魂の羅針盤〜世界は心の中にある〜

2人の娘と英国人旦那を巻き込み、引き寄せ実践中!
私が撮影、加工した写真と共に言語X非言語で綴ります。
2016年1月独りエイブラハムとバシャールに逢いに行き、セドナを旅しホピ族の村へ...魂が震える経験をしました。


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とても心が痛む記事を読みましたのでシェアさせて下さい。



波方被告が心中を決行したのは昨年11月21日。いつものように、認知症とパーキンソン病を患った母=当時(81)=を軽乗用車の助手席に、父=同(74)=を後部座席に乗せてドライブに出かけた。

 昼ごろ、かねて自殺場所として考えていた利根川に下見に行き、暗くなるまでの時間つぶしを兼ねて群馬県内のダムに車を走らせた。ダムでの心中は車ごと飛び込める場所がなく断念した。最初に心中を持ちかけた父は「電車に飛び込むのはどうか」と提案したが、波方被告は「遺族への賠償金が高いから」と反対した。

 夕方になり、再び利根川に戻ってきた波方被告は、車を降りて川縁で自分と父の携帯電話を折って壊し、財布の中身とともに川に投げ捨てると、再び運転席に乗り込み、河原をスピードを上げ川に突っ込んでいった。後部座席から「あっちゃん、ごめんな」とつぶやく父の声が聞こえた-。






波方被告は姉2人が家を出た後、父母と3人で暮らしていた。

 高校中退後にいくつかの仕事をしたが、「仕事中に人の目が気になった」と退職した。事件当時は無職。退職後は両親のもとで暮らしたが、母は平成15年ごろから認知症とパーキンソン病を患うようになった。波方被告は母の介護を献身的に行っていたという。母の介護について波方被告は「母のことは大好きだったし、大変だとは思わなかった」と振り返っている。

 父は波方被告が幼いころに一度蒸発したが、約20年前から再び3人で暮らすようになった。それからは、真面目に新聞配達の仕事をこなし、月収は約18万円と決して多くはなかったが、時にはドライブに行ったりと3人での生活を楽しんでいたという。

 しかし昨年秋ごろ、父親が手足のしびれの症状を訴え始めてから、3人の穏やかな生活は急速に脅かされていく。

 しびれは頸椎が圧迫されたことが原因で、11月にはバイクに乗れなくなり新聞配達の仕事を退職した。その後、症状はみるみる悪化し、ついには1人で歩くこともできなくなり、同月末に手術を受けることが決まった。

 「かわいそうだなと思ったし、父本人も『惨めだ』と感じていると思っていた」

 波方被告は今後の生活を考え、11月17日に深谷市役所に生活保護の受給について相談に足を運んだ。父が心中を口にしたのは、その翌日だった。

「あっちゃん、一緒に死んでくれるか」

 父は18日の夕食時、いつも通り他愛もない会話の中でそう切り出した。「お母ちゃんだけ残してもかわいそうだから、3人で一緒に死のう」。傍らには会話の内容を理解できないまま座っている母。波方被告はすぐに「いいよ」と答えた。

 翌19日、申請を受けて市役所職員が生活保護受給の審査のために自宅を訪れた。家族の生い立ちや、これまでの自分の生活を細かく聞かれた。「仕事を転々として、高校も中退で惨めだと思ったけど、父も同じような感じで。親子で似たような人生だと、また惨めに思った」。唯一の希望となるはずだった生活保護だったが、波方被告はこの訪問をきっかけに「死ぬ日を早めよう」と決めたという。

 2日後、波方被告は両親を車に乗せて、最後のドライブに出かけた。

両親を乗せて11月の利根川に突っ込んだ波方被告の車は、水に浸かったものの、屋根まで水没することなく途中で止まった。波方被告が車を押そうと外に出ると、水が入った車内では母が「冷たいよ、冷たいよ」と繰り返していたという。車は押しても進まず、波方被告は車内で水に浮かんだ状態の父母を車の窓から出した。

右手に父、左手に母の服をつかむと、水深が深い方へと進んでいった。「死んじゃうよ、死んじゃうよ」と言いながら手足をばたつかせる母に「ごめんね、ごめんね」と繰り返し謝った。いつのまにか父の服から手が離れ、母も動かなくなった。

 「死んじゃったかな。私もこのまま流れにそって浮いていれば死ぬかな」と流れに身を任せた。川の水を飲んでははき出し、浮き沈みを繰り返していると、浅瀬にたどり着いていた。それからは、一緒に流れ着いた母の遺体が離れていかないように見守りながら、空を眺めたり、歌を歌ったり、うたた寝をして夜を明かしたという。


法廷では、波方被告は被告人質問で「本当は3人で死にたかった」と繰り返し、「でも父を証言台に立たせることにならずに良かった。そんな残酷なことはない」と嗚咽をもらす場面があった。

 公判で検察官から父が心中を持ちかけた際に迷わず同意した理由を尋ねられた被告は、「遺書のような感謝するような文章があったと思うんですけど」。検察官が「1人で行くのは両親に悪く、父に言われて気持ちが軽くなりました」と走り書きされたリポート用紙があったことを示すと、「自分で読み返して、死にたい気持ちが心の隅の方にあったのかなと思いました」と自らに問いかけるように話した。

 6月21日の論告求刑公判では、最後に涙を流しながら「母と私はうり二つの親子。そこに父も入れて三位一体だと思っていた」「お父さん、お母さん。こんな私ですが、これからもどうか見守っていてください」と絞り出すように話した波方被告。23日の判決公判では、懲役4年の判決を受けた。

まじめに暮らしながら、困難な状況に追い込まれた親子。松原里美裁判長は、裁判員らからのメッセージとして「仲良く暮らしたときのお父さんお母さんの顔を忘れることなく毎日を大切に生きてください」と伝えた。波方被告は何度もうなずき、「ありがとうございます」と深く礼をした。

産經ニュース




超高齢化社会に突入していく、我が国日本。


こんなに哀しい事件が再発しない為にはどうしていけばいいのか。。。


直ぐそこには参議院選挙が迫っていますが、一国の大事な案件を決議する人員を選ぶのも、私達一人一人の責任であること、そしてそれが私達と子供達の未来をも担っていくことをしっかりと心に刻んでいかなければいけないなと思いました。








今日も最後迄お付き合い頂きありがとうございます!!























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