おばあちゃんと 一緒に

遠く忙しく暮らす子供達に、健康でいる証として60才代で始めたブログ、
しかし娘親子と同居、孫と付き合う日々、 孫達も成長し、とうとう私も70歳代になりました。これからどんな日々がやってくるか自分でも「ワクワク」楽しみです。


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中山道を歩くと決めて

東京日本橋を2011年5月15日に歩き出し

11月27日12時にとうとう三条大橋につきました。

 
自分の足で一歩一歩歩いて色々の思い出も重ねた537キロメートル
一緒に歩いたメンバーたちのきずなを感じた述べ37日の旅でもありました

一緒に旅をしたメンバーそして家族  励ましてくれた友
本当にありがとうございました




 

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 三日目

米原のホテルを出て7:00
米原駅から近江鉄道に乗って鳥居本駅についた
ここから歩き出します7:12
三日目二なると足が重たく、いつもの街道歩きは、トレイルランの靴で歩いたのだが
今日はウヲーキングシューズにしたのが、悪かったのか?足の裏、親指が痛む。

 
鳥居宿を元気よく歩き出すメンバー


 
脇本陣跡、問屋跡

 
合羽所「松屋」7:14

 

 


 
「登録有形文化財」
の家

 
街道の町並

 
彦根道との分岐点7:23
中山道と彦根道8朝鮮人街道との分岐点建つ「右彦根道」 「左中山道、京いせ道}と
刻まれた道標は文政十年のもの


 

 
川原7:28
 
 
7:31小学生が朝の登校


 
ここは彦根小野町
八幡神社7:41


小野小町塚
鎌倉時代

 

 
石碑

 
街道が狭くそのうえ 車の往来が激しく歩くのに注意した

 
芹川8:34


橋を渡ると地蔵がエプロンかけて座っていた

 

高宮宿

常夜灯と
高宮宿の木票

 
木之本分身地蔵尊(大北の地蔵さん)
地蔵は木彫りで彩色されている
 

 


 
多賀大社一井の鳥居9:15

 

 
小林家
「芭蕉の紙子塚」






本陣跡9:23
 
 
 


円照寺
 
犬上川
「むちんなし橋」 渡しに賃をとらなかった

 

 
橋を渡り終わると橋に
「高宮宿」の

 
月通寺9:42

 
若宮八幡宮「産の宮」
 


 
 
またおいでやす
おいでやす      彦根市のモニュメント9:52

 
甲良町
尼子駅に向かいます

 
尼子駅コミュニティーハウス10:04
きょうはここで帰ります

 
近江鉄道 尼子駅から電車に乗って米原駅に出て

 
大垣駅につきました12;00
 
 

二泊三日の中山道歩きの旅は宿ごと特徴があり、昔をしのぶ建物、街並みをみることができた
歩くのはわらじ(靴)の選択が大事を実感。 
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醒井宿12:37

鶯ケ端
 
桝形二なっている
東見付 西まで八町二間(876メートル)

 
 醒井宿」の石票

 


 

12:45地蔵川
川にそって街道がある
 
梅花も
 
 
鮫島中将の歌碑
明治28年、北白川能久親王は台湾で熱病にかられ重体になられた。病床で
「水を、冷たい水を」と所望されましたが、水がありません。
付き添っていた鮫島参謀は、かつて醒井来られた時の
水の冷たさを思い起され、一枚のかみに
  あらばいま,捧げまほしく、醒井の うまし真清水 ひとしずくだに
と詠んで親王にお見せになると、親王もにっこりされたと伝えられています。

 

 
醒井延命地蔵尊


資料館

 
地蔵川
水がきれいな宿場

 
十王水12:56
 
 
 
 
  

13;00
西行水と泡子塚

 
 
 
丹生川


 
 

 

 
久礼一里塚跡14:04

 

 
緑が多い中歩きます14:07

 
 
番場宿
14:14
街道を歩くメンバー

 

 
番場宿の石碑

 
瞼の母番場忠太郎地蔵尊

 
ススキ野を歩く





  


 
高速道路が下に

 

 

 

 

 
鳥居本宿

 

 


 


 
赤玉神教丸有川家15:49
1658年創業 

 
  

 



 
木綿屋
 
 
 
 

  
鳥居本駅15:56
 

 
 
近江鉄道で米原駅まで
 
17:06米原駅
 
今日はビジネスホテルに泊まる、米原駅の周りに食堂がなくて難儀した。
 ホテルの人の紹介で、一軒の一品料理店に入り、欠食隊の我々の注文に 、
そこのおかみさん
「うちは食堂じゃないので ご飯もの主じゃにので」 と 何回も言わせ
 結局皆生ビールで乾杯  ビールを追加したり 日本酒を追加する人
 つまみにイカ焼き、アユ天 お寿司 いくらドン 巻きずしとたのんで
それを分け合い、ちょっとした一日歩いたご苦労さんと明日頑張ろうの宴になった
 
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二日目
関ケ原宿から鳥居本宿まで歩き近江鉄道の鳥居本宿駅から電車に乗って
米原駅へそして駅西口のビジネスホテルに泊まった
枡屋旅館前で記念撮影をして7:00

 
町中に看板
 
本陣
門が当時のもの
 
関ケ原」宿の街道を歩くご一行
 
JR]米原駅7:26
古戦場を見る組と街道をそのまま歩く組と分かれた
古戦場」を見る組は6人 タクシー二台に分乗していった」
 
のどかな田園風景が広がっている

 
 
古戦場跡の石碑

 
タクシーで街道歩きの人たちを追う
不破の関跡タクシーで下りる7:51
 
不破の関跡
 

 
左旧中山道」7:54
 
 
藤古川


藤古川7:54


ここは旧中山道  間の宿  山中  8:10
高札場跡
江戸日本橋から58番目の関ヶ原宿と59番目の今須宿の中間に位置して
休憩施設の立場茶屋が設けられていた

 
8:12

 

常盤御前の墓8:15

 
 

 
山中の踏切でJR8:27

 
一里塚跡8:35

 
これより中山道8:38
今須宿

 
常夜灯と町並
 

 
本陣跡、脇本陣跡
 
警察署
木の看板」

 

 
問屋場

 
常夜灯

 
今須宿終わりの常夜灯

 
  車返しの坂9:03
地蔵尊

 
ここで休憩するメンバー
 
美濃国 近江国の木票9:22
いよいよ美濃路から近江路に入ります

 
岐阜県と滋賀県境
岐阜県側に寝物語の石看板
国境は細い溝ではさんで
 
初代の票柱
 

滋賀に入って寝物語の説明を読むメンバー


 
寝物語の由来
ここに両国の番所や旅籠があり
壁越しに寝ながら他国の人と話し合えた7のでこの名前がうまれたとか


楓並木9:32

 
柏原宿1,4キロ
寝物語の里0.8キロ
 
 

 

 
照手姫9:47

 


 

 


柏原宿9:50


 
東見付け跡9:51
柏原宿の入り口

 
街並

 
 芭蕉の句碑
このあたり伊吹山が見える
 
 
 
  
問屋場10:00

 


 
 
柏木屋

 
柏原宿の説明

 
柏原宿の街並

 
映画監督の
吉村公三郎氏の実家

 
酒屋

 
吉村公三郎監督
若き日の思い出の橋

 
常夜灯10:08


造り酒屋 
 


 

 
 
 

 
柏原宿歴史館10:15
ここで一休み、アイスを食べて

 

 

 
柏原銀行跡

 
やくしの道
最澄が創立したという明星山明星輪寺泉明院へのみちしるべ
 
 
郷宿跡

常夜灯10:41
 
 
10:42
 
 
柏原の一里塚10:43
江戸から数えて115番目

 
西見付跡10:43
柏原宿の西の入口で 道の4両側に食い違いの土手がある。見付の語源は
城門で、宿場用語になった。この地点の海抜高度は174m、彦根城はと比較すると
天守閣の上に天守閣をさらに一つ、大垣城では、なんと六つ積み上げないと、
この高さに届かない。 柏原宿は東見付まで十三町(1,4キロ)長く高地の町並が続
 
 
九里半街道   の説明 10:49
中山道関ヶ原宿と番場宿の間は九里半街道とも呼ばれている。
木曽、長良 斐三川の水運荷物は。牧田川養老三渓に旗揚げされ関ヶ原宿から
中山道に入りばんば宿で船積の米原秦道4へ進む4牧田から米原秦までの行程は
九里半あった関ヶ原、今須、柏原。醒ヶ井、番場の五宿はこの積荷で六、七軒問屋が
多かった

 
 
鶯が原



 
並び松
 
 
天の川源流11:02

 

 
中山道の道

 
旗本西郷氏領
 
地蔵

 
ここは米原市梓です11:13
この看板で今を感じ

 
国道の標識が米原5キロとあった11:34
国道から中山道の標識から左に入る


一里塚12:00
 
仏心水
 



 



 
  
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春に歩いた中山道も夏の登山シ-ズンの間お休みをし、また秋になったので始まりました
今回は
10月21日から23日までの二泊三日で愛知川まで歩く予定です
台風がきて大島に大きな被害がありました。空を気に掛けながらの出発です
大垣駅に車を置いて、養老鉄道で東赤坂駅まで行きました。
そこから歩き出しました
赤坂駅です 11:05
 
池尻の一里塚跡

 

 
道が二股に分かれていました
左中山道
 
 

赤坂宿11:25
抗瀬川」(くいぜがわ)を渡ると
常夜灯と赤坂港会館の建物が見えます 

 

 
赤坂宿
東美江寺へニ里八町   西垂井へ 一里十二町  
近世江戸時代五街道の一つである、中山道は 江戸から京都へ百三十一里の道程
に六十九次の宿場があり 美濃赤坂宿は五十七番目に当たる
大名行列や多くの旅人が往来しまた荷物の輸送で交通は盛んである
町の中心にあるこの四ツ辻は北に向かう谷汲巡礼街道と南は伊勢に通ずる養老街道
の起点である
東西に連なる街筋には本陣、脇本陣、 をはじめ旅籠17軒と商家が軒を並べて
繁盛していた と説明版

 
赤坂本陣跡

 
赤坂宿の町中を歩く一行11:33

 

 
矢橋家11:35
 
 
脇本陣跡11:37

 
岐阜新聞毎日新聞の古い建物11:35

 
赤坂宿御使者場跡

 
兜塚
関ケ原の決戦の前日(1600年9月14日9.抗瀬川の戦に笠木むらで戦死した東軍
、中村隊の武将野一色母をほうむり。その鎧かぶとをうめたtと伝えれている
以後この古墳を兜塚と呼ばれている と説明されていた
赤坂宿はここで終わり

 

赤坂西公園がありました、ここで一休み11:45



 
大塚古墳
街道から左手家並みの間から見た

 
このあたり「昼飯町」
町名の由来
昔善光寺如来と言う仏像が大阪の海から拾い上げ長野の善光寺に収められることになった。
この仏を運ぶ人々は青墓近くまで来ると午後の中ごろでした、近くの山々は新緑とツツジの花が咲き乱れ素晴らしい光景です、善光寺如来を運ぶ一行は小さな池のそばで休み、ここで昼飯(ひるめし)をとりました。そこからこの付近を昼飯(ひるめし)というようになりました。
その呼び名が下品と言うことでその後、飯の字を「いい」と音読みして「ひるいい」と呼んだが
呼びにくいので一字を略して「ひるい」と呼ばれるように なったそうです



 
如来寺
善光寺の分身仏の最初の寺

 
中山道青墓宿碑 

照手姫の水汲み井戸


 
昔、武蔵相模の郡代の娘で照手姫と言う絶世の美人がいました。この娘の
相思相愛」の小栗判官正清は郡代の家来に毒酒を飲まされ殺されてしまいました。
照手姫は深く悲しみ、家を出て放浪し、青墓の大炊長者ところまで売られてきました。
長者はその美貌で客をとらせようとしたが、姫は」拒みました。長者は怒り」、」一度に
百頭の馬に餌をやれとか籠で水をくめと無理の仕事を言いつけた。
一方正清は霊泉につかり照姫を探し妻に迎えた。
この井戸の跡は照手姫が籠で水をくんだとと伝えている

 
青墓よしたけ庵
牛若丸は鞍馬山で修業を終え金売吉次をお供にし奥州(東北地方)へ落ちのぼようとした
青墓の円願寺で休み父母の供養し源氏が再び栄えるように祈った
その時江州(今の滋賀県)から杖にしてきた芦の杖を地面について
「挿しておくも形見となれや後の世に源氏栄えば芦竹となれ」
と詠み東国へ」出発した
その願いが仏道に通じたのか、その後杖にしてきた芦が大地に芽をふき根を張った
そsて見事な」竹の葉が茂りました。根や幹はそのまま
この珍しい竹を「芦竹」と呼んでこの寺を「芦竹庵」と呼ぶようになっ



 
 
中山道」青墓宿」12:45

 
伊吹山が雲にかかっています

 

 
垂井の追分
 
相川橋をわたります

 

垂井宿13:55
日本橋から440キロメートル58番目の宿場
東見付けから766メートルにわたり垂井宿に広がる
東見付け
 
旅籠14:00
亀丸屋西村家、垂井宿の旅籠屋として二百年続き、当時の姿を残している今も
営業している。

 

 
 旅籠
 
格子戸の民家

 

 
西の見付と広重の絵  14;12

 
安藤広重の絵
広重がこの付近から西を見て、雨の降る中山道松並木の中を、大名が行列を
つくり、西上り垂井宿の」西の見付けへ入ってくる様子や本陣から出迎え茶店
も左右対称敵に描いてる版画である

 

垂井一里塚14:29
関ケ原の戦い
浅野幸長陣跡

 
野上の七つ井戸 15:04

 

 野上
街道沿いに祭りの準備をしていた
俵6表を担ぐとか
 
松並木15;15
 
JR
 
山内一豊の陣跡


 

関ヶ原宿15:25

 
六地蔵

 

桃配山
 
山の上の方に
徳川家康初陣地ののぼり旗が立っていた
 

 
若宮八幡宮

 
関ケ原宿の街並み

 
今夜の宿
枡屋旅館 (真ん中の建物)
江戸時代から営業している
 
玄関」16:00
 
中山道歩きは昔の面影が残っている宿で泊まるのも、旅人になった気分が
深まりよいものである、障子一枚で仕切られた部屋がなおいっそう昔を」しのばれた
 

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