おばあちゃんと 一緒に

遠く忙しく暮らす子供達に、健康でいる証として60才代で始めたブログ、
しかし娘親子と同居、孫と付き合う日々、 孫達も成長し、とうとう私も70歳代になりました。これからどんな日々がやってくるか自分でも「ワクワク」楽しみです。


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11月29日 (火曜日)

 

天気予報を見るとまた雨が降りそう

今日はとても良い天気である

 

ジイジーは

蕎麦が乾ききってないのでまだ脱穀には早いと思うけど

脱穀をしてみよう 脱穀しないと 落ち着かないよ

 

蕎麦を刈ったとき  

ビニールハウスに立てて置けば乾くよと言うジイジーに

バアバーがハウスの中に立てて置くだけじゃ「かびる」んじゃないと

言った。 

その時 「乾くよ大丈夫」とジイジーは自信ありげに言った

のだがどうやら この頃 気がかりになってきたようだ

 

そして今日脱穀してみることになった

 

しかし蕎麦の軸がまだ乾いていなく、軸が脱穀機に絡まって

上手く脱穀できなかった

バアバーが

ハウスの中に二つ脚立を使って棚を二段作って蕎麦を並べた

立ててある蕎麦は なるべく隙間をあけて並べた 

ハウスの中は ごちゃごちゃになった蕎麦で埋まった

(蕎麦を掛けて乾すのが良いと分かるのだけれど、掛ける

場所を作るのが面倒なのでハウスの中に立てて置くと考えた)

 

来年は 脚立を使えば簡単に棚が出来るから最初から

この方法で乾そうよとジイジーと話した

 

今回はこのまま乾くのを待つことにした 

 

刈り取った時にジイジーが言った 

この方法が「吉か凶か」  

まだわからない

 

 

 

蕎麦の作業を始めようとしていると 

「今日いますか」 と電話

今日蕎麦を脱穀するから居る というと

用事があった人が

「昼にけんちん汁食べて」とけんちん汁を作って

もって来てくださった。 温たかくしてきた「レモンジュース」

は十時のお茶に、昼食のケンチン汁どれも美味しかった

お蔭さまで昼食はイワシを焼いて朝のほうれん草、

ケンチン汁を温め 時間取らずにご馳走昼食なった

 

ご馳走様でした

 

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11月6日

萩から山口 そして広島へ

 

民宿で朝食を早めにお願いした

萩を今日観ると言っていたオートバイの旅人と朝食をご一緒した

 

「御気を付けて、またどこかでお会いしましょう」とお別れした

 

鍵曲を観たいので宿の女将さんにアドバイスを求めた。すると女将

さんは「鍵曲もいくつかあるんよ かんきつ公園の所は町外れだから

あまり人が行かない」と言った。そこで駐車場がある「かんきつ公園 

旧田中家別邸」に向かった。車が一台やっと通れるような細い路地を

行くと「平安古かいまがり交流館」 という看板がある駐車が出来そう

な場所がある建物があった。朝9時前、人が居ない そこに車を止め

て見たのだが駐車場と書いてないので また来た道を引き返した

 

かんきつ公園の入り口 駐車場の印を見付け広い庭に車を止

めた庭にミカンの木が植わっていた  色々種類があるようだった

 

同じ敷地に旧田中家別邸があった。係りの人に説明を聞いた

田中家別邸は第26代内閣総理大臣の田中儀一氏の別宅

だった.

主屋は江戸末期の建物で田中儀一は大正末期から所有した

係りの人の話だと ガラス戸が大正ガラスを使ってあり ガラス

が波打っている、これを壊すと今では作れないので管理が大変

 である また廊下も畳の部屋も段差がなく、バリヤフリーである。

 

 

床の間のある部屋の 床柱を特徴ある木を使っている

「シャレボク」と言って  「おしゃれ」の意味で 部屋によって床柱の

木が違って 、とてもオシャレでだなと思った

 

二階から見ると下に橋本川から屋敷に水を取り入れている様子が

分る何とも静かなゆったりする空間である。ここが田中家の絶景の

場所だとか

 

 

大きな石のツクバイ

萩の旧屋敷を幾つか見ましたが、形は色々ですが大抵の家の

軒下の庭先に この大きなツクバイがある

 

豪商旧菊屋を見物した時 係りの人の説明によると、 殿さまが部屋

に入る前に ツクバイの側の低い石に家来が座って ツクバイから

杓子で水を汲んで 廊下に座っている殿様の手の上に水をかけて、

手を洗った。ツクバイは廊下より低く置かれている。水が跳ねて殿様

に掛からないように配慮されているとか

 

このツクバイの脇にも小さな石があり, ツクバイは廊下より低い

位置に置かれている 

 

座敷に陸軍大将に昇進した時(1921年」)に正装した、衣裳が飾れて

いたが背の高い方だったと思った

 

 

明治時代に職を失った武士の救済事業として萩藩が夏みかんの栽培

を推奨した。それに力を注いだのが、この屋敷の元の持ち主の萩藩士

小幡高政だった。明治9年(1876)から栽培を始めた。武士の屋敷は

夏みかん畑に変わっていった。

どこの屋敷も土塀の中はミカンが実った

そのことが武家屋敷が昔まま残ったゆえんとか。そして小畑高正の

労があってそれが萩の特産品となった。1970年代頃まで萩の経済を潤

わした。「当時夏みかんが3本あれば」家族が食べられ子供を

上級学校に通わすことが出来た。

 

この夏ミカンの名前を 当時 「夏橙(なつだいだい)」と呼んだ。

タブレットで調べてみたら夏みかんは別名「ナツダイダイ夏橙、 、

夏柑ナツカン」という

 

ここで東大寺で地元の方の話(正月に餅の上に」ミカンを飾ること)

が結びついた

 

かんきつ公園で実っている。  まだ青い夏みかん

 

久坂玄瑞の生誕地

 

 

 

 

鍵曲

かんきつ公園から歩い数分で つく

 

 

 

此の先が朝車を止めた「平安古かいまがり交流館」である

中に入って見ると 「ここは特別のものはないのですよ」ということ

庭を眺めているとその方が出てきてた「どこからおいでましたか?」

「群馬からきて 今日ここを見て 広島に行く」と言い 今まで見物して

きた所など話しをしました。  そして駐車場に向かうとバアバー達と

一緒に歩いて 「こんなところも見てください」 といって塀に風穴の工夫

して有るところ

 

この石垣は当時のまま 

 

この壊れている塀も当時のままで反対側の塀はこれより

新しい  あそこの山は面影山で 山を借景にしてこの鍵曲の

風景は美しいでしょう

 

この前で「花燃ゆ」の撮影が行われた

この家も今当主が住んでいないそうです

その方に記念撮影をお願いした。

色々の話を聞いて 「ダイダイ」家を繋いでいくことは「一口に」

大変と言いつくせないものがあると思った 

 

お礼を言ってお別れして その方が帰る後ろ姿を見ると

館内のスリッパをはいていた。本当にありがとうございました

 

民宿の女将さんがおっしゃったように 観光客に二人ほど会った

だけで、静かな昔の雰囲気が残る武家屋敷を散策し萩の見物の

最終地にふさわしいものでした

 

旧萩駅舎

ここは資料館になっていた

「長州ファイブ 」の写真があった

そのほか 鉄道の父 「野村弥吉」の写真があった、銅像が建っていた

 

長州ファイブは

野村弥吉 (井上勝)  鉄道の父 小岩井農場の創設者

伊東博文は 初代内閣総理大臣 政治家 

遠藤謹助  造幣局

井上馨    初代外務大臣 政治家

山尾庸三  東京大学の工学部を創立 造船学

東光寺で案内してくださった方が「山口県は総理大臣が8人も出たんよ」

とおしゃっていましたが、吉田松陰の影響が凄いものだったと思いました

 

道の駅「萩往還」

松下村塾生 の銅像  

蜜柑が食べたいので寄った  美味しかった

 

萩の町とはお別れ

車窓から赤い屋根がみえた

 

 

レンタカーを返す新山口駅を目指して  一路車を走らせる

広島のホテルで15時から同期会があるので,時間が気になりだした

 

 

山口市に入り道標に 「瑠璃光寺」の案内が目に入った

直ぐ ジイジーに「次に右に回って」と瑠璃光寺の方向に車の向き

を変えた。時間の関係でここの見物は諦めていたのだが、ゆっくり

しなければ行くことができると判断した。  

 

瑠璃光寺

曹洞宗の寺

室町時代  大内義弘が建立

五重塔 (国宝)

美しさにおいて 奈良の法隆寺 京都の醍醐寺 この瑠璃寺の五重塔

が日本三名塔  古さにおいては日本で10番目

ゆっくり眺めて居たいのだが 時計が気にかかる

 

香山墓地

入り口の石畳   「うぐいす張りの石畳」

ジイジーが手をたたいたり 足を踏みすると「音が鳴り帰って来た 

 

 

さらりと見だけだが諦めてた寺に寄れて大満足した

新山口駅のレンター 会社に12時45分に到着した

新山口駅で荷物を送ったり昼食をしてから広島行きの予定していた

新幹線に乗ることが出来た

 

 

 

 

広島駅に着いた

いよいよ同期会場のホテルに向かいます

広島の町は川のある風景が美しい  大都会でした

 

 

原爆資料館で原爆投下 当時の写真や資料を見物した

女学生だった方の焦げた衣服や弁当箱 爆心地から約2km

は まるこげ状帯  どれもこれも原爆の恐ろしさを目のあたりにしまし

たが当時4歳だったバアバーは 三歳だった伸一ちゃんの焼き焦げた

三輪車を見て胸苦しさを覚えました  、

 

 

原爆の子の像

2歳で被爆した佐々木貞子さん こちら  がモデルになった像

 

 

原爆ドーム

写真で見ていて想像していたより、大きな建物であり建物が

崩れ落ちていた

 

 

 

ホテルまでの帰りは路面電車に乗って広島の風情を楽しんだ

 

ジイジーの一年ぶり会う同期会は懐石料理に舌鼓をし

懐かしい面々で賑やかに そしてまた亡き人を偲んだ

 

萩では昔にタイムスリップしたような充実した時 

そして戦争の悲惨さを目のあたりにした広島  

どうに頭を整理したら

好かろうか  

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11月5日 三日目

萩の町を歩いた

 

観光マップから

 

秋吉台の宿から萩の町に向かいました

 

 

萩の町を限られた時間で行きたい所をいかに効率よく廻るか二人で話した結果 萩の町の外れから先ず歩きはじめることにした

 

 

マリーナ萩

南洋的な景色

笠山を見る

 

 

標高112m、頂上には噴火口口径30m深さ30mの小さな噴火口がある

る笠山に行きました

笠山の展望台から

昨日行った指月山が見えました。椿の群生林(25000本)があるのだが

展望台から眺めた。 小さな島がいくつもありました。瀬戸内海を思わせた

笠山の噴火口

 

恵美須ケ鼻造船跡

幕府から大船建造の要請を受けて萩藩が建設した軍艦製造所跡

発掘調査が行われていました

1856年に萩藩が最初の洋式軍艦  

丙辰丸 」を二艘目を、1860年に進水した。

 

 

 

その当時の堤防

指月さんが目の前に見えました


 

 

萩反射炉

萩藩が海防強化のために造った

 

次に萩神社に向かったが神社入り口は係りの人が

立っていて駐車場が満杯だから入れないと旗を振っていた

 

ジイジーが旅をする前に「萩を歩くのは自転車に限る」と聞いてきた。

実際自転車に乗っている観光客に沢山会いました。ジイジーは自転車

を借りようと提案したのだが

バアバーは自転車では行動時間に限りがあるから上手く駐車場を使って

行動する方が良いと提案し、しばし二人の意見に食い違いが生じてしまった

 

そこで楫取素彦の旧住宅に行こうとバアバーが提案したが、ジイジーが納得

できずに自転車と言いながらも 渋々 そちらの方に向かった。

すると東光寺があり駐車場も空いていた。ジイジーは東光寺も見物予定に入って

いたようで、ようやく納得したようでした

 

東光寺を見物する前に楫取素彦の旧住宅跡に行こうと歩き出した

東光寺の門の前で男の人に会いました。そこでバアバーが「地元の方ですか」

と聞くと 「今散歩中ですよ」という バアバーが「楫取素彦の住宅跡に行きたいけど

道を教えてください」言うと  直ぐそこだし 僕が案内しましょう 、いま骨折してリハビリ

中なの歩いて力を付けている といってシャツを捲って胸辺りをを見せてくれました 

 

歩きながら萩の町の歴史の話からはじまりました

 

 

楫取素彦の旧宅地

ここがそうですよ、楫取素彦は彼方此方に住んだそうです

また萩では楫取素彦よりもっと多くの偉人が居るので 影が薄いと話した

楫取素彦と山田顕義 の説明版

山田顕義誕生の地

日本大学を創立した人 

この敷地に日本大学の沢山の学部の記念碑が建てられている

奥に銅像も建っている

 

 

 

東光寺

1691年萩代3藩主の毛利吉就が萩出身の僧慧極が開山 し創建

黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院である。毛利家の菩提樹である

 

総門

三間二戸の八脚門 (正面柱の間が三間、側面柱間が二間、、八つのひかえ柱

がある)、一重切妻造段違本瓦  材木はクサマキ、マキ、で全体にベンガラで

塗ってある。東京大学の赤門と同じで,ベンガラを塗ることを許されたのが特別とか

 

総門の横に石柱があるが「禁牌石」と言って

「ニンニクやニラなど臭いのあるもの食べたり酒に酔ったものは入山禁ずる」

戒律を厳しく守るという禅宗の教えだそうです

 

棟の端にシャチのの代わりに摩伽羅を飾っている

三門

1812年 藩主毛利斉熙が寄進したもの

材質はケヤキ

 

 

鐘楼

1694年5月,三代藩主毛利吉就の葬式の翌日に

毛利家4代藩主が寄進した半鐘がある

由緒ある鐘であるので第二次世界大戦でも鐘楼は供出を免れた

 

拝殿は日本式と中国式の二種類がある

障子の張り方が外から見て日本式は障子のさんを見せないように張

中国式は障子を外から見てさんが見える そして拝殿の

中も座って拝む日本式と 中国式の障子の部屋は 立って拝むように

なっているそうです 

 

 

色々の事を説明をして下さった、その時はなるほどと思いましたが

全部を覚えられませんでした

 

墓地の奥に案内してしてくださった

 

楫取素彦の次男の墓楫取道明

 

毛利家墓所

8月15日萩の万灯会では500基の石灯楼に灯がともり

見事だそうです

 

 

大雄宝殿(だいおうほうでん)の鬼瓦

NHkの大河ドラマ[太閤記」のテーマ文字のバックにつかわれたとか

 

地元の方は帰り際に夏みかんの木になる まだ青い実ををさして

「正月にお供えの餅の上にミカンを飾るでしょう あれ何故だか分かる?」

バアバーは習慣でしているだけだったのでさて?と考えていると

ミカンはダイダイの色しているでしょう で「 ダイダイ」家がつながるように

と言う意味で 飾るのだそうです 

萩の町の角に彼方此方と 夏みかんが実っています  

どうやら萩のミカンと言うのは夏みかんの様だと思いました

 

道を聞いたのをきっかけで地元の人に約二時間半余り、案内していただき

萩はこれ以上見なくてはいいのではないかと思うほど満足しました

本当にありがとうございました

 

 

 

松陰のお墓に行くと眺望が良いので行って見たらどうですか

と言われました お別れしてから吉田松陰の墓に来た

松下村塾 生の暮も並んでいた

高いところにあって萩の町が一望できた おぶすび形の山は指月山

 

 

 

松陰神社に移動

12時を過ぎていたので駐車場も空いていた

神社境内の食堂で昼食しデザートに「松陰団子」を頼んだ

このダンゴが美味しかった 

 

 

松下村塾

八畳一間 と後に塾生が作った10畳一間  の小さい家

幕末から日本を動かすような偉人がこの小さな部屋で育ったと

思うと感慨深い

 

 

伊東博文の旧宅

 

伊東博文別邸にあった

「長州ファイブー」

 2006年に、幕末から渡航前後の5人の事を描いた日本映画

 

5人は 

井上聞多(井上馨)遠藤謹助 山尾庸三 伊東俊輔(伊藤博文)野村弥吉(井上勝)

幕末に長州藩から派遣されヨーロッパに秘密留学した。

 

 

吉田松陰誕生の地

石はしらと説明版があった

 

松陰神社の近くの主な見物場所を見終わりました

ジイジーは「自転車で歩こうよ」と提案した。今日の宿は民宿

そこの民宿で自転車に乗り換えると提案した。しかし民宿は留守だった

 

 

 

そこ車で移動して駐車場のある旧湯川家屋敷を見物することにした

 

「水を利用した先人の知恵  旧湯川家屋敷」

 

萩は川で周りにが取り巻かれている町

橋本川 が流れて 昔は船も荷物を運んだそうです

旧湯川家の家の中に川を取り入れて利用していた昔の

まま今も残っている  最近までおばあちゃんが住んでいたので

現存しているそうです

桂太郎旧宅

明治遺臣後 三回内閣総理大臣を務めた

庭がとても

庭に銅像があった

 

屋敷の前を流れる川にそって風情がある景色

 

中央公園に車で移動し駐車場に止める

 

旧湯川家を見物した時 係りの人に、萩の見どころを

伺いました すると中央公園に車を止めて町を見物

するとよいと教えてくださいました。 

 

中央公園

 

車を止めて大通りを歩くと

毛利元就の「三矢の訓え」の銅像があった

 

 

大通りを歩いてから小さな橋を渡ると

タイムスリップしたような景観になった

 

 

世界遺産「明治日本の産業革命遺産」

萩城下町(旧町人地)

 

板と白い壁 

旧青木家の蔵から一分銀が発見

時代劇を見ている様な景観

夏みかんが実っている

 

菊屋家住宅 こちら

藩の御用達を務めた豪商 建物は 江戸初期の建築で400年

の歴史がある 丁度特別公開していた

玄関

 

江戸から昭和にわたって四期に及んで作った約500坪の庭

銭蔵

 

豪商が  全てに贅を尽くしたと言う感じで、建物、調度品絵 書,等等 

見事でした 

係りの人が屋敷の外に出て 「ここからがまた見どころです」と 

 

 

 

高杉晋作誕生地

 

城下町を見て 萩焼のお店に寄って見た

大きさが普段使いに丁度よいおおきさの急須が見つかり、迷わず買った。

それに合わせて千茶碗、ジイジーはコーヒーカップを買った。

 

重くなった荷物を」抱えて宿に着いた。

 

萩から着た衣類等を送ろうと宅急便屋を探したが見当つかなかった

結局次の日新山口駅の売店のお姉さんが「送れますよ」と言ってくれたので

お姉さん御すすめの御饅頭を買って一緒に送って頂いた。

 

民宿の玄関前には福岡ナンバーが3台愛媛ナンバ1台の大きなオートバイが

止まっていた。 夕食はその方々と一緒になりました。お客さん全部で7人でした

萩は民宿に泊りたかったのです。そのグループの一人にも聞かれました

「どうしてこの民宿にしたの?僕たちは値段が安いし決めたよ」

バアバーは

「値段もあるけど民宿の魅力は泊まった人と旅した土地の話や趣味や色々の

話、民宿の女将さんとも土地の話が出来る魅力があるから、萩は民宿に限ると

思って」と話した

どうやら仕事も一段落しオートバイを新調し旅を楽しんでいる方方のようで

思っていた通り民宿の夕食は楽しい一時となりました。ご馳走様でした

 

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11月24日(雪)

朝起きたときは雨が降っていました

」雪が降らなくて良かったね」

 

と言っていましたが7時半ごろからハラハラと雨が雪に変わりました

ソウチャンは「完全に雪対策出来た」と言って早めに勇んで出かけていきました

ソウチャンの雪対策とは雪合戦が出来る対策なのです

自転車で学校に行くチイちゃんは

「中途半端な降り方だな~、こういう時は手袋無しに限る」など言って

素手で自転車に乗って出かけていきました。

 

二人が出掛けた後の8時過ぎ頃から本格的に雪が降り出しました

降る雪を眺めて、ジイジーは「昭和37年にも11月に雪が降ったよ」

時々ジイジーの記憶力良さに驚きます。 テレビで54年ぶりと放映

されていました

 

9時の我が家の庭の様子

12時ごろ

本格的に雪が降っています

庭のいろは紅葉が赤くなりその上に雪が積もっています。

 

ジイジーと「蕎麦を家に持ってきて良かったね」 と

外の雪景色を眺め、久しぶりにのんびりと過ごしました

 

夕方ソウチャンが学校から帰るなり外に飛び出し雪の上で遊び始めました

 

積雪量を計ったソウチャンは

「雪は4センチ積もったよ」と 喜ぶソウチャンです

 

 

思わない早い雪降りで色々の事故がありませんように

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11月23日(水)

 

数日前から23日夕方から雪になると、テレビで報道されていました

蕎麦を田に刈って干してあったのを、雪に晒したくない

そこで 蕎麦を田から引き揚げ 家のハウスに乾すことにしました

 

ジイジーが今日午前中 乾して置いて午後から引き上げようと提案したのだが

 

バアバーは蕎麦を刈った時、蕎麦を田に並べる作業をし腰の使い方

悪かったために腰の筋肉痛に成ってしまった.

 

そこで作業が手早く出来ないので 朝から作業をすることを提案し,

太陽が天高く上った10時前から作業にとりかかりました

 

蕎麦をまとめて束にし藁で結びます.

バアバーが子供の頃、麦や稲を刈り束ねたのと同じです

昔したことは自然と体が覚えていて、上手く束べられるものです

 

子供の時は農作業をするのがとても嫌で

「絶対大人になったら農作業をしなくても済む仕事に就きたい」

と言っていました

 

しかし 今は 農作業が心地良いのです

 

家に持って帰って

ビニールハウスの中で乾します. ..作業が終わったのが 14時半でした

手探りで蕎麦作りをしているので 

これが果たして良い方法などか分からないけど,雪に晒すのが

心情的に嫌いなので、田から蕎麦を上げました 、

 

ジイジーは

「これが吉に出るか凶の出るかお楽しみ」

などと言ってます

 

我が家の前の家は毎年蕎麦を作っていますが,刈った蕎麦を畑に雨が降っても

そのまま畑で乾かして 何日かして 畑に青いビニールシート敷いて そこで

蕎麦を叩いて 蕎麦の実を採ります

今日もまだ畑に乾してあります 明日の雪でもこのまま置くようです。

長年、蕎麦を作っているので、この方法で良いのかもしれません

夕方テレビで明日朝から雪になると報道していました

ジイジーと

「よかったね作業が無事に終えて」

 

そば粉になるまで まだまだ時間がかかりますが、甘くて香りもよい

そば粉を思い出しながら作業を楽しんでいます

 

 

ジイジー

「今日は友達のアコーデオンの発表会だったんだ行けなくて残念だったな、

また聞く機会のあるだろう」

雪予報に番狂わせになってしまったジイジーでした

 

とても雪など降りそうもない温かい日、作業をするのに丁度良い天候でした

 

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