自分を処刑していた私

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梅雨明けした途端、くしゃみと鼻水が止まらなくなり

「え~!夏風邪??( ゚Д゚)」と思ったら

二日で症状が嘘のように消えてしまい

「??何だったのだろう?アレルギー?なんの?」と

訝しく思っております。

 

お陰で、この二日間、レッスンやセッションをキャンセルし

その他のお約束も果たせず、申し訳ないことだ・・・・と

少々氣落ちしておりましたが

 

そうだ、こういった出来事に際して思い出したことを

書いてみよう、と思い立ちました。

 

数年前までの私は

はっきり病気や怪我、親類の不幸とか

誰から見ても「致し方ない」とみなされる場合は別として

約束が守れなかった時の自責の念というものが

非常に強かったです。

 

いえ、よんどころない事情であっても

やはり予定通りの行動を果たせなかった時

私は自分自身を強く責めていたように憶えています。

 

その時の感覚は、とても鮮明で、今思い出しても

身体に当時の感覚が生々しく甦ります。

 

焦りが胃を鷲掴みにしてくるような感じで

せり上がってきます。

肩と首に力が入り、喉が詰まります。

息が苦しく感じます。

頭と身体と心は「重たい」と言うしかなく

次第に鈍い痛みになっていきます。

緊張が身体全体を締め付けて、ひどくなると震えがきます。

 

氣分的には「取り戻さなくては!」という

急いた氣持ちが強く湧き出しているのにも関わらず

実際の動作は、氣持ちに反して緩慢でぎこちなくなります。

どこからともなく「こんな人間ではダメだ」という声がして

絶望が心身に攻め込んでくるように感じられます。

やがて、緩慢だった動作が、完全に停止して

身も心もフリーズ状態になります。

 

「こうやって、私はとめどなく落ちていく」

「底なし沼にはまるように、アリ地獄に落ちるように」

「もう二度と立ち直ることができない」

「一生、誰との約束も果たせない自分で終わる」

 

このような「マインドトーク」が意志に反して繰り広げられます。

 

予定通りに事が運べない時の私

決めた通り実行できない時の私は

「地獄」にいたかのようです。

 

何か事情がある時でさえ、このような有様ですから

特別な事情もなく、ただ疲れて動けない、なんていう理由で

予定をキャンセルした時の罪悪感たるや

大袈裟ではなく「死に値する」ほどの強烈な自責です。

 

こんなに酷くツラい想いをするというのに

それでも、病気でもないのに動けなくなって

当日に有給を取ったり、キャンセルの連絡をすることが

しばしばあったのです。

 

ときどき、ではなく、しばしば、あったのです。

 

ですから、私は、しばしば、自分を「死刑に処していた」

と言っていいと思います(笑)

今は、笑って告白できますが、本当に、本当につらかったです。

 

時が経って、今、「地獄」から脱して

自分を「処刑」することもなくなって

振り返りますと、いったい自分の中の

なにが、どう、変わったのか?

それが朧気ながら見えてきます。

 

まず、自分で予定を組んで、一応決めたとおりに行動しよう

とする日常的な心掛けは左程、変化がないと思います。

 

手帳には、レッスンやセッションの予約はもちろん

誰かと会う約束、その他仕事上のアポや

友達との約束、遊びの予定・・・・だけでなく

 

この日はメールレターを書いて

この日はブログを更新して

この空いた時間には先週のセミナーの復習をして

読みたくて取り寄せた本をこの時間に読んで

この時間には戴いていたメールの返信をまとめてして…

 

などというような自分だけの予定も書き込んであります。

 

違うのは、自分の「これをするつもり」という予定を

あまり厳密に守らなくなったことでしょうか。

 

・・・・守らなくなった?

 

いえ、これは正確ではありません。

「守れなくても仕方がない、という前提で努めている」

というのが近いかと思います。

結果的には案外、予定通りにあれもこれもこなしています。

振り返ると、ですね。

 

でも、自分自身で立てた予定だし(予定は未定)

あくまで「つもり」なんだから、その通りに実行しなかったとしても

別にいいや~、というくらいに感じているようです。

 

で、ときどき(コレはホントにときどき(^-^;)サボります。

ただ、氣分が乗らない、とか

やる気が出ない、とか

今、頭を使いたくない、とか

単にサボりたい、とか

たまにテレビを見始めたら面白くて止められなくなっちゃって、とか

 

すごく適当な理由で(^▽^;)

 

それで、そのあと、やっぱり焦るんです、多少は。

 

あー!今日中にコレをやっておかなかったら

明日以降、まとまった時間が取れないんだった!!

もう~!どうすんのよ!私!とか、思うのですが

「ま、何とかなるよな」というところが

落ち着きどころでしょうか。

実際に、何とかなっています( ´艸`)

 

少なくとも「地獄」には舞い戻りませんし

自分を「処刑」することも、もうありません。

 

これはカッコつけて言えば

「自己受容」ということですね。

 

自分自身との約束(これもカッコよく言うと「自己規範」)を

守らなかったとき

守れなかった自分を責める氣持ちが

まったくゼロになった訳ではありませんが

格段に小さく、弱くなったことが

物凄く大きな変化です。

 

言ってみれば

「テキトーに」

「いいかげんに」

「ゆるく」

なっていった、ということなのでしょう。

 

以前の私(Before)に、今の私(After)がインタビューしてみると

 

A「テキトーでイイかげんでゆるく生きてる人、どう思いますか?」

 

B「信じられない!まずそのような人の心がわからない。人間失格だし、それではちゃんと生きていることにならない。ダメ人間。そんなことでは、必ず困ったことになるし、何も成し遂げることはできないし、生きる姿勢として間違っている・・・・うんぬんかんぬん」

 

という感じに、とめどなく

「それじゃいけない」理由を語るのではないかと思います。

 

本当に、そうなのでしょうか・・・・?

 

結果を先に申し上げると

「絶対に、約束は、守らなければならない。

他者との約束だろうと、自分との約束だろうと!」

と思っていた頃の私より

今のテキトーな私の方が

約束を守る率は格段に上がっています。

 

人の心のトリッキーな部分だとつくづく思います。

 

「絶対に!」と強いると、その通りにならないことが増え

「まぁ、そこそこにね」と思っていると、大抵は思い通りになる

 

たとえ思い通りに行動できなかったとしても

「そういうこともあるよね」で過ぎていくので

尾を引かない

結果的に心身の軽やかさが持続する

 

・・・・みたいなことなのだろうと考えるのですが

 

実際のところは、実はよくわかりません。

 

もっとよくわからないのは

「絶対に守らなくては!」と固く信じ

実際に守ろうと必死に頑張っていた私が

 

どうやって

「イイかげん」で「テキトー」で

「ゆるく」「ほどほどに」「そこそこに」しとけばいいや

と思うようになったのか??

 

その理由や、過程や、理論が

説明できるほどにはまだ腑に落ちていないのです。

 

強いて、説明をつけるとすると

 

カウンセリングを受け続けて

高橋先生に徹底的に受容してもらうのと並行して

 

わざと今までの自分の規範を破るような行動に出てみた

そんな冒険というか、実験をしてきたからでしょうか。

 

実際、私の強く固い思い込みを徹底的に裏切るような

(当時の私にとっては)破天荒で、無軌道な行動を

とっているうちに

 

私が予期していたような、とんでもなく困ったことは

起こらないことが現実としてわかってきましたし

かえって物事はスムースに運ぶことも体験しました。

 

何より、自分に「ゆるさ」を許容してみたら

生き心地が断然ラクだったのです。

それまでより、ずっと自然に活動する自分に氣づいたのです。

 

 

人がもっとも苦しいと感じるときというのは

「自分で、自分が、許せないとき」なのではないでしょうか。

 

よく「自己受容が大切」という言葉は読んだり聴いたりします。

 

実際に、どうしたら

ありのままの自分を受容できるのか?

どうしたら

ありのままの自分を

天真爛漫に出し切ることができるのか?

 

・・・・・

 

それについて、想いを、思考を、心を、巡らせることが

今の私の一番の関心事です。

 

関心事なので、放っておいても、つい考えたり

実験したり、失敗したり、恥をかいたり、落ち込んだりしますが

それが愉しくて面白くて、やめられないのです。

 

毎日、テキトーに暮らしています(*^-^*)

 

 

注:名誉の為に一言追加しておきますけれど、結構真剣に真面目に生きています。

頑張るときは、とっても頑張っています!・・・・テキトーに( ´艸`)

 

 

 

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