イタリアに住んで10年目を迎える頃から目に見える現代のイタリアのところどころに残る「なにか」に興味を持ち、それが「古代ローマ」「ローマ帝国」であることを知り、イタリア各地の課題の遺跡に興味を持ち、そしてイタリアで出版されている古代ローマ関係の本を読んだあと、塩野七生著の「ローマ人の物語」(新潮文庫 全43巻)を、日本に帰国するごとに少しずつ買って、全部読んだ後、2回目また読んでいたのだが、この続編として「ローマ亡き後の地中海世界」新潮文庫 全4巻が出ているのを知り、今回の帰国で4冊買ってきた。

「ローマ人~」を全43巻読んだ後、イタリアに住んでいることを利用して、ローマ人の子孫がどれだけ変わったのかをイタリア人たちを通して観察していると、彼らは先祖のローマ人と正反対の生き方をしているのがわかった。西ローマ帝国が崩壊してから現代までのイタリアの歴史もあらゆる本で読んだものの、イタリア人らが書いたものは主観的で屈辱的なことは控えめであり現実をしっかり見据える洞察力が欠けるように思い、また、この塩野先生の詳しさに慣れたのかやはり読んでいて楽しい。





読んでいくうちによーくわかったことがある。

西ローマ帝国は476年に崩壊している。313年(ミラノ勅令)から宗教の自由が保障され、実際はキリスト教が国教になる。

610年頃唯一神(アッラーフ)の啓示を受けたと主張し、アラビア半島でイスラーム教を始めた。(当時彼の教えを信じたのは200人ほどだった)

この間200年地中海の支配者の空白状態ゲルマンの蛮族がイタリアを支配していた。

つまり初期キリスト教を信じるヨーロッパ人は、侵略者に対して抵抗も出来ないと洗脳された状態で、一信教キリスト教の布教に熱心だったコンスタンティヌスは反逆者に脅かされることなく統治し、自分はコンスタンティノポリス(現イスタンブール)の町を建設して、そのまま東ローマ帝国がのちのビザンチン帝国として1453年まで持ちこたえる。
つまり東は西より先年も長く持ちこたえた。

ようするにイタリアや西地中海は、イスラム教が北アフリカで広がってから先年はサラセン人から財産は強奪され、人は拉致され、北イタリアで奴隷として死ぬまで重労働させられた不幸な人たちが絶えなかったのだ。

中世の初期はほぼ無抵抗なキリスト教徒をいいことにイスラムでは異教徒には何をしてもいいと海賊行為でやりたい放題。暗黒の中世を過ごしたのはヨーロッパだった。

北と中部イタリアで都市国家が乱立し、イタリア統一までそれぞれバラバラであったのが、それまでの経緯がよくわかった。

地中海の覇者だったローマ人、つまりイタリア人たちは、帝国(西ヨーロッパ全土、北アフリカ、小アジア)のどこへ行っても敬意をもたれていただろうし、征服した領土にローマ人の男たちが現地の女たちと結婚して住み着く植民地を建設していた。
この時点で、イタリアの男たちは、外国の女たちをものにする征服欲をもち、それは彼らのDNAにも組み込まれている。

ところが、中世に入って、北からはゲルマンの蛮族が、南からはセラセン人が男は奴隷として、女はイスラム教に改宗させハーレムで奉仕させられた。

「イタリア男はプレイボーイ」というけど、日本で別の歴史別の文明圏に生きる我々が理解し得ない非常に複雑な精神構造を持っていると言える。