小さな動機から大きな結果へ

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昨日、仕事の後、駅まで送ってくれる人を待つ時間があまりにも長く、とても久しぶりにある女性に過去の恋愛体験を話す機会が持てた。
そのとき、今の自分がこの数年で大きく変身してしまったことに気付かされた。

我々はよく、最初の動機とは違う結果を出す事がある。そして、それが人生に大きく左右する事がある。
私にとってそれは、海外で暮らし始めたことと、結婚をしたことだ。
よく聞かれることだが「なぜイタリアに来たのか」この答えだが、聞く人によって何種類ものバージョンがある。
大きく分けて動機の方は、生まれ育った土地にいた自分は、何も残せずに終わってしまうと思ったからだと言うのが一つだ。
ちょうど20年ほど前にアパートをローンで購入することで支払えるように仕事も真剣になったし、どうやって仕事を増やすかいつも考えていた。その結果、その後結婚し子供が出来、郊外にいつり住み始めたことで、まだローンを支払い中のアパートを事務所とし、自営業を始めた。
日本人である事を利用しアソシエーションを自分で作った。今ではそれがメシのタネになっているだけではなく、日本文化の普及に貢献している。

これは誰でもだと思うが、恋愛で結婚相手に出会うとき、家族設計などを最初から考える人の方が少なく、異性とセックスしたいという「動機」であり、結婚した「結果」として家族設計へと考えられるようになって行くのだ。

ポジティブな考え方を持っているおかげで、動機はささやかなことでも、結果的には壮大な事業へと変わって行く事があるものだ。
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日本は文化で戦勝国

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一体これが何を意味するのか、イタリアのミラノは、どこもすしをはじめ、日本絡みの広告で埋まっている。

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駅の本屋さんの前を通ったら、やはり日本絡み本が3冊も陳列してあった。


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70年前の第二次世界大戦の後には、おそらく世界中がなんでもかんでもアメリカ🇺🇸一色だっただろう。
日本人は性能高い工業製品を作り続け、世界中で認められている。高度経済成長そしてバブル期を乗り越えながらも、アニメと日本食が人々の生活に浸透していき、武力で脅してではなく、心から歓迎されるときがきた証拠なのかもしれない。

モーゼは民を約束の地へと導いてそこで暮らし国を作り、ユダヤ民族の父となった。
今、大和民族が武力でも一方的に売り付ける商売でもなく、現地の住民にもその普及に参加する機会を与える文化を広めることで世界中で生きていけるように手伝う使命を果たしたい。

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自分の息子が成長するとその年齢の時に考えていたこと、将来どうあるべきか、などいろいろ考えさせられる。
特に日本での学校では、先生も学童、生徒同士も人を点数制で評価してしまうためか、「自分はダメだ」と思う人たちが多いのかもしれない。
それが学校で見る視野だとか、そこで生活する世間の目線や親の価値観などなどであるから、そこで多くの人々が劣等感を抱き自分という貴重な人間の可能性に挑戦することなく人生を終える人は多いだろう。
だからと言って、漠然とした憧れだけで海外に出て行ったても、何も変わらない人もやはり多いだろう。

オレは、息子の年齢の頃(15歳)には、心の中では自分がつまらない人間だと知る反面、野望だけは大きく、決められたレールを走ってこのまま何処へ辿り着くのだろうと疑問を持った。
親は家庭を支え、父は真面目なサラリーマンだったが、それがつまらないというのではなく、自分の人生だとすることに違和感を感じたのだ。

時代もそうだったが、田舎で育ったために周りにあるもので魅力があったのが「料理」「食」という世界。料理店、旅館、食品卸売そしてレタスの農園などのアルバイトのおかげでその世界の仕事はもちろん、日本のいろんな土地を旅することが出来た。
その頃から「海外」が視野に入って来たのだ。

知らず知らずだが、日本の独自の文化を身につけることに大いなる価値観を抱いていたオレは、マンガ、柔道と空手、指圧などを習得していたし、それらの知識はあとでたいへん役に立った。

海外で暮らし始めた、まずスペイン、そしてイタリアでは、まずその国の文化に圧倒され夢中でそれらを吸収したものだった。
イタリアに移ってすぐに現地で彼女が出来て、イタリア人の彼女が日本文化にたいへん興味を持っていることと、自分はそれらを教えてあげられると同時にイタリアの文化の吸収を優先させていたことを同時に出来る組織あるいは事業は出来ないものかと、当時はまだ漠然と考えながらのその名前まで決めて構想が始まったのだ。今でも覚えているその名前はNIPPONERIAと言う。

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時は流れ、息子が生まれる1年前の頃、ツキは向こうからやって来た。

ある人が日本とイタリアを結ぶアソシエーションをやりたいが、会長になってくれと打診して来た。またある人は別の日本愛好家たちのアソシエーションを持っていて入会するものの、すぐに閉鎖してしまい、今度はこちらから続けたいというと自分で設立すればいい、とアドバイスしてくれ、それからはまるで自動的にというくらい人がやって来て、まるで生き物でもあるかのようにその組織自体が自分で形を変えていきながら成長してくれたのだ。
やはり事業は、組織はある意味「生き物」なのだ。
オレはその親であるから、うまく育てる助けをする必要があるのだ。

イタリアのことを知るうちに、マルコポーロやコロンブスの事業に魅了されていたのは、大旅行者には彼ら自身よりも彼らの事業が残した影響は何世代も超えて伝えられ世界を変えたということが「ちっぽけな存在」である自分にも出来るのではないか、と考えたからである。

この世界のツボを押さえることで、信じられない大きな力が働き世界をより良き方向に変えることはできるのである。
そして多くの人々がそれを実践してくれることを望む。



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