主観性への怖れ

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主観性のシリーズ記事


主観性からの贈り物


続・主観性からの贈り物


なぜ主観性を見失うのか


を書いてきました。



この記事を読むにつけ

「主観性」を取り戻すことに


躊躇や怖れを感じる方も

きっと少なからずいらっしゃると

思います。



「自分は自分だ!」と居直ったら

我が儘になり、独りよがりになり

自己満足し、はた迷惑ではないか??


そんな疑問も湧くかもしれません。


まずは、この質問にお答えします。



自分の感じていること

思いを、感じるままに

受け容れると


心から満足します。


これを「自己満足」と呼ぶか?


私は「自己満足」大歓迎!

です(´▽`)


そもそも、満足というのは

自分の中に生まれるものであって

他者との比較によって感じるものでは

ありません。


比較して得られるのは

優越感であったり

一瞬の安心感だと思うのです。


それとて、また別の他者と比べたら

一瞬にして劣等感に変わることも

不安に陥ることもありましょう。


そのくらい他者参照的に

生きていることは、不安定で

シンドイことなのです


本当の意味の満足とは

すべからく「自己満足」であるべきだ

と言い切ってしまいたいくらいです。


「独りよがり」もまた然り。


まず、自分が「よい」「心地よい」

「快い」「美しい」と感じたものに

誰の承認が必要なのでしょうか?



「独りよがり」という言葉は

世間では非常にまずいものと

認識されていますね。


それは


自分が良いと感じたものに対して

周囲に押し付けたり、強制したり

そういう行動に対して

批判を込めて

使われているのかもしれません。


それとて

本当に主観性が目覚めていれば

自分の感性を人に押し付けて

同意を得られないと安心できない

という心の動きは生まれませんから

起こりえないのです。



或いは、「独りよがっている人」(笑)

に対する

やっかみもあるかもしれません(爆)


↑結構、コレは大きいと思います

( *´艸`)



自分が本心から感じていることを

自覚し、受け容れることは

決して我が儘な行動には

繋がりません。


人は、自分の欲求に対して

我慢をしたり、蓋をしたり

無視したり

歪めて変質させたりする時


我が儘になります。

自分勝手になります。


これは、心の底から

満足を感じていないからこそ

出てしまう言動なのです。


心が「自由」で

「自信」に満ちている時


誰にそれを認めてもらわなくとも

人は、安心で、穏やかで

満ち足りて、上機嫌でいることが

できます。


それが「主観性」です。




さらに


社会的役割を担っていくには

主観性だけを頼りにしては

立ち行かないのではないか?


という疑問です。


確かに、仕事においても

家庭においても

一般市民として道行く時さえも


一般的常識や責務、道徳観

倫理観、その場における規則、

周囲から望まれる像

・・・・・


さまざまな「枠」の中で

私たち社会人は生きている訳です。


それを

自分の感じる本心だけで

言動を起こしていては

立ち行かなくなる時も

きっとあるでしょう。


規則に心ならずも従わなくては

法律に反することにも

なりかねません(笑)


けれど、その自分の言動を

選択する際


周りからの強制で

「そうするしかない」と

盲目的に、半無意識的に

従って、余儀なくされるのか


自分の「主観」を感じ

受け容れて、敢えて規則に従う

責務を果たす行動を自ら選ぶのか


という二つの違いは


結果的に、同じ行動に出たとしても

天と地ほどの

「意味の違い」があります。


(その上、その後に続く結果が

大きく異なってきます。

これは、また長ーい話になりますので

別の機会に(^▽^;)



子どもは主観性の塊です。

自分が「こうしたい!」と思えば

泣き喚いても「そうしたい」を

貫こうとします。


そこには選択肢がありません。


私たち大人は

子どもより、この選択肢を得ている分

自由であるはずなのです。


自分は、今

この立場にあって

このように行動することを

求められている


社会からは、こうすべきだ

という常識や規則を

投げかけられている


どうも自分の主観と食い違って

「やれやれ、仕方がないな…」

と感じることも、あるでしょうね(笑)


これが「大人の心の働き」です。


自分の心もちゃんと「見えている」


周囲からの期待も「見えている」


その上で、自分のとる行動を

決められる

選択権を得ている自覚がある。


これが「主観性」を獲得した

大人の、意義ある自由なのです。



最後に、一番の難関があります。


「主観性」を取り戻すことが

どれほどこれからの人生を

豊かに、ラクに、愉しいものに

するかがはっきり理解できても


そこに踏み切れない


大きな怖れ


を、人は持っているのです。


この最後の問題について

次回の更新で書いてみたいと

思っております(^^)/





いつも長文を読んで戴き

ありがとうございますm(__)m


画像は、記事と関係ありませんが

最近の東京駅です(*ノωノ)



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