法華経に、「甘露の法雨を澍ぐ」という言葉が出てきます。
「甘露」は甘い味の露、「法雨」は、法律の「法」に「雨」と書きます。
この場合の「法」は、古いインドの言葉でお釈迦さまの教えを指す「ダルマ」を訳した言葉に
なるので、「お釈迦さまの教えの雨」ということになり、「甘露の法雨を澍ぐ」は、
「甘露のような最上の味をもつお釈迦さまの教えの雨をそそぐ」という意味になりま
す。
お釈迦さまの教えを、雨に喩えたのです。
なぜ雨なのでしょうか。
雨は、ところを選ばず、降ります。ここに降りたくないとか、降るのならここがい
いといった選り好みをせずに、あまねくあらゆる場所に降りそそぎます。
お釈迦さまの教えも同様です。あらゆる人々の苦悩に、選り好みをせずに、雨のよ
うにあまねく降りそそぐのです。
また、雨は、乾ききった大地に潤いを与えてくれます。大地にしみわたり、大地の
ありようをしっとりとしたものにしてくれます。
お釈迦さまの教えも雨のように、乾ききった私達の心に潤いを与えてくれます。私
達の心にしみわたり、安らぎにみちびいてくれるのです。
さらに、例えば、燃えさかる炎が大地を覆っている時、雨が強く降りそそいだなら
ば、炎を消し止めてくれるでしょう。
私達の心が、煩悩の炎に覆われている時、お釈迦さまの教えが、激しい雨のように
降りそそいで、怒りや欲望の炎を消してくれるのです。
甘露の法雨が澍がれた時、私達は、雨上がりの青空のような心に、きっとなるので
す。
「法の雨」
茨城県 安禅寺住職 染谷典秀















日程時間等はこちらです。

なんです。
一月のお知らせ