よい習慣

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痙攣性発声障害だということに気付かず、必死に歌を勉強してきて、結局思うようには歌手人生を歩めぬまま48歳になってしまいましたが、うまくいかなかったからこそ獲得できたあれこれもあります。


まず、日記を書く習慣がついたこと。


このブログに過去のお話を綿々と綴りました。細部にわたってその時々の状況や心境を思い出せるのは、日記を書き続けてきたからだと思います。


書き始めたのは学生時代、志している歌がどうにも思うようにうまくいかない、その辛い気持を日記に書きつけることで捌け口にしていたように思います。

親にも友達にも、悩み苦しんでいる素振りが見せられない性分で、自分だけの世界に閉じこもれる時だけ、ノートに向かい合った時だけ、本当の弱い自分を曝け出すことができた、そんな若い頃の自分でした。暗いですね…汗


本当に七転八倒的苦しみの只中にいた時は日記どころではなかったのですが、書いたり書かなかったりの毎日を送っていく中、やがて「書く」という行為がどんなに辛い自分を救ってくれるかに気付きました。


そして、大学を卒業してからの日記は、感情的な記述もあるにはあるのですが、とにかく淡々と日々の状況を記録したものになっていきました。


その理由は、声の状態のいい時、悪い時の差は何が原因で起こっているのかを探ってみたい、と思ったからです。日々の生活データを記録しようと思いたちました。(先日、実家の押し入れを整理していて過去の日記、大学ノート何十冊とあるのを見つけました。)


起きた時刻、睡眠時間、食べた物、健康状態、精神状態、運動、練習時間、声の状態などなど… 後で読み返して声を好調に保つ法則があるのかないかの、あるとすれば何なのかを読み取れるように、コツコツと記録し続けました。


結局、声の好・不調の条件は、それらのデータから明確には掴めませんでしたが、それでもおぼろげながら「こうしておけば比較的安泰」というラインは見いだせたのですよ。

今、ジストニアだと判って、ジストニアという病気の概要を知るにつけ、私が個人的に記録し続けたデータから読み取った法則のようなものは、まさにこの病気だということを裏付けています。


結局、一定期間、歌から気持ちも心も離れれば、声は正常に戻るのです。


あぁショック! なんと皮肉なことでしょう。


…という話は置いといて、とにかく自分の気持ち、考えていること、望んでいること、客観的に今の状態…を「書き出す」ということが、どれほど強く私を支えてくれたか。書くことなしに今の自分を保てていたかどうか、まったく自信がありません。


そして、これは大事、心得た、腹に落ちた!という貴重な気付きも、その時は感動と共に「一生忘れない!」と思ったとしても、やはり書かなければ記憶は埋もれてしまうんです。ホント、忘れっぽいモノなんです、人間って。




それから、もう一つ獲得してよかった、と思う習慣。


「運動」。


今は自宅の周りをジョギングしています。時速8㎞くらいのちんたらペースですが、25分間。だから、4㎞足らずの大したことない距離ですが、時間さえあれば週3-5日は走ります。


エアロビクス流行りの時期はかなりのめりこんで通っていましたし、ジムでサーキットトレーニングに励んだ時期もありました。ミュージカルの仕事を頂いて、いきなりタップを3ヶ月間で踏めるようにしなればならず、猛特訓したこともありました。


必要に迫られてのこともありましたが、何があっても運動を止めなかったのは、適度な運動をしている時は、比較的声が出やすい、という法則を実感したからです。きっかけはこれもまた“声”だったのですが、今は運動そのものが心と体を健全に保つ大切な習慣になりました。



結局、健全な声を保とう、としてきたことが、心と体を丈夫に強く育ててくれたように感じています。


普通~に当たり前に声が出せていたら、無茶したり不健康なことしたり、無軌道な生活を送っていたのかもしれないです。


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