書くこと

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中学生の頃だったでしょうか? 日記を書き始めました。


その頃の私はとても辛くて悲しくて寂しくて、何が何だか分からないけれど、とにかく苦しくて、その気持ちを親にもクラスメートにも絶対に言ってはならないと感じていたし、辛いと感じていること自体、決して覚られてはいけない!という気持ちが強くありました。


誰にも表現できない、自分でも何をどう感じているのかはっきりとしない・・・


そんな混乱状態でもがくうち、自然と書くことを覚えました。


ただ心の中の苦しみをノートに向かって書いている時、ほんの少しだけ救われたような気がしたのです。


ですから、書かないではいられなかった。


書くことが、私のライフラインだったのです。




今思えば、親からの振舞いにショックを受けていたのでしょう。


「ひどいじゃない!」と泣いて抗議しても、笑われてからかわれておしまいにされることの繰り返しだったので、もう親に直接訴えても無駄なんだな、と学びました。


ましてや、そんな親のことを友達に打ち明けるなんて考えは、私の中では史上最大の「罪」でした。


親を悪者にしてはいけないという強い思い。


ですから、誰よりも仲の良い母娘を演じていました。


「うちの親は世界一!」と声高に宣伝していたことを覚えています。


どういう心理なのでしょう?まだまだ勉強不足でよく判りません。


私の本心を知っているのは、このノート達だけ。


なんと根暗なんでしょう。


でも、表面上は明朗・闊達・目立ちたがり・でしゃばり・自信満々な自分を常に演じてきたのです。


この実態と表向きとのギャップは相当なものでした。


その疲れが極致に達して、ジストニアの発症に繋がったとも言えるかもしれません。


で、ここからがこの記事の主題です。



【書くことの効用】


・手を使って実際に書くという行動をとることで、じっと固まってしまうことから脱せられます。


・たとえ、読み返さなくても、とにかく自分の思いを吐き出すことで想像以上に楽になります。


・自分が何を感じ、何に苦しみ、どう考えているのかが具体的に見えてきます。


・書いてるうちに、抑圧されていた感情が少しずつ表に出てきます。


・「心の中」という目に見えないものを言葉で表現しようとすることによって「メタ認知」能力がめちゃくちゃ鍛えられます。




最後の「メタ認知」というは、心理の勉強をされた方はご存知かと思いますが、


自分の感じていること、考えていること、行為、記憶、五感で認識されたことを客観的に捉えて、


意識しようとする行為、のことです。


普段、私たちが日常生活を送っていて、自覚的・意図的に行っている行為より、半自動的・無意識的に行っていることの方が圧倒的に多いのだそうです。


それを知る。 要するに「客観的に自分を見る」能力のことを「メタ認知」能力と言います。


今、私はこの「メタ認知」能力が非常に高い、と褒められることがしばしばあるのですが、


それは、長い間日記を書き続けてきたからこそ養われた能力だと思っています。



そして、抑圧された感情についてですが、これはそのままでは非常にマズイことになります。


私は今でも自分の「怒り」や「悲しみ」や「憎しみ」のようなネガティブな感情を抑圧する傾向がかなり残っていますが、


もし、日記を書き続けていなければ、とうの昔に人格破壊していたと、これは断言できます。


感情は、それをそのまま行為・行動に表現しないまでも、ただ感じ味わうことによって初めて流すことができます。


抑圧して、感じないように蓋をすれば、それは悪い種となって心に根を張り、いつか取り返しのつかない形で表出します。


生まれ出た感情に、「よい」も「悪い」もありません。


それは、生身の人間として自然なことなのですから。


ネガティブな気持ちであっても、「あー、今自分はこんな気持ちになってるなー」と認識し、味わって、


「こんな気持ちだけれど、仕方がない、こういう対処をしてみるか」という流れにしていかれれば、


それが“大人の作法”ですね。



ペンを手に取って「書く」という行為は、慣れない方にとっては難儀に感じられるかもしれませんが、


キーボードで打つ文章より、きっと多くの気付きをもたらしてくれる、と私は思っているのです。





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