スーパーモーニングで私のコメント取材が取り上げられていた。鳩山氏に余裕があるとか、練習していたのではないかというのは確かに自分のした発言ではあるが、もちろん長いコメントのごく一部である。

余裕があるというので、誤解を受けるかもしれないが、私のいう余裕というのは、病的でないということだ。昨日も書いたように、うつ病のときは心理的視野狭窄も起こるし、判断力も悪くなる。

今回の場合はそういう徴候が感じられなかった(私にはということだが)ということで、余裕綽々というレベルだったと言いたいわけではない。

さて、朝ラジオを聴いていたら、某タレントがカウンセリングで、アダルト・チルドレンを脱却した話をしていた。

クリントンもアダルト・チルドレンで自分もということがわかってほっとしたという話から始まる。

アダルト・チルドレンで誤解が多いのは、もともとはAdult Children of Alcoholicsの略で、アルコール依存症の親をもつ子供が大人になったときというような意味だ。

アルコール依存症の人は、酒を飲まないときはいい人であることが多いので、子供たちがお父さん(お母さんのときもあるが)が不機嫌になって酒に走らないように気を遣ってばかりいる。嫌われないようにする。大人の顔色ばかりを伺うという病理を論じたもので、さらにアルコール依存症の人は飲んだときが多いがDVもやるので、子供に複雑性のPTSDまで起こしてしまうというような結構深刻なレベルの話をしている。

クリントンにしても、目の前で酔った父親が母親を撃ち殺しそうになったエピソードまで論じている。

ところが、日本では、そこまでひどいアルコール依存の親がいないこともあって、ある政治的な精神科医の策略で、ひどい拡大解釈がなされた。

子供にいい子でいろとか、勉強をしろというようなことまでアダルト・チルドレンを作るという、「見えない虐待論」が展開され、日本中に膨大な数のアダルトを産んだ。

いい子でいなさいというしつけを受けることはあまりに当たり前であるし、言いたいことが言えない日本人もものすごく多い。

それが結び付けられたら、「確かに私もそうだ」という話になるだろう。

結果的に、日本中の精神科のクリニックに自称アダルトチルドレンの患者があふれかえり、その拡大解釈の精神科医はビルを建てたそうだが、この手の患者が、薬を飲んでくれなかったり、言いたいことだけ言って帰っていくことが多くて、結局、その拡大解釈の医者がAERA誌上で自己批判をして、二度とこの言葉を使わないと明言した。

ただ、いっぽうで、そのラジオで語っている女性のように、アダルトチルドレンと認めてもらい、親とやりあう中で、自分が言いたいことを言えるようになる人もいるし、心理的に安定する人もいるのも事実だ。アダルトチルドレン論の都合のいいところは、自責的、自罰的にならなくていいということだから、そういう感情が強い人のメンタルヘルスには確かにいい。

だから、その人のことを否定するつもりはないが、必要以上に、「いい子でいなさい」「勉強をしなさい」という親を責めてしまうことに問題があるように思える。こんなことは世界中のどこでもやっているしつけで、それで心の病になるなら、しつけや教育は成り立ちにくくなる。

そうではなくて、「いい子でないと人間でない」「勉強のできない奴はクズだ」という脅しが感じられるかだろう。

「いい子でなくても、勉強ができなくても、お前はかわいいわが子なんだけど、それだと外でうまくいかないから、かわいいわが子だから、外ではいい子でいてほしいし、勉強もできて社会の成功者になってほしいんだ」というメッセージを感じられるかどうかが問題だろう。

ウィニコットという児童精神分析学者が、この手のしつけによって偽りの自己が育つといっているが、彼は、それがいけないといっているわけではない。

偽りの自己があるから人間は社会に適応できるのだが、ときに本当の自己が出せないと心の健康を害するよといっているだけだ。

「いい子でいなさい、でも、家の中でなら、多少だらしなくても、悪いことをしても許してあげるわ。本音を言ってもいいわ」ということが大事なのであって、「いい子でいなさい」というメッセージそのものが悪いわけではない。

人間にはいい子の部分と悪い子の部分がある。

これまでいい子でいすぎたから、そうでないほうがいいという二分割思考が極端なのだろう。

悪い自分も出せるようになった、本音が言えるようになったということが重要なのだろうし、少なくとも私が見る限り、その女優だって、テレビのコメンテーターとしてはずいぶん建前を言っている(少なくとも私なんかより)気がする。

でも、それでいいし、それがいいのだ。

人間のいい面も悪い面も認められてこそ、人間世界が成り立つ。

テレビのほうが親のしつけなどより、悪い面をぼろくそにいうから「アダルトチルドレン」を大量に産んで、KYといわれる人たちを大量生産している気がするが。
よって偽りの自己が育つといっているが、彼は、それがいけないといっているわけではない。

偽りの自己があるから人間は社会に適応できるのだが、ときに本当の自己が出せないと心の健康を害するよといっているだけだ。

「いい子でいなさい、でも、家の中でなら、多少だらしなくても、悪いことをしても許してあげるわ。本音を言ってもいいわ」ということが大事なのであって、「いい子でいなさい」というメッセージそのものが悪いわけではない。

人間にはいい子の部分と悪い子の部分がある。

これまでいい子でいすぎたから、そうでないほうがいいという二分割思考が極端なのだろう。

悪い自分も出せるようになった、本音が言えるようになったということが重要なのだろうし、少なくとも私が見る限り、その女優だって、テレビのコメンテーターとしてはずいぶん建前を言っている(少なくとも私なんかより)気がする。

でも、それでいいし、それがいいのだ。

人間のいい面も悪い面も認められてこそ、人間世界が成り立つ。

テレビのほうが親のしつけなどより、悪い面をぼろくそにいうから「アダルトチルドレン」を大量に産んで、KYといわれる人たちを大量生産している気がするが。