しあわせ。
テーマ:ブログ3月の頭にカンボジアへ海外旅行に行ってきました。
卒業旅行です。
「卒業旅行なんて、俺には無縁だよな…。」
そう思っていた矢先、仲の良い友人2人から連絡が来ました。
嬉しかったです。
なぜ嬉しかったのか。
それは彼らが“他でもない僕を選んでくれたこと”が嬉しかったからです。
彼らには学内に別の友人がたくさんいます。
一方僕はというと、音楽活動を続けて来たこともあって、4年間を通じてなかなか大学で友人を築くことができませんでした。
今は少しそれが心残りでもあります。
そんな心境でいたさなかです。
「卒業旅行に行こう」と数少ない友人が誘ってくれたのだから、それは嬉しいというものでしょう。
それが1月下旬ごろのお話。
それから大急ぎで旅行会社各社のツアーを見て回りました。
かくして3人でカンボジアへ卒業旅行に行くことが決まったのでした。
カンボジアに滞在している間、ずっと考えていたことがあります。
それは“幸せの定義”についてです。
定義なんて大それた冠をつけましたが、実際のところそんな大したものじゃないです。
シンプルに“しあわせって何だろう?”って考えていたに過ぎません。
『海外に行けば価値観が変わる。』
この言葉、あながち嘘ではないようです。
それは少なからず自分の中で“生まれた”価値観があるように思うからです。
僕は、今まで自分が恵まれた環境で育ってきたと思っていました。(それは今でも変わりませんが)
だから、はじめて触れる自分より圧倒的に生活レベルの低い人たちの暮らしに対して、“引け目”というか“不憫”のようなマイナスの感情を持ち続けてきました。
でも、現地の人々の暮らしに触れたとき、あの人たちはあの人たちなりに“幸せ”を実感しながら生きているのだということがものすごく伝わってきました。
実際に聞いたわけではないけれど、確かに「伝わった」のです。
“幸せの定義”とは資本の豊富さや文明の発展度合いでは計れない。
お金があれば幸せかというと、一概にそうとは言えない。
利便さは必ずしも幸せを運ぶというわけではなさそうです。
もちろん経済が発展していれば、それだけ国にも人にも余裕があるということですから、職種にも幅が出てきます。
教育水準も高まって人生のバリエーションも増えます。
それは自分が『これからどんな人生を歩んでいきたいか』考える機会を持つ、選択の幅が広がるということでもあります。
世界には色々な仕事があって、多様な生き方がある。
それを知らずして、はたして人は本当に満足な人生を終えることができるのだろうか。
そんな風に思っていました。
でも、それは見方を変えれば至極“上から目線”でもあります。
なぜならそれを当人が望んでいないからです。
知らないから当然と言えば当然なのですが、“知らないからといって与え、教えた方がいい”わけではないのです。
それは例えば落語を好きな人に無理やりロックンロールを聞かせるのと同じことです。
ロックンロールに落語にはない“良さ”があるからといって、かならずしも聞かせる必要はないのです。
それに、世の中には知らない方がいいことが沢山あります。
何事も一概には言えないんですね。
とかく、幸せはいろんな形で世界に満ち満ちています。
その一つひとつを、まずは”認める”ということ。
そして、『自分なりの幸せの形』があるということ。
自己満足かもしれません。
もしかすると、とどのつまり自己満足に過ぎないのかもしれません。
ただ、自己満足というとマイナスな表現に使われがちですが、こと“幸せ”においてはそうとは言えないと思います。
まずは“幸せを実感しすぎればいい”。
そうすれば、いずれそれが相手にも伝わる。
人のために自分を切り捨てるのでなく、人のために自分を大切にする。
そんな生き方が今“ベスト”だと思います。
藤井拓馬
このブログもラスト2回です。
次回、お楽しみに。

















