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Music Sign

東京は良い天気が続いております。
と思ったけどこないだ雨降ってたな。
記憶というのはどうにもこうにも都合の良いように改ざんされがち。
おのです。

先週末からツアーも無事スタートし、毎日もりもりツアーの準備とアルバム製作を同時進行中です。
ふふふ。
皆さん、どうか楽しみに待っててくださいね。

さて、そんな中、今夜は事務所の先輩、三浦剛さんのイベント
『Music Sign vol.4~手話ソングライブ~』
にお邪魔して来ました。

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画像中央のちょっと右寄りが三浦さん。

このイベント、ざっくり言えば、バンドの演奏に合わせて、
三浦さんがその歌詞を同時に手話で伝える、というもの。
ざっくり。

その概要だけ聞いて、今日観に行くまでは、
真面目でしっかりと聞くイベントなのかなと思っていました。
悪い言い方をすれば『重苦しい、堅苦しい』イメージというか。

が、始まってみると、とんでもない、明るく楽しい、
そして手話の分からない僕にもとても取っつきやすい、楽しいイベントでした。
いつも見ているライブとの違いは、ステージの真ん中に手話をやっている方が居る、ということ。
でもそれだけの差が、とても大きな差でした。

これまで手話を見る機会というのは、テレビや街中でちょっと見かける程度で、
しっかりと注意してみたことはなかったので、
あんなにも感情表現が豊かなものだとは思いもしませんでした。

勿論、俳優であられる三浦さんの表現力だから、というのもあるのかも知れませんが。

普段僕らがやっているのは、歌とバンドの演奏、それに勿論演者の動き、舞台装置による効果。
今日のイベントでは、それらに加えて、三浦さんの手話。

手話の内容は分からずとも、三浦さんのその熱意はぐんぐんと伝わってきて、圧倒されました。
手話が言語である、という根本的なことを思い知りました。

普段はそれだけで満足出来ている、ライブ演奏に加えてさらに、
自分にとって未知とはいえ、もう一種の言語が目の前で同時に表現される。
この情報量が一度に与えられると、これが衝撃的。

「音楽も言語の一種」とは楽器を、特に器楽曲で演奏する場合によく使われる常套句なんですが、
手話にしろ、音楽にしろ、または僕らが普段使っている発声でのコミュニケーションも、
結局は意思の伝達するための道具でしかなくて、
大切なのは、道具ではなく何を伝えるか、または伝えようとしているかという意思、
と改めて思い知らされました。
とても心打たれた。


ご挨拶の時に、心打たれたことを伝えたかったのに、どう表現していいか言葉が出てこない。
…これはいつものことだった。てへ。

そして三浦さんと一緒にいらした、生まれつきの聾者である忍足亜希子さんにもご挨拶の機会を頂いたものの、
手話が分からないのでコミュニケーションを取ることが出来ない。
(その場では三浦さんが手話通訳をして下さいました。)
そのことにも、内心動揺してしまいました。
情けない。


三浦さん、お招き頂き、ありがとうございました。
ロクに言葉が出てきてませんでしたが、とても心打たれておりました。


いいタイミングで今日のイベントを観られて嬉しい。
ここから先のツアー、ますます良いものにします。
頑張るぞ。

ぜひ、遊びにいらして下さい。

まずは次は6/4 神戸ジーベックホールでお待ちしております。

詳細はこちらから。

おの
ヒイズミマサユ機さんが「ピアノで言いたいことを言える位には演奏出来る」というようなことを
東京事変のDVD(多分)で仰っていて、「なにそれーちょーかっこいい」と思ったことも、思い出した。