先月、ピアノの発表会で、中学生になった小さい方の娘とピアノの連弾をした。去年もだった。お母さんが娘と連弾するのは結構あるけれど、父親がする例はやはり少ない。今年はカッパの着ぐるみで演奏しようと思ったけれど、家族にとめられて止めた。

 

 僕が中学生の頃、県立高校の音楽科を受験したいと、親に話してみたことがある。自分では「こんな進路も悪くないよな~」と思い相談した。すると、

 

「ドレミも満足に歌えないオレの子どもが音楽科に行ってどうするんだ? オマエにその道を歩ませたいからピアノを習わせているんじゃない。オマエが爺さんになった時に幸せになって欲しいから金を出してる。勘違いするな。」

 

父は一笑に付した。でもだからといって僕はショックに感じなかった。スッキリした。あぁそうか、成る程、そういう音楽との付き合い方があるよな、それって少し素敵だよな。とその時思った。でも、それは中学生の僕にとって、全く実感ではなかった。

 

僕には音楽の才能なんてゼロだ。でも、娘と一緒に、発表会の前夜十一時にギャアギャア言いながら練習している。

 

僕の父はもうこの世の人ではない。母も八十をとうに過ぎている。僕だって、同級の中には孫の出来たヤツもいる。自分が死んで、息子がこんな年になった時のことも考えてもらって感謝している。そして、中途半端な僕にはっきりと「ゆるがない駄目出し」をしてくれた両親に感謝している。

 

 

はっきりした否定が子どもだった僕の心を安心させてくれたと思う。そして僕が父親になった時、肯定だけが子どもを育てるわけじゃないと理解できていてよかった。

 

はっきり言ってくれて有難う。

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中学生になった娘。は振り返らない。


 小学校に入学して初めての登校日、彼女は

「いってきます。」

と言ったまま一度も振り返らずに歩いていった。

以来、ずっと「いってきます」。と言った後に彼女が振り返って手を振ることは一度も無い。

一度位は振り返ってくれて良いのにと思う。


今朝、娘を公立高校の入学試験会場に送ってきた。やはり、彼女は振り返らなかった。小学生になってからも、中学生になってからも、「いってくるよ。」と口にした彼女が振り返った事は一度もない。


もう、僕に出来る事もほんの僅か。楽しい子育てをさせてくれた彼女に感謝している。およそこの世に生まれてからというもの、その中で一番幸せだった事は子育てだった。子育てがこんなに楽しかったのは間違いなく子ども達のお陰だと思っている。


ありがとう。


僕は父親として満足ではなかったけれど、僕を慕ってくれて有り難う。もう人生の殆どの楽しみは終わった気がする。もし許される事なら、また子育てに携わってみたい。小さな人の傍にいたい。


「さあ、頑張ってこい。」


と、また心の中でつぶやいてみた。

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最近、幼稚園児と一日長くお付き合いする機会が増えた。僕は子ども達の豊かな社会性が好きだ。自分で気付かない内面を、ピロッとキツネの尻尾みたいに出しちゃうくせに、自分で気付いている内面を、僕ら大人には見えないように実に上手にコントロールしようとしている。そんな様子がとても愛らしい。だから僕は真剣に彼等とお話しすることが好きだ。


例え内向的な子でも、母親の後ろから僕の顔を見て音にならない挨拶をしてくれている。目が、挨拶をしてくれている。おかぁさんに「ほら、ちゃんと『こんにちは』しなさい!」って言われているけれど、「いい、いいんです。もう僕にちゃんと挨拶をしてくれています。」って何時も言っちゃう。


そう、彼等は十分に僕にシグナルを送ってくれている。いちいち話さないとこちらへの関心の度合いがわからない大人と違って、彼等は関心の高さを隠さない。だから、それだけで十分挨拶になるんだ。


挨拶ってのは「貴方に十分私は関心がありますよ。」って事も示していると思う。これは人が社会で成長する間にみにつける言葉の持つ言葉以外の意味。


ここ、ここの所だ!挨拶してもスルーされるとか、級友がシカトするとか、大人子どもの社会に区別無くある一種の「いじめ」。


「私はあなたなんかに関心がない!」って口では言えないからせめて無関心な態度をとる事で自分の相手に対する不満を消極的にその相手にぶつける。挨拶という機能を逆手にとった情けない振る舞いだ。流石に大人でこれをするような人は少数だと思うが、まだ社会性を身につけて間もない子どもはこれをよくする。


人と人が、仲が良くても悪くても、つくっている社会があるって事が何処かに行っちまってる。ここんところをちゃんと教えてやらないままに、「ご挨拶しなさい!」をやっても挨拶の持つ効果には期待できない。そのまんま大人になると、挨拶の良さを逆手にとる大人に育っちゃうんじゃないかと心配…。



→続編、「実験してみた」に続く

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さて、娘の普通教育が期間が来週で終わります。僕の親としての義務教育の期間も終わります。


たかが9年。されど9年。沢山の事を考えさせられ、考えてみると結構長い期間でした。その期間で怒ったり笑ったり、色々な事がありました。


そして僕のPTA非加入の歴史も多分、終わります。


色々ありました。


はじてめのPTA会長さんはお話を色々としてくださって、僕の話も聞いて下さいました。


会員でないと知るやいなや、挨拶をしても返事をいただけなくなった方もいらっしゃいました。


一部の人達ですが、学校と社会の関係について、白熱した議論をし、わかり合えもしました。


わざとかと思う程に、「非会員」であることが書類上では黙殺されたこともありました。


外に出ている事で、解る事がきっとあると思い、そして多くを見る事が出来ました。




PTAが会員の意志を尊重した、素晴らしい任意の社会教育団体なのだと実感できてよかったです。

強制的な組織ではなく、一人一人の自由な入会の意志によって支えられていることが解りました。



色々とご指導ご鞭撻くださった皆様に感謝して、ここまでの親の義務を卒業したいと思います。


…さて、もう少しだけ、親の義務を果たす為にこの上手く動かない頭をつかって頑張ります。

僕は…人付き合いが上手なほうでなない。そんで何時も「何故だ?」ばっかり言ってる。人の事が大好きなのに、人間の作り上げる文化を斜めに観てる。安楽で居る事が多い人間じゃない。


娘が最近でかくなっている。でも、彼女の手は小さい子の手が大きくなったみたいな形をしている。手が、5歳児の手みたいに、シュルシュルしている。小さい子特有の手の甲のエクボもまだある。



食卓でボーッとしていると、娘がそのてのひらを僕に差し出す。んで、ホイと僕の手を乗せるともう片方の手で僕の片手をサンドイッチにしてツルツルさする。僕が「ほえー」と言うと、その手を引っ込める。



これから先、長い間はしてもらえない事だけれど、僕は元気が出る。


世の親父さん達よ、最近何時子どもの手を握ったかな?子どもの「てのひら」を、そんなチャンスが有ったらよく感じてみると良い。


自分の心が養われている事がわかるから。


小さい頃から子ども達は、僕らの心を養ってくれている。




               ありがとう。