「み帆さん、セバやん」ではじまる私の出身地でのコミュニティーラジオにメッセージと曲のリクエストを送っている。
これを追うことで、私自身の回想録が出来上がるので、ちょっと集めてみた。



その1
楽しいお話ありがとうございます。イタリアに住んで25年、もう結構な歳になってきた今日この頃、フェイスブックのおかげで中学校の友人とまたお話できるようになり、FMたんごの存在を知り、ネットのサイマルラジオで今日から聴き始めました。遠く海外にいながら懐かしい地名やお店の名前を聞けるなんて感激です。丹後の同級生の大勢が大都市に出て行っていて、丹後に帰ってもみんな一緒に会えないのがさみしいですが、日本の各地にいる丹後出身者みんなに聴いてほしいラジオですね。
さて、私が幼少のころ、地域のマラソン大会があり、天気がいい日だったのを記憶しています。軽トラックがつけていたラジオから、外国語の曲が聴こえてきて、英語でないのはわかったのですが、当時それがイタリア語だと知らないながら、楽しそうな曲だったのを覚えています。その曲に心を惹かれ、どうしてもその国に行ってみたいと思って現在があるような気がします。その曲はドメニコ・モドゥーニョのヴォラーレで知られている「nel blu dipinto di blu」です。ラジオからあの曲を聴くとその頃の気分に浸れるでしょう。"


その2
1週間のご無沙汰です。先週メッセージとリクエストをお送りしました丹後出身ミラノ在住者です。
前回幼少のころイタリア語の曲のおかげでイタリアに住んでしまった経緯とその曲をリクエストしましたが、あれから一度過去を思い出してしまったことから、丹後で過ごした高校生のころの記憶がよみがえってしまいました。
ちょうどうちの息子が来年高校生になるので、ン十年も前の自分が十代だった頃のことを最近のこと以上に覚えているのは不思議な気分です。
リクエストに二曲お願いするのはできないかもしれませんが、それぞれの曲に一人の女性の思い出があり、続けて二曲聴くと完全にあの頃の気持ちになってしまうので、今回だけぜひお願いしたいです。
私たち丹後で青春を送ったものは夏休みにアルバイトをすることと、一人で電車に乗れるようになったことで、京都や大阪に行って遊んでくるのがステイタスシンボルでした。ある人の紹介で高校二年の夏大阪の喫茶店で住み込みんでアルバイトすることができ、そのお店のウェイトレスの一人が、これまで見たことのないような髪の毛もアイラインも色とりどりの同年代の女の子だったのに、カルチャーショックを受けたのでした。その奇抜さに圧倒され、その頃それが恋愛なのか、尊敬の念なのかわからなかったのですが、喫茶店でかかっていた曲を「アンちゃん(アンルイスが好きだということで自分につけたニックネームで、自分のことをそう呼ぶのも今思えば変わった人だった)この曲すっきやねん」と、その曲がTINA CHARLES - I LOVE TO LOVEでした。
(こちらはかけてもらえませんでしたが、ちなみにこちらです。 https://youtu.be/5e1Ti6-DKDk )
イタリアに住んでいる今、振り返ってみると私にとって大阪はイタリア以上に外国だったような気がします。
(実はこの2曲は、二人の女性のタイプの比較論として重要なところだったんですが・・・。)
夏休みが終わり丹後に帰ったころ、学校のクラブの友人が紹介してくれてほかの学校の同級の人と付き合うことになったんですが、大阪のウエイトレスとは対象にヘアスタイルは当時流行っていた聖子ちゃんカット。当然彼女も聖子ちゃんにファンだったようで、彼女が松田聖子の曲を聴いていたのを覚えています。実はその方の名前はこのミュージックパフェをやっている方と同じなんですよ。
その方とのおつきあいがどのように終わったのかはもう覚えていませんが、社会人になったときに、その方が聴いていた曲でなくてもテレビのビールのCMで松田聖子の声だったで、その方のことを急に思い出してしまいアニメのペンギンみたいに目がうるうるしてしまいました。それが松田聖子 SWEET MEMORIESです。
あの頃の年齢よりも海外に住んでいる年数が長い年齢になった今、清純派の聖子ちゃんのベビーフェイスへと好みが変わってしまいました。
人は年齢を重ねていくともう昔と同じその人ではありませんが、歌はそのまま残っているなんて有難いことですね。


その3
今日はリクエスト曲を最初に書きます。
というのも、2週連続で朝4時に起きてサイマルラジオでこの番組を聴いていたので、もしかしたら寝過ごしてしまってリクエスト曲をかけてくださっても聴けないかもしれないからです。
その曲はランバダ(ランバーダ "Lambada")です。
前回までに私が丹後に住んでいたころのことを書きましたが、イタリアに住む前に実はスペインのマドリッドに1年4か月住んでいたのです。
まだ20代だったので、夜早く寝るなんて事はまずなかったあの頃マドリッドのBAR(バール)をあちこち梯子してものでした。スペインのビールを飲めば、音楽が聴け、お客さん同士で踊ったりする陽気な時間を過ごせる場所は新しい音楽とそのダンスが大流行していました。
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そもそもランバダとは、ランバダは、ブラジルのフォホーやカリンボーなどに起源があるとされ、またドミニカのメレンゲやコロンビアのクンビアが、それらブラジルのリズム音楽の影響の元に変化したものである。したがってランバダは、南米のいくつかの異なる文化が混ざりあったものである。
男女がペアで踊るダンスであるが、密着度が高く、腰をくねくね動かすパフォーマンスと時に片足を相手の股の間に入れてお互いの股間(局部)を太股で刺激するように擦り合わせ腰をすり寄せる格好をする、極めてエロチックなダンスとして話題になった。1980年代に日本で流行していたディスコでは、そのエロチックさ故にランバダを踊ることを禁止する所も現れた。(ウィキペディア引用なので、著作権の問題もあり、時間の問題もあり、この部分はカットされています。)
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その当時、異国の地で見るものすべてが社会勉強のつもりだったのですが、やはりあの曲とダンスはすごい社会現象でした。あの曲を最初に聴いたのがスペイン。ドミニカのメレンゲやコロンビアのクンビアの影響を受けたブラジルの音楽。マドリッドの夜の街でイタリア人旅行者のカップルと知り合い合流し、彼らがBARで「ウナ・ランバーダ!」とリクエストしていたそのシーンは、まるでラテン系の国々をミックスした世界でした。


その4
もうすっかりこの番組でメッセージを読んでくださるだけで、まるでお二人の仲間になったようでとても楽しんでいます。
せばやんのクリスマスソングの解説で、ふと甲斐バンドの「かりそめのスウィング」の「ジングルベルに街が・・・」ではじまり「ニュースは不況を喋(うた)い・・・」と、これもクリスマスらしくなくていいのですが、クリスマスのことを考えようとしても気が付いたらもう考えておらず、先週のメッセージで登場した、実家で暮らすギター好きな兄のことを思い出したが最後、彼の青春は野球一色なこと、我々が幼少のころ、3歳と9か月年上の兄がキャッチボールを私に教えるといってわざと怖がらせ、彼の独占欲にこちらが嫌気をさし、私はそれからずっと野球に興味を示さなかったこと、兄と私が何一つ同じことに関心をもたない兄弟であり続けたことを思い出してしまったのです。
なので年が終わるのを機会に、ここで一つ過去に清算するためにも、ここは兄に捧げる曲をリクエストしてみたいと思うのです。
というのも、今年の8月に実家に帰る前ネットで日本のアニメ「ドカベン」が偶然みつかって、第一話から100話以上最終回までを続けて観てしまっていました。自分でもなぜなのかわからなかったのですが、あれから実家で兄に会ってそれがわかりました。それは私が兄として生まれて兄が私の弟だったとしたらどう見ているのか理解してみたかったからなのです。
前回のエピソードでは、アニメ「耳をすませば」でイタリアにバイオリンづくりの修行に行く天沢聖司でしたが、これとはタイプが全然違う山田太郎は強打者で捕手であるところ、兄をアニメにしたようなものです。私と兄はこのふたりくらいに全然違う世界に生きています。前回の「カントリーロード」は自分に言い聞かせていましたが、別のアニソンを兄に捧げてみたいと思います。
1話終わるごとにアニメの主題歌を聴きながら、最後に聴けることと、歌詞は兄や丹後の、そして日本の"元"野球少年たちのことを言っているような気がします。「青春ってなんだ。あの白い球・・・」
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