今日の主役はピリポ、ではなく、聖霊様である。


とはいえ、中心人物はやっぱりピリポ。この人、今まで自分はてっきり使徒のピリポ、イエス様とずっと行動

を共にしていた人物だと思っていたが、誤解であった。


「その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。」(1節)


とはっきり書かれていたのに、見落としていた。しかし、どうして使徒たちは散らされず、エルサレムにいる

ことが許されたのだろう。ま、神のご計画と言ってしまえばそうなのだが、宗教家たちの都合からして、どの

ようなメリットがあったのだろう。


彼ららしく、最近群衆からの支持が高まってきたため、公に迫害するのを恐れたのか?


いずれにしても、数千人、いや1万人を超えていたであろう弟子たちがみな諸地方に散らされてしまったと

なれば、常識的に考えれば大ダメージである。しかし、そこが普通でないのが神様のなさることで、なんと、

大迫害転じて、全世界に福音が宣べ伝えられる原点となったのだ。


すべては神様の心の中にあって、人間的に好ましくないように思えることでさえ、すでに神様の息がかかっており、適切なとき、適切な場所で(なんだか小泉総理チックでいやだな=あ、別にアンチでも熱烈支持者でもありませんから)動き始めるのだ。


話はピリポに戻して、使徒でない、普通の男が神様に用いられたというのは、励ましである。普通の人を

使って、普通でない働きをさせるのは、神様の得意技である。


その秘訣は、ピリポが神様の語りかけに対して、従順であったからではないかと思う。(26,29節)神様が

語られたとおりに行動すれば、神様がすでに用意してくださっている結果を得ることができる。


(適用)

・まず何をするにも、聖霊様の声を聞くことから始める

・語られたことを先延ばしにしていることがないか吟味する