に着くまで、救急隊員にAEDを4回してもらい、心臓マッサージを続けてもらっても

それでも主人は蘇生しませんでした。

 

 

起きている出来事が信じられなくて

映画を見ているかのように感じている自分がいました。

 

 

病院に着いて

一人ポツンと狭い個室で待たされましたが

どこの病院に運ばれたのかもわかりません。

壁のポスターをみて

大学病院に運ばれたことを知りました。

 

 

時々出入りする病院スタッフからは

「大変厳しい状態ですが、まだ治療中です」

と言われて、

「え??? 生きているの???」

何が何だかわかりませんでした。



主人の死を覚悟して

別々に住んでいる娘たちには

喪服を持ってから病院に来るように伝えました。

 

 

一人で待っている時間は、とても長かったです。

まず何より大事なのは

心を落ち着かせることだと思い出し

ホーリースピリットに呼びかけて

今の心境を正直に伝えました。


⚪︎ 幸せな生活が突然、大きな力によって

 奪い取られる感じていること。

⚪︎ 大きな脅威があると信じてること。

⚪︎ とても怯えていて、怖い。 

⚪︎ 自分が無力で役立たずだと感じてる

⚪︎ 私がやったこと(心臓マッサージや
 食生活など)は、失敗だったかも
 という不安と罪悪感。


祈りながら気づきましたが

これらは、私の中で以前から馴染みのある考えでした。

 何度も手放したと思っていたのに…。

もしかして、今回も私の心の中にある思いを、投影しているの???

 


もういやだ!

まだまだこんな思いがあるとは。

昨年も母が亡くなる時に手放したのに!

自己否定や罪悪感、怖れは

もう嫌というほど感じてきた。

私は私を解放したい。

 


そして、

死にゆく命や弱さや否定を見るのでなく

命の煌めきや光、強さを見たい。

自分も主人も神の子としてみたい。

 

 

今回のこと全てを

どうか愛と奇跡の道具に使ってもらえるようにと

何度も祈りました。




病院に着いた娘たちと一緒に

主人が生きて戻って来るのを

みんなで待っていました。



7時間近い手術のあと

お医者さんからは「急性心筋梗塞」だと告げられ、詳しい説明をうけたのですが

それは、衝撃的な内容でした。



症例が少ない状態の大変な手術だった。

心臓に負担がかからないよう

人工呼吸器とエクモを使い、肺と心臓の代わりをしている。

弱った心臓は、いつ止まるかわからない状況。

たとえ、助かったとしても

30分以上心臓が止まっていたので

脳に障害が残るか、寝たきりか植物人間になるかもしれない。

弱った心臓を休めるために、数日間は麻酔で眠らせる。

 

との説明を受けました。

後から聞いた話では

心臓マッサージをしながらの手術だったそうです。

 

 

先生の説明の後も引き続き

CCU(循環器集中治療室)の看護師さんが

私たちの心のケアーのために

質問に丁寧に1つずつ答えてくださいました。

 

 

手術を終えた主人は

大きな機械に囲まれ、たくさんのチューブ、

点滴に繋がれて、なんとか生きていました。

 

 

無意識で触った主人の手が

氷のように冷たくてびっくりしましたが、

自力で生きているのではないのだ、と、その時理解しました。

 

 

私と主人は同じ職場で働いていたので

会社の方も何かと心を配ってくれたり

主人の代わりの人をいれてくれ

残業をせずに病院に毎日行けるようにしてくれました。



娘たちは、私が落ち込まないように

交代で泊まりにきてくれたり

時間のある限り一緒にいて励ましてくれました。



私が倒れては元も子もないので

自分の心と体調を壊さないように

なるべく食事と睡眠をとるようにしました。

仕事と家事、病院の往復で疲れていて

お風呂に入るとすぐ眠れたんですよね。



私は、いつも祈りの中にいました。

そして、この状況をホーリースピリットの目で見せてください

とお願いしていました。

 

 

すると、ある時

チューブや機械に繋がれて何とか生きている主人が不思議なことに、キリストのように感じました。

また、

病院のスタッフの冷静で献身的な姿をみて

ああ、この人たちもキリストだ。

キリストがキリストに力を貸してくれている。

みんな一つの命を生きているって

こういうことなのかな、って感覚になり

とても清く尊い場所にいる感じがして

自然と涙が出てきました。

説明が難しいのですが、素直にそう感じました。





少しずつ機械も外されて、麻酔も減り

起きている時間が長くなり

しゃべれるまで回復してきました。



人工呼吸器をしていたために

久しぶりに聞く主人の声はしわがれていました。



主人は、2週間ほどCCUにいました。

日毎に良くなるかと思っていたのに

一進一退の状況が続きます。

 

 

様々な検査の中で

いくつか深刻な病気の可能性が見つかりました。

 

 また、

やっと会話ができるようになったのに

辻褄の合わない事や不思議な事を

真剣に言い出すしまつ。

 

 

脳障害なのかせん妄なのか??

先生方も経過を見るしかなく

私が見えていない世界を

主人が見てることに

またまた私は怯えました。



それでもなるべく

頭から否定はせずに

穏やかに笑ってやりすごしたり

明らかに違うことは

違うということは伝えていきました。



主人はどうなるの??

脳障害や他の病気があるなら、

私が家計を支えなくてはいけなくなる。

介護が必要になるかもしれない。

今の仕事は?

住むところは?

義母の介護は?

お金は?


心配なことばかりです。

 

 

同時期に、三女の体調がわるくて

検査入院をしなければならなくなり

その結果も心配でした。

 

 

これでもかと次から次へと

様々なことが起こり

まるで私をうちのめすためのように感じました。




主人や娘のことが心配だし

仕事もやることがいっぱい。

頭がぱんぱんになり熱くなっていました。

当時の私は、エゴの中にどっぷり浸かっていました。



毎日祈り続けていましたが、

どうしても主人が良くなる希望が持てません。

 

 

彼のスピリットの輝きどころか

頭がおかしくなってしまったとか

まだまだ病気があると

弱った肉体としか見られなくなりました。

 

 

そんな時、祈りの中で、ホーリースピリットから

「兄弟姉妹に心を開きなさい。」

とメッセージを受け取りました。

 

 

素直にそれに従い、姉や友達にとても不安な事を伝えました。

 

 

すると、とてもたくさんの愛をいただく経験をしました。

 

 

姉からは、

私の知らなかった話を聞かされ

主人の大きな愛を知り

大泣きする出来事がありました。

 

 

友達は、ずっと話を聞いてくれました。

介護の件は公的機関で相談すれば良いから大丈夫、と心強いアドバイスをくれたり

私の体を心配してくれて

心温まるたくさんの贈り物を送ってくれました。

 

 

毎日、お地蔵さんに主人の無事を祈りに

行って下さり、私の顔を見ると頑張ってと

涙ぐんでくれる方もいました。

 

 

ACIM(奇跡講座、奇跡のコースの略称)の学びのお仲間は、私が当時参加していた「神の教師コミット40日間プログラム」で末吉愛さんが呼びかけてくださり、

私の代わりに主人と私の聖性を、信頼の中ずっと見続けてくれて

たくさんのコメントをくれました。

 

 

お一人お一人の祈りの気持ちが

本当に当時の私をとても心強く支えてくれました。

 

 

全方位から愛を差し出してくださっている

そんな感覚があって、

正直言って、こんな状況の中で

こんなにも暖かい愛を受け取る機会になるとは

思っていませんでした。

 
 

ありがとうございます

ありがとうございます

感謝しかありません。



おかげさまで、私は心を強く持ち

怖れではなく

ホーリースピリットの導きを選ぶ決心をしました。



主人がどうなろうとも

私は大丈夫‼️

主人を支えて、愛を受け取っていこう!

何があっても大丈夫‼️

私は一人ではないのだから。

そう心に決めました。




そう決心したからなのかわからないのですが

そのタイミングで

主人は、一般病棟に移りました。

それからはめきめきとすごい速さで回復して

不思議な事を言うこともなくなりました。

 

 

こういう経過でよくなるだろうという予想をはるかに超えて回復していく姿に

私の心がまったく追いつかず

戸惑っていました。

 

 

心臓自体は、半分以上ダメージを受けているそうで、もう回復はしないそうです。

でも、残った心臓で

日常生活も仕事もできるそうなので

もうそれで充分です。

 

 

大きな病気と思ったところは

だんだんと良くなりましたが

1箇所だけ、今後も注意深く経過観察する事になりました。



様々な検査やリハビリも順調に進み

1ヶ月入院して、自宅療養を1ヶ月しました。

後遺症もなく、現在、仕事復帰することもできました 。


 

看護師さんや、何人ものお医者さんにも言われましたが、

心肺停止の状況から

こんなに早いスピードで回復し

全く後遺症がないというのは

奇跡としか言いようがないそうです。

 

 

私は、主人は皆さんの祈りの中で

生かされたと思っています。

 


今回の件は

たくさんのことをあらためて私に教えてくれました。



🟡 私が無力である、役立たずである、
 肉体だと思っている心の奥底の罪悪感と
 投影

🟡 誰もがキリストの命を生きている

🟡 自分が冷静でいられない時には
 周りの方たちに聖性を見ていただければ よいという安心感。

🟡 私たちは愛の中で生きているということ

🟡 祈りの力強さ

🟡 多くの人が共に祈ることでの、さらなる 祈りの力のすごさを見せていただいた。

🟡 人智を越えた力があるということ。

🟡 愛の中で恐れが消えること。



その方の聖性を見続け

愛を受け取ります、と決めたら、

確実に愛を受け取ったり

その方の命の煌めきを

見せてもらうことができる。



主人は、心肺停止から仕事復帰できるまで

回復することができましたが

例えどんな怖れがある時でも愛はそこにある。


自分が怖れや不安で見られない時は

自分の心を開いて、周りの人に見てもらえばいいのです。


みんな一つの命を生きている兄弟姉妹。

周りの方に助けを求めればよいというのは

とても心強くいられました。


愛のギフト🎁を受け取りたいなら

ホーリースピリットの導きと兄弟姉妹に

心を開くだけでいいという確かな経験は

何よりの私の宝物となりました。


次は私の番です。

 

 

私はもっと心強く、聖性の道を歩いて行こうと思います。

 

 

周りの方やニュースなどで見聞きする

困難な中にいる人の

真の神の子としての姿を見せていただく役目を引き受けていこう、とあらためて決意しました。



なんとも本当に大変な日々でしたが

今は穏やかに過ごしております。

 

 

最後までお読みくださり、ありがとうございます。

 

母の一周忌と新盆を兼ねて、7月中旬に帰省していました。



久しぶりの実家の空気や景色に、たくさんパワーをもらって帰ってきました。


美しい富士山の夕暮れ。電信柱がじゃまだけどね〜。



実家の近くでは、真夏でも青々として美しい紫陽花が咲いていました。



ところがところが、

帰ってきてから

コロナになってしまいました。



体は本当にしんどかった!



熱は二日ほどで下がったのですが、

食欲がまったくない。



倦怠感がひどくて

うどんを温めるのが精一杯。



うどんを温めて、休憩

食べて、休憩
片付けて、休憩…

あとはひたすら眠る。

こんな日々を過ごしてました。



感染から2週間経ちましたが

いまだに咳と痰がきれずにいるし、まだしっかりしていない感じが残っています。



コロナになったとわかった時

私の中では

自我が大騒ぎしていました。



ちょっとちょっと!

やばいじゃない!!

仕事休まなきゃならない!

まずいよー!

どうするのよー!



私の部署を一時閉めるので

掲示もしないといけない。



お客様から

「わー、コロナかー。

坂田さんと話したのはいつだっけ…。」

と思われるのも嫌だ。

恥だよ、と思う気持ちが出てきました。



仕事を休まなければいけなくなり、

申し訳ない気持ちと

なってしまってごめんなさい🙏
という罪悪感がありました。



「奇跡講座」「奇跡のコース」には、365日毎日やるワークブックレッスンがありますが、当時のワークが


私は肉体ではない。私は自由である。

私は今も神が創造したままの私なのだから。


をテーマにレッスンの復習期間に入っていました。



「…とは言ってもねー

食欲ないし、頭痛いし、しんどいよー!

『私は肉体ではありません』なんて、とても思えないよう…」

と文句を言ってました。



ぼーっとしながらも

それでも毎日のワークしている中で

「このしんどさに流されたくない!」

という思いがだんだん出てきました。



孤独や苦しみ、悲しみ、痛みなどを経験したくない。



肉体の状況がどうであれ

日々の出来事がどうであれ

それをこえて、愛や優しさ、人々とのつながりを感じていたい。



それを人生のメインに据え置きたい。





この機会を通して

私は何を受け取りたいのか?



嘆きを受け取るか

愛を受け取るか



どちらを受け取りたいのか、

ただ決心すれば良いだけでした。



あとは体を休めて、ひたすらゴロゴロしていました。



その結果、確かに私は優しさをたくさん受け取っていました。



友達や家族、上司、関係先からは、優しいメッセージをたくさんいただきました。



一足先に回復した娘からは

山ほどの野菜、肉、魚、豆腐、納豆などの食材を買ってきてくれました。



お客さんからも、スポーツ飲料水、バナナ、ゼリー、パン、お菓子など、すぐ口にできるものを玄関前にたくさん差し入れしていただきました。



スーパーが遠いので、本当に助かりました。

感謝〜!!



休み中は仕事上のトラブルはほとんどなく、落ち着いて過ごすことができ、先週の月曜日から出勤しています。



大勢のお客様からも、

「実は私も以前コロナになってね…」

という体験談や、

「大事にするのよ。」といたわっていただきました。



コロナになったことによって、

多くの愛が私を取り囲んでくれていたんだ、とあらためてきづくことができました。



何が起こっても

その中において何を見たいか

それを決心することって、とても大切だと思います。



意図したものはちゃんと見えました。



自分が見たいものを見せてもらえるなら、

私は誰に対しても

その方の真の強さ、命の輝き、愛を見ていきたい。


ますますそう強く思えるようになりました。




コロナにはかかったけど

(家族みんなかかってしまったし

私の体調も万全とは言えないし

父はまだ入院しています。)

私の中では、それは大したことではなくなり、優しさをたくさん受け取ることができた出来事でしかなかったです。



「愛はそこにあるんか?」

CMのキャッチコピーのようですが、

あるんです。



最初から愛はそこにあったんです。

私が、恐れや疑いの心で、それを見ようとしていなかっただけ。



そこに愛があるのだから、

見ようとすればそれは見えるに決まっているんですね。



今回、私を脅やかすものは何もなく、

「何も起きていなかった」という経験をすることができました。





立秋をすぎたとはいえ、猛暑での疲れも出てくる方もいらっしゃるでしょう。

皆さま、どうぞ、睡眠と栄養をしっかり摂ってくださいね。



ありがとうございました。



私は不動産管理の仕事をしていて、今はマンション管理部門にいます。


ある日会社に苦情が入りました。
契約駐車場に昨夜から別の車が止まっている、と。


車のナンバーを確認しに行くと、
その車の持ち主は、
「あー、この人かー😓」
と思う人でした。
 

 

まだ40代になるかならないかの

健康な男性なのに、もう何年も働いていません。

 

 

彼は以前、一年に二、三度しか会わない私に

家に日本刀が何本もある
友達は怖い仲間ががたくさんいる
働きに行ったら、すぐまとまった金ができるなどなど

 

 

だから何?って話なんですけどねあせる

そんな話をしました。

 

 

私のことは信頼してくれていたようですが、

誰かに自分のことをあがめてほしかったのでしょうか。

 


奥さんが働いていましたが、

子供たちを連れて家を出てしまいました。

その後、管理費は滞納するし、電気もガスも止まっています。
 

 

彼のことだから、

注意してもなんだかんだと言い返すのがおちかな・・・。

みじめな様子をみたくないし

はったりも聞きたくない。

 

 

注意しに行くのが憂鬱です。

とはいえ、車を移動してもらわないといけません。

 

 

お宅に行ってみましたが、

電気が止まっているので

インターフォンが鳴りません。

ノックをして声を掛けましたが、出てこず。

 

 

「いやー、こまったな。

本当に困った人だよ。

まわりに迷惑かけないでよー。

やれやれどうしたもんかなー」

 

 

と思ったところで、私ははっとしました。

 

 

私は誰のことも取り残さず、

神聖さを見るって決めたよね。

 

 

それなのに、

彼のことをどう見ている?

 

 

みじめな人で虚勢ばっかりはる人

ルールも守れないどうしようもない人

とみていますけど、私 ガーン

 

 

私はまだまだ外側しか見ていない。

 

 

肉体の眼で見たこと、

肉体の耳で聞いたこと

自分の作り出したイメージだけが真実だと思っている。

 

 

そうではなく、心の眼で見るんだった!

 

 

彼の神聖さを見せていただこう。

 

 

眼を閉じて深呼吸をして心を落ち着かせると、

新たな気付きがありました。

 

 

私は、彼のことを

お金がない

家族がいない

常識がない

仕事がない

中身がない

電気ガスが止まっている

不自由な生活を送っている

と見ている。

 

 

彼の足りなさや不足、欠乏ばっかり見てる。

そう思ったとき…

 

 

ちょっとまって!

えー!!??

 

これって、私のことやん!

 

 

そうなんです...。

私自身、

長い間、欠乏感や不足感を抱いていました。

 

 

才能、知識、時間、お金、体力、気力さらに余裕も勇気も…

いろいろなことが全然足りないって思っていました。

 

 

彼のことをあれがないこれがないって見ていたのは、私の不足感を投影していたのか。

 

 

私だ!

どうしようもないって、私のことやん!!

 

 

私の心の奥底に残してあった欠乏感や不足感を、彼があらためて気づかせてくれました。

 

 

「彼を私の間違った見方で見たくないので、どうか訂正してください。

もう自分自身のことも誰のことも、

足りないって思いたくない。

もう、これを辞めたいです。

ホーリースピリット、お願いします。」

 

と祈りました。

 

 

彼の神聖さを見せていただくと、

温かくて柔らかな温泉に入っているような優しさを感じました。

 

 

それと同時に、離れてしまったけれども、

以前の彼の家族への愛を思い出しました。

 

 

これが本当の彼の姿なんだ。

この姿をずっとおぼえていよう。

 

 

どうしようもないと私がイメージした彼にではなく、

完璧な神の子である彼に対して今回の件もお願いしてみよう、

と決めました。

 

 

それから彼の部屋に再度行き

ノックをして呼びかけました。

 

 

眠そうな顔で出てきましたが、

彼の完璧さに向けて話しました。

 

 

事情を話すとすぐに車を移動してくれました。

 

 

その後、控室で待機していると、

彼がわざわざあいさつに来てくれたんです。

 

 

腰が直角になるほど頭を下げて、

「お手数をおかけしました。

申し訳ありませんでした!!」

と言って帰りました。

 

こんな感じで挨拶してくれました。

 

 

「へ???

あの彼が、こんな風に挨拶にくるなんて・・・」

目が点になりました。

 

 

あとから他の人に聞いたところによると、

前の晩、彼の駐車場の目の前で

別の人が荷物の出し入れをしていたので

駐車できなかったようです。

 

 

そのため、一時的に別のところに車を置いて、直すのを忘れたのでしょう。

(それもいけないんですけどね笑い泣き

 

 

彼は、言い訳をまったくしませんでした。

 

 

私の見方を訂正したいという思いを、彼は受け取ってくれたのでしょう。

 

 

見方をホーリスピリットに訂正していただくと、

確実に、その人からの優しさとか愛を受け取らせていただきます。

 

 

思いは必ず受け取ってもらえます。

 

 

すぐではないこともあるかもしれない。

だけど確実です。

そういう時は、関わる人みんなのベストタイミングでかならずね。

 

 

テキストに次のように書かれている箇所があることを思い出しました。

 

 

 兄弟が正気でない行動をするとき、彼はあなたに彼を祝福する機会を差し出している。彼の必要はあなたの必要である。あなたが彼に差し出せる祝福をあなた自身が必要としている。 (奇跡講座上巻 テキスト T7-7-2:1~3)

 

確かにそうです。

 

私の不足感を彼に投影して見ていたのでした。

私の不足感を取り消すには、彼の存在が必要だったんです。

 

 

この不足感や欠乏感は、

実は、神の愛に対しての想いだったのです。

神からの愛が足りないって思っていたんです。

 

 

いつもある愛を信じられず、

勝手にないものとしていた。

 

 

それに気づかせまいとして、

時間や健康、体力、気力、お金など

様々なものを足りないと思い投影していたんです。

 

 

私が文句ばっかり言って、

神のほうに手を差し出さなかっただけのことなんです。

 

 

彼は、そのことを私に気づかせてくれました。

 

 

彼の完璧さを見ていく。

それが、彼に対する私からの贈り物です。

彼が幸せであるように、祈っていきます。

 

 

最後までお読みくださり、ありがとうございます。