主観性への旅、最後の壁

テーマ:

「主観性」を取り戻すことが

どれほどこれからの人生を

豊かに、ラクに、愉しいものに

するかが、はっきり理解できても


そこに踏み切れない


最後の

大きな怖れ


とは、何でしょうか?


・・・・・・・・・・・



それは


今までの

自分の生き方への否定


です。




わかりやすいように

私自身を例にとって

書いてみたいと思います。




私にとって、この壁は


厚く、高く、強固で


越えて向こう側へ行くのは

大変に魅惑的ではありましたが


それでも尚、時に

決断を鈍らせられました。




私は

それが「虐待」にあたることも

長い間気づかず


母からの非情とも思える振舞いに

必死で堪えて

ほぼ50年間生きてきました。


その成育歴の中で


また、年齢的には

いい大人になってからも


私が自分自身の為に

精一杯育んできた考え方


これが「善きこと」であると

決めた生き方


その都度、考え抜いて

選択してきたやり方


これでいいのだ


これがいいのだ


こうすれば何とか凌げる


これが正解なのだ


と反芻し


頑張り続けたこと


粘り強く努力を重ねたこと


人の為に尽くしたこと


懸命に自分を抑えたこと



それらすべてを



「主観性」は


捨ててしまいなさい!


と言っているかのように

感じられました・・・(-_-)



実際の私の心は


オイシイ話が好きです


人前で何かを得意になって

披露することも喜びです


本当は人に合わせもせず

自分の食べたいものを

食べたかったし


思ったこと、感じたことを

自由に表現したかった


自然に振舞い

生きてきたかった!



しかし、それは許されない

環境でした。



ここで、強調しておかなければ

ならないことがあります。


確かに、与えられた環境は

私の生き方・考え方を

規定する大きな要因でした。


けれど、見逃してはならないことは


私自身が自分で自分に

それらを強く禁じて生きてきた


という事実です。


誰のせいにもできない


私自身の問題なのです。




どれほどの努力と苦心と

我慢と頑張りで


私の日々は埋め尽くされていたことか


手放せばラクになることは

わかっていても


おいそれと、今までの自分の生き方を

捨て去ることは


私にはできませんでした。


それが、いかに辛く、悲しく、シンドく

愚かな生き方だったとしても!



それに、私がこうして生きてきて

悪かったことばかりではありません。


この生き方をしたからこそ

養われた資質もありました。


人からの信用も得られてきたかも

しれません。


身についた技術も技能も

スキルも、たくさんあります。



・・・・・・・・



だからこそ!



手に入れた善きものはそのままに


不都合な生き方や思い込みは

潔く手放す


「主観性」を取り戻すには

ベストなタイミングなのだ


今だからこそ手放せる


そして、ラクに、心地よく

上機嫌で、穏やかに

生きられる


自分にも、人にも

ものごと一つ一つに対しても

誠実に生きることが

できるようになる



心から、そう思えるようになったのは

実はつい最近のことです。


3年かけて


最後の難関を突破しました。


もう、それほど大きな怖れも不安も

感じないのです。




私の「主観性への旅」はまだまだ

続いているのかもしれません。


そして、生きている限り

終わりは来ないのかもしれない

と思うこの頃です。



長文にお付き合いくださり

ありがとうございました

m(__)m



「主観性」についての連続記事


主観性からの贈り物


続・主観性からの贈り物


なぜ主観性を見失うのか


主観性への怖れ


併せてお読み戴ければ幸いです。




************************


声楽個人レッスン


声と心のカウンセリング


声からアプローチする♡

 心と身体を開放するヴォイス・レッスン


二人でお茶を―Tea for Two



各セッションへの

お問合せ、お申込みは

メールでどうぞ(^-^)


⇒ silky_misughi@hotmail.com

AD

コメント(8)