文明の親子?

テーマ:
イタリアは世界の田舎である。

かつて日本にいたころ海外への移住を夢みて、語学学習は現地のネイティヴからと決めていたオレは、海外での生活を書いた本をよく読んでいた。

たしか「遥かなヨーロッパ」という本だったと思う。
こんなことが書いてあった。
「アメリカは日本を田舎だとみるだろうが、イギリスの田舎がアメリカ、フランスの田舎がイギリスで、フランスもイタリアから見ると田舎みたいなものに見える。」
つまり自分の国の影響を受けているかわいいやつらみたいな感じだろう。
イタリアの前はと考えてみると崩壊してしまった文明ローマ帝国に行きつく。

先頭を走っていたランナーが気が付くとビリになっていたみたいな。

しかし、イタリアは奥深い。その頃の列強で形成していた物質文明のネットワークの中で体験学習的に生き方を作り上げてゆくにはイタリアに行ってみようという気持ちがますます強くなったのを今でも覚えている。

これらの国々を「親子」と置き換えても面白い。

そしてそのイタリアに認められることが世界進出であるようなそんな直感がその頃にはあったのだ。

ユリウス・カエサルは子から親ではなくその逆の親から子、つまりイタリアからフランス、当時でいうローマからガリアに進出することでそこを含む地中海をも一気に手中に収めローマ帝国の創始者になったのだ。
ここのところイタリアから日本までの流れで、確かにその間(大西洋と太平洋を越えた)の国々への文化の影響のことを考えていた。
シルクロードとは反対側で一つにつながる文明圏とでもいうのだろうか。
AD
日本を遥か海外から見て、またローマ帝国という古の消滅してしまったがしかし、史上最も繁栄し、インフラは整備され、平和を謳歌したこの「帝国」と呼ばれる地中海の統一は実は、日本が統一され、さらに列島の平和と秩序と日本文化が多く生まれた江戸時代も同等に人類の奇跡だったものかもしれないと思う。

徳川家康は政治家としては一級の人物だったと言える。それでも我々が学校教科書で学ぶと、武家社会ということ自体暴力で勝ち取った権力であり、士農工商という身分制度の創始者だったことが悪だとされるのだ。どの時代にも、世界のどこでも階級社会とか身分制度がどうせあるのなら、侍という少数がほかの大多数を統治する際、米や野菜を作ってくれる農民を士族のすぐ下にもっていく政策はまんざら間違いではなかったはずだ。

我々が教えられた文明開化以前の悪とは、ペリー来航での開国からを善と見た目線であり、確かに江戸幕府は機能を失っていたがそんなことを言ったら、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスからも何度も危機を乗り越えて3世紀に入るとこの帝国もたびたび蛮族に脅かされる。

帝国となると他民族を支配しているが日本の場合単一民族だと言われそうだが、それは当時の地域の事情もあるわけで、ローマ帝国での2世紀の全人口が4900万人だという資料が出てきた。多く見積もって5千万人としよう。単一民族だとは言っても江戸時代中期・後期を通じて、日本の人口は約3000万人前後だから、まんざら少数の国でもなかった。


ローマ帝国をアウグストゥスの統治時代から西ローマ帝国崩壊の476年までとする503年と長いが実際は3世紀くらいからたびたび蛮族の侵入が増え始め、皇帝はローマを不在したまま継承するような時代が続いていたという。江戸時代の265年の統治も独自の文化を開花させるには十分であったし、なにより西ローマ帝国だった地域のその後の衰退とは逆に日本の文明開化後にはさらに発展を続けている。

そして近代日本にも、西にはシナがあり、北にはロシア、そして世界最強国米国が東の太平洋の手が届く範囲に進出していて、それは綱渡り的な外交と戦争によってよくも国そのものが存続で来たことかをよく考えることにしたい。
AD
歴史上預言者というものがいたわけだが、それがかつては「宗教」というメディアである機関を通してきたので、神に選ばれし人だったとか、予知能力という特殊な人だと定義しているが、実はある程度の感受性がある人なら、それが生存本能かなにかで敏感になった感覚で危機を乗り切ろうとする力であり、世の中がその人が感じたとおりになった場合「彼は預言者だ」となるが、世の中が突然舵を切って別の方へ進むと彼の言ったことは無効だったわけで誰もが忘れ去ってしまい記録に残らない、たったそれだけのことなのである。実際私自身がそういう感覚を持っていて、それを「能力」果ては「超能力」と呼ぶのはちょっとオーバーだと思う。



世界の秩序が崩壊しつつある。
アメリカが、いやアメリカを支配する一部の大富豪はすでに世界侵略をはじめている。

ずっと前ヨーロッパに来たばかりのころ、マドリッドで出会った日本人が面白いことを言った。

「中国がもっと金持ちになれば日本人を見る目も変わる」

かれこれ30年も前のことだが、その頃の欧州諸国では、中国は貧しい国と思われていた。
それにしても、海外で生活していると感じるのは、日本人は見ないが中国人は我々の何倍もいる。
だから当然日本人をあまり見たことない一般大衆は東アジア風の顔をみるとタイ人だろうが、ベトナム人だろうが、フィリピン人だろうが「あの辺の人だろう」といういい加減な見方で「中国人」(伊、Cinese 西、Chino/China 英、Chinese...)

どうせ中国人に見られるとしても、もし中国人が豊かであってくれたら、おしゃれで、教養があり、好感があり、と東アジア人の誇りなってくれたら、いくら間違われても腹は立たない。

逆に日本に来る欧米人がほとんどアメリカ人に間違われるとしよう。しかし、彼らは本気で怒らないだろう。アメリカ人と言ってもいろんな人種がいるし、それにお金持ちの旦那として扱ってくれているくらいだからだ。

その中国が、このところ経済的な脅威にさえなっている。
世界をアメリカと中国が二分するとまで考えているらしい。

ところが冷静に情報を収集し分析すればその妄想も現実的でないことはわかる。

アメリカはいろんな国を敵だとしてこれまでは英仏をはじめ世界の警察、正義のための戦いを装って戦争を続けてきたが、そのネタがばれてきていてこれ以上この手は使えなくなってきている。西欧の白人国家もこれ以上ついていけないというあきれ顔を見せ始めた。

中国の、低クオリティーな、これまで低価格なだけの、しかしその低価格さえ維持できなくなっている製造やサービスも行き詰っていき、資本主義経済から寄生虫を続けられるご都合共産主義も限界にきている。

これらの広い領土を治める平地で暮らす大量生産型の製造とサービスで成り上がったこれらはそのまま「貧困大国」として衰退してゆくだろう。

そこでだ。イタリア生活で多くのことに気が付いた。
領土型のグローバル国家ローマ帝国は、世の中の変化などに合わず崩壊してしまった。それでもまだまだ長命を望み、終焉の手前でそれまでのシステムとは全く異質なキリスト教を国教として、国家の体を死んだあともその教義は中世に入っても生き続ける。

欧米の文明はその状態を引きずってまた再生したもので、これまたイタリアのフィレンツェでルネッサンスが起こり、西欧が世界のトップに躍り出る。
日本にポルトガル人が渡来し、西洋と出会ったのもその頃で、日本人は自分たちの国は遅れていると見せられてきたのだが、それは全く違うことを我々は最近になってようやく気が付く。

現代のこの世界で平和で豊かなスイスは、ある意味では「鎖国」をしているメリットを謳歌している。ここでは「鎖国はいけないことだった」と教えられてきたからだ。


イタリアの豊かな人々は今でも、岬の外れや、山や丘の頂上だとか、島などに別荘を持っている。つまり辺鄙なところが豊かになっている。
中世に敵から身を守るために逃げ込んで発展した都市などもまだまだ健在なのは、イタリアがグローバル国家も、暗黒の中世も、そこから抜け出した文芸復興のルネッサンスも経験してきた現代の形になったからだ。

つまり、島国で山の多い日本はスイスや英国などとともに繁栄を維持する別の形の国として生き続けていくのではないかと思うのだ。

自動車や列車ではなく、航空技術の発展とインターネットによる情報のネットワークで、これまでどこよりも遅れていた辺境が実は世界の中心になっていくのではないか。

ちょうど「風の谷のナウシカ」のような世界になり、日本はこれまでの犠牲や汚名もすべて清算され、今度こそ世界のリーダーになるだろう。

これが私のいわゆる預言である。
AD