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 先月、ピアノの発表会で、中学生になった小さい方の娘とピアノの連弾をした。去年もだった。お母さんが娘と連弾するのは結構あるけれど、父親がする例はやはり少ない。今年はカッパの着ぐるみで演奏しようと思ったけれど、家族にとめられて止めた。

 

 僕が中学生の頃、県立高校の音楽科を受験したいと、親に話してみたことがある。自分では「こんな進路も悪くないよな~」と思い相談した。すると、

 

「ドレミも満足に歌えないオレの子どもが音楽科に行ってどうするんだ? オマエにその道を歩ませたいからピアノを習わせているんじゃない。オマエが爺さんになった時に幸せになって欲しいから金を出してる。勘違いするな。」

 

父は一笑に付した。でもだからといって僕はショックに感じなかった。スッキリした。あぁそうか、成る程、そういう音楽との付き合い方があるよな、それって少し素敵だよな。とその時思った。でも、それは中学生の僕にとって、全く実感ではなかった。

 

僕には音楽の才能なんてゼロだ。でも、娘と一緒に、発表会の前夜十一時にギャアギャア言いながら練習している。

 

僕の父はもうこの世の人ではない。母も八十をとうに過ぎている。僕だって、同級の中には孫の出来たヤツもいる。自分が死んで、息子がこんな年になった時のことも考えてもらって感謝している。そして、中途半端な僕にはっきりと「ゆるがない駄目出し」をしてくれた両親に感謝している。

 

 

はっきりした否定が子どもだった僕の心を安心させてくれたと思う。そして僕が父親になった時、肯定だけが子どもを育てるわけじゃないと理解できていてよかった。

 

はっきり言ってくれて有難う。

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 だいぶ長い間、ほったらかしておいた衣類を捨てようと思いたった。

 

 古い物だから襟袖が変色しているものが殆ど。でも、綿のボタンダウンのカジュアルシャツがわりと綺麗だったから、洗濯してもう一度着ようと思った。買ったのは15年くらい前か。つけ置き洗いをしようと金盥に水をはって浸した。透けて見える胸ポケットの生地に何か透けていた。黒いそれは、出してみると真っ黒くて平たい、

 

ちいさな石だった。

 

 10年くらい前、離婚後で、下の娘がまだ「彼女の娘」だった頃、まだ2歳位だった。小さな人達は、決まって皆よく石を拾う。上の娘も、小さな頃はよく石を拾った。

 彼女もしきりに石を拾う。不思議に懸命に拾う。つい昨日動くようになったばかりの手と足で、何度も何度も腰を折りながら、幾つも幾つも拾う。ピョコピョコ、拾う。そして、拾った石を、

 

いちいちこ納品にいらっしゃる、こちらに。

 

僕は大人だから、小石など要らないのだ。でも、その小さな人は真面目な顔で納品しに来る。こちらも真面目に受け取らないと文句を言われる。

 

 そんな風にして僕が彼女から納品された小石が一粒、僕の綿シャツの胸ポケットに入っていた。背景と、その時の様子が頭に現れた。

 

手にとってニヤリとした。

声に出してアハハと笑った。

あーぁ、とため息をついた。

 

朝、皆がそれぞれに出て行った家の中。

親父は思い出に生きている。

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