山梨県教育委員会は、鎌倉時代から明治時代の約700年間に書き残された「市河家文書」91点(県所有)を県有形文化財に指定した。市河家文書には武田信玄直筆の「武田晴信書状」が含まれていて、これが架空の人物とされてきた「山本勘助」の実在を証明する貴重な史料となっている。

 市河家は信濃国志久見(しくみ)郷(現在の長野県栄村)を拠点に、鎌倉時代から江戸時代まで続いた氏族の家系。信濃は鎌倉時代初期の甲斐源氏の時代から甲斐(山梨)との関係が深く、市河家も甲斐国出自の可能性が色濃い。

 戦国時代に武田氏が信濃を領国とすると、市河家は支配下に入り、活躍した家と伝えられる。

 注目は県文化財指定91点の中の「武田晴信書状」。

 県教委によると、書状は弘治3(1557)年の3回目の川中島合戦の最中に発給されたものと推定され、架空の人物とみられることが多かった「山本管助」の名が登場する。

 「管助」と一般的にいわれている「勘助」を同一人物と解釈している。

 県教委によると「書状は川中島合戦の作戦を先陣に伝えるためで、『詳しい作戦はこの書状を届けた山本管助に聞け』と記されている」と説明する。書状の写真をよくみると、後部2行目下に「山本管助」の文字が読み取れる。

 信玄が管助に作戦を授けて、これを前戦基地の家来に直接伝えるという手法は機密漏れを防ぐ信玄らしい戦術。奇襲をかけるうえで管助の信頼は厚かったことを証明するが、勘助実在をも証明し、450年前の書状の現存が史実をあぶりだしている。

 市河家に伝わる古文書は重要文化財指定の山形県酒田市の本間美術館所蔵文書が有名だが、古文書の内容や経緯から本「武田晴信書状」が同じ家系に伝えられたものであることは間違いないとして、有形文化財指定となった。

 山梨県立博物館(笛吹市)では「実在した山本管助」展を6月5日から7月5日まで開催予定。管助に宛てた信玄の書状もあり、管助の実像を明らかにするとしている。

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