昨日は、日本橋三越でやっていた(今日まででした)
生誕100周年記念
マザー・テレサ愛の世界展
へ行って来ました
日曜日というだけあって、すごく混んでた
最初にマザー・テレサの写真がたくさん展示されていて、
次に可愛いイラストと共にマザー・テレサの言葉がこれまたたくさん紹介されています
それから、さらにマザー・テレサの言葉がステキな書になって飾られ、
マザー・テレサにちなんだ品物が(使用してたベッドの綿まで)展示されていました
写真のマザー・テレサはどれも嘘の無い優しい微笑みをしていて、
その表情を見ているだけで胸がググッと温かくなるものがありました
飾られている言葉も、一つ一つとてもココロに染み入ります
ベクシィはマザー・テレサの言葉、大好きなものがいっぱいあります
今回も普段と違う形でじっくりと言葉を読んで、
改めてステキだなぁと思うものがたくさんあったのですが
その中に一つ、丁度昨日の朝に更新した記事の中で(楽しみが無くなるわけではないのです )
言いたかったようなことをもっと素晴らしくおっしゃってるのがあったのでご紹介
与えることを学ばなければなりません。
でも、与えることを義務と考えるのではなく、
与えたいという願いとすることが大切です。
一緒に働いている人たちにいつも言っていること。
「余った物、残り物はいりません。
私たちが仕えている貧しい人たちは、
あなた方からの憐れみも、見下すような態度も
必要としていないのです。
彼らが必要としているのは、
あなた方の愛と親切なのです。」
でも、与えることを義務と考えるのではなく、
与えたいという願いとすることが大切です。
一緒に働いている人たちにいつも言っていること。
「余った物、残り物はいりません。
私たちが仕えている貧しい人たちは、
あなた方からの憐れみも、見下すような態度も
必要としていないのです。
彼らが必要としているのは、
あなた方の愛と親切なのです。」
えーーーー
ってか、昨日書いてた話ってお肉食べなくても食生活は楽しいって話でしょ
どこがつながってるのかです
と思われてしまうかもしれませんが、ベクシィの中では大きくつながっているのです
昨日の話をマザーの言葉に乗せて言い換えるならば
自身と向き合うことを学ばなければいけません
でも、向き合うことを義務と考えるのではなく、
向き合いたいという願いとすることが大切です。
~せねばならない、~してはならない、の頭の知識はいりません
わたし達が向き合っている自分自身は、
常識的な決め付けも、過去からの思い込みも
必要としていないのです。
本来の自分自身が必要としているのは、
まっさらなココロと曇りの無い目で自分を見つめることなのです。
ヨーガは、どこまでも自分自身と向き合う旅です
それは、自身のココロの中、ココロの癖、過去、カラダ、思考に嗜好、その他もろもろ
自分の全てと向き合います
しっかりと向き合うと、生活習慣を見つめなおしたり、食生活を見つめなおしたり、
性格を見つめなおしたり、カラダの使い方を見つめなおしたり…
たまたま昨日は食事をテーマにしてお話しましたが、
それは何も食だけの話ではなく、全てに通じる事なのです
そんな自分と向き合う旅を『義務』と捉えて励んでいると、
それはとてもストレスフルで辛いこと、つまんない
けれどそれが願いになってしまえば、
それはストレスでも我慢でも苦痛でもなく、
『喜び』に変わります
あ、因みに、ヨーガで自分自身と向き合うことは、
人にも優しく、愛を配ることにもつながります
今日も1日お疲れ様でした
また明日もみなさまにとって穏やかで輝かしい1日となりますように
Om Shanti & Love ベクシィ