主観性と客観性

テーマ:

出してみるまで気づかない

という前回の記事に

戴いたコメントから


改めてお題を戴きましたので

今日は、それについて

書いてみたいと思います。



戴いたお題は


「主観、客観を

どのように捉えるか」

「自分をどのように

客観視しているか?」


主に、この二点だと

理解しています。



まず、「主観性」については

かなり具体的に


主観性からの贈り物


に書きましたので

その記事からの

続きと思って読んで戴けると

流れがつかめるかと

思います。



人の心は

厳密な階層によって

形作られています。


感覚

 ∧

欲求

 ∧

知性

 ∧

感情

 ∧

主観性


より深いレベルに達した心は


それ以前にある

より浅いレベルの階層にある

自分を


見つめることが

できるようになります。


子どもの発達を思い浮かべると

わかりやすいですね。


「知性」のレベルが未発達な子供は

「感覚」と「欲求」によって

動いている自分を

「客観視」することができません。


ただ「気持ち悪い!」や

「これが欲しい!」と

主張し、反応的な行動をとります。


「知性」のレベルに至って初めて

「感覚」や「欲求」によって

動いている自分を

観察することことができる

ということです。



また、私たち大人は


「頭ではわかっていても

どうしても気持ちが

ついていかない」


と感じることがありますね。


これは


「知性のレベルでは

理解しているが


感情のレベルで

受け容れることができない」


という状態です。


「感情」は「知性」よりも

深いレベルにあるため


「知性」よりも強い力を

持っているのです。


この点は

大人であっても、時に

自覚しずらい状況に

陥ることがありますね(^_^;)


ご経験がおありの方も

多いと思います。


とかく「知性」レベルだけで

自分を律することに終始すると

このようなことは

しばしば起こります。



さて、ここで「感情」の層より

さらに深いところにある

「主観性」が登場する訳です。


「主観性」の層を、はっきりと

感じられるようになった時


私たちは

それ以前の四つの層を

すべて見渡す=客観視することが

できるようになります。


ここまでが前提となります。



「客観性」の能力は

まず、自分の心の中の動きを

静かに眺めるところが

出発点になります。


怒りなら怒りを


悲しみなら悲しみを


ただ受け容れ

静かに感じることを

自分にゆるす・・・


そうして

感情を観察できるように

なった心は


自分の内面に

視界をさえぎるものがないことに

気づきます。


感情が生まれ

消えていく過程を


心の中に押し止めるものは

ないことを知るのです。


これがまさに

自分に対して「客観性」を

獲得した状態です。


「主観性」を獲得した心は

自分のあらゆる意識の層を

客観的に、冷静に

観察する能力を得ます。


残念ながら(-_-)

「感情を開放する」段階を経ずに

「主観性」に至る道はありません。


「感情」の層で、行き詰まった心は


それより深い心のレベルに

気づくことができずに


立ち往生してしまうからです。



感情が自由になった結果


「知性」の「思い込み」

(~せねば、~すべき、~は常識だ)


は解かれ


より洗練された「知性」は


「感性」と矛盾することなく

活動できるようになります。


「感性」とは「感情」が

より洗練されたもの

と定義されます。


自分の内面を整理できた心は


安心して外の世界に

興味を移していきます。


これは

母親からの愛情を

確信できた子どもが


自分の興味を家の外へ

友達へ、と拡大していくのと

似ています。


「主観性」という確信を持てた心は

「客観視」の能力を

自分の内面だけでなく


外の世界へと

拡張していくのです。


言い換えると


自分の心に自信を持てた人は

自分から離れて


他人や自分の外側の物事を

冷静に観察することが

できるようになる、ということです。


自分の感情に曇らされることなく

他人の心の動きを

感じることができるようになる

ということです。


ですから

「主観性」を得た人は


たとえ自分と他者が

まったく違う意見や認識を持っても


感情に揺さぶられて

冷静さを失うことはなくなり


ただ、自分と違う他者を

「客観的に」認めることができるように

なる訳です。


自分に「主観性」をゆるし、認めたと

同じように


他者の「主観性」をも、尊重することが

自然とできるのです。


他者の価値観を受け容れることは

自分の「主観性」を侵害するものではない

という自信と安心を

得ているからです。



実を言いますと…


私自身の経験から


また、ほとんどの方も

同じ経験をなさっていると思うのですが


「主観性」は一度つかんだ!と感じても

また見失うことがあります。


人の心は揺れ動いています。


大きな感情の波が押し寄せて

それを丸ごと受け容れて

感じることを、自分にゆるせない時


または、味わって静かに見つめるには

辛すぎることが起こった時


「知性」と「感情」のブロックがかかり

「主観性」への道は

一時的に閉ざされます(T_T)


それでも、一度「主観性」に

至ったことのある心は


そこに、穏やかで、自信に満ちた

安心できる自分自身がいることを

知っています。


一時的に感情によって乱された

表面の自分を鎮め


「外で何が起ころうと

失われない自分自身が

あったではないか!」


と戻っていくところを持っている。


これが、あるかないかで

生き心地は大変違ってくる

と私はわかったのです。


反対に

普段は「知性」で「感情」を律して

生きている方も


時々、何かの拍子に

自分の奥深くに厳然と存在する

「主観性」の片鱗にふっと

触れることがある。


そんな時


すべてをゆるされている感覚


何があっても崩れない

自分は自分だ、という安心感


心が柔らかく、広がっていく自由さ


を感じて、身体からも気持ちからも

力みが消えていくような経験


おありなのではないでしょうか?


それが、「主観性」の持つ力ですよ

とお伝えしたいです。



最期に、コメントを下さった方からの

質問


「客観とは相手の主観の理解

相手の考え方の価値感

相手の感情を主観で

認める事ではないでしょうか?」


に答えしたいと思います。


まったく、その通り!と思います。


連日書き綴ってきた

「主観性シリーズ」で言いたかったこと

その一つが

この一文に集約されています。


だからこそ自分の「主観性」を

目覚めさせておくことが

大切なのですね(^-^)

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