【3月14日】
今日は早朝、東京を目前に新幹線が止まった
上野駅から東京駅までは、いつ動くか分からないというアナウンスを聞き、上野で乗り換え。
上野で神様に遭遇
綺麗につかいましょうという願いが込められているそうな。
新幹線が止まらなければ、お目にかかることも出来なかったと思えば、急に楽しくなるよね
ビラ配りに、遅れちゃうから急げ
予定よりも1時間遅れで東京地裁到着
ビラは既に配りきっていました・・・・・
今日は、判決の日。記念撮影です~
武富士の責任を追及する裁判。
http://blog.livedoor.jp/takehuji/
訴訟提起から3年以上が経過。
裁判の結果。
請求は、「棄却」(認められない)でした。
判決後の集会。
写真でみると、皆さん沈んでますな(--;
判決内容は、とても納得のいくものではありません。
今後、控訴・上告と進んでいくことになる。
今日、参加した原告の方が判決報告のための記者レクに参加するという。
記者レクまでは、あと1時間ある。
「食事はされましたか?」とたわいもない話をする私。
「外食する余裕がないので、持ってきたおにぎりを食べました」と彼女。
「・・・・・」
牛丼は、300円もしない時代。
彼女とのこの1時間の会話が、私には重かった。
武富士の債務返済が滞ったとき、
会社にも取り立ての電話があったことで勤めていた会社をクビにされたこと。
ある時は、車の中に引きずり込まれたこと。
武富士の取り立てが恐くて、他社からの借り入れもしたこと。
そのために、息子さんを保証人にしてしまったこと。
専門家に辿り着いたときに、初めて武富士に800万円を超える過払い状態になっていたことを知った。
武富士から過払い金を回収することができれば、
彼女は、破産することはなかった。
息子さんも、保証債務から解放されていた。
40年以上の大事な人生と家族との関係が奪われた彼女。
彼女の夫が債務を残して他界したことがきっかけだった。
「相続放棄」という手続きがあることを知らず、債務返済の人生に陥ってしまったのです。
彼女は、「武富士から借りた自分が悪い」と自分を責めていました。
息子さんとは、保証させてしまったことで、溝ができたまま、孫にも会わせてもらえなくなった。
お腹を痛めて産んだ子があるのに、孫もいるのに、
直接に愛情を伝えることも叶わない。
「今も、何のために生きているのか分からない」と言っていました。
法律が、グレーゾーンなど認めずに、専門家にも容易につながる社会であったならばと、悔やまずにはいられない。
取締役の責任を追及することが出来なければ、今後も金で有能な専門家を操り、やったもん勝ちが許される社会のまま。
原発事故も同じですね・・・・
私たち専門家は、実務の現場で知る社会の不条理を正しく伝えていく役割がある。
法律の条文なんて、誰でも読める。
その作られた法律が、日本社会で正しく機能しているのかを指摘し、声を上げていくことが法に携わるものの役割であることを忘れてはいけない。
そんなことを改めて感じさせる日でした。
彼女にも、「生きている幸せ」を心から感じる日々が来てほしいと切に願います。
NHKさんでは、被災地域の調査を継続的に行っているらしい。
http://www3.nhk.or.jp/news/shinsai2014/enquete2014/enquete2014r2.pdf
震災後、外出しなくなった人も増えた。
被災した方々にも、生きている喜びを心から感じる日々を取り戻して欲しい