野蛮人

思ったことを書く。

それ以上でもそれ以下でもない。


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現実逃避の旅・・・じゃなかった卒業旅行でスペインに行ってまいりました。



まず言っておくとスペイン旅行は非常に満足のいく楽しい旅でした。

ただし、行く先々で不幸を巻き起こすワタクシwadakenが絡んでいるのだからハプニングが起こらないわけがない。


旅行の詳細はいずれ写真つきでアップするとして、今回の旅行のハプニングだけをまとめてみました。



出発日徹夜で準備・・・というか時間まったく足りず。かなり適当に荷造りしていざ関西空港へ



関空到着しかし飛行機の遅れが発覚・・・しかもまるで図ったように保険が適用されない5時間の遅れ(保険適用は6時間以上の遅延)


今回のツアーは人数の関係で、

関空→フランクフルト→マドリードのグループと

関空→ヘルシンキ→マドリードのグループの2通りに別れてスペインを目指す手順になっていた。

しかし、フランクフルトを経由するルフトハンザ航空が遅れまくり・・・(フランクフルトが濃霧だったらしい)


出鼻を挫かれる。



現地時間24時頃にスペインに到着する。

しかし、ここでまたもやアクシデント発生


預けた荷物が出てこないっ!!!


ルフトハンザ航空を利用したツアー客は私達を含めて14人

到着した荷物は2人分

12人分の荷物が行方不明


意味がわからない!


とりあえず同じパンツと靴下で次の日を過ごすことが決定



翌日、自由行動時間

「バスで寝たい」との理由により急遽OPツアーに申し込む。

全員ノープラン


マドリード観光後にホテルに戻ると紛失していた荷物が到着したとのこと。

感動の再開か??と思いきや・・・

ホテルに届いた荷物は5人分


やはり・・・というか予想通り私の荷物は届かず・・・ある意味「さすが俺!」


とりあえずこれ以上同じ靴下を履き続けるのは人道的に問題があるだろうということで、市街地のデパートで靴下・トランクス・シャツを購入

保険が適用されるので、使ったお金は返ってくると思うのだが、現地での持ち金がかなり減る。


取りあえず予想外の出費でへこむ。



マドリードを後にしてセビリアへ

しかしセビリアのホテルには荷物が届かず・・・

どうやらマドリードにまでは荷物が届いたが、そこからセビリアには届けきらんかったらしい。

あまりのショックに熊本弁



アルハンブラ宮殿で有名なグラナダへ


荷物発見!!恋人との抱擁のように抱き合う・・・


しかし、運悪く一人だけ荷物が届かない女性が出てしまい手放して喜べず。


荷物が届かないことに対して旅行会社に対して詰め寄る女性

しきりに謝罪する添乗員さん。

添乗員さんは何も悪くない。誰もがそれをわかってはいる。

その光景を見て、皆が口を揃えて言う。

「荷物が届いてないのがwadakenやったら笑い話で済むんやけどな~」

少々聞き捨てならない発言だが本当にそう思う。



スペイン第3の都市バレンシアへ

男だけの旅行に飽きてきたのか、女の子に話しかけてみる方向になる。

友人NとMが果敢にヒットを狙いに行くものの・・・


二重殺(ダブルプレー)


男だけで深夜4時半までトランプで「大富豪」大会


※「大富豪」=トランプのゲーム=「大貧民」=「貧民」=「人生ゲーム」 誰か本当の呼び名を教えて欲しい。



建築の街バルセロナで、旅の最後の旅籠(はたご)にて


旅を振り返り反省会を開く。


とりあえず女の子と仲良くなれなかったことを悔やむ(笑)



しかしここで思いもよらぬショッキングな出来事発生


隣の寝室で女子大生5人組が宴会を始める。寝室は仕切りとしてドアがあるものの繋がっているわけで・・・会話聞こえまくりでした・・・


「旅も終わっちゃったね~」


「男の子と仲良くなれなかったね~」


「今回の敗因は『可愛らしさ』をアピール出来なかったことじゃない~?」


「あ、それ致命的~~キャハハ~」


・・・・・


男と女のサガを実感する(笑)


しょうがないので??男だけで大富豪大会

私は負けまくり×ゲーム三昧。

恥まみれ。



ルフトハンザ航空を利用するグループは3時半にたたき起こされる(っていうか寝てない)

ちなみにヘルシンキ経由グループのモーニングコールは6時半


5時にホテルを出発

スペインを後にする。


中継地点であるフランクフルトに到着


しかし・・・また飛行機が遅延・・・怒


2時間半ほど遅れてようやく関西空港へ到着



こうしてハプニングだらけの旅行は終了しました。

優秀なデジカメのおかげで沢山の写真が取れたと思うので(私はデジカメ持ってないので友人まかせですが)データが揃え次第まとめたいと思います。



結論と学習したこと


ルフトハンザ航空は今後利用しないようにする。

女の子に対してはスピード&アタック。

手荷物として1日分ぐらいは着替えを用意する。

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トルコ最後の特集はトロイです。


年内に終わりそう・・・ホッ


でもまだ油断はできません。


今、更新しているのが17:30

バイトが18:30


それまでにまとめないと、不完全で中途半端なまま年を越してしまう・・汗(~_~;)



トロイ


その言葉は多くの人が聞いたことがあるのではないでしょうか?

ブラッド・ピット主演の大作映画で注目された遺跡です。


トロイは紀元前2600~1200に栄えた小アジアの国家だと言われ、トロヤ戦争によってギリシャ軍に滅ぼされた国です。


しかしその存在は近年まで、空想上の幻の国とされていました。


古代ギリシャの作家ホメロスはその叙事詩「イリアス」「オデュッセイア」の中でトロイ戦争を題材にしました。


その内容は


あるパーティーの中で、「最も美しい者に捧げる」と書かれたリンゴが投げ入れられたのをきっかけに、トロイの王子パリスは最も美しい神を選定する役目を与えられます。そもそもきっかけとなったリンゴは、そのパーティーに招待されなかった神の嫌がらせだったらしいのですが・・・

さんざん迷ったパリスは3人の神から誘惑を受けます。

美の神アフロディテからは「私を選べば、美しい妃を与える」と

ゼウスの神ヘラからは「おまえを偉大な王にしてやろう」と

もう一人、ちょっと名前がわからないんでけど戦の神からは「全ての戦争に勝たせてやろう」と・・・


で、結局パリスは美の神アフロディテを選び、その報酬に「ヘレネ」という妃を貰い受けます。

しかし、このヘレネはすでにスパルタの王の妃であり、怒ったスパルタはトロイに宣戦布告・・・



とまぁ、神の気まぐれに人々が振り回されるお話なのですが、当初は所謂「神話」の類にみなされ、多くの人々はトロイの存在を信じませんでした。


しかし、19世紀に「シュリーマン」という、幼きころからトロイの存在を信じ続けた人物により、トロイ遺跡は発掘されることとなります。


トロイを発掘したシュリーマンは考古学者の光と影を持った存在でして、若くして商売を成功させ、自分の財産でトロイの遺跡を発掘したのはいいんですが、トロイ戦争の時代の遺跡に熱中しすぎて、トロイの年代層を発掘するために、上の層をダイナマイトで破壊してしまうという、罰当たりなこともしています。


トロイでは多くの財宝が見つかり、それをシュリーマンが持ち帰ったという話もあるのですが・・・それは本当なんですかね?


とにかく、トロイの遺跡は紀元前に1000年以上も続いた王国の遺跡で、その長い歴史が本来刻まれているはずです。



わかりにくい画像なんですが、この地層には「Ⅲ」「Ⅳ」とプレートがはってあり、それぞれがトロイの年代ごとの層を示しています。



エフェソス遺跡に比べると、スケールダウンは否めないかもしれませんが、当時の町並みの面影がわかります。



有名なトロイの木馬を再現したもの・・・けっこうショボイ


と思ったら・・・



なんと、これは映画の中で実際に使われた木馬です。う~~~んこっとのほうがリアルですね・・・

これなら中に人が入っていても気がつかないかも・・・??



おまけ


トロイ戦争の話を聞いてすっかりテンションが上がった私と友人Mは


トロイ戦争・・???


なぜか、戦いましたwwww

わけわからん!

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年内に終わらせるために徹夜デス・・・しんどっ!!


今回はエフェソス遺跡についてです。


エフェソス遺跡とは、様々な諸説があるものの、紀元前2000~1000年頃あたりから、建設された巨大な街とされています。その後、様々な国の興亡を繰り返しますが、特にローマ時代には、州都として、小アジア(トルコ半島地方のこと)の拠点として、貿易の拠点として栄えた都です。


ローマ時代の都市といえば、まずイタリアのポンペイが挙げられますが、規模としてはエフェソスの遺跡のほうが、はるかに大きく、ガイドの方もしきりに自慢していましたw


怒涛の画像ラッシュでお届けします。


入場すると延々と道が続き、その随所でかつての繁栄が伺えます・

 


整然とした通路、等間隔で並ぶ柱、人目見ただけでも、しっかりと整備された都市だったことがわかります。


そびえる柱


丘の上まで遺跡が埋もれていますがまだ発掘されていない。現在も発掘作業中。


ハドリアヌス門


ローマ5賢帝の一人、ハドリアヌス帝の名前が残ったアーチ。随所に装飾のあとが見られる。


美しい建物跡


日本が縄文時代の時期に、この遺跡がすでにあったと思うと少し複雑ですね。


オデオン(音楽室)


道端に存在したオデオン。ちいさなライブハウスといったところですかね・・・


トイレ発見


しっかりと下水が常備された、清潔な都市だったことがわかります。ただこのトイレではプライバシーもなにもありませんね・・・


男性人は取りあえずこのスタイル


皆で、古代のトイレの物思いにふけながら当時を再現


通路


トイレを後にして進むと、巨大な建物が・・・


セリシウス図書館


アレキサンドリアの図書館につぐ、当時2番目の規模を誇っていたと言われる図書館の跡。

すごい立派!


図書館アップ


近くで見ると、非常に複雑な造りであることがよくわかります。かつては、各地の知識人がこの地を訪れ、多くの発見をしたのでしょう。


 


ふと天井を見上げると見事な装飾が施してある。美しい!


大劇場


2万人以上を収容できると言われる大劇場。

この地が栄えていたときには、著名な人物が講演をしたり、重要な会議が行われたりしていたのであろうか!?



劇場の舞台はこんな感じです。現在も発掘が行われており、このときも、その作業が行われていました。


劇場全体が見れるショット


エフェソス遺跡は本当に巨大で、当時の町並みが非常に良好な状態で残っています。


今回は画像を重点的に紹介してみました。


遠い昔の記憶が読み取れる古代の歴史。エフェソスには長い歴史が刻まれていました。


 



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以前に「年内のうちにトルコ特集を終わらせたい。」って言ってましたよね!?

   ↓

終わらない確立150%



今回のテーマは題の通り「パムッカレ」です。


パムッカレとは何か?


言葉で表すと・・・石灰棚にある温泉保養地・・・とでも言いましょうか?

白亜の石灰岩で出来大地から温泉が湧いている奇想天外な場所です。



わかるでしょうか?石灰岩の白い大地

そこから・・・



温泉が湧いています。


湧き出てくる温泉はほんの僅かながら酸・塩基性があるため、少しずつですが、石灰岩を侵食してゆきます。ある一点から湧き出た温泉はその場所から円形の曲線を描きながら、湧き出ている一点を最深・中心にボールのような水槽を形成します。

そしてその水槽の淵が石灰岩の大地の端まで到達し、そこから溢れ、溢れ出た温水はさらに下の層の石灰岩を侵食してゆきます。


 

上の水槽から溢れた温水が下の層を侵食し、水槽を作り、それが繰り返されることにより、階段のような連続した温泉が作られる。


水槽はこのような小さいものばかりではありません。


奥の方に階段状に続いています。


湧き溢れているのは温水です。水温は36~7度と暖かく、しかも飲んでも害はないそうです。

観光客の中には水着を着用している方が大勢いました。


水は綺麗だし、温かいし、最高です!


パムッカレは高地にあり、石灰棚は言ってみれば崖の端のような場所にあります。

故に・・


絶景


絶景


見とれてしまうのも無理ありません。(これは私ではないですよ!)


観光客で一杯です。


上の写真をよく見るとわかると思うんですけど、写真の奥の方は木が生えている普通の大地なんですね。

大地の一部だけが石灰岩で出来ている。それがパムッカレです。



パムッカレ観光の良いところは、単に石灰岩の温泉を観れるだけではないと言うことでしょう。


日本で言えば、大分県の別府市、群馬県草津市などなど全国各地にあるように、温泉地に街ができ発展するのは自然な流れだと思います。


パムッカレでも同じことが言えます。

つまり、温泉が湧いてある石灰棚のすぐ近くに(100mないぐらいに)街があるんです。


忘れられた街が・・・


 

遠く昔に栄えた街 「ヒエロポリス」


かつては、ローマ皇帝であるカラカラ帝も訪れたことがあるそうです。それがなぜこのように人々に忘れ去られてしまったのか・・・?

歴史のロマンを感じずには入られません。


バスの車窓から夕焼けを浴びながら佇むヒエロポリスをみつめながらこの地を後にしました。




パムッカレ近郊のホテルは、どのホテルにも温泉があり、多くの人で賑わうリゾート地となっています。

ぜひ一度足を運んでみてくださいね!


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年内には区切りをつけたいトルコレポ 遂には第3弾でございます。


今回は


カッパドキアPart2 ~カイマクルの地下都市編~

まずは前回の記事を読んでいない方は読んでいただけるとありがたい!


http://ameblo.jp/wadaken/entry-10006909420.html


前回の記事からもわかるとおりカッパドキアの地は古くから人の棲み家として利用されてきました。


窓のある岩


その理由としては、火山灰からなる石灰岩の土地は簡単に削ることができ、しかも空気に触れることで驚くほど頑丈な壁となり、人は自由にその住居を加工できるという利点があったためでした。


事実、カッパドキアには多くの人々が暮らしてきた歴史があります。

そしていたるところでその形跡、その姿を目にすることができます。



ちょっと遠いのでわかりづらいとは思うのですが、写真の中央にそびえる壮大な岩山。その名も


「ウチ・ヒサール」


気の遠くなるぐらい昔、紀元前1700~1100年頃、人類史上初めて鉄製の武器を使用し、メソポタミア諸国家を席巻したヒッタイトの民が、城として使用したとされる自然が生み出した要塞。



そして、私達が訪れたとある遺跡

人々がカッパドキアに暮らしてきた足跡を残す遺跡の中でも最も有名とも言われるのが


カイマクルの地下都市


その歴史はまだはっきりしたことはわからないのですが、宗教的価値観を守るために人々が隠れ住んだ都市と言われています。おそらくは5~7世紀にササン朝ペルシアがこの地方に進出したとき、あるいは、622年から始まったイスラム教のジハード(聖戦)などが関連しているとも言われています。それまでは東ローマ帝国ビザンティウム帝国=キリスト教)がこの地を支配していたので、異なる宗教観を持つ国家(ササン朝ペルシア=ゾロアスター教やウマイヤ朝=イスラム教)の進出の際に、その支配を逃れるために作られた遺跡とされています。


※支配といっても初期のイスラム教はキリスト教には寛大であったはずなので何とも・・・??



色々と諸説はあるのですが、とにかく人々が隠れ住んだ秘密の街、それがカイマクルです。


私達が入った入り口は岩肌に隠れるようにポッカリとあいた洞窟のようなものでした。(入り口は沢山あるらしい)


中は全体に照明が張り巡らされ明るくなっていますが、昔はろうそくの灯だったと思うと複雑な気分です。


照明のために中は明るい


基本的には上の写真のような通路が地下全体に張り巡らされています。そしてその所々に部屋がありそこからまさにアリの巣のように通路と部屋が入り乱れています。


地下生活では換気が重要


都市内にはいたるところに換気のために穴が空いいる。それらの穴は換気以外にも用途があるようだ・・・それは外敵の侵入を監視する窓の役目なのか・・?


石の扉


住民達は常に外敵の侵入に気を配っていたことがわかる石の扉。敵が侵入すると、この石をずらすことでで通路を防ぎ時間を稼いだらしい。


無数にあく穴


多くの部屋には無数の穴があり、それは換気口であったり窓であったり、次の空間とを結ぶ通路であったりもする。そのどれもが何らかの空間に繋がっておりまるで迷路のように果てしなく続いている。


カイマクルの地下都市の深さは地下8階とも10階とも言われている。観光用に開放されているのは地下4階までだが、それでも迷子になりそうなほど広大であり、実際に迷子になってしまう観光客も多いそうだ。


物置・倉庫


地下には貯蔵庫であったり、ブドウを発酵させワインを作る部屋であったりと様々な用途の部屋があり、地下での生活を可能としている。


子供の身長ぐらい


通路は何も広いとは限らない。外敵の侵入時に時間を稼ぐという意味もあるのだろうか?狭い通路もたくさんある。


狭い通路に苦しむ友人N


気を抜くとすぐに天井に頭をぶつけてしまう。カメラ小僧の友人Nはこの地下都市に住むのには適していないらしい。 苦しそうな顔だ・・・


観光客だらけ


広々とした空間も勿論ある。だが広い部屋は観光客で一杯だ・・・


広い部屋に入りご満悦の友人M


部屋数は一体どれぐらいあるのだろうか?このような地下に住み、精神的に安定した暮らしが出来るのだろうか?カイマクルの地下都市は少し不気味な雰囲気に包まれた、それでいて神秘的な空間である。


渋滞2 友人A、R


観光の名所でもあるわけで観光客は当然沢山いる。狭い通路を通るときは大渋滞である。


格子ごしに・・友人R、M、F、N


地下都市・・・と言うくらいなのでその構造は上下構造になり徐々に地下深くへ続いていきます。上の写真は下の階層にいる一緒にトルコを旅行した面子です。ちなみに、この穴は本来は槍で相手を突くために空いているとされています。



カッパドキアにはこのような地下都市が数多く存在し、その全てが繋がっているとされています。都市の広大さは半端ではなく最盛期には10万人が暮らしていたとも言われます。その多くがキリスト教徒であり、密かにキリスト教を信仰していたものと思われます。


実際にカッパドキアには洞窟と同化したような教会、修道院が沢山ありその痕跡をいたるところで見ることが出来ます。


時間の都合で私達は訪れることが出来ませんでしたが、広大な博物館である「ギョレメ野外博物館」や洞窟教会である「トカルキリセ」で、当時の面影を見ることが出来ます。



多くのキリスト教徒の隠れ里であったカッパドキアでしたが、イスラム教が浸透するにつれ、そこに住む人々は少しづつ減少し、かつては10万人もの人々が暮らしてきた地下都市は巨大な謎の空間としてその地に残ることとなりました。




カッパドキアという土地と歴史とが生み出した神秘の地下都市カイマクル

もう一度訪れてみたいものです。

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お待たせしました!

9月に決行したトルコ旅行を紹介しつつ、思い出し記録に留める自分勝手なトルコレポ第2弾


今回はカッパドキア特集です。


カッパドキアとは・・・

はるか昔、火山の爆発により堆積した石灰岩が長い長い時間をかけ侵食・隆起して広がった、世にも奇妙な岩場が広がる、イスタンブールと並んでトルコで最も有名な地の一つ。自然と人間の文化が共存するトルコが誇る世にも珍しい世界遺産指定地域です。



論より証拠、百聞は一見にしかずとはよく言ったもの。あれこりいうよりも実際に見て下さい。(画像をクリックすると拡大します)


キノコのような形をした奇妙な岩々

不思議な形の奇岩群

硬い岩石の岩から、砂地のような岩まで、その姿は数多あり

そんな岩場が地平線の彼方まで続きます・・・


アメブロではこの画像が限界(200KBまで)

わかりにくい画像で申し訳ない・・・


正確に言うと、私達は「カッパドキア地方のギョレメ国立公園」を訪れました。


そして今回のトルコ旅行で私が最も楽しみにしていたのが実はこのカッパドキアなんです。

昔本でその存在を見て以来「絶対にいつかこの地を訪れたい」そう思っていた夢がかないました。


一緒に旅した友人達もその光景に絶句

皆、地平線まで続くこの景色に圧倒されてます。



絶景を前にして、なぜかジャンケンで負けた人が×ゲームをすることになり、当然と言うか、やはりと言うか・・・負けるべくして負けてしまった私は・・・

「愛してるよ~!!!!」 ←誰を??


「カッパドキアで愛を叫ぶ」


ちなみ私は中国でも似たようなシチュエーションで「万里の長城で愛を叫ぶ」を経験済み・・・



さて余談は置いときまして、カッパドキアが凄いのは「単に風景が凄い」では終わらないことでしょう!?


カッパドキアの奇妙な形の岩場の中に、加工されたとしか思えない岩を見つけることができます。まるで窓のように岩に四角い穴が開いているのがわかるでしょうか?


この奇妙な岩石群を形成する石灰岩は、加工が簡単で、道具を使えばすぐに加工が出来ます。そして削られた石灰岩は空気に触れることにより驚くほど丈夫な壁となります。

くりぬかれた岩の中の空間は、一年中常に安定した温度を保ち、すなわち、夏涼しく冬暖かい居住空間となります。


岩穴に住む


はるか昔からカッパドキアには多くの人々が住み着いてきました。

「洞窟に住む」とはまた違ったニュアンスを含むこの岩々には、3世紀ごろからキリスト教徒が隠れ住んでいたと言われています。(それ以前にもヒッタイトの民が住んでいたという説もあるらしい・・?)

時に正当な住居として、時にキリスト教徒が迫害を逃れ隠れ住むため、後にこの地に移住してきたトルコ民族の中にもこの地に足を落ち着ける人々が現れました。ちなみにカッパドキア地方ギョレメ村はトルコ絨毯で有名です。 ※必ずしも岩穴に住んでいたわけではありませんが・・・


そして今でも・・・


少しわかりづらいかもしれませんが、近代的なアパートやコンクリートの家々の間を縫うように岩の住居が点在します。これらの家には当たり前のように人が住むケースも多く、電気も水道も通っています。そして普通に居住権が存在します。人が住んでいない街中にある岩穴は空き家として扱れるわけです。

夏は涼しく冬は暖かい、建築費は勿論タダ・・?一度住んでみたいですね♪

それだけではなくカッパドキア地方には洞窟レストランや洞窟ホテルなども存在します。



カッパドキアには自然と人々とが作り出した不思議な光景が広がっています。そしてその景色は見るたびに違う味を醸し出してくれます。

夏は地平線の彼方まで続く岩場が、そして冬には雪が積もった幻想的な風景を見ることができます。ついでにワインの産地でもあります。


雨や風による侵食は今も続いています。カッパドキアは季節ごとにその出で立ちを変え、その風景は100年単位で驚くほど変化を遂げます。

昔の人々が見ていたカッパドキアと私が目にしたカッパドキアとは似ているようで非なるものだと考えると不思議な気分に囚われます。大地が生み出したカッパドキアの幻想的な風景は、言わば「生きている絵」なのではないでしょうか?


トルコを訪れる機会があれば是非ともカッパドキアに足を運んでみてください。きっと不思議な景色に出会うことが出来ると思います。



次回はカッパドキア編Ⅱ カイマクルの地下都市を紹介したいと思います。


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予告どおりにトルコ特集をしちゃいます。(実現できたぜ!)


トルコ


この国の歴史は実に変化に富んだものでした。


特に「トルコがある場所」すなわち、ヨーロッパ世界とアジア世界を結ぶ、歴史的に重要な役割を果たしている土地は、島国日本とはおおよそ異なる歴史を歩んできました。



私がこれから紹介するイスタンブールは、トルコ半島が歩んできた激動の時間が刻み込まれた、古き歴史と近代の町並みとが共存する不思議な都市です。



まず今回紹介するのは、トルコを代表する建築物


「ブルーモスク」


トルコ最大の都市「イスタンブール」に聳え立つ、世界で最も有名なイスラム教寺院の一つです。



その前に、このブルーモスクがあるイスタンブールについて簡単に説明しておこうと思います。


まず抑えておきたい知識は

「イスタンブール」 = 「コンスタンティノープル」

ということ


おそらく、どちらの呼び名も誰もが一度は耳にしたことがある名前だと思います。



古くは紀元前、ローマ帝国がまだ栄えていた頃・・・

ローマ帝国の皇帝であったコンスタンティヌス帝は、遷都(首都を移すこと)を行い、当時ビザンティウムと呼ばれていた一都市を「コンスタンティノープル」と改名します。

これ以後、コンスタンティノープルはヨーロッパ社会において、重要な役割を果たすと共に、キリスト教社会の中心都市の一つとなります。(コンスタンティヌス帝はキリスト教を認めた皇帝としても有名)

後にローマ帝国が東西に分割し、西ローマ帝国が滅びても、コンスタンティノープルは東ローマ帝国・ビザンツ帝国の首都として、キリスト教社会の上で中心的な役割を果たしてゆきます。ちなみにこの頃に聖ソフィア大聖堂(アヤ・ソフィア)が建築されます。


時は流れて15世紀

イスラム教の中心国家であるオスマントルコ帝国の王であるメフメト2世は十字軍以来争ってきたビザンツ帝国を滅ぼし、不落の都と呼ばれてきたコンスタンティノープルを攻略することに成功します。そして自らコンスタンティノープルを国家の中心都市と定め、その名を「イスタンブール」と改名します。

そこから少し時が流れて16世紀、オスマン帝国の全盛期を築いたスレイマン1世はプレヴェザの海戦にて地中海の覇権を掌握する一方、首都であるイスタンブールに後世まで残る立派な建物を築きます。

これがスレイマン=モスク、通称ブルーモスクです。


イスタンブールとコンスタンティノープルとの関係がわかったついでに、さらにもう一つ覚えて欲しいのが・・・

「トルコの首都はイスタンブールではないこと」


世界に列強がひしめき、強き国が弱き国を占領し虐げる争いの時代、ヨーロッパと地理的に近い関係にあるトルコは常にヨーロッパ諸国から圧迫を受ける状況にあり、ヨーロッパに地理的に近いイスタンブールから、より地理的にヨーロッパから遠いアンカラに首都の役目が移行してゆきます。ちなみに、「近代トルコの父」とも呼ばれる「ケマル=パシャ」がアンカラで政府を樹立したことを契機に、首都はアンカラとなります。



さて少し話が逸れましたが、イスタンブールはお分かりのように、キリスト教文化、イスラム教文化が入り交ざった特殊な歴史を持つ都市であり、その町並みは日本の都市とは大きく異なります。


バスの窓から


家々の間にそびえるイスラム教寺院の塔


ボスポラス海峡の風景


近代的な家々の中にそびえる二本の塔と寺院


マルマラ海と黒海に挟まれたボスポラス海峡を挟む、ヨーロッパとアジアを結ぶ国際都市

それがイスタンブールです。

歴史を感じる建物に、広がる海に囲まれた都市

騒がしさと、のどかさとが一体になった不思議な町です。


そんなイスタンブールを象徴する建物


それがスレイマン=モスク(ブルーモスク)です。



塔に囲まれたドーム型の寺院、その形状はビザンツ帝国時代に築かれた聖ソフィア寺院に大きく影響を受けており、イスラム文化とキリスト教文化の融合とも言えるかもしれません。


ドームと塔


寺院にそびえる塔はその建物を建てたときの権力の大きさを示すと言われます。

普通、寺院に建てられる塔の数は1~2本、多くても4本が通常です。

しかし、当時の権力者、スレイマン1世はオスマン帝国全盛期を築いた人物・・・よって



ブルーモスクにそびえる塔の数は6本にもなります。


ドーム内


ドーム内は綺麗な装飾が施されており、相当の広さがあります。



壁にはステンドグラスが・・・聖ソフィア寺院の影響が随所に見られます。


ちなみにこのブルーモスクですが、何年か前にトルコを襲った大地震の際にもまったく破損しなかったという頑丈な建物らしいです。


トルコに行く際にはぜひブルーモスクを見ることをお勧めいたします。




余談ですが、ブルーモスクを出る観光客をこんな人達が出迎えてくれます。


にっこり笑顔で怪しげな飲み物を勧めてくるトルコ民族衣装に身を固めた男達・・・

飲み物をあまりに気安く勧めてくるため、無料かな?と思って飲んだら有料でした・・・

しかもこの飲み物はその辺の水道水に無理やり味付けをしたものらしいです。


トルコに行く人は要注意・・・

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今年ももうすぐ終わりますね。


もう12月です。


今年の総決算をすべく皆が忙しく動いています。(勿論私も)



今年を清清しく締めくくるために

そして新たな気持ちで来年を迎えるために・・・



そんでね


今年やり残した事を考えたわけなんですね。


はっきり言ってしまうと、最低研究室のせいでやりたかったこと、行きたかったところ、その他色々・・・実現しなかったことはいくらでもあるのですが・・・ことブログに関しては


凄く心残りなことがあるんです。



今年一年(まだ終わってないけど)を振り返って、一番大きなイベントは何だったか?と言うと、私の場合間違いなく


「トルコ旅行」


なんですね。


んで、トルコに行く際にこんなことをブログに書いたんですよ。


9月8日 ←クリックするとジャンプします。


さらに帰ってきてから


9月18日


まぁ、文章の最後の方を読んでいただければわかるんですが・・・そこには確かに


「トルコ特集を組む」って書いてあるんですね・・・汗汗



というわけで~~


来年にならないうちに、記憶が少しでも残っているうちに、

トルコ旅行を紹介していきます。


ちょこっと紹介しておきますと・・・

イスタンブールの聖ソフィア大聖堂


有名なカッパドキアです。


トルコは良い!


乞うご期待!!



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ようやく腹痛が治まってきて一安心。日本食ってすばらしい!


さてトルコレポは現在作成中でしてもうしばらく時間がかかりそうなんですが、やっぱりトルコの話題を・・・



前回、あまりの胃腸の調子の悪さにグダグダでしたが、

トルコは本当にいいところでしたよ!!!



トルコに行った事を人が知ると大体こういう質問が来ます。


「世界3大料理の一つであるトルコ料理はどうだった?」


どうだった?と言われて私の感想を伝えるのは非常に難しいのですが、とりあえずトルコ料理は、やはり日本食とは大きく異なる食文化だったといえると思います。


料理にはその国の文化や風土が大きく表れます。

そういう意味では私が「トルコ料理は日本の料理とは大きく異なる」という感想を持ったのは、得てして「日本という国とトルコという国とは、風土はもちろん歩んできた歴史や文化が大きく異なる国である。」ということかもしれません。


まず、非常に肉料理が多いという特徴が挙げられると思います。


まず風土という面で考えると、四方を海で囲まれた日本と違い、トルコはユーラシアという大きな大陸の中の一つの国です。特に東側は中東に面しており、広大な平野が広がっています。

しかし、トルコは言わば半島ですし、海に接している地域もたくさんあるといえます。ですが実際には肉料理が非常に好まれ、イスタンブールの市場を見て回ったときも、非常に魚屋の規模は小さいものでした。国土の特徴に反して魚料理は非常に少ないと言えそうです。


しかし、これには十分に納得できる非常に興味深い理由がありまして、日本列島という国土にほぼ永住してきた日本人と、トルコ民族との歴史的背景の違いを大いに感じることができます。

つまりトルコに魚料理が少ないのはトルコ民族の歴史に大きく関係しています。



トルコ民族はもともと、中央アジア、あるいは中国の付近(西域)に住んでいた遊牧民が母体です。しかし世界史に興味がある方にはお分かりのように、「突厥」「エフタル」「ウイグル」などなど、中央アジアや中国近辺のシルクロードの要所は時代の移り変わり、覇権争いが非常に激しい地域でして、トルコ民族はその覇権の移り変わりのように様々な地域を渡り歩いた遊牧民の民族です。


9~10世紀に中央アジアから台頭してきたトルコ系の人々は、多くの王朝の存亡を繰り返しながら

セルジューク・トルコ朝 → オスマン・トルコ帝国

という大帝国が成立するわけです。

そして領地の拡大・縮小を繰り返しながら、最終的には現在のトルコと呼ばれている地域に落ち着いたというわけです。


こういった歴史的背景を考えると、トルコ料理にはかつて遊牧民だった頃の歴史が色濃く反映されており、羊料理などの肉料理が非常に多い反面、海の幸を使った料理が少ないのにも納得できます。


しかしだからといって海の幸をまったく使わないわけではなく、エーゲ海で取れた魚を調理したり、ムール貝などの貝類は非常に好まれています。


また主食はパンと米を両方使用しており、そのどちらもバリエーション豊かです。パンと米、この二つの材料からも、トルコという国がアジアとヨーロッパという2つの文化圏の境に位置していることを色濃く示しているといえそうです。




食事という一つの要素でも驚くことばかりです。やはり旅は楽しいものですね。


こんな感じでこれからもトルコのことを少しづつ掘り下げてゆくつもりですんで、ちょくちょく遊びに来てくださいね。

では今回はこの辺で・・・


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日本を離れて1週間~帰国後に読んだ新聞で時の流れの速さに圧倒されます・・・


というわけで、無事!?に旅行を終えることが出来ましたートルコ最高~


ん・・・


無事!? !?



お察しの通り全てが万事順調なわけにはいかないわけでして・・・


いや、トルコは本当にいいところでしたよ。住むと言う面ではよくわかりませんが、とりあえず旅行先という意味では本当にいい場所だと思います。

それこそ人にぜひとも勧めたいと思えるほどトルコは魅力満載の国でした。

トルコがどう良かったのか、何が素晴らしかったかは後日改めて、たっぷ~~~~りと力説したいと思います!とりあえず今は手元にデータ(早い話が写真)がないために更新できません。いずれ必ず「トルコ旅行レポ」なるものを作成するので期待しておいてください。



さて話を戻しましょう。


人生素晴らしい時には何かしら落とし穴があるものでして・・・私の身にも例外なくそれは降りかかってきました・・早い話が体調面での厄災です。


       注意 

 

これより先は実に危険な!?文章になっております。特に食事中、あるいは食事前の方は絶対に見ないほうがいいです!



      

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ふ~~この文章を読んでいると言うことは、とりあえずご飯を食べながらこのブログを読んでいるわけではないですね。

言っておきますが私は警告しましたからね。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当にいいんですね?

 


その序章はトルコの遺跡やら、風土やら、文化やらで圧倒され続けた旅行4日目の早朝に突如、そうまさに突然に、急遽、思いがけず、いきなり起こりました。

早朝、それこそ現地時間の朝4~5時頃でしょうか・・?

急激に起こった腹痛により突如私は目を覚ましました。


とりあえずトイレに行きます。驚くほどの下痢・・・


昨日まではまったく健康そのものだったはずが、いきなりの体の異変に取り敢えず驚きます。

とりあえず、友人から正露丸をもらいその日を過ごします。

その日(4日目)に関して言えば、食事もちゃんと摂れたし、なんとか日常生活を送れるほどのごくごく軽い症状でした。


しかし、事態は5日目になり急転します。正確に言うと4日目の夜に今まで友人から貰っていた正露丸に習慣性が出てきたのか、正露丸では押し寄せる衝撃をまったく抑えられなくなります。


まったく腹痛が治らない・・・というか少しでも気を抜くと相当に不味い状況に陥る恐れが・・・


このときからは、まさに自分の体との戦いです。


そのときから私のお腹は常に緊張状態、さながら世界2次対戦前のバルカン半島、現在で言えばイスラエルのガザ地区インド・パキスタン間のカシミール地方一触即発とはまさにこのことでして、常に下腹部に緊張を走らせなければ、いつ核ミサイルが誤射されて3次大戦が始まらんとするか・・とりあえず腹筋が疲れました。


勿論24時間常にそういった状態なわけではなく、複雑に上下する株価の折れ線グラフのように、戦いの最中にも、デタント(緊張緩和)やらプラハの春やらが訪れかけたこともあったんですが、いかんせんこの世から戦争が中々終わらないように、中々調子が上向きにならない。


5日目の夜に至っては、人生の中でもワースト10に入る危険な状態になりまして


外はリゾート地で満面の星空、広がるエーゲ海、絵に描いたような砂浜、泊まるホテルは5つ星


対照的に私のほうは、ベッドの中で悶絶するようなお腹の痛みにもがき苦しみつつ、定期的にトイレで唸り、トイレはつまり、紙はなくなり、踏んだり蹴ったりの始末


なにしろ、直接的な表現を避けますと、本来別々に分泌されるべき人間の排泄物である固体・液体・気体が見事に三位一体説を唱えだしまして・・・お腹は常に不協和音を奏で続け、「食べてないのに出る」というもうどうしようもない状況。まったく寝れず!


ううっ  なんでトルコにまで来てこんな思いをせにゃならんのだ・・・



断っておくと、本来私は友人には「鉄の胃袋を持つ男」と豪語して笑いを誘うぐらい、なかなかどおして胃腸関連には自信を持っていたんですが  汗汗


今回ばかりは参りました・・・なにしろ旅の日程の半分は腹痛で唸ってましたから


ちなみに仲良し6人組でツアーに参加したんですけど6人中5人が程度に差こそあれダウンなぜか一人だけ無事


ツアー全体では、多少調子の悪くなる人はいたんですが、ほとんどの人は健康そのものなんですね。もうわけわからんのですよ。


なにが悲しいって、ツアー客の半分は私たちと同じく学生だったんですけど、多少親しくなった学生諸君に、完全に病弱・貧弱なイメージを持たれたまま旅が終わってしまったことが何より口惜しい。「違うんだって俺は本当は体力馬鹿で知られる頑丈な男なんだって・・・!」


しかも日本に帰ってきた現在もお腹の中は鍔迫り合いの真っ最中でして、大事をとって研究室を休んでいるわけなんですが、そりゃもうクリーンウェアを着ている最中にトイレに行きたくなったら・・・とか考えるのも怖いわけでして・・・



一つだけ断っておくと、トルコでの食事は決して悪いものではなかったですよ。おいしい物もあれば、口に合わない物もありましたが、とてもスパイシーな肉料理を満喫できました。


とりあえず、早く腹痛が治って欲しい・・・・・

トルコの詳しいレポは近いうちに必ず作りますんでもう少し待ってください。このままじゃトルコの感想が腹痛になってしまう・・・

















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