9月に入ると、毎年

なんとなく思うこと、感じることが増えます。

 

自分の誕生月で節目だという意識もあるし

父の祥月命日が近づいてくることも関係があります。

 

父に関する記事は過去にいくつか書いてきました。

→『

→『父には甘えられた

→『泣いた父

 

父が亡くなって19年が経とうとしています。

私の中で、父は66歳のまま

その「人となり」は、19年間止まったまま

・・・・かというと

実はそうではありません。

 

亡くなった後に、父についての新たなエピソードを聴いて

私が「父とはこういう人」と思い込んでいた人物像が

微妙に変わったから、という面も確かにありますが

 

私が次第に

父の言ったこと、したこと、私に対してとった態度、などの

「記憶データ」から、生前の父を捉えることを

しなくなったから、のような氣がします。

 

時が経って、一つ一つの記憶は遠くなっていくと同時に

濾されたように残るのは、父の「印象」です。

「輪郭」と言ってもいいかもしれません。

 

今現在、私の中にある父の印象とは

  • 信用のできる人
  • 嘘のない人
  • 純粋な人
  • 愛情深い人
  • 情けに弱い人
  • 最上級の優しさを持った人
  • 不器用な人
  • 極度の寂しがり屋
  • 自分の欠点に神経質な人
  • 思慮深い人
  • 臆病な人
  • 誠実な人

・・・・・

 

といったように、形容する言葉がたくさん湧いてくるのですが

この一つ一つについて、記憶のデータから検証すると

それは、もうズタズタに覆ってしまいます。

 

私は、10代後半から30歳になる直前まで

父とは一言も口をきかない長い期間がありました。

それは「親が死んでも約束は守る」が口癖であった父が

ちょっとした氣分の変化で、私との約束を

(確か、デーゲームで巨人が阪神に負けたからだったような汗

「イヤだ。一人で行け、送ってなんかやらない」と

反故にしたことがきっかけでした。

 

それほど熱烈な巨人ファンだった訳でもないのに。

しかも、その日は夕方のレッスンへ行く予定で準備していたら

父の方から「車の方が時間がかからない、送ってやるから」と

言ってくれたので、そのつもりでのんびりしていたのです。

 

レッスンに間に合わないという焦り

よんどころない理由ではなく、ただ氣分で父が約束を翻したこと

こちらの事情を知っていても思いやりの欠片も見えない反応

親からどうでもいいような振舞を受けた

情けなさ、口惜しさ、悲しさ・・・・

 

当時高校生だった私は見事にブチ切れて

「絶対に許さない!」と宣言しました。

 

その後、一緒に住んでいた期間も長かったというのに

頑なに10数年間も絶交状態を続けた私も

相当意地っ張りではありますが

父のしたことは、今考えてもやはり

まぁまぁヒドいんじゃないかと思います。

 

未だにこういう氣持ちが湧いてくるって

かなり執念深いですね、私(;´∀`)

 

この出来事は、私と父の間ではかなり大きな出来事と言ってよく

記憶があまり薄れないのですが

この出来事からだけ父を判断すると

  • 信用できる人
  • 嘘のない人
  • 愛情深い人
  • 最上級の優しさを持った人
  • 思慮深い人
  • 誠実な人
あたりは、全滅ですねあせる
 
そうなのです。
たった一つの出来事
たった一つの言動
あの時、あの人はこう言ったから
こういうことをしたから
 
そういった記憶データを引っ張ってきて
その人を思考で判断しようとすると
どうも実体からズレてしまうことが多いな、と感じます。
 
そしてまた、こうも感じています。
一つ一つの言動のデータを集計した結果
「あの人は、こういう人であろう」と判断した像より
 
ただ心が受け取った「印象」
なんだか理由はわからないけど、こんな氣がする
と受けた「感じ」みたいなものの方が
よほど実体に近いのではないか、と。
 
 
 
母には軽度知的能力障害があり
(正確には正常知能との境界領域)
  • 人の氣持ちを考える能力を持たない
  • 自分の言動を客観視し、自己洞察する能力を持たない
ことがわかっていますが
 
時には
まるで人の心を深く思いやっているようなことを
言ったりやったりします。
「深く反省し、悔い改めると誓う」と涙ながらに謝ったりもします。
 
「あなたに何かあったらと、それだけが心配だわ」と言ったり
「あなたが幸せに暮らしていること、本当にそれだけが私の喜びよ」などとも言います。
 
ちょっと冷たく感じるかもしれませんが
今の私はそういう時
「大丈夫よ~」「そうなのね~」と返しはしますが
真剣に受け止めたり、心から母の言葉を聞いてはいません(^-^;
 
以前は、母に、まるで正常な社会性を持っている人であるかのような言動が見られたとき
その表面上の現象にだけ捕われ、惑わされて
心が大きく動揺し、乱れました。
 
やっぱり、母は私を理解しようと努めてくれているんじゃないか?
優しい母親らしいところが確かにあるんだ
こうしてお互いに努めていれば、いつかきっと
分かり合える日がやってくる
私は母に愛されているんだ、それを疑った自分は罪深い…
 
私は、やりようによっては母と自分が
心からお互いを思いやる仲の良い母娘になれる要素を
必死に記憶データの中から選りすぐっていたのだと思います。
 
そして、そのあとにくる
そんな言動は幻であったかのような
(本当に私の幻覚・幻聴だったのか?と
自分に疑いを持ったこともあります)
自分勝手、自己中心的、自分の感情だけを優先すると見える
次なる言動に遭遇しました。
 
それを、私はその都度
地面が足元から崩れて消えていくような喪失感
手酷い裏切りを受けた衝撃
やはり何も変わりはしないのだ…という絶望感として
感じ続けていました。
 
裏切りと感じるのは
私が「望み」を抱いたからですね。
「希望」を芽生えさせたからです。
 
その芽はしかし、その後それほど長い時間をおかずに
きちんときれいに刈り取られることになるのでした。
 
 
 
どうもこの人には、自分は受け入れてもらっている氣がしない
理由は説明できないけど、この人は絶対自分を裏切らない氣がする
すごくわかったようなことを言うんだけど、どうも通じ合ってる氣がしない
何にも言わないけど、深く理解された氣がする
 
この「氣がする」「氣がしない」というところは
人間が誰もが備えている鋭敏なセンサーのように思います。
 
非常に思考が発達した私たち人間という動物にとって
このセンサーの存在はちょっと縁遠く感じられますが
その感知したものは想像より遥かに正確なようです。
 
誰の中にもあって絶えず機能し続けている
この鋭敏・精緻なセンサーで捉えた真実は
自覚している以上に、私たちの心・信念・行動・身体現象に
影響を与えているのではないだろうか、と思っています。
 
 

 

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