ミナト・神戸の海に広がる「ポートアイランド」(神戸市中央区)が、街開きから30年を迎えた。六甲山系の開発に伴う土砂を利用して埋め立てる「株式会社・神戸市」の象徴となった職住近接の人工島は、人間でいえば働き盛りにさしかかり、変貎(へんぼう)をとげる一方、高齢化などの問題も生まれている。その陰で、住民たちは今も“島の伝統”を紡ぎ続けている。(木ノ下めぐみ)

 市中心部の三宮からわずか約2キロの「ポーアイ」は、「住む・働く・憩う・学ぶ」を一体化させた人工島というコンセプトで、昭和55年3月に第1期部分(443ヘクタール)が街開き。初めて島民として移り住んだのは約300世帯だった。街開きとともに入居した中辻恵造さん(61)は「三宮へ出るにもバスが1時間に数本で、食料品は行商頼み。ゼロからのスタートでした」と振り返る。

 翌56年、地方博の先駆けとなる「ポートピア’81」の開催に向け、島と三宮を結ぶポートライナーが開通して以降、利便性は飛躍的に向上した。同博覧会には延べ1600万人以上が来場。島の人口は、平成2年には約1万7千人に到達し、島内の市立港島小は児童数1700人超と全国有数のマンモス校となった。

 中辻さんの長男は同校の1期生。長女も島が完成した年に誕生し、まさに“島の子”だった。「子供のために誇れるふるさとをつくりたいという思いは、住民共通だった」と話す。

 歴史も伝統もないまっさらな街で、住民はゼロから自分たちの文化を創造した。その象徴が「港島太鼓」。同校の児童と教諭が56年に始めた和太鼓曲は、今も受け継がれている。

 一方、時とともに島を取り巻く環境は大きく変わった。平成8年には2期部分(390ヘクタール)の分譲が始まったが、前年に阪神大震災が起き、企業が次々と島から撤退。オフィス街の入居企業は、昭和63年の41社から現在は29社に減った。

 居住者も約1万5千人に減り、うち21%が65歳以上の高齢者。港島小の児童数は600人を切った。島に10年以上住んでいた女性(38)は「子供のころは街のエネルギーを感じたが、街全体が寂しくなったように感じる」と話す。

 だが今、島内には若者の姿が目立つ。平成18~19年の間に4つの大学が進出。地元のイベントに参加する学生も増えている。「いろんな連携を考えたい。30年と言わず、40年、50年と歴史を重ねていきますよ」と中辻さん。島の歴史は、住民自身の手による草の根パワーでつづられていく。

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