イタリア滞在の初期(90-95年)から、食品とはかかってきました。

まず、来たばかりで、両手に荷物しかない頃にお世話になったのは日本料理店でしたが、夜だけのバイトだったので、日中はイタリア語の勉強、お昼の遅い時間に無料の学校で文法などを身につけ、夜のバイトはホールだったので、お客さんと実践の会話練習が出来ました。

言葉もマアマアになった1年後くらいからイタリアのレベルの高いスーパーEの食べ物を作る工場に移り、イタリア料理を厨房ではなく、流通に乗せる世界を学びました。他の人なら、レストランで修行して、日本でお店をオープンするのが夢でしょうが、もともと正攻法が性にあわないのと、目的は食品を使う人の立場に立って売るための修行だと考えていました。

93年に入り、神戸のイタリア料理店のオーナーと出会い、いきなり私のために小さな会社をつくるからと、イタリアから輸入して販売するルートを作ることになり、1年以上関西を回りました。
考えてみると、これが自営業をはじめるきっかけをつくってくれたとも言えます。
95年にはイタリアにかえってからも、この仕事を続け、身につけた指圧で個人的にアポを取って家庭を回って施術したり、ミラノの観光ブームのお陰でこれからおよそ10年は、掛け持ちで仕事をしてきたものの、観光は大きな収入になりました。観光の仕事でもイタリアのあらゆるアイテムを買い付けや調査にしている人たちと出会うことができ、いろんな関わりをもてました。

確か2001年ごろ、中国人経営で、その頃から増え始めた寿司関係のお店に日本食材を売る問屋で3ヶ月弱(これがミソ。3ヶ月以上は雇用になってしまうので期限付きだった)関西でやっていたことの逆、日本から輸入されたものをイタリアで売ることを知りました。
上記の経歴で、この日本食材までは、「すべてイタリアから日本」だったのが、逆流も知り始めた最初です。

逆流するまでにいろんな出来事が世界の変化を証明していますが、その兆候は・・・。



ちょうど日本帰国でたまたまロシアのアエロフロートで帰ったとき、モスクワでクーデターがあり、エリツィンが解決した夏、イタリアへの便で、モスクワに一泊し、町を観光した。それ以前にベルリンの壁崩壊。新しい時代が到来を目の前で見ることが出来ました。
その頃を境に日本は東側諸国へのショウルームの役目を負え、勝ち組に見えても実は経済成長に行き詰った先進諸国は、まずロシアを軍事的見方に組み入れ、中国を経済圏に組み入れた政策は、先進諸国の生産力を実は中国に奪われたことになります。
日本のバブル経済に止めを刺した陰の存在だったとも言えます。

2002年ユーロ通貨開始。新鮮ではあるものの、イタリアの物価はすべてほぼ二倍に高騰。さらにユーロが強くなることによって、つまりユーロ円の為替レートはユーロ高円安を一気に駆け抜け、観光客は激変。
しかしながらイタリアブームが運んだ日本人滞在者も激増。ブログでは、あちらにもこちらにも「イタリア在住日本人妻(?)」が増えるばかり。
このアンバランス・・・。

まずメカニズムとしては、日本(円)が高くイタリア(リラ)が低かったのから、イタリア(ユーロ)が高く、水は高いところから低いところへの流れ現象で、日本へのイタリアモノ販売はむずかしくなったのです。

日本からイタリアに留学する人のたちへのアパート紹介の仕事もありました。
H社と言う東京の会社によるものだったんですが、ユーロがますます高くなるにつれて、部屋を借りる人も嘆いていましたし、仕方なくシェアをして借りる方式になっても日本人は減ってきています。
去年の10月頃に帰国したのが最後でしたが、この帰国旅行は、ほとんどこの「H社」の倒産処理旅行でした。
H社は、お客さんたちが入金したお金をもって、たとえばグイドに払うべきものを払う前に「計画的に」倒産し、残念ながらそのしわ寄せはお客さんへ。それに関わっていた私の信用も落ちました。
こういう現象も、社会の変化が招いた例の一つなのでしょう。

これからも日本からイタリアへのビジネスを考えながらも、中国の存在が付きまとうわけです。

それより問題は、イタリアに住むこと自体がたいへんになってきたのも事実です。

これが本題です。

相次ぐ移民の流入とイタリア人の少子化、高齢化。犯罪の増加、経済の停滞、環境問題・・・。
上で書いたようなよき時代はすぐに忘れて、これからどうやって雑草のごとく這い上がっていくか、なんです。

おそらくイタリアに住むことはもちろん、日本に移住しても何も解決しないでしょう。

ただし、日本とイタリアをつなぐ、これにはこだわり続けていきますが、中国に限らず第三国が必要なら、それはそれで使って行きたいと思っています。
イタリアに行けば、日本にいれば、「なんとかなる」と言う時代は終わりました。「なんとかする」ためには、イタリアとか日本とか言う文化を尊重しつつも、国にこだわらず、ビジネスを生き生きと活発にすることを中心に物事を考えたいと思います。

とりあえず世界中を全部見回して、日本とイタリアを基本に、何が出来るか。何をするべきか。をつねに自問自答す続ける毎日に貴女がいてくれる。
年をとるまでに事業を成功させ、そのお金でカナダとかオーストラリア、ニュージーランドのような国に優雅に住めるようになるのを目標にやって行きたいと思います。

だからこそネットやMIXIでも、あらゆる国の人たちと親しくなるのは将来のためにきっと役に立つことです。

日本に関して言えば、私自身の国でありながら、貴女と言う人がやっと一人見つかったわけです。
サイコーの人であれば、一つの国相手に一人で十分だと思っています。
だから日本には他の誰ともかけもちするつもりもありません。
つながりが増えるとしたら、イタリアでも日本でもない別の国でしょう。

今日はとても長くなりましたが、いつものような「ビジネスのズームアップ」から離れて、時間と空間により現存在理由を客観的に分析し、お伝えしたかったのです。

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CIelettronica

新しくなるプラスチックのIDカードサンプル。サングラスをかけた写真がいいわけない。


グイドは、世界を見たいと思った。


しかし、地球は丸い。


じゃあ、どこから見て行くか。


全世界の住みたい国リストを、頭の中で描いて、アメリカはかなり早くにボツになる。

最後にイタリアが残る前にスペインが決勝まで残ったし、ラテンアメリカの、メキシコ、ブラジル、アルゼンチン、コロンビアなどもいた。アジアの鯛、・・・いやタイもいた。


アジアは先頭グループから離れていく。ゴール近くでイタリアとスペインが、ラテンアメリカからずっとリードをして、接戦!!


イタリアかスペインかイタリアかスペインか。おーッとスペインが出た。スペイン一位。


おや待てよ。同時到着だっ。


さて、ビデオで判定しましょう。


解説者「このビデオによるとわずかにイタリアが勝ってますな。」


と、こういうことで、グイドは最初スペインに住んでみたのだった。


スペインでしばらく住み、イタリアに・・・。


面倒で気が遠くなりそうな、滞在許可証取得の手続き。


しかし、海外生活ごっこを楽しむのも悪くない。(ホンキで悩んでいる人ごめんなさい。でも、ラテンの国ではそうでもしないとやってられませんよ。)


気がつけば、住んでいることが普通になっている。イタリア国籍は、とらないことにした。永住権があるから。


市民権とはなにか。ローマ帝国時代は、属州民が25年の兵役をつとめるか、医者か教師として、本国イタリアで仕事をすれば、ローマ市民権を取得できた。つまりローマ人とは、イタリア人の顔をしていたとは限らない。人種ではないわけだ。そしてこの市民権は、トクなことがたくさんあった。

当時、ローマ帝国はとても豊かで、その外に住む文明化されていない人々をバリバリ(野蛮人)と呼んだ。


むかしの中国にとっては、日本も野蛮人だったそうだけど・・・。


現代は、アメリカ市民権グリーンカードが、それに似ている。


しかし、グイドは、日本とイタリアをつないで、アメリカのような軍事力も、領土も持たない、人とのつながり帝国を建設する!!

その名はTOZAI.。

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 さて、いよいよ具体的な、ビジネスの話に戻ろう。

ようするに、具井戸が何を人々に与えることによって仕事になるか、ということが問題である。

ということは、具井戸が求めう仕事のパートナーとは、同じ考えを持ち、それぞれ違うパートを受け持てくれることである。

「イタリアで日本を紹介する」から始まったとしても、今度はそのどちらでもない国、たとえばドイツとか、スペインとか、イタリアという国を出ても、同じノウハウであれば、「ドイツで日本を紹介する」「スペインで日本を紹介する」という具合になる。

ココから、日本という言葉をはずしてもかまわない。基本的に東の文化と西の文化の交流だからそのTOZAIになるわけで、正式にも「TOZAI文化協会」であって「日伊協会」とは、最初から名づけていないのである。

たとえば「風水」「ウーロン茶」「鍼灸」「太極拳」と言った、日本でもポピュラーな中国アイテムを欧米諸国で広めるのも悪くない。そうなれば、韓国の垢すりやキムチ、タイ式マッサージとボクシング、インドのカレーやヨガなど、欧米発でないモノを、ユーザーである欧米人の視野から見て、普及する。

こういう運動の第一歩として、まず、イタリアを選んだと言うことなのだ。

「オリエンタルルネッサンスをルネッサンスの国イタリアで」が、モットーである。

かと言って、イタリアの文化に無関心というわけではぜんぜんない。具井戸が、イタリアにやってきた頃は、何でもかんでもイタリア一色だった。「もうすっかりイタリア人だね」と言われるたびに、何か大切なものを忘れているように感じ始めた。
そして、イタリア人から日本のことを興味深く聞かれたときに、本国日本を見ると、自国の文化に関心を持つ人が断じて少ないことに気がつく。あるいは、外国での日本観が、間違った情報や偏見によって、勘違いされている。

これを放っておく手はない。しかも、日本人自身が、なぜ日本ばなれしたがるのか。

日本の発展は、欧米をモデルにすることからはじまった。「日本人離れした」のあとに、ほめ言葉を入れたがるマスコミも、もうそろそろ方針を変えたほうがいいと思う。
日本も、韓国も、中国も、まだまだイメージチェンジして、たとえばイタリアのフィルターを通して、日本をデザインするためにも、漢字で書くばかりでなく、イタリア語をカタカナで「ジャッポーネ」と書くとか、建築規制で、日本の建物でも、建物のデザイン、素材、色などを指導して、看板も景観を考えて規制し、イメージアップすればいいのだ。
日本全体が、そんなに簡単に変わるわけがないから、まず、イタリアにいる日本人から変わる。イタリア人がジャッポーネ(日本)で活躍できる場所を提供し、そこから影響を与える。(チョイ悪のジローラモとか)

アメリカでも、アルゼンチンでも、フランスでもどこでも、イタリア人がたくさん住んでいる町は、カッコイイのだそうだ。古代ローマ起源の町は、イスタンブールでも、ウィーンでも、魅力的だ。

ジャッポーネでそういう都市が建設され、世界の美しい都市のひとつに加わり、地位を確立すれば、サンクトペテロブルグのように「イタリア人建築家の活躍によって街づくりがなされた」という恩はあるものの、あの町は、あの町のアイデンティティーをすでに獲得している。ジャッポーネにも、そうなってほしい。

これが、TOZAIのビジョンで、今やっていることは、最初のホンの第一歩を踏み出したばかりなのである。

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昨日の夜、あのベニーニが、久しぶりのテレビ出演で、「あらゆるものがイタリア人によって発明された」と話していたのが、今日も別の番組で、しかもイタリア国歌のBGMつきで流れていた。

民主主義も、人権も、銀行業も、音楽用語も、楽器も、イタリア人による発明だという。イタリアから見た世界観もあるが、イタリアという同じ国に住んでいても、イタリア人から見たイタリアと、外国人としてイタリアを見た場合はやはり違う。



イタリアで機能しないことに、まずその不便さに慣れてしまって、そういうところへ行くのを避けることを知っているなら、いいところを見るが、いくらプラス思考でも、欠点を一応は知っておかないと、物事のすべてを知っているとは限らない。


だから、イタリアの優秀な頭脳は、海外に出ていってしまう。グイドは、ココから先でのプラス思考なのだ。イタリアを拠点にしていると、鍛えられる。ベニーニの言うように、ココで多くのことが発明されたのだとしたら、彼らは、世の中が何かを必要としていたら、不満をもつだけではなく、何とかしようと使命に燃えるからである。何をしたら儲かるか。確かに誰もやらなかったことをやるほうが確率が高くなるだろう。ただ、イタリア人の偉いところは、人間的にヒトが何を求めるかを基本にしているから、より多くの人たちに認められるのだろう。


具井戸の事業が、イタリアを取り扱わなければ、イタリア人を対象にしている。今のところは、いつも「イタリア」に関わっているが、拠点は残しても、やがて、その外へと進出するだろう。


それが、人間的にヒトが何を求めるかを基本にしているなら、より多くの人たちに認められるのだろうから。

scala


このタイトルで、1から5まで書いて行くうちに、ローマ帝国の話に脱線したように見えたかもしれないが、理由がある。

グイドがイタリアにやってきて、そして住みついたけれども、イタリアのこういうところは、いいなあ、という部分もあれば、嫌いだな、と思うところも、やはりあるのだが、イタリアを知れば知るほど、いいなあ、という輝いている部分がいったいどうやって作り出されたのか、そして、それはなんだろうか、漠然と考えながら、こんなに長く滞在しているうちに、それが古代につくられていて、それらのモノそのものは遺跡になったり、イタリアやヨーロッパの地中の下に埋まってしまっている。


しかし、人々のDNAには、確かに残されており、イタリア人は芸術的才能が溢れる人が多いとか、カッコいいセンスがあるとか、そういう部分にあるわけだ。


だからこそ、イタリア系アメリカ人に、有名な俳優が多かったり(ウラの組織の力もあるだろうが)、デザイナーや、建築家、音楽家、映画監督などで、イタリア人がアメリカで活躍している。


陽気な彼らは、スペイン人やラテンアメリカ人と並んで、ラテン系(ラテンの言葉も、もともとは古代ローマと関係があり、俗ラテン語民族というところから、黒人やインディオの血しか流れていなくても当てはまるようになった)と呼ばれる、そんな彼らのルーツはどこなのか、どんなところか、に興味を持って、グイドは、イタリアに住みついた。


こういう理由で、グイドは、イタリアが好き、という以前、いや、その先の、自分発見、自分の向上という感じで、しかも軽いノリで、やってきたのだ。


イタリアから得るものが何もなくなれば、別の国に行ってしまうかもしれない。先のことはわからない。しかし、こんなに奥深い国では、一生あっても足りないくらい、いろんなものを見られる。


人は事業を作るが、事業は人を作る。


お金をもうけて生活をして行くため以外にも、グイドの存在理由のためにも、事業は必要だ。芸術に身を捧げるのも、政治に身を捧げるのも、人が生きてきた足跡を残すこととしては、ビジネスが、より直接に経済的な目的である傾向に強いが、どの分野にも、どの要素も重なり合う。


需要と供給を、もっともっとグローバルに考え、企画に辿り着くわけで、イタリアと日本を股に欠けて商売している人は確かにいるが、時代が変わり、つまづいた時に、もう一度初心に帰えれば、道は開けると言うものだ。

人生で、たいへんステキなことの発見は、古代ローマ人の行き方こそ、日本人にとって共通点もたくさんあり、モデルにできるところ。イタリアと日本は、お互いのいいところを吸収しあえば、温故知新な、理想的な社会を築くことが出来るだろう。


ローマ帝国

つまり、グイドは、イタリアで生活をしながら、電車に乗っても、歩道を歩いていても、イタリア人や、イタリアで暮らす外国人を見ながらも、ローマ時代のことを思い浮かべることができるようになった。


事業の話から脱線してしているようだが、ここでは、前の記事 に書いたように、時間も、空間も、まるで違うことのようでありながら、実は一貫しているからこそ、日々の、この感覚は無駄なことではないと言えよう。

驚いたことに、グイドの自宅は、ミラノの南東。コンサルティングした寿司バーは、ロディーと言う町。B&B提携のまちは、ローマまでの街道上とローマそのもの。日本語教室の進出は、ピアチェンツァ。無意識に、この線上「エミリア街道」に事業を展開していたのだ。

さて、グイドの事業は、一見「あれもこれも」と、幅広すぎる、悪く言えば、おもいつきだけで、ジャンル増えているように見えるかもしれないが、実は、一貫していると言うことを知ってほしい。


それは何か。


日本人としてイタリアのいい部分を吸収して、イタリア人に日本のいい部分を吸収してもらう。つまり、与え、与えられる、ということだ。


これまでイタリアが大好きで、日本でも、イタリア製品がどこで入手できるか知っていて、それらを使っている人たち。その上、イタリアには、何度も足を運ばせて、イタリア人の友人もたくさんいるという人たち。グイドは、そういう人たち親しい。


グイドは、イタリアに住んでいるため、この逆のイタリア人との交流が多い。つまり、日本大好きイタリア人だ。


特にイタリアの通貨がユーロになる前は、前者の日本人方が優勢だったし、イタリアはもともと観光資源が多いこともあり、今後も当分は、この状態が続くだろう。

その中の一人の友人のブログ を読むと、最近のユーロ高によって、もともと高い輸入品のイタリア製品漬けの生活化できなくなったとのことである。


実際、それを輸出する業者、輸入する業者、販売する業者は、打撃を受けて、このスタイルの商売をたたみ始めている。


グイドが、イタリア人に、日本を紹介する活動TOZAI をスタートしたのは、2001年の5月、つまり、ユーロの通貨使用開始の1年以上前からの構想があり、手続きを始め、7ヶ月前に開始したのである。

2002年、ユーロ開始以後、対米ドル、対円に対しては、かえってユーロ安が続いていた。

ところが、イタリアの物価は一気に二倍に上がってしまった。

あれから、5年。二倍であるイタリアの物価は、ユーロ高で、イタリア→日本の流通が困難になる。

日本→イタリアの流通、イタリアにおいて日本への関心の高まりに注目するビジネスも増えている。


この動きは、イタリアが好き、というだけでは見えてこない。日本とイタリアをつなぐことを生き甲斐を感じ、使命だと思うようでなければ、この発想にはならない。


TOZAIでは、特に日本語教師をやってくれる人を募集してきたが、経験あるなしよりも、ここに書いているような、ライフスタイルの人かどうかを基準にしているので、もともと、そのポストが限られているが、その中から、こういう基準で人選してきた。


グイドもイタリアに魅力を感じて、滞在生活は18年になろうとしている。


このブログのプロフィールでも書いているように・・・

  • 出身地:日本。しかし前世は南米に移民したことがあるナポリ人

  • これは、ちょっとオフザケもあるが、イタリアに行こうと決めた頃、そして最初にイタリアを周遊(安全で、効率がよく、しかも安い日本のツアーは、参加したことさえなく、バックパッカー)していた頃に感じたことなのだ。


    滞在年数がどんどん長くなるにつれて、何か説明できないような感覚が強くやってきて、イタリアに来た理由が、イタリアに来てから説明出来そうになってきた。


    それは、ナポリ人に生まれ変わる前は、イタリアに住んでいたローマ人だった。

    ということだ。


    前世はローマ人だった人たちは相当に多いだろう。なぜならローマ帝国とは、ローマ市民になる資格は、兵役の任期満了するか、医者や教師としてイタリアにやってくるか、などの血統によるものではなかったから、相当にローマ人と言う人が、史上にいたはずである。


    それでいてグイドが、ローマを見たときに、ローマ時代の遺跡には、とても感動していたわりには、そこに住もうと言う気持ちがわかなかった。

    グイドの前世がローマ人であり、現代のローマを見たと言うのが真実なら、まず、驚くのは「なぜこんなにキリスト教教会ばかりの都市になってしまったのだろう」と言う印象を受けているはずだ。


    現代のイタリア人に、蛮族などの外来の血と混血し、ローマ人が消滅したというより、崩壊してしまった文明のあとには、再び機能的な同じシステムでの文明は築けず、フランス、イギリスで、帝国を再建したと言える。


    ただし、この2国とも、古代ローマでは、新開地だっただけで、やはり、その文明さえ知らない新大陸、つまりアメリカこそ、ローマ帝国を継承しているともいえる。


    ローマ文明の継承が西へと向かえば、そこに日本がある。

    アメリカ大陸のヨーロッパからの移民が、ローマンスピリッツを持ち込んだとしても、彼らの大部分がローマ人の血を引いているなら、そのキリスト教とは引き離し、スピリッツを純粋に継承できるのが、日本人だと仮定する。

    だからこそ、グイドの前世の魂は、日本人に生まれようと決めたのだ。


    日本の新幹線は、世界的にも有名で、この列車の優れているところは、その車両が出せる最大スピードではない。

    出発駅から到着駅まで、山があればトンネルを掘り、谷や川があれば橋を架け、ほとんどまっすぐな状態で、スピードを落とさないで走れる鉄路を作るインフラにある。


    日本では、科学技術が進んでいた欧米を見習いたいがために「個人主義」「狩猟民族」を崇拝させられてきた。

    イタリアにおいては、個人主義の弊害で、公共サービスは機能しなくなっている。

    ローマ社会は、どちらかというと日本のように、組織力に優れ、ローマ人は、もともと農耕民族だった。


    帝政末期に、キリスト教を帝国の国教として、中世になって、それが人々の生活を支配するようになる。

    中世の真っ只中では、地上で最も進んだ国、中国を目指してマルコポーロが旅をする。


    ルネッサンス以来再び、発展を再開する西欧=キリスト教ということになっているが、実際、ルネッサンス発祥のフィレンツェを、「中世のアテネ」と呼んで、ボッティチェリが、多神教の神々である、ヴィーナスの名作を描いたり、オーストリアやフランスが、新古典様式の建物でも、アポロなどのモチーフを使っているということで、キリスト教はいったいなんだったんだろう、と思わされる。ローマ文明があまりにも、合理的過ぎて、あのまま科学の発展していたら、現代の科学文明はとっくに迎えていただろうし、ところがその反面、環境破壊して、地球は住めなくなっていたかもしれない。

    人類はどこかでバランスを取ろうとする。アクセルばかり踏んできた文明は、ブレーキをかけることに気がついたのだ。


    古代ローマ人からイタリア人が引き継いだところは、「戦いに勝てば、元、敵だった民族を自分たちと同化し、その近くに植民地を建設すれば、ローマ人らは、原住民の女たちを妻として混血して、さらに首都ローマ発の街道のネットワークでつながっていった」


    ここにグイドがイタリアに来てみたかった理由がある。元、敵だった民族を同化するほど、戦いもしないし、しても勝てないイタリアだが、他民族を優秀、劣等で差別せず、その民族からも学ぼうとする、また他民族との混血をよしとする姿勢は、長かった中世を隔てても、それほど変わらず保ってきたように思う。イタリア人が開放的なのは、そういう歴史が、DNAにあるからだろう。


    日本が、必要なのは、イタリアのすべてではなく、ローマンスピリッツの、他民族を同化する姿勢であろう。

    そして現代のイタリアは、日本から学ぶべきことがたくさんある。

    それをローマ時代へと時代を逆行するのではなく、その精神をもって、韓国や中国が参加してゆくだろう将来のグローバル社会に適応させることである。


    イタリアにも、古代ローマに関する本や、遺跡から学ぶことも出来るが、日本では、塩野七生著、「ローマ人の物語」(新潮社)があり、日本語で、しかも日本人に関心ある内容が書いてあるので、グイドも愛読している。


    ミスイタリアと


      ミスイタリア と会った記事を書いたのが、8月22日。グイドはサルデーニャにいたが、あの時、相棒が持っていたデジカメの調子が悪く、イタリア人であるミスイタリアの付き人が撮ってくれ、そのあとメールで送ってくれることになっていた。あれから2ヵ月半。2度目のメールと、一回の携帯電話で催促し、やっとの到着。


      アメブロで、他の人の記事を読むと、更新がいつも新鮮で、テキパキとしているのがうらやましい。

      イタリアは、たぶん二千年前の方が機能していた国なんだろうが、現代というと「使い切った」国なのかもしれない。だから、廃墟だと言うわけではなく、独特の魅力が漂っている。

      おそらく機能していたときとは違う魅力かもしれない。


      ローマンスピリットも、イタリアンスピリットも、だからこそ海外に出て行き、そこでこそ輝けるのかもしれないが、こういう現状を目の当たりにしたときに、多くの人は「じゃあ、だめだ」と考えるだろう。


      しかし、われらプラス思考人間は、こんないいチャンスはないと考える。

      

      まずなにより、グイドも、これを読んでいる読者も(例外はあるが)日本人だ。日本人を放棄するために海外に目を向けているのではなく、日本人であるのはもちろんだが、自分も磨くために海外を知るわけだ。


      住んでいるかどうかではなく。


      どこにいたって、ついている奴はついている。その違いは、考え方なのだから。


      「日本ではなくてイタリアに住みたい」「イタリアよりやっぱり日本がいい」


      そういう問題ではなく、今何をし、プラスの部分を吸収しマイナスを処理する選択能力で驀進すれば、幸せは向こうからもやってくる。

     

    japanesemissuniverso


    メキシコで、ミスユニバースに選ばれた日本代表の森理世(りよ)さん(20)が優勝した。

      日本のいつでも世界から見ている具井戸にとって、これほどいいニュースはない。考えてみると、西洋は、西洋的な「美」に疲れているのではないだろうか。どういう理由であっても、最近の日本は世界で注目されているということは、日本の時代が来た証拠である。

     そもそも「美」の基準とはなにか。世界がなんでも西洋中心だったつい最近までは、映画を見ても、ファッションも、経済も、世界政治も、西洋がよし、とされてきた。そして日本が扱われるときは、いつでも「珍しい」モノに過ぎなかった。

     日本が豊かになり、情報やモノがすべて集まると人が輝いてくる。女性の美しさは、国のバロメーターだ。

     イタリアの場合はアメリカと似ていて、女性もバラエティーが豊富。金髪もいれば、褐色のヘヤもいる。そういう豊富さでは、中華料理は中国人、フランス料理はフランス人、というバラエティーさに比べ、日本人は何でも日本人がマネしながらも学習し、吸収し、自分の文化に組み込んでゆく。

     

     日本人は鎖国の時代に、自分らしさを作ってきたが、開国当時、平均身長だけでも、海外と随分の違いがあっただろう。しかし、開国以来メキメキと吸収しながら自分のものにする力によってレベルを上げたのだ。


    つづく

    ディスコ borgo
     プラス思考ブログを書きはじめてから、気がついたら「いいこと」が、もうとなりに来ているという具合である。「いいこと」に慣れてしまっては、いけないと、潜在意識の中にいる神さまが、考えてくれているのかどうか、「愉快なこと」が、よくもまあこれほど考えつくものだ。とばかりに起こる。  


      あるときミラノのドゥオモあたりを歩いていると、イタリア在住二十何年というお方に出会った。この人は、本人の力だけでイタリアで商売している日本人としては数少ない人で、現時点ここでは書けないが、仕事の協力のことで、ちょうど具井戸のことを考えていた矢先に珍しくも偶然に出会ったのだ。  


      別の話しだが、少し前から、具井戸の「イタリアにおけるスシビジネスコンサルタント」のことを知ったイタリア人らの口コミで、ミラノのブッダディスコが、スシを始めるという。それで、木、金、土の夜は、ココですスシが出されるように協力するのが、具井戸の仕事で、昨日は、DMなどの招待用の写真撮影をプロのカメラマンと行った。 少し前に店長と一緒に、必要な道具などと、お皿などの食器もこちらがコーディネートした。そこで、黒いお皿を選んだのだが、そのお皿と、スシを持って、車と地下鉄などに乗り継いで、写真スタジオで盛り付ける。そして今晩最初のスシがブッダディスコで登場する。  


      イタリアのディスコは、日本で想像する「お立ち台」などのイメージとはちょっと違う、踊るスペースはもちろんあるが、食べるところ以外にも社交の場とイベントがある場所という感じで、郊外のものは、畑が回りにあったり、父親が娘を連れて行くこともあるスペースなのだ。 ヨーロッパ屈指の海水浴場リミニでは、アルファーミュージックをかけて、「指圧」のお試しを受けられるところだとか、ミラノの公園内にあるところは、各国の紹介で、そこの国の人たちは無料招待されていて、彼らに会えると言うイベントが行われてた。  


      今回スシを出すことになったのは、ボルゴ・デル・テンポ・ペルソまたはカルマと言うお店で、となりにはテニスコートがあり、回りは畑、かなりの部分は野外にも人が入る、約一万人収容のミラノ最大のディスコで、神社かお寺のようなエントランスを今回建てているし、スシエリアには、すでに巨大なブッダ像、壁にもお地蔵さんのようにブッダが並んでいる。こんな不思議な空間に、ディスコとしては世界共通のミニスカが当たり前の、露出系ファッションで現れるギャルで埋まる。それでいてなんか健康的だ。  昨日の夜は、日本語教室の最終日でもあり、スシの夕べスタートの前夜というぴったりのタイミングなので、日本語のイタリア人生徒たちと日本人先生は、無料ご招待することができた。 

     

     「愉快でいいこと」が起こるのが、加速されてきたが、具井戸だけでは、それを使いこなせなくなってきた。だからみんなに分けてあげたい。そう思って、このブログを再開した。いいことはみんなに分けてあげるほど、もっとたくさん、もっとクオリティーを盛ってやってくるのが法則なのだ。


    budda

      

     こういう気持ちに到達したときに、ブッダが目の前に現れたのも、偶然ではないかもしれない・・・。