根っこを考える

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 話題になっている「君たちはどう生きるか」を読んでも感じるのは、いま切実に必要とされているのは、”ものごとの根っこまで考える”ということだ。

 僕自身もそうだけど、最近特に、どうしても物事の表層の部分だけにヒステリックに反応してしまいがちだ。

 それは、世の中の表層に現れてくるものがあまりに多種多様でその動きが滅茶苦茶早い、からだろう。

 とにかく、とりあえずついていかなきゃ、って思ってしまうのかもしれない。もしくは、もはや考えても無理、みたいな半分あきらめた境地とも言える。

 そうすると手近で、大勢を占めているような考え方にひょいっと乗っかて、そこで腹を立てたり不安になったりするわけだ。

 そして、自分のわけのわからない方向に流されちゃって、自分がホントに感じてることの根っこに気づかないままになってしまう。


 ずっと長い間ワイドショーネタの主役だった「大相撲問題」にしたって、暴行事件を離れて、貴乃花と白鵬、どっちが悪い?みたいな方向にどんどん話が集約されていった。
 そもそも、この件は「大相撲」の本質を見直す機会として、起こるべくして起きた事件のようにも思えるんだけど。

 暴行事件も、貴乃花や白鵬のことも、元をただせば、「大相撲って何なんだっけ?」って根本をはっきりさせないままずるずる来てしまった「ツケ」のように僕には見えた。
 貴乃花と白鵬、それぞれが考える「大相撲」は、もはや全然別の競技なのかもしれないし、この件で発言する人たちの”相撲観”もほんとにバッラバラだ。

 貴乃花の行いはサラリーマンだったら有り得ない、とか、モンゴル人は狩猟民族だとか、大相撲とはなんだ?というところからずいぶん遠いところで話をしてるなあ、と思った。それぞれが自分の手近な材料だけで考えちゃってるからだ。

 もちろん、これだけの歴史があって、利害関係も複雑に絡み合ってそう簡単に、「こういうもんです」って定義出来ないのかもしれない。

 でも、本質、根っこの部分を見直して、世の中としっかり照らし合わせるという作業をしないと、大変なことになっちゃうという、はっきりした見本として僕は今回の大相撲の話題を見ていた。
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ヒューマンでクリエイティヴ?

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 巷でよく出てくる、A.I(人工知能)が人々の仕事を奪ってゆく、みたいな話を聞くと、僕みたいな生粋の文系人間は「やっぱりヒューマンでクリエイティヴなこと」をやらないとな、なんて思うけど、不安は全くぬぐえない。

 しがみつこうにも、ヒューマン、人間性とかクリエイティヴという言葉には、これといったグリップ(握り)がないからだ。

 こういう問題で、「人間性」とか「クリエイティヴ」という言葉を持ち出すのは「思考停止」だと落合陽一氏はばっさりと言い切り、「A.I(機械)VS人間」ということじゃなくて、テクノロジーに長けた人とそうじゃない人々の格差がどんどん広がっていくという現実をちゃんと見るべき、といったことを書いていて、まったく言い返せる言葉なんて何一つない。

 僕が思うに、漠然と使っていた「人間性」や「クリエイティヴ」をちゃんと自分なりに具体的に考えて、普遍性はなくても自分なりのカスタマイズされた言い方でもいいから再定義して使うことが大事じゃないかということだ。自分でグリップを見つける。

 おまえの言う、人間性って具体的にどういうことだよ、クリエイティヴってどういうことだよ、と。

 例えば、ただベタベタとした傷のなめ合いは「人間性」ではないように思うし、他の人に見せびらかすことだけを目標にする創作はクリエイティヴではないようにも思う。


 少し前に、著名なクリエイティヴ・ディレクターの方にお話を伺う機会があったのだが、クリエイティヴ・ワークとは、まずはクライアントの問題を解決することであって、表現やデザインはその次だと明言されていた。

 クリエイティヴ、と言っても人それぞれ意味合いが変わってくるのだ。
 
 もちろん、これはプロのビジネスとしてのクリエイティヴの話だけど、個人のクリエイティヴはどうだろう。

 アートの表現で成功された人たちに聞いてみると、口をそろえて

「好きこそものの上手なれ」という言葉を引用する。

 まずは自分が心底喜ぶ、そしてそれに触れた人も喜ぶ、ということかなあ。

 ただ、今は何かを「紛らわす」ものが溢れすぎていて、自分が本当に好きなものがうずもれてしまって、本人にもよくわからなくなっている、ということが多いのではないだろうか。

 僕は、最後まで漫然と生ききれることができたら、それが本当は一番幸せなんじゃないかととも思うが、今の時代は漫然とも生きれないようだ。漫然としていたら何か得体のしれない良からぬ渦に巻き込まれてしまいかねない、そんな風にも思える。

 日々まとわりついてくる雑多なものを定期的に払い落しながら、ぼんやりしたものごとをクリアにしていくのが大事なのかもしれない。
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15周年

 ボズレコードの第一回のリリースが2002年の11月21日なので、ちょうど15年になった。

 レーベルを始めたきっかけは、それまで僕でレコード会社で若い作曲家たちを集めて、さまざまなアーティストに楽曲を提供する仲介のような仕事をしていたのだが、その中で「すごくいい曲なんだけど取り上げそうなアーティストが見当たらないもの」がけっこうあって、なんとかならないかなあ、もったいないなあ、と思っていた。
 それから、中には作曲家と並行して、自身でライヴ活動をしている人もいた。

 そんなとき、60年代のアメリカの音楽業界の中心人物のひとりであったドン・カーシュナーという人の話を何かの音楽雑誌で読んだ。彼がアル・ネヴィンスという人とやっていた音楽出版社、アルドン・ミュージックにキャロル・キングがいて、彼女の曲をもっと世に出すために「ディメンション・レコード」というインディーズ・レーベルを立ち上げたということがそこには書いてあって、そうか、インディーズ作って出せばいいんだ、と僕は思って、勤めていた会社を辞めてインディーズ・レーベルを立ち上げたわけだ。

 振り返ってみて、ビジネスの読みということでは「甘かったなあ」と思わずにいられないが、カタログの中には、今聴いても僕自身が「いい曲だなあ」と思ってしまうものがたくさんある(そういうところが”甘い”のか、、、)。

 あと、レコード会社に15年在籍し、ボズレコードを15年やったので、次の15年はまた新しい展開になりそうな状況がじわじわと僕の頭の中と僕の周りの両方で起こってきている。


 ともかく、15年で特にお祝いもないけれど、レーベル第一弾の作品だったariさんの「カザグルマ」の全曲をアップします。お時間があれば是非聴いてみてください。







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