私の身を案じるメッセージをいくつかいただく。本当にありがたい。

民主党は今度は副幹事長の解任で、また独裁と言われている。

ただ、これは大臣の人事でなくて党の人事だ。党議にしたがって、どうすべきかを論じる問題のような気がする。

とにかく民主党に対する批判というのが、ほとんどが政策問題でなくて、金の問題や政治手法の問題になっている。

外国人参政権や子供手当てのように私もまずいと思うものはいくつかあるが、そういう議論より、好きか嫌いかの議論に走っているような気がしてならない。

マスコミももう少し成熟すべきでないのか?

さて、先週までアメリカに行っていたのは、精神分析のスーパーヴィジョンのためだったのだが、久しぶりに師匠(ロバート・ストロロウ)に叱られた。

患者さんが、現実生活がかなりよくなったが、夢の世界では過去に縛られる話をした際に、私が森田療法も学んでいる影響もあって、「過去より現在や将来を見たほうがいい」という解釈をしたことについて、「なんでそんなことを言ったの?」と問い詰められた。

フロイト以降、精神分析というのは、人間の心は過去に根ざしていると考えられている。今ここでを扱うことの多いコフート学派や現代精神分析でも、最終的には、その考え方は捨てていないということなのだろう。

もちろん過去のことをグチグチいうことを何でもよしとするわけではない。でも、過去の苦しみは消すことができないことをわかってあげることが精神分析的教官なのだと、再認識させられた。

ストロロウの近著(拙訳)『トラウマの精神分析』はそのことをはっきりわからせてくれる本だ。

それから数日経って、今度は森田療法のセミナーに出た。

その講師の先生が、森田の不問技法というのは、不問にすること以外はものすごく、あれこれ聞く技法だという話をした。

要するに顔が赤いことに悩んでいる患者さんについて、顔が赤いことの悩みについては不問にするが、それ以外の人間関係や生い立ちやなぜ顔が赤いとまずいと考えるのかなどはいろいろと聞くということである。

森田の考え方では、森田の治療対象の患者さんは、悩まなくてもいいことを悩むのに本当は悩まなければいけないことが、それで覆われて意外に悩まないというのだ。

過去を悩んで現在を悩まないというのは、それにあてはまるだろう。冒頭に挙げた民主党問題にしても、本来議論すべきは政策であって、枝葉のことばかりを問題にするというのは、森田療法の考え方ではまずい悩み方であり、まずい議論である。

どちらが優れた治療なのかは私には結論が出せない。

ただ、患者さんによって違うというのが私の信念だ。