2009-09-29 20:44:13

王道楽土に消えた犬:その1

テーマ:満洲國の犬達


帝國ノ犬達-満州軍用犬
●チチハル駅貨物置場を監視中の満鉄警戒犬ナア号。昭和10年


満洲国の展覧会だから、満系の出陳犬も多分にあることであらうと思つてゐたが、それは絶望であつた。
首都に於てさへも日満の社会的提携は却々むづかしいものか、一寸街路に立つて観察した所では日人が満人を軽侮するの悪風は、昔ほど顕著ではないがまだまだ改善を急務とするものがあるのではなからうか。
それは軍用犬を通じてでもいゝ、規善の糸口を作るべきだ。

陸軍歩兵大佐今田荘一「新京みやげ話」より  昭和15年


「去年中国へ行ったらな、爺ちゃんが満鉄時代に住んでいた家が残っとったぞ」

「へー。満鉄ではどんな仕事してたんスか?あじあ号の運転手?」

「いや、僕は通信の技師だった」

「そういえば、満鉄では警備用にシェパードを飼ってたそうだけど。知ってます?」

「セパード?ラリーの事か?」

「ラリーは15年前に飼ってた犬でしょ。満鉄の話」

「満鉄か。ああ、また満洲へ行きたいなあ」

「満洲はもうありませんよ。当時の写真とか残ってないの?」

「そんなもん、引き揚げの時に全部捨てた。ソ連が攻めてきたからな」

「終戦の時は大変だったみたいですね」

「ソ連の大砲の音は物凄くてな、目玉が飛び出るかと思った」

「で、満鉄警備犬の話なんd「それから引き揚げ船に乗るまでが大変でな、僕らは汽車に飛び乗って(以下、3時間分省略)」


元満鉄職員紅殻祖父「満洲むかし話」 より たぶん平成10年頃の飲み会にて。



帝國ノ犬達-満洲
●藤村高「軍犬と訓練」より、九一式広軌牽引装甲車上の満鉄警戒犬。昭和11年、石井勇氏撮影。


昭和7年、中国東北部に日本の傀儡国家である満洲国が建国されます。
大陸での権益確保を狙う日本は、多大な費用を投じて満洲にインフラを構築しました。
日本の生命線と云われた満洲。余りにも広大な国土を守るには、人間だけではとても無理でした。
やがて、施設警備、国境監視、匪族対策、麻薬取締、入植者支援を目的とした、日本とは全く異なる使役犬達が運用され始めます。

ソ連を睨む関東軍の軍用犬、満鉄が配備した鉄道警戒犬、鉄路愛護村や入植者に貸与された警備犬や牧羊犬、ドッグレース用の賽犬、満洲国税関の密輸監視犬や麻薬探知犬、満洲国警察の国境警察犬、満洲国軍の軍用犬。


今回は、満鉄を中心とした満洲犬界のお話を。



満州開拓村
満州開拓村の猟犬。


日本で生れ育った私には、“大陸の広さ”というモノがなかなか実感できません。
初めてアメリカや中国へ行った時など、車でいくら走れども途切れない地平線に唖然となった記憶があります。

日本はその昔、中国の東北部を実効支配する為に、傀儡国家「満洲国」を建国していました。
長引く不況と国内人口の増加。
「王道楽土」と謳われた新天地での可能性を求めて、日本から大陸へ移住した人々も数多くいます。
父方の祖父も、中国で働いていた兄に誘われて満洲へと渡って行った一人。
向こうでの就職活動も上手くいき、南満州鉄道株式会社(満鉄)へ入社。奉天で鉄道技師として働きはじめます。
そんな新天地での生活も、日本の敗戦によって終わりを告げました。
侵攻してきたソ連軍の砲声が轟く中、祖父は着のみ着のままで日本へ引き揚げてきます。一歩間違えれば父や私は生まれて来なかった訳ですね。
そんな目に遭いながら、90歳近くなって「死ぬ前に満洲へ行きたい」などと云い出した祖父。
「おじいちゃん、もう満州は無いんですよ」という周囲の説得にも耳を貸さず、遂に中国旅行へ出かけてしまいました。
昔とは風景も変わってしまった筈ですが、知り合った人民解放軍の将校さんが親身になって案内して下さり、充実した旅になった様です。
若い頃に住んでいた満鉄の社宅がそのまま残っていたとかで、家族の心配や将校さんの苦労を他所に本人は結構喜んでいました。
めでたしめでたし。

ではなくて犬の話。
子供の頃は、祖父が懐かしがっている“マンシュウ”とやらが何モノなのか、さっぱり判りませんでした。
おそらくは柔らかくて温かい食べ物ではなかろうか、などと想像していたのですが
どうやら国の名前らしいと知ったのはかなり後の事です。
幸いにも、調べようと思って図書館へ行けば、満洲や満鉄に関する書籍や写真集が沢山並んでいました。
早速借りてきた満鉄の写真集をパラパラ捲っていると「満鉄警戒犬」なるシェパードの写真を発見。何だコレ?
解説では、満鉄が鉄道施設の警備用に配備していた番犬と書いてあります。
祖父が大型犬ばかり飼っていたのは、この辺に理由があったのでは?そうでなくても、満鉄の犬について何か知っているかもしれません。
などと思って尋ねたのが冒頭に挙げたヨッパライ同士の会話。

アレコレと聞いてみたのですが、結局「僕は職場でセパードなんか見たことない」との返事でした。
「会社が犬を飼っていた事は?」
「知らん」
あら、ソウデスカ。
何か導入部のネタでも仕入れようと思ったのですが。

……まあ、取り敢えず、満洲国の犬達について。


帝國ノ犬達-満洲


№1 満鉄の犬達

日本の軍用犬が実戦デビューする2年前、大陸では既に警備犬部隊が活動していました。
満鉄(南満洲鉄道株式会社)によって配備された警備犬がそれです。
満鉄理事で鉄路総局長でもあった宇佐美寛爾は、内地軍犬界がまだ試行錯誤を繰り返していた昭和4年に警備犬の配備を決定しました。
宇佐美局長は社員をドイツへ派遣し、SV(獨逸シェパード犬協會)から36頭のシェパードを購入。
これらの犬は満鉄の育成所で訓練を施した上で、各施設の警備に用いられました。

SVから購入した種犬は、かなり優秀な個体ばかり揃っていたようです。
しかし、後に無秩序な近親交配を行った結果、昭和9年頃には優良犬が皆無という惨憺たる状態になってしまいました。

当初、満鉄内部では警戒犬配備に反対意見が多く、犬の導入費2千円の予算を計上する宇佐美案にも難色を示していました。
それを押し切って大規模な警備犬の配備を進めたのは、満洲事変直後から鉄道輸送網への襲撃事件が起きていたからです。
しかし、そもそもの発端となったのはコソ泥対策。
満鉄所有の炭鉱で頻発していた、石炭集団窃盗に対抗する為に犬を配備したのでした。
満鉄から石炭を盗んでいくのは附近の住民でしたが、一人が盗むのはザルや荷車一杯程度の量にせよ、集団で毎晩やられるとその総被害額は相当なものとなります。
満鉄側も警備員を配置したものの、相手の数が多過ぎてお手上げ状態。
逆に、警備員が脅されるケースまでありました。
まずは、このような炭鉱や石炭倉庫に警備犬が配備され始めたのです。
満鉄社員の細川伊興三氏は、昭和初期における撫順炭鉱での情況について下記の様に記しています。

「斯うして廣い炭鉱で毎日失敬される石炭の量が莫大なもので、金に見積つて月に三萬円位の損失はザラに打ち続き、お蔭で炭鉱の周囲には小さい鍛冶屋が盗つた石炭を燃料としてウヨウヨ出来、どうにも始末の付け様が無かつたものだが、一度警戒犬の配置を見てからは、これ迄警戒係の叱声を屁のカツパ位に聞き流して居た盗棒(どろぼう)連中が、見るも痛快な程我等が軍犬のために、攻撃の良き模範生となつて右に左に、或は前に後に引き倒され、剰へ余計な血潮まで景品として出した。
で、この噂が全炭鉱に傳はり出してからは日一日と盗棒も減少してきたのだが、根が資本不要の商売だらう!
一度や二度位噛まれてもと云ふ篤志家があつて、其後も相不変警戒犬の御厄介に成るため、その活躍は愈々必要こそあれ一歩も油断を許さず
(中略)
まあそう云つた調子で此の炭鉱には現在六、七十頭の警戒犬がゐる。
全部S犬(※シェパード)で体格も堂々たるものが居り、一寸見た丈で警戒犬として満点の凄物がゐる(「満洲軍用犬界のことども」より)」

警備犬に対して熊手や棍棒で武装した石炭泥棒も現れます。
しかし所詮は訓練された犬の相手ではなく、犬を殴る前に内懐へ飛び込まれ、散々噛みつかれた挙句に退散するのがオチでした。
更にはガードドッグとして満蒙犬を引き連れて突入、犬同士が闘っている間に石炭を失敬しようとする知能犯も出現。
しかし、炭鉱全体には多数の警戒犬が配置されていましたから、いくら獰猛といえど1、2頭の満蒙犬では相手になりませんでした。
当時のNSC会報では、「盗んだ石炭で営業していた鍛冶屋が、警備犬の配置後バタバタと潰れていった」と紹介されています。

盗難の被害は石炭ばかりではありません。
満鉄沿線では電線泥棒が頻発しており、鉄道運行にも支障を来していました。
昭和10年、被害の甚大な奉吉沿線の北陵站(駅)には、電線泥棒対策として瀋陽警備犬訓練所からフローラ、オルサの満鉄警戒犬2頭と3名の訓練手(日人2、満人1)が派遣されます。
警戒チームが20時頃から駅の南600mの草叢に潜んでいた処、22時15分頃になって休止態勢を取っていた犬が突然起き上がりました。
附近は真っ暗闇でしたが、兎に角250mばかり前進を開始して地面に耳を附けた処、何者かが行き交う足響を探知します。
犬が咆哮しない様に命令しつつ、更に100m前進した地点で数名の人影が慌しく動き回るのを発見。
左右二手にわかれて30mまで接近した所で、犬達に襲撃命令が発せられます。
闇の中で突然大型犬に襲い掛かられ、5名の電線泥棒は為す術もなくお縄となりました。

こう書くだけなら普通の銅線泥棒逮捕劇なのですが、この様な鉄道沿線警備は満鉄警戒犬の重要な任務へと発展していく事となりました。
この電線盗難・切断事件は単なる窃盗だけではなく、抗日運動による満鉄への破壊工作も含まれていたのです。

約10万ともいわれた匪賊や共産ゲリラによる妨害は、当初は通信連絡妨害程度のものだったのですが、満州事変を境に列車の脱線転覆・乗員乗客の拉致殺害等へと次第に過激化していきました。
また、満鉄社員、保線作業員、測量・鉄路建設作業員、食糧運搬者への襲撃も多発。満鉄自衛隊(警備隊のこと)にも多数の犠牲者が出ています。
「建設線の警備は契約に基き満州国で當る取極めとなつてゐるが、實際は関東軍が當つた。
然し廣汎な建設工事区域を限りある帝國の軍隊を以て警備することは至難なので、会社は軍の手薄を補ひ且工事の進捗を図らむが為、昭和七年四月から在郷軍人出身者及鮮人満人白系露人を採用して、これを満鉄警備隊と呼称(昭和十年一月満鉄自衛隊と改称)し各現場に配置することゝした。この警備員は時により多少の増減は免れぬが昭和十一年三月末現在で約八○○名を算した。
然るに凶暴飽くなき匪賊は皇軍及会社自衛隊の日夜を分たざる警備にも拘らず、間断なく出没して駅舎又は列車の襲撃或は線路の爆破を為し、建設著手以来昭和十一年三月末現在に至る迄に、建設線並その付近一帯に於ける匪賊の来襲回数は累計一、三八四件の多数に及び、又従業員(社員・自衛隊・請負人)にして犠牲となつたもの一ニ四名、負傷者一六八名、被拉致者一、一五六名(主に請負関係者の苦力)の多数に達した(「南満洲鉄道株式会社三十年略史」より 昭和12年)」

満州事変直後の昭和6年11月から11年3月までのデータによると、満鉄側の犠牲は下記の通り。

満鉄社員 襲撃2回:死亡18名、襲撃4回:負傷6名、襲撃4回:拉致1名
満鉄自衛隊 襲撃10回:死亡9名、襲撃17回:負傷12名
請負人 襲撃57回:死亡32名、襲撃103回:負傷26名、襲撃1,121回:拉致31名
軍属 襲撃30回:死亡153名、襲撃37回:負傷133名
その他 襲撃122回:死亡10名、襲撃103回:負傷17名、襲撃845回:拉致5名
帝國ノ犬達-鉄道警備犬

昭和10年5月2日、京圖線ハルパレイ・大石頭間にて発生した列車襲撃事件では綿密な準備工作が行われており、数日前から密偵を出して車内の警備兵の配置、鉄路総局警備員の数、配電装置の場所等を把握した上で、現場附近の電話線を事前に切断してから列車を襲撃。
列車が脱線転覆すると同時に警備兵の車輌に集中射撃を加え、次に日満の警乗員を射殺した上で乗客の殺害・拉致に至っています。
雨の夜に行われた同年8月19日の貨物列車焼討事件(車掌1名が死亡)では、襲撃現場から1km先に第2の脱線装置をセットして、救援に駆けつける装甲列車の転覆も図っており、鉄路警備部隊の増強は急務となりました。

昭和8年、満鉄では保線区警備に炭鉱警備犬から派生した鉄道警戒犬の投入を決定。
「満鉄本線殊に大石橋から遼陽の間は小岳が起伏して地形上から絶好といふわけか兇悪な匪賊の鉄道爆破は晝夜を通じて監視する満鉄保線區員や獨立守備隊兵の、隙をうかゞつて最近頻発し、十七日深更には八百余名の、生命を預かる上り旅客列車が間一髪で粉砕を免れた。
といふ椿事があり、満鉄當局の神経を昂らせてゐる。
しかし、この爆発は線路を距る三百米のところから、スイツチを切るといふ電気仕掛で、いかに列車に武装警官や、守備兵が乗つてゐても、また夜行旅客列車の直前に先駆列車や、これに代る貨物列車を走らせても、この装置にかゝつては無効に近い。
といつていかに不眠不休といへども広漠たる広野の暗に包まれた線路の警戒に對して人力には限りがあり、事前の発見はとても不可能とさへ思はれるくらゐ、困難であり、しかも、その一瞬の喰ひ違ひがどんな悲惨事を起すかもわからないのであるから勇敢俊敏な警備兵もホト〃手を焼く有様。
そこで拾七日の事項から満鉄鉄道部ではその自衛方法につき協議の末、目下満鉄が各方面の貯炭所の警戒のため飼育してゐる石炭番のシエパード犬を総動員して、鉄道警備の第一線に送り出すことになり、周水子にある訓練所、南関嶺貯炭所、その他沿線からとりあへず六拾余頭のシエパードを遼陽、大石橋間の保線區に配置した。
すなはち、この犬の持つ鋭敏な嗅覚と聴覚とを利用して暗夜にうごめぐ匪賊や、彼等の装填した火薬をかぎ出させようといふ計画で、一人の保線區員が二頭づゝ曳いて間断なく線路付近を巡り、この犬の神経に全旅客の生命と貴重な貨物の安全を託さうといふのである。
勇猛果敢なシエパードの極寒零下三十度の深夜の活躍、それはそのまゝロマンチツクな一幅の絵であると同時に、各方面からこの名案は称賛されてゐる」
大毎大連特信「シエパード総動員」より 昭和8年

鉄路警護軍の各大隊には15頭ずつの警備犬が配属され、400メートル間隔で警備に就いていました。
満鉄警戒犬達は従来の施設警備任務を行うと共に、激化する対ゲリラ戦へと投入されていきます。

満鉄は、沿線警戒及び伝令任務で警備犬を使用する事を考えていました。
「事変勃発後匪賊は頻々として鉄道を襲撃し、昭和七年高粱繁茂期に於てはその状勢頓に悪化した。
仍てこれが警備策として事変以来会社の採つた主なる對策を列挙すれば
一、警備員(現業員を以て成る)の配置
ニ、銃器の配置
三、警戒犬の配備
四、防弾具の配備
五、応急装甲列車及修理列車の配置
六、先駆列車(※装甲軌道車のことです)の運転
七、機関車及車掌車の装甲施設
八、無線電信施設
九、電流鉄条網の施設
一○、密偵の使用
等であるが、更に昭和八年八月から十一月に互り鉄道愛護村設立され漸次好成績を収めつゝある」

ここで問題となったのが満洲の広さです。
站と站の間は10㎞に及び、数駅通過すると伝令犬の行動範囲を超えてしまいました。
鉄路警護軍では康徳元年(昭和8年)から3ヵ年計画で1千頭の警備犬を訓練し、各站毎に伝令犬を列車輸送、異状発生と同時に発進站へ走らせる態勢作りと共に、鉄路総局では、沿線地域に「鉄路愛護村」を作ることで、附近住民への匪賊浸透を阻止する手段を講じています。
愛護村住人に対しては、交通網の発達についての啓蒙活動とともに、慰安列車の回送による病人の無料施療、雑貨の供給、高粱・大豆等の種苗支給、家畜の貸与と物心両面での宣撫工作が行われました。
この内、家畜については羊を8千頭ばかり貸与しており、牧羊犬を兼ねた警備犬も配置が検討されています。
鉄路総局では愛護村とは別に、内地からの入植者向け「自警村」拡充も計画され、ここにも満鉄警備犬が配置されていました。
これらに必要とされる警備犬の数は膨大なものとなりましたので、同年9月下旬から瀋陽駅2㎞南に警備犬・伝書鳩蕃所を設けて繁殖が開始されます。
ここで7、8ヶ月間育てられた犬達は、奉天局管内の瀋陽・錦県、新京管内の吉林・図門、チチハル管内のチチハル・白城子、ハルピン管内の三果樹・ハルピンの各沿線警備犬訓練所に配置され、構内警戒と沿線警戒訓練が施されていました。
これらの訓練には日本軍を除隊した元軍犬兵達が当っています。
視界が悪くなる高粱の繁茂期にはパトロール隊の前方50mを先行偵察するという、軍の斥候犬同様の高度な任務も可能となっていました。

全線主要各駅には、訓練所で2ヶ月間の実習を受けた150名の訓練手と、数十頭の警備犬が配属されて警備任務に当っていました。
その損害は多く、敵との交戦以外に列車に跳ねられて死傷する犬もいたそうです。

「此処(周水子)の犬舎にも、瀕死の重傷を負ふて不思議と命拾ひをしたのが予後を静養していた。
此犬は累々功績があって殊勲者を以つて遇せられてゐたのであつたが、誤って汽車に跳ね飛ばされて、鼻梁は挫かれ、四肢は三本までも打ち挫かれ
尾は央より切断されて、惨状見るに忍びないものがあつたので、寧ろ殺して苦痛を免れしむるに若かずとさへ云はれたが、伊藤所長としては従来の功績を思へば如何なる手當を施すとも命だけは助けてやり度いと、奉天医大の医博を煩はして治療に手を盡した(JSV会報より)」

昭和8年8月には歩兵学校と関東軍の軍犬育成所が承認されます。
また、満鉄では昭和9年2月24日に社団法人満洲軍用犬協会(MK)の発会式と関東軍軍用犬訓練所の開所式を遼陽偕行社で開催。
警備犬普及活動や訓練所設立に関する助成金支援も積極的に行っていました。

これら日本軍の軍犬育成所と共に、満鉄や税関の警備犬育成所も設置されています。
満鉄の鉄道総局に属する大連・奉天鉄道事務所の庶務課、錦県、吉林、牡丹江、ハルピン、チチハル各鉄路局の警務処でも鉄道警備犬訓練施設を設置。
中でも最大の規模を誇ったのが、大連・奉天鉄道事務所の周水子訓練所でした。



大連市周水子には、工費1万2千円を投じて南満鉄鉄道株式会社鉄道部警戒犬訓練所が建造されました。
周水子訓練所の施設概要について、昭和11年2月の資料では下記の様に記されています。

南満州鉄道株式會社鉄道部 周水子鉄道警戒犬訓練所

【業務開始】 
昭和3年3月20日
【職制制定】 
昭和9年4月1日
【位置】 
大連市周水子 満鉄本線周水子駅より金大道路に沿って1㎞半(方位不明)
【敷地面積】 
15万4千㎡
【職員用建物】 
事務室 炊事室 調教室 独身宿舎 倉庫
【煉瓦造犬舎】
12棟120頭分
【木造犬舎】 
10棟48頭分
【分娩犬舎】
温水暖房装置付 2棟20室
【病犬舎】
煉瓦造、温水暖房装置付
【山羊舎】 
内容不明
【豚舎】 
内容不明
【給水設備】 
各犬舎前に給水栓取付
【第1訓練場】 
15,000㎡
【第2訓練場】 
15,000㎡
【応用調練場】 
構内及び附近の満鉄附属地
【従事員】
主任、庶務、獣医、訓練士、誘導者(訓練助手)、雑務等32名
【沿線各駅からの講習生】
数十名
【飼育犬】
当初の犬種は総てシェパード(昭和10年に日本からドーベルマン2頭を購入)で、ドイツから輸入した種犬を元に繁殖しています。
血統書も満鉄が発行しており、この時点で243頭を飼育訓練中。但し、内50頭は社線各駅区内へ警戒配置。
【任務】鉄道、鉄橋、倉庫、貨物、炭鉱、埠頭、駅構内の警戒でした。

満鉄
近くに撮影禁止の日本軍施設があった為、全景を写した画像は存在しないと思われます。
この画像も端をカットしてあるのだとか。

満鉄

満鉄

満鉄


満鉄
満鉄警戒犬の放牧場

満鉄
周水子訓練所犬舎


1棟あたり約10頭を収容する犬舎は、充分な採光を考えて間隔を置いて設置されていました。
犬舎は煉瓦造で屋根はトタン張り。内部はコンクリート張りの床に上げ板が張ってあり、其の間には通風装置と排水溝がありました。
排水口には扉が設けられ、隙間風を防ぐ仕組みになっています。
犬舎入り口は両開きの分厚いドアで仕切られ、犬は左側扉下段にある潜戸から出入りしていました。
寝台は2尺5寸大の箱で、中には藁が敷き詰められています。

病室と分娩室は金網付きの硝子張りとなっており、内部は羽目板を設置して煉瓦板との間には断熱用のオガ屑が詰めてありました。
奥の上げ板の下にはヒーターが通っており、母子や病犬にも大陸の冬をしのげる構造となっています。

満洲の鉄道警備犬には2種類がありました
南満洲鉄道株式会社の社線警戒犬と、満洲鉄路総局の国線警備犬。
周水子満鉄警戒犬訓練所が社線の訓練所、吉林警備犬訓練所やチチハル訓練所が国線の訓練所にあたります。
1500キロメートルの路線を持つ満鉄ではそれで手一杯だった為、満州国国有鉄道を経営する鉄路総局を新たに開設、別途に警務処防犯課を設けて鉄道の警戒を行っていました。
満洲の鉄道警戒犬には、満鉄警戒犬と総局警備犬がいた訳ですね。警戒犬と警備犬は双方を区別するために使われていた呼称です。
総局の警備犬繁殖所は遼陽の満洲軍用犬協会内に設置され、200頭あまりを運用していました。
更に錦県、円門、白城子にも繁殖所が新設されたそうです。

奉天鉄路局は瀋陽警備犬訓練所を、新京鉄路局には吉林警備犬訓練所、ハルピン鉄路局には三果樹警備犬訓練所、兆南(兆はサンズイ)鉄路局にはチチハル警備犬訓練所があり、計4箇所で訓練を行っています。
繁殖所で生まれた子犬は半年以上経ったころに各訓練所へ送られ、日満のハンドラーに依って日本語の訓練を施されました。
各訓練所の人員は約10名。日人は3名程度で、日本陸軍の軍犬班出身者や内地でハンドラーをやっていた人が雇われていたそうです。

帝國ノ犬達-満鉄

こちらはチチハル警備犬訓練所の満洲鉄路総局日満ハンドラー達。

チチハル

チチハル

満鉄

チチハル警戒犬訓練所の高訓練士と楊訓練士。満系のハンドラーも多数所属していました。


これだけの最新設備でしたが、建設されてすぐに訓練所内でジステンパーが発生。
一挙に100頭以上が死亡するという惨事がありました。
しかし、大量配備のためには集団飼育を続けざるを得なかったのです。

「本訓練所の使命は所謂南満線(社線と称す)鉄道警戒犬の訓練補充にあり、目下約三百五十頭を保管し、内九十余頭は沿線警備として現地にあり、吾人が旅行中車窓より見る駅構内の犬舎は即ち之れなり。
育成犬は一ヶ年にして基本訓練を開始し(三ケ月)次で応用訓練を施し、概ね一年八月を以て警戒犬を養成す。
訓練の重点は襲撃を主とし、前進、巡回、警戒等直接現地勤務に即応せしむるにあり。
尚、警戒犬取扱員教育のため各鉄道局警備犬訓練所及び各駅現業員を選抜して警備犬取扱訓練講習会を開催し、飼育及び用法の普及に努めあり。現に使用しある鉄道警戒犬の用途を列記すれば左の如し
1.駅区構内及び社宅の警戒
2.鉄道線路及び橋梁の警戒
3.鉄道電線巡回員の警護
4.工事作業員の警戒
5.列車警戒、特に貨物輸送途中盗難事故の防止
6.貴重品の監視
7.事務所間の書類送達
8.通信機関の途絶、又はその他設備なきときの伝令
9.特殊任務従事員の警護
10.逃亡者の捜索」
「満鉄関係軍犬補充訓練機関及軍犬用法の概要」より 昭和13年

満鉄線各地警備犬配備調査表(昭和十二年六月調)

連京線
大連埠頭 頭数四
同貨物東駅 頭数一
沙河口鉄道工場 頭数四
甘井子 頭数一
南関嶺 頭数一
瓦房店 頭数一
營口 頭数三
湯崗子 頭数一
千山 頭数一
鞍山 頭数一
蘇家屯 頭数一
奉天 頭数一
鉄嶺 頭数一
開原 頭数二
四平街 頭数二
公主嶺 頭数三
大官屯 頭数二
新京 頭数十三

奉線
ケイコク 頭数一
張家堡 頭数一
湯山城 頭数二
高麗門 頭数一
南攻 頭数二
火連塞 頭数一

安奉線
安東 頭数二

周水子で訓練された犬とハンドラーたちは、こうして満鉄全線に散っていきました。



※以下、現在作成中です

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