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2011-04-29 18:32:42

しあわせ。

テーマ:ブログ

3月の頭にカンボジアへ海外旅行に行ってきました。

卒業旅行です。

「卒業旅行なんて、俺には無縁だよな…。」

そう思っていた矢先、仲の良い友人2人から連絡が来ました。

嬉しかったです。

なぜ嬉しかったのか。

それは彼らが“他でもない僕を選んでくれたこと”が嬉しかったからです。

彼らには学内に別の友人がたくさんいます。

一方僕はというと、音楽活動を続けて来たこともあって、4年間を通じてなかなか大学で友人を築くことができませんでした。

今は少しそれが心残りでもあります。

そんな心境でいたさなかです。

「卒業旅行に行こう」と数少ない友人が誘ってくれたのだから、それは嬉しいというものでしょう。

それが1月下旬ごろのお話。

それから大急ぎで旅行会社各社のツアーを見て回りました。

かくして3人でカンボジアへ卒業旅行に行くことが決まったのでした。

カンボジアに滞在している間、ずっと考えていたことがあります。

それは“幸せの定義”についてです。

定義なんて大それた冠をつけましたが、実際のところそんな大したものじゃないです。

シンプルに“しあわせって何だろう?”って考えていたに過ぎません。

『海外に行けば価値観が変わる。』

この言葉、あながち嘘ではないようです。

それは少なからず自分の中で“生まれた”価値観があるように思うからです。

僕は、今まで自分が恵まれた環境で育ってきたと思っていました。(それは今でも変わりませんが)

だから、はじめて触れる自分より圧倒的に生活レベルの低い人たちの暮らしに対して、“引け目”というか“不憫”のようなマイナスの感情を持ち続けてきました。

でも、現地の人々の暮らしに触れたとき、あの人たちはあの人たちなりに“幸せ”を実感しながら生きているのだということがものすごく伝わってきました。

実際に聞いたわけではないけれど、確かに「伝わった」のです。

幸せの定義とは資本の豊富さや文明の発展度合いでは計れない。

お金があれば幸せかというと、一概にそうとは言えない。

利便さは必ずしも幸せを運ぶというわけではなさそうです。

もちろん経済が発展していれば、それだけ国にも人にも余裕があるということですから、職種にも幅が出てきます。

教育水準も高まって人生のバリエーションも増えます。

それは自分が『これからどんな人生を歩んでいきたいか』考える機会を持つ、選択の幅が広がるということでもあります。

世界には色々な仕事があって、多様な生き方がある。

それを知らずして、はたして人は本当に満足な人生を終えることができるのだろうか。

そんな風に思っていました。

でも、それは見方を変えれば至極“上から目線”でもあります。

なぜならそれを当人が望んでいないからです。

知らないから当然と言えば当然なのですが、“知らないからといって与え、教えた方がいい”わけではないのです。

それは例えば落語を好きな人に無理やりロックンロールを聞かせるのと同じことです。

ロックンロールに落語にはない“良さ”があるからといって、かならずしも聞かせる必要はないのです。

それに、世の中には知らない方がいいことが沢山あります。

何事も一概には言えないんですね。

とかく、幸せはいろんな形で世界に満ち満ちています。

その一つひとつを、まずは認めるということ。

そして、『自分なりの幸せの形』があるということ。

自己満足かもしれません。

もしかすると、とどのつまり自己満足に過ぎないのかもしれません。

ただ、自己満足というとマイナスな表現に使われがちですが、こと“幸せ”においてはそうとは言えないと思います。

まずは“幸せを実感しすぎればいい”。

そうすれば、いずれそれが相手にも伝わる。

人のために自分を切り捨てるのでなく、人のために自分を大切にする。

そんな生き方が今“ベスト”だと思います。

藤井拓馬

このブログもラスト2回です。

次回、お楽しみに。


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2011-02-15 14:11:55

【誕生日について】

テーマ:ブログ

『どうして誕生日をちゃんと覚えてくれるんですか』と度々言われる。そんな時はいつも決まってシンプルにこう答えるようにしている。


「誕生日はなるべく沢山の人から祝ってもらった方が嬉しいだろう?」と。


“たかが生まれた日”だなんて、全く思わない。だって“そのたかが生まれる事”がどれだけ大変な事か知っているから。奇跡なんて、実のところ挙げだせば限がない。そんなのは生命の大切さを訴えるドキュメンタリーなんて見なくても、皆気づいていなきゃいけない。



「おめでとう」という言葉をこの先、人生でそう何度も言う機会はないだろう。「ありがとう」や「ごめんね」は他者に対しての自己がある程度反映されて発信される言葉であるのに対して「おめでとう」という言葉は“100%他者に向かって”発信されるという珍しい性質を持つ。「おめでとう」という言葉は沢山ある言葉の中でも珍しいものだと言える。これだけマイナスの要素が少ない言葉も珍しい。だからなるべく「おめでとう」という言葉を使って欲しい。その絶好の機会が誕生日だと思っている。



沢山いる人の中で、つながりを持てる人はごく僅かだ。それくらいは覚えていてあげたい、というのが正直なところ。それが例えたった+1でも、ほんの少しでも増えたのなら、きっといい。


どれだけ離れていたって、会わなくなったって、そんなのは『祝わなくなる理由』になんて成り得ない。プレゼントなんて無くたって構わない。大切なのは絶対に『心』だ。


「おめでとう」「ありがとう」



誕生日を祝う風習、文化を素晴らしいと思う。


藤井拓馬

次回の更新もお楽しみに。

2011-02-03 21:55:16

【孤独】

テーマ:ブログ

大学に入ってから学ぶ事。その一つに『孤独』を学ぶ事があると思う。それまでの制約が無くなって“それなりの自由”を手にすると、行動出来る範囲と程度と時間とが一気に拡大する。そうなると、何だか急に怖くなって足がすくむ。


最初、外堀を埋める事に専念する。なるべく一人の時間を作らないようにする。それは寂しさを紛らす事と同じかもしれない。


バイトをしたり、飲み会に行ってみたり、遊びに出掛けたり、恋人と寄り添ったり…。恐ろしいほど素晴らしき怠慢な日々。それもそれなりには満たされる。でも、何度も繰り返す内、次第に飽きが来て欠乏感が膨らむ。“何かが足りない”頭と心が何かを探し始める。


就職活動などのターニングポイントが近付くと、一人の時間は一層増える。“誰もかまってくれない”その事が当たり前だという、そんな当たり前な事にも今さらながら気づかされる。


最初は中々それを受け入れる事が出来ない。そりゃそうだろう?だって、今まで上手くごまかしてきたのだから。


うまく『孤独』との折り合いがつかなくて、人に当たったりする事もしばしば。心にすうすうと風が吹く。でも、次第にそれにすら慣れてくる。徐々に感覚が麻痺してくるからだろうか。


大学生もいよいよ終盤になってくると、『孤独』だと感じる事自体が少なくなる。あれ程怖くて仕方なかったのに気が付くと、一人ぼっちでいる事もそんなに怖くはなくなっている。自分一人でも生きていける程、強くなったのだと感じる。“これからは一人で歩いていける”明るい未来を目指して、自分を奮い立たせるための言葉を胸に、歩き始める。


確かに強くなったかもしれない。


でも、『孤独』に怯えていた方が幾分か人間臭かったんじゃないのか?


どんな仕事をしていくにしたって、いつだって必要なのは『人の温かみ』だろう?


そんなのが“あの時なりたかった自分”だったのか?


果たして、本当に強くなったのか?

藤井拓馬


【今年の事 その①】

 

 友達のバンドが東京に行くらしい。その前に一度見に行けたらいいけれど…。背中を押してやりたい。


どんな言葉をかけてやればいいのか考える、そんな今日この頃。


 藤井拓馬


 次回もなるべく1週間以内の更新を目指します。

 いつも読んでくれてありがとう。

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