これまでの生き方との別れ

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年明けから自分の中で何かが変わり始め
ブログにもそのことを書きました。
→『2016年初頭のパラダイムシフト

眠気から始まり、エゴを離れて観ることができるようになり
焦りと貪りが薄らいで、とてもラクになったと感じました。

それは、今までの生き方が変わり始める前兆でした。
その後、新しい生き方のインストールが始まると同時に
動きがみるみる緩慢になり、まるで生命の働きが止まってしまったかのような
「サナギ」の状態に入っていくのでした。


私はこれまで優等生でありました。
学生時代に成績が振るわない時もありましたし
仕事においては実力不足で自分の役割を充分に果たせないこともありましたけれど

それでも、優等生であることは少しも揺らがなかったと思います。
誰から見ても、みすぎは優等生でした。
それは私が生きている目標を「優等生であり続けること」に置いていたからです。

私自身が、優等生であることを生きる価値基準としていたからです。

その為の努力は惜しみませんでした。

仕事に手を抜かない。
家事をサボらずきちんとする。
人の喜ぶことに力を尽くす。
身体と心のメンテナンスを怠らない。
必要だと感じたことは猛勉強する。
日々の鍛錬を欠かさない。

いつでも真剣でした。

でも、それには理由があったのです。

人から評価されたい、というのも一つです。
他者と比較して優越感を持ちたい、というのもあったかもしれません。
でも、それらはおそらく二次的なもの。

私が優等生たらんと必死で努力し続けた理由は
私自身が自分に対して「優等生なら生きていていいよ」
「そのように優等であるなら、生きている価値を認めよう」
と思っていたからです。

裏を返せば、劣っているなら生きる価値はない
死んでしまった方がいい
劣っている自分には生き続けることを許せない
という考え方、感じ方です。

だから、自分で劣っていると認めざるを得ない時は
本当に死ぬような苦しみでした。

「サナギ」状態に入ったのは
その生き方が突然できなくなったからです。

優等生であり続けるよりずっと大切で価値のある
生きる指針を
知性や理性や思考より先に
“心”が関知してしまったようでした。

ですからいきなり、今までと同じように優等生の頑張り方が
できなくなった。

意思は「今まで通り、頑張ろう」とするのですが
身体と心が必死で抵抗するかのようにストップをかけてくる。
これまでと同じように頑張る行動をとろうと立ち上がると
次の瞬間、へなへなと力が抜けて、文字通り腰が砕けてしまう。

はじめは何が何だか訳が分からなかったです。
体調が悪いのか?
疲れが溜まっているのか?
新たな病気か?
などと、あらぬ考えが浮かび、そして消えていきました。


少しずつ、自分の状態が見え始めたのは
2月に入ってしばらくしてからでした。

「自力で頑張る」「優等生でキレイに生きる」というやり方の行方に
自分が本当に目指す地点はないのだ、と。

では、何を指針にこれから生きていけばいいのでしょうか?

「自力で頑張る」やり方しか知らなかった私
それをプライドにして満足していた私
ステイタスだと誇りに思っていた私は
心の行き場を失ってしまいました。

今までの人生を形作っていた「優等生として頑張り続ける」というやり方を
この私から差し引いたら、いったい何が残るというのでしょうか?

自分が空っぽの抜け殻になったような
情けなく、惨めな気持ちでした。

でも、心は知ってしまった。
何ものも当てにせず、信頼もせず、自分一人で頑張り続けることに
もう自分の未来はないのだと。

エゴの満足だけで、本当に心から満足する状態には至らないのだということを。

私が心から望んでいることは
魂レベルで喜びを感じ、この世に人として生まれて来た命の輝きを得ることなのだ、と。

それがわかってしまった以上
後戻りすることは既に不可能でした。


不思議と、仕事になると別の自分が起きだしてきて
元気に張り切って働きます。
カウンセリングも、ヴォイス・レッスンも、学校での授業も
プライベートな時間とは違うスイッチがいきなりONになったように
迷いも憂いも躊躇もなく、フルスロットルで力を注ぐことができたのです。

かえって、それまでより何かが冴えわたっているようでさえありました。
思考でない部分が目覚めて、勝手に次々と問題を解いていくような感じでした。

けれど、仕事が終わって一人の時間がやって来ると
すべてのスイッチは自動的にOFFになり
フリーズしてしまう。

出てくるのは、情けなさの涙だけでした。

結婚して11年、夫の前で初めて涙を流して泣きました。

どうしたらよいのかわからない
苦しい、ツラい、苦しい、ツラい、と繰り返しては
泣いていました。

泣かない人だ、と思っていた夫は
いきなり毎日メソメソし始めた妻に当初面食らったようでしたが
よくはわからないけれど、何だかよほどツラいらしい
と思ったようで、いつもに増して優しくすべてを受け容れてくれるのでした。

そんなひと月近くが過ぎ
また一段階、私の状態は進んだようです。

今までの生き方を手放す時が来たのだ。
もう、それは観念するしかなさそうだ。

それは、今までの自分が一度死ぬことなんだ。
死ぬことは辛い、苦しい、悲しい。
だけど、仕方がない。

苦しい、ツラいことは、そう感じることを拒否すればするほどシンドイ。
それならいっそのこと、苦しい、ツラいと言いながら
泣きながらしばらく生きてみよう。
そうすれば、いずれ新しい生き方に必要な筋肉が付いてくるだろう。

そんなふうに、肚がくくれたのです。

肚がくくれたら、ほんの少しですが、気がラクになった。

気がラクになった分だけ、フリーズが解けて動けるようになりました。

そんな訳で、ブログを更新しています。

「しばらく更新がないですね。
楽しみにしていますので、お忙しいとは思いますがまたブログを書いて下さいね」
というメールを何人かの方から戴いてしまいました。

それも励みになりました。
ありがとうございましたm(__)m

まだ「サナギ」は当分続くのかもしれません。
もしかするとサナギの形態のまま、生きていくやもしれません(笑)

でも、私の期待は、いつか「サナギ」は成虫になって
羽ばたく日がやってくるという、そんなイメージです。

生まれて初めての経験をしています。

苦しいけれど、何だかとってもありがたい
そんな気分を味わっています。
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