おばあちゃんと 一緒に

遠く忙しく暮らす子供達に、健康でいる証として60才代で始めたブログ、
しかし娘親子と同居、孫と付き合う日々、 孫達も成長し、とうとう私も70歳代になりました。これからどんな日々がやってくるか自分でも「ワクワク」楽しみです。


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二日目
関ケ原宿から鳥居本宿まで歩き近江鉄道の鳥居本宿駅から電車に乗って
米原駅へそして駅西口のビジネスホテルに泊まった
枡屋旅館前で記念撮影をして7:00

 
町中に看板
 
本陣
門が当時のもの
 
関ケ原」宿の街道を歩くご一行
 
JR]米原駅7:26
古戦場を見る組と街道をそのまま歩く組と分かれた
古戦場」を見る組は6人 タクシー二台に分乗していった」
 
のどかな田園風景が広がっている

 
 
古戦場跡の石碑

 
タクシーで街道歩きの人たちを追う
不破の関跡タクシーで下りる7:51
 
不破の関跡
 

 
左旧中山道」7:54
 
 
藤古川


藤古川7:54


ここは旧中山道  間の宿  山中  8:10
高札場跡
江戸日本橋から58番目の関ヶ原宿と59番目の今須宿の中間に位置して
休憩施設の立場茶屋が設けられていた

 
8:12

 

常盤御前の墓8:15

 
 

 
山中の踏切でJR8:27

 
一里塚跡8:35

 
これより中山道8:38
今須宿

 
常夜灯と町並
 

 
本陣跡、脇本陣跡
 
警察署
木の看板」

 

 
問屋場

 
常夜灯

 
今須宿終わりの常夜灯

 
  車返しの坂9:03
地蔵尊

 
ここで休憩するメンバー
 
美濃国 近江国の木票9:22
いよいよ美濃路から近江路に入ります

 
岐阜県と滋賀県境
岐阜県側に寝物語の石看板
国境は細い溝ではさんで
 
初代の票柱
 

滋賀に入って寝物語の説明を読むメンバー


 
寝物語の由来
ここに両国の番所や旅籠があり
壁越しに寝ながら他国の人と話し合えた7のでこの名前がうまれたとか


楓並木9:32

 
柏原宿1,4キロ
寝物語の里0.8キロ
 
 

 

 
照手姫9:47

 


 

 


柏原宿9:50


 
東見付け跡9:51
柏原宿の入り口

 
街並

 
 芭蕉の句碑
このあたり伊吹山が見える
 
 
 
  
問屋場10:00

 


 
 
柏木屋

 
柏原宿の説明

 
柏原宿の街並

 
映画監督の
吉村公三郎氏の実家

 
酒屋

 
吉村公三郎監督
若き日の思い出の橋

 
常夜灯10:08


造り酒屋 
 


 

 
 
 

 
柏原宿歴史館10:15
ここで一休み、アイスを食べて

 

 

 
柏原銀行跡

 
やくしの道
最澄が創立したという明星山明星輪寺泉明院へのみちしるべ
 
 
郷宿跡

常夜灯10:41
 
 
10:42
 
 
柏原の一里塚10:43
江戸から数えて115番目

 
西見付跡10:43
柏原宿の西の入口で 道の4両側に食い違いの土手がある。見付の語源は
城門で、宿場用語になった。この地点の海抜高度は174m、彦根城はと比較すると
天守閣の上に天守閣をさらに一つ、大垣城では、なんと六つ積み上げないと、
この高さに届かない。 柏原宿は東見付まで十三町(1,4キロ)長く高地の町並が続
 
 
九里半街道   の説明 10:49
中山道関ヶ原宿と番場宿の間は九里半街道とも呼ばれている。
木曽、長良 斐三川の水運荷物は。牧田川養老三渓に旗揚げされ関ヶ原宿から
中山道に入りばんば宿で船積の米原秦道4へ進む4牧田から米原秦までの行程は
九里半あった関ヶ原、今須、柏原。醒ヶ井、番場の五宿はこの積荷で六、七軒問屋が
多かった

 
 
鶯が原



 
並び松
 
 
天の川源流11:02

 

 
中山道の道

 
旗本西郷氏領
 
地蔵

 
ここは米原市梓です11:13
この看板で今を感じ

 
国道の標識が米原5キロとあった11:34
国道から中山道の標識から左に入る


一里塚12:00
 
仏心水
 



 



 
  
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春に歩いた中山道も夏の登山シ-ズンの間お休みをし、また秋になったので始まりました
今回は
10月21日から23日までの二泊三日で愛知川まで歩く予定です
台風がきて大島に大きな被害がありました。空を気に掛けながらの出発です
大垣駅に車を置いて、養老鉄道で東赤坂駅まで行きました。
そこから歩き出しました
赤坂駅です 11:05
 
池尻の一里塚跡

 

 
道が二股に分かれていました
左中山道
 
 

赤坂宿11:25
抗瀬川」(くいぜがわ)を渡ると
常夜灯と赤坂港会館の建物が見えます 

 

 
赤坂宿
東美江寺へニ里八町   西垂井へ 一里十二町  
近世江戸時代五街道の一つである、中山道は 江戸から京都へ百三十一里の道程
に六十九次の宿場があり 美濃赤坂宿は五十七番目に当たる
大名行列や多くの旅人が往来しまた荷物の輸送で交通は盛んである
町の中心にあるこの四ツ辻は北に向かう谷汲巡礼街道と南は伊勢に通ずる養老街道
の起点である
東西に連なる街筋には本陣、脇本陣、 をはじめ旅籠17軒と商家が軒を並べて
繁盛していた と説明版

 
赤坂本陣跡

 
赤坂宿の町中を歩く一行11:33

 

 
矢橋家11:35
 
 
脇本陣跡11:37

 
岐阜新聞毎日新聞の古い建物11:35

 
赤坂宿御使者場跡

 
兜塚
関ケ原の決戦の前日(1600年9月14日9.抗瀬川の戦に笠木むらで戦死した東軍
、中村隊の武将野一色母をほうむり。その鎧かぶとをうめたtと伝えれている
以後この古墳を兜塚と呼ばれている と説明されていた
赤坂宿はここで終わり

 

赤坂西公園がありました、ここで一休み11:45



 
大塚古墳
街道から左手家並みの間から見た

 
このあたり「昼飯町」
町名の由来
昔善光寺如来と言う仏像が大阪の海から拾い上げ長野の善光寺に収められることになった。
この仏を運ぶ人々は青墓近くまで来ると午後の中ごろでした、近くの山々は新緑とツツジの花が咲き乱れ素晴らしい光景です、善光寺如来を運ぶ一行は小さな池のそばで休み、ここで昼飯(ひるめし)をとりました。そこからこの付近を昼飯(ひるめし)というようになりました。
その呼び名が下品と言うことでその後、飯の字を「いい」と音読みして「ひるいい」と呼んだが
呼びにくいので一字を略して「ひるい」と呼ばれるように なったそうです



 
如来寺
善光寺の分身仏の最初の寺

 
中山道青墓宿碑 

照手姫の水汲み井戸


 
昔、武蔵相模の郡代の娘で照手姫と言う絶世の美人がいました。この娘の
相思相愛」の小栗判官正清は郡代の家来に毒酒を飲まされ殺されてしまいました。
照手姫は深く悲しみ、家を出て放浪し、青墓の大炊長者ところまで売られてきました。
長者はその美貌で客をとらせようとしたが、姫は」拒みました。長者は怒り」、」一度に
百頭の馬に餌をやれとか籠で水をくめと無理の仕事を言いつけた。
一方正清は霊泉につかり照姫を探し妻に迎えた。
この井戸の跡は照手姫が籠で水をくんだとと伝えている

 
青墓よしたけ庵
牛若丸は鞍馬山で修業を終え金売吉次をお供にし奥州(東北地方)へ落ちのぼようとした
青墓の円願寺で休み父母の供養し源氏が再び栄えるように祈った
その時江州(今の滋賀県)から杖にしてきた芦の杖を地面について
「挿しておくも形見となれや後の世に源氏栄えば芦竹となれ」
と詠み東国へ」出発した
その願いが仏道に通じたのか、その後杖にしてきた芦が大地に芽をふき根を張った
そsて見事な」竹の葉が茂りました。根や幹はそのまま
この珍しい竹を「芦竹」と呼んでこの寺を「芦竹庵」と呼ぶようになっ



 
 
中山道」青墓宿」12:45

 
伊吹山が雲にかかっています

 

 
垂井の追分
 
相川橋をわたります

 

垂井宿13:55
日本橋から440キロメートル58番目の宿場
東見付けから766メートルにわたり垂井宿に広がる
東見付け
 
旅籠14:00
亀丸屋西村家、垂井宿の旅籠屋として二百年続き、当時の姿を残している今も
営業している。

 

 
 旅籠
 
格子戸の民家

 

 
西の見付と広重の絵  14;12

 
安藤広重の絵
広重がこの付近から西を見て、雨の降る中山道松並木の中を、大名が行列を
つくり、西上り垂井宿の」西の見付けへ入ってくる様子や本陣から出迎え茶店
も左右対称敵に描いてる版画である

 

垂井一里塚14:29
関ケ原の戦い
浅野幸長陣跡

 
野上の七つ井戸 15:04

 

 野上
街道沿いに祭りの準備をしていた
俵6表を担ぐとか
 
松並木15;15
 
JR
 
山内一豊の陣跡


 

関ヶ原宿15:25

 
六地蔵

 

桃配山
 
山の上の方に
徳川家康初陣地ののぼり旗が立っていた
 

 
若宮八幡宮

 
関ケ原宿の街並み

 
今夜の宿
枡屋旅館 (真ん中の建物)
江戸時代から営業している
 
玄関」16:00
 
中山道歩きは昔の面影が残っている宿で泊まるのも、旅人になった気分が
深まりよいものである、障子一枚で仕切られた部屋がなおいっそう昔を」しのばれた
 

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今日は体躯の日です
ジイジーが鍋割山に登りたいと言うことで
今日は久しぶりジイジーとバアバー二人の登山となった
バアバーはクラブノ皆さんと先週鍋割山に登った時に、
赤城山で一番大きなドウダンつつじではないかと思う、
つつじに、つるの木が絡まっていたので、そのつるを途中で切ってきました
シカに木の皮を食べられ、木の一部の枝が枯れてきてしまっている。
その上につるに絡まれれば つつじの木が枯れてしまいます
鍋割山に登り始めた35年位前から四季折々このつつじを愛でるのを
楽しみにしてきました。枯れてしまうのはとてもつらいのです
そこで今日の登山はできる限りドウダンつつじから絡まったつるを取り除こうと
のこぎり鎌を持って つるをもって登りました
鍋割り高原はまだ紅葉には早い「
 

 
頂上から荒山高原に向かって下り 込んだ所につつじはあります
先週つるを途中から切っておいたので、ツルの木は枯れていました
 
 
出来るだけつるを取り除きました。
少しすっきりしました。周りのつるの木も伐りました。
つつじの木にたくさんつぼみがついていました。
いつまでも楽しませて、くれるように願いを込めながら
鍋割山の」頂上に戻りました。
、「あらtさん」という声がしました
クラブのsご夫妻でした
つるを征伐してきた話をすると
「そうね あのつつじ命がなくなりそうだものね、枯れてしまうのは寂しいね」
あの大きなドウダンツツジの木が枯れてほしくないと思っているのです。

膝が痛くて自転車乗りをしてリハビリしているジイジイーは
今日の登山で膝の痛みもなく、自転車乗りのリハビリの良い効果を
確認したようでした。
有意義な体躯の日になりました
 

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 前橋からひたすら一般道を沢渡温泉に向かって走りました。
沢渡温泉から暮坂峠に向かうと「笠松山荘」の大きな看板が立っていました
そこを左に入っていくと、キャンプ場の看板、有笠山登山口の看板が立っていました
今日はそこに車を止めてここから登山を始めました
今日のメンバーはクラブの4人です
9:20分歩き出しました
 
西口登山口に向かって蛇野林道を歩きました
 

有笠山の説明と登山道の看板が立っていました
この山は流紋岩」の鋭い岩肌をむき出した美しい山、頂上まではクサリ、ハシゴの岩場のあるその頂上には沼もあり大蛇が住んでいたという神秘的な伝説を秘めまた 源頼朝が浅間で
野狩りをした帰り、頼朝の従者の梶原源太景季が
「あずさ弓 日も暮坂につきぬれば、有笠山をさして急がん」の一首を残した
また南面の岩場では、洞窟を利用した弥生時代の住居跡が発見され、吾妻地方の
文化を知る重要な遺跡となっている。四季折々優れた景観を作り出しており、その景観を
維持する必要がある地域として「有笠山風景林」にしてされている
大まかにこのような説明が書かれてありました


 
地図1のところから歩き出し


西登山口
ここには立派な駐車場がありました 9:35


 
 登山口から急登りをすると間もなく尾根を歩く


 
東屋がありました9:50


 
「西石門の標識」の右に登ると大きな岩の門の形のなった岩群がありました

 
また尾根に戻って歩くと大きな岩群がありクライマーのゲレンデになっているようです。
岩壁にいくつかロープが下がっていました


 
岩群を取り巻くように登山道登っていきました

 
すると今度は岩がありそこを一本の鎖で下ります
が 足場が中々つかめづ、鎖が下がっていない方を手探りで下りる

 
東の登山口の分岐につきました。10:35
ここで一休み。難儀をした岩を見て
 「年を取ったのかしら」 「あそこで難儀をするとはね。だれもここのクサリのこと
書いてないわね」 「何とも感じづに皆、通ってるのね」 「やれやれ ね」

 
尾根を歩くとまた岩群が現れました
もう少しで梯子 クサリ場です

 
これから梯子クサリ場のところ、
峰々が連なり、景観が素晴らしい 10:40


 
リーダー先頭に梯子、鎖いとりつきました


 
頂上は樹林の中にあり展望はないものの、今までの道程の密度濃さに満足して
記念撮影10:58~11:45


 
東の分岐に戻って東の登山口に下山します
急下降12:10


 
岩穴があります、ここもくらいまーのゲレンデのようです
 

 
上の方にグライマー達の声がしていました
気持ちの良い下りです
 

 
東の登山口につきました12:29


 
林道にはたくさんの県外の車が止まっていました。
山の中は私たちのほか単独者二人にあっただけでしたので、皆クライマーの
車だろう
無事車のところに戻りました12:50
太陽に照らされた有笠山をもう一度よく見上げて帰路につきました
 
 

帰る途中四万のダムによって「こしきの湯」で汗を流して帰ろうということになり
温泉、ダム見物 四万温泉 観光となりました
ダムの橋の上から
 
こしきの湯
 
 
有笠山は道程こそ短いがとても変化に富んで、途中展望が素晴らしくしとても密度の高い
山が楽しめた。
久しぶりに四万温泉街を通りましたが、バアバーの子供の頃の
昭和時代にタイムスリップしたような感じになった。
いつかゆっくり四万温泉に来たいな~
 
 

 

 


 
 

 
 

 
 
 
 
 
 
 
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今日は地区の運動会がありました
ソウチャンは子供会に入っているので地区の運動会に参加しました
ジイジーもまた自治会の関係で参加しました。
バアバーとチイちゃんは運動会に参加しないので  ならば
チイちゃんがまだ登っていない荒山に登ろうと言うことになり二人で出かけました
家からは鍋割山も 荒山も雲の中で姿が見えません

箕輪の駐車場に着いたらもう何台もの車が止まっていました
家を10時に出たので遅い時間の登り始めですが、
それでもまだ何組かの登山者が登り支度をしていました
10:25分登山開始

登り始めから霧にまかれ白濁した中を歩きます

荒山高原に着くと、11:05 チイちゃんはお腹がすいたといっておにぎりを食べました。
休んでいるうちに、後から登ってきた登山者も荒山高原で休んでいた登山者も 
皆 鍋割山に登っていきます

チイちゃんと二人は荒山に登ります。登山道はまだ雑木に葉がありうっそうとして
霧の中なのでなお森閑としています。
「バアバー大丈夫だれも来ないじゃない」
チイちゃんは薄気味が悪くなったようです。
15分くらい上ると木が低くなり見晴らしがきく所に来て周りが明るくなると
「木が低くなったね、この花なあに」
とリンドウを見つけました。
それからもなお霧が深くなり2メートル先も見えなくなると
チイちゃんは後ろを振り返って
「後ろも前も真っ白だよ」
時々登山道に咲いているリンドウ」を見つけては「また咲いている」
霧の中を足元のリンドウに誘われるように登りました

 
頂上直下の岩のところで


 
頂上で12:15~12:50
見晴らしの効かない頂上でお腹がすききったチイちゃんは
「頂上でお昼でしょう」

 
頂上から南に下りて
ヒサシイワのところで
「雲が早く流れるね、あの雲に飛び込んでみたい、完全に死ぬね」
とチイちゃんは眼下に流れる雲にとても感激している
 
 
うっすらと地蔵岳が見えます
 
 
東屋のところに


 
 
大きな沢のところまで下山
 
棚の十字路の東屋で休憩13:45~13:55
荒山高原に14:00   駐車場 14:35
大きなミズナラや松 ダテカンバなど 、鍋割山とは趣きが違う荒山にチイちゃんは
「山に来たという感じね」
二人の荒山登山は霧の中 いっそう自然の中に溶け込んだものになった。

 
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