おばあちゃんと 一緒に

遠く忙しく暮らす子供達に、健康でいる証として60才代で始めたブログ、
しかし娘親子と同居、孫と付き合う日々、 孫達も成長し、とうとう私も70歳代になりました。これからどんな日々がやってくるか自分でも「ワクワク」楽しみです。


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アメリカのハロウィーンの様子が夕方のテレビで放映された。


チイチャンが運動会の絵を書いていた手を止めて「バーバ」ほらと私に声をかけてテレビを指差した。

今まではハローウィンという言葉にも実際に遠いものであった。しかし29日の日曜日に

息子の奥さんがハローウィンのカボチャをチイチャンに送ってくれた。

息子から「ゆうがハローウィンのカボチャを送るから食べないでね」と言う電話が前の日にあった。

私も実際にこんなカボチャを見たのは初めてである。

ハローインかかぼちゃ


そこで我が家も29日の日曜日収穫祭をする事にした。

裏の家のおじさんが、夏サツマイモの苗を

くれた。たくさん持ってきてくれたが収穫する大変さを考えて10本頂いて、チイチャンと夫が植えた。


日曜日の午前中は近くで農業祭りがあった。そこにチイチャンとソウチャンと私でお目当てはのボウケンジャーショウを

見るため早くいった。夫は隣組道路掃除を済ませてから私達と合流した

冒険じゃそう     冒険じゃち

ソウチャンはとても興奮して掛け声あげるところに関係なく勝手に「ボウケンジャー」と張り上げていた。

帰りに色紙にサインをしてもらい、握手をして記念撮影をしてもらったのはチイチャンでソウチャンは関係ないよという

顔をしていた。

乗馬、乳搾り 子豚を見たり、バター作りとかいろいろあったが、二人はこのショウとアイスクリーム

とオモチャの出店だけでよかったようである。私はハム、牛乳会社の製品を少し買い、そして

蜂蜜は色が濃い方がミネラルが多いと言う説明を聞いたので、養蜂組合の柿の蜂蜜を買った。

広い芝生の上でお弁当を食べた。二人は空の青さと芝生の緑のなかでたくさんたくさん食べた。

お土産用のプリン、もゼリーも スッカリ平らげてしまった。



薩摩堀

夕方に夏植えたサツマイモの収穫をした。手シャベロで土を掘り返してチイチャンは歓声をあげて、大きな大きなサツマイモを

掘った。籠に入れたサツマイモをチイチャンが運ぶと言って軽トッラクのところまで運んだ。彼女は腕の筋肉が発達している、とっても力がある。

その夜はサツマイモを蒸かして農業祭りで買ったバターをつけて、サツマイモご飯を炊いて、買ってきたソーセイジ、蜂蜜紅茶で我が家の収穫祭をした。

夫は子供たちが喜んで食べたサツマイモご飯も、サツマイモが多い戦争中のサツマイモご飯を思い出して「イヤダナー」といった。


ゆうさんありがとう、思わぬ楽しい我が家のハローウィンをしました。

裏のおじさん大きなさつまがたくさん収穫出来ました。さつまは土地が関係しますか?土地が痩せている方が良いのですか?

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毎日生活に追われ、ブログを書く体力がない。しかし日曜日は自分の時間と決めて、趣味の山歩きを

し、体力維持に努めて仕事、孫達と付き合う事が出来るようにと思っている。これじゃ日記じゃないと思ってはいるが::


今日は孫のチイチャンと我が家の裏に見える鍋割山に登る予定だった。しかしチイチャン行きたくないと

言った。そこで私が一人で行く事にした。チイチャンは朝早く起きて、山支度をしている私に、

「チイチャンが見送るからね」と言った。しかしチイチャンは声がカラガラなので、母親に熱を測ってもらった。

熱が出たことが分かると、しょぼんとしてしまって、私を見送る元気がなかった。


日常的の事から開放されたいと言って、出かける山も一人だと不安がある。裏山といっていても、車がドンドン

木が茂った森の中に入っていくと、とても不気味である。最近熊の騒ぎもあるのでなおのことである。


霧に包まれた登山口は私がどうやら一番のようである。風の音、鳥の声、山の全てをじかに身体に感じ

静かに歩くのが好きな私は鈴をつけたり、ラジオを聴いたりして歩くのは好きでない。

しかし今日は熊避けに鈴をつけることにした。パタパタと大きな鳥が木から木に伝わる音、私の情けないような

チリンと鳴る鈴が、霧に覆われた静かな山に響いた。


夏の間、私の腰下まで伸びた笹が登山道をスッカリ覆っていた。

笹の上の露でたちまち合羽のズボンがぬれる。防水があまり利かなくなった合羽、

新調しなくてはこれからの季節大変なことになるなどと思った。

高度が少し上がると、霧の合間にサーと開ける眼下の景色に、もう歩き出しの

不安も不気味さもない。山中にただ一人いることさえ忘れしまうほどである。
鍋割高原トップ 何時も最初の休憩場所としている鍋割高原のトップから。

これからは雑木の中、岩の急登が続く。紅葉を期待したが今年は葉が赤くならないうちに落ちてしまっているようにおもわれた。

鍋割山1 今日は朝天気も悪いので誰もいないと思った頂上が多くの登山者でいっぱいであった。 記録の写真を撮って直ぐ荒山に向かう。静かに一人で頂上を独占しようと思ったのが一人よがりの考えでであったようである。

荒山高原に向かい最初の登りにかかる登山道南に大きな岩がある。そこを下がると大きな岩穴がある。この岩穴の中に石の祠がある。子どもが小学生の頃、偶然に此処であった地元の知人にこの岩穴にエンレイソウが咲いてると聞いて、何度かエンレイソウに会うのを楽しみにのぼった。しかし雨が降らない夏ノ次の年登った時はエンレイソウはすかっり絶えていた。

この岩穴はこのあたりの人が戦争出かけるとき夫や息子の無事を祈願のお参りをしたそうでる。

子どもの時をこの山の懐で過ごした山の仲間のYさんは父親に良く連れてきてもらった。この岩穴を山歩きをするようになって探したが見つからないから教えてくれと言っていたのを思い出した。今日は確認する事にした。大きな岩の東側の藪に覆われた登山道脇を足で掻き分けると、藪の中に木の丸太で作った階段が谷の方に続いていた。少し下がってみると確実に昔の面影をのこしていた。今は誰もあの祠にお参りに行く人がいなくなっているのだろう藪に何処までも覆われていた。

荒山山頂1

荒山高原の荒山の登り口は登山道の看板を見る 女性達でふさがれていた。ふと見ると昔近くに住んでいた人だった。「コマクサの会」という名をつけて気のあった5人でハイキングを楽しんでいるのだといった。どこかで聞いた事がある名前だと思った。そこで荒山まで同行する事にした。霧が時々晴れるようになった。その晴れ間に山肌が映し出されると、山肌に黄、赤、オレンジと色が舞っているようであった。同行の女性達が荒山に登る選択してよかったと、口々に何度も何度もいって感激していた。


荒山の頂で記録の写真を撮って、此処から降りるという彼女達に別れを告げて南側の避難小屋目指して降りる。東側に開けた岩のある見晴台でお昼にした。コーヒーにクリプリンのデザートを食べているとまた聞き覚えのある女性達の声がした。またお会いしたねと彼女達、頂上直下の、あの岩場を降りるのは恐いのでこちらに降りたと言った。避難小屋で追いつき未だお昼を食べてないという彼女達に私はまた鍋割山に登り返すので、同行できて楽しかった事を告げまた別れた。

ツツジや雑木の中の登山道は登ってくる人も少なく、荒山高原に近づくつれ、後ろから足音が近づいてくる、音からして男の人かな、追われるよな気分になる。があくまでも自分のペースを守って歩こうと決める。芝の広場で記録を取るため立ち止まっていると、後ろの足音の人は50代らしき男の人だった。私の顔を何も言わないでチラーと横目で見て追い越していった。直ぐ私も歩き出した。荒山高原に行くと追い越していった男性も鍋割山に向かった。杖を右手に持って、右手に体重をかけ加減にしてドンドン登っていく。その人はチラッと後ろを振り向いた。私を意識しているなと感じた。あのおばあさんに負けては男が廃るとでも思ってるのかなと私は思った。そうそうおばあさんは競争する気はないのですよーまして追い越す力はないのですよーと心で叫んで、あくまでも自分の歩き方で登った。山を歩く時、競争ほどつまらないことはない思う。しばらく登ると登山道の真ん中の岩の上に、登山方向にむいた変な座り方で腰掛けてる男性がいた。「こんにちは」と声を掛けると、私をチラーと見て照れ笑いをして「こんにちは」と言った。


鍋割山の頂上でYさんに岩穴のことをメールして、コーヒをのんでリンゴを食べて誰もいない笹の中の登山道下山した。


鍋割高原はまた霧に包まれていた。その岩の上に二人の女性がニコニコしながらまるでレストランで食事を楽しんで様に座ってお茶をしていた。寄って休んでいかないと声を掛けて下さったが、仕事が待っているので、また寄せて頂きますとお断りすると。ではまた寄ってくださいね、美味しいお茶を入れておきますからねと言う答えが返ってきた。


今日もまた思いもかけない人にも会え山を楽しんだ。



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バスハイクに参加した。1994、5月3日4日と残雪の茶臼岳に登って目当ての露天風呂のある三斗小屋温泉に行った・そのときは三本槍までは足を伸ばす力もなかったので、いつかは登りたいと思っていた三本槍岳である。

鬼面山 鬼面山

茶臼だけ 噴煙を上げる茶臼岳

峰の茶屋

なす清水平 清水平から三本槍を見る(丸い優しい感じの山)

三本槍下 三本槍頂上近くの谷側紅葉

三本槍頂き 三本槍頂き

三本槍の山名の由来は江戸時代に会津、白河、黒羽三藩の領界で】領地の確認を毎年5月5日に行い、その確認の時各藩の槍を立てたことに由来をする。

朝日岳の頂き 朝日岳頂き

朝日岳 朝日岳

峰の茶屋に向かう

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私達の健康維持のため武尊山に登った。


私が子供のとき、一番上の姉が父と冬の武尊山に登ってピッケルを持って父と父の友人姉と写真を撮った。その写真を見て私も連れて行ってほしいと父に頼んだが、子どもは無理といわれ、そのまま父と登ることはなかった。武尊山は大人になってもあの時の写真がうらやましかったという思い出のある山である。


子どもが家から離れ、また山登りを始めてた50代に夏の武尊山を川場から上の原に縦走したり武尊山牧場から3回と春山の武尊山に登りたくて通った。しかし雪のある武尊山をピッケルを持って登る夢は果たせないでいる。


今日は夫が頂上を踏んだことがないというので一番最短距離の花咲きから入ることにした。

オグナスキー場トップに車を止めて登った。ほたかのぼりぐち

登り初めから。紅葉で山肌を彩っている前武尊山が目の前にあ。

まえほ 前武尊山、東に向かって立っている銅像。ここまでぬかるみの中一気に高度上げる急登
である。振り返ると昨日あたりの天候で初冠雪の日光白根山と、皇海山が目に入る。




まえほ岩峰 前武尊から岩峰群ぬ向かう、白樺が岩峰群に映えとても美しかった。

前武尊からは今までの苦しい登りを忘れさせるような光景が目の前に広がった。

まえほの頂きから 前武尊から家の串に向かう途中の紅葉と武尊頂きを見るほたかの頂きをみる 。頂に続く一筋の登山道

家の串 家の串山(2039、7)は笹、此処までは岩峰群を巻いてきた


家の串からの岩峰群 家の串からの岩の登山道。岩がありと、とても変化に富んだ登山道である。

ほたかチトー 沖武尊山目前にして池、

ほたか銅像 沖武尊直下の銅像

ほたか頂き 沖武尊山頂上(2158.3)。遮る物はないもない360度の展望台。今日は西側に雲があったので360度とはいえないが。見えた主にな山、至仏山 会津駒、燧ケ岳、日光白根山、皇海山、 富士山、雲取山、甲武八ヶ岳、浅間、四阿山、苗場山、谷川連峰の一部太郎山、と、家から見るとは違う裏から見る赤城山、。榛名山、子持山。


,ほたか頂から 沖武尊山頂から剣が峰山方面。


何処の登山口から登っても頂に着くには長い道のりだったが、今日は行く峰峰を見、頂が近かった。

この登山口をアドバイスしてくれたHさんありがとう御座いました。


コースタイム、自宅5:45 登山開始8:20 前武尊山9:30~9:40家の串10:40~10:45

沖武尊山11:45~12:45家の串13:37~13:45前武尊山14:45駐車地点15:30、


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