自分に意地悪だった頃

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普段、「私」という存在は一つで

一貫しているもの

統一しているもの

と考えがちですが

実は、分離していることも多々あるようです。

 

これは「解離性人格障害」とはまた全然違うものですが

自分の中にも、いろいろな人格と言ってもいいものが

同時に存在することもあるような氣がしています。

 

ずっと以前に書いた記事

自分の中に敵がいた!』にもありますが

私の中には

・自分の味方で、励まし、応援する声

・自分の失敗をそそのかし、うまくやれない自分を蔑む声

とが、同時に居座っていた時期がありました。

 

もちろん、長いことそんなことに氣づかずに生きていたのですが

ある日、突然、という感じで、それに氣づいた瞬間がありました。

 

 

以前、「アダルト・チルドレン」という概念や

「マインドフルネス」が言われるようになった時期

よく本で読んだり、人から聞いていた

「インナーチャイルド」という言葉・・・・

 

私自身は、通り一遍の知識しかなく

突き詰めたものではありませんが

 

なるほど、自分の中には

幼子のような存在があるな、と

今でも実感することが度々あります。

 

それと同時に、「大人としての自分」も、もちろん

存在している訳です。

・・・・というか、こちらの「大人の自分」だけが

自分自身である、という感覚を

平素は強く持っています。

 

当然のことですが、現実的に私は50歳を超えた「大人」ですし

年齢に見合った分別や、見識や、知識、経験があるのですから

自分が「大人」であることは疑う余地がないのですが

 

そんな自分の中に

やはり「内なる子ども」=インナーチャイルドらしきものの存在を

時どきふと、自覚することがあります。

 

「自分の氣持ちに寄り添ってみましょう」と

よく本などで読みますが

どういう意味でしょう?よくわからないのです。

というご質問を受けて

私なりに考えてみたところ

 

そうか、もしかすると、こういうことかな?と

感じたことがありました。

 

一つの人格であり、存在だと思っている「自分」のうちには

本当は「大人の自分」と「子どもの自分」が同時に存在している

というふうに。

 

「大人の自分」はよくものを考えます。「思考系」です。

道徳観や倫理観がよく備わっていて、分別もあります。
経験も踏まえて、いろいろと多方面から検証し、分析し

その結果、判断して結論を導き出します。
判断の結果、自分に指令を出すことに長けています。

「こうすればいいよ」とか

「そこは我慢した方がいいんだよ」とか

「もっと頑張りなさいよ」とか

また「自分を出さずに抑えた方がうまくいくよ」とか。

一方の「子どもの自分」は、実際の子どもと同じように

大人が持ち合わせている分別や道徳観・倫理観が弱く

ありのままで、正直で、率直で、無邪気で

その分、遠慮がなく、堪えも利かないし、無理も利かない。


「子どもの自分」は、日ごろは

「大人の自分」からの命令・指令を忠実に守ろうと

従順に頑張っています。
でも、あまりに自分の素直な欲求が叶えられないことが続けば

駄々をこねたり、むずがったり、泣いたりします。

なにしろ、子どもですから(笑)


「大人の自分」がいつも厳しいことばかり言いつける

「正論」で欲求をはねつける

自分の存在をないがしろにする

無視する

軽視する

そんなふうに感じたら「子どもの自分」は

拗ねてしてしまいます。

乱暴になったりもします。

正直に氣持ちを訴えてくる子どもに

「そうか、そう感じたんだね」

「そうだったんだね」

「そうだよねぇ」と

きちんと向き合って話を聴いてあげると

子どもが何となく安心するのと同じように


「つらい」とか「悲しい」こと自体は解決しなかったとしても

軽視され、無視され、ないがしろにされるのではなく

わかってくれた、という氣持ちになってホッとして

氣が済む部分があります。

 

自分の中に居る「子どもの自分」に

「大人の自分」=「普段の自分」が

ちゃんと向き合って、耳を傾けてあげる

 

それが、自分の氣持ちに寄り添うことになるのかな?

 

そんなふうに感じました。

 

 

かつての私は

「子どもの自分」を“まるで”顧みるをせず

存在を抹殺する勢いで

従わせることだけに精力を注ぎ込んでいました。

 

むしろ、「子どもの自分」を抑え込み、我慢させ

欲求を無視し、踏みにじり

生気を失わせることに喜びを感じ

「してやったり!」の感覚を強く持っていました。

 

これはまさに、実際

母が、幼い私にしてきた行為であった訳なのですが

そんなことには露とも気づかず

 

自分の意思で、よいことと信じ

「大人の自分」は「子どもの自分」に強制し続けました。

 

うまくやれている自分に対しては

「ふん!こんなことでいい氣になっているんじゃない」と

冷たく言い放ち

 

失敗した自分に対しては

「やっぱりこの程度のヤツだよ、ざまあみろ」とまで

蔑みの声を発していました。

 

今から思い返すと、心底ぞっとしますが

これは、他ならぬ私自身が、私自身へ放っていた言葉です。

 

「小公女」に登場するミンチン先生張りに

とことん自分に意地悪く接し続けた結果・・・・

 

ジストニアという病気に罹りました。

 

これは、「子どもの私」が

もうどうすることもできなくなって

身体が、脳が、音を上げたのだと思うのです。

 

そうなって初めて

いかに自分が自分に意地悪く苛め抜いてきたかに

氣づくことができました。

 

そんな氣づきののち、さて、今度は病気を治したい

疲れ果てた心を癒したい

元氣になって、自分と仲良く生きていきたい、と

願い始めたとき

次の氣づきがありました。


「もうどれだけ長い間、氣持ちを訴えてきたか」

「いくら助けて、と言っても無駄だった」

「無視し、踏みにじり続けたのは、自分自身じゃないか」

と、すっかり心を閉ざしている幼い自分を

見つけてしまったのです。


「どうぜ、聴いてくれっこないんでしょ」と拗ね切ってしまった

私の中の「子どもの自分」に再び心を開いてもらい

信頼を取り戻す為に

「大人の自分」は、どのように接していったらいいか・・・・?

 

それが、私のジストニア治癒への一つの道筋でもありました。

 

慣れない道を歩きながら

時に迷い道に入り込みながら

「大人の自分」は倦まず弛まず

「子どもの自分」に向き合い寄り添う方法を学び続け

その結果、「子どもの自分」は、少しずつ心を開いていきました。

 

現在、両者は何となく、仲直りを果たしたようで

結構うまくやっています(*^-^*)

 

 

たとえ正しいことであろうと

厳しく命じるだけでは

子どもはよく育たない

 

子がなく、子育て経験もない私が言うのも何ですが

想像することはできます。

 

少なくとも私のうちの「子どもの自分」は

いっとき拗けて、とんでもない不良になり

仕舞には病気という形で訴えてきたのです。

 

その存在に、今、私が伝える言葉があるとすれば

「ごめんね」ではなく

「ありがとう」です。

 

教えてくれて

「ありがとう」

 

再び、心を開き、信頼してくれて

「ありがとう」

 

 

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