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2017-05-29 07:28:41

第二条 嘘うそを言わない

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第二条 (うそ)を言わない
 
 嘘の必要があったら黙っている、その位頑固に嘘を言わない人、差し支えがあったら、それは差し支えがある、言わせる方が無理だと言い張れる人、(いや)を嫌と素直に言える人は、絶対に信用される。こう言う頑固は嫌われない。
 見栄があったら正直にはできない。裸になれる勇気のある人、言いそびれたら、もう一度元気を出して思うことを言い出せる人、嘘を言わないで損をしない賢い人、知恵のある強い人間。
 私たちは、毎日のようにウソを言いたくなる場面に出くわすことが多いものです。約束の時間に少し遅れた時に、交通渋滞や電車の遅れを言い訳にすることはいつものこと。車で遅れると「少し車が混んで・・・」と少し顔をしかめ、相当遅れた時には「前の方で事故があったようで」と勝手に事故を起こさせたりもします。
 また、朝、家を出るときは早く帰る予定だったのに、“やむなく”遅くなる場合には、帰宅途中に、どんな言い訳が最も効果的かを冷静に判断します。たとえば「上司から誘われて・・・」「ちょっと友だちが尋ねて来て・・」「帰る途中に先輩にばったりお会いして・・・」などですね。
 そして、勇を決して電話した時「あ、ソー」などとすんなり信じてもらった時の安堵感といったら最高で、ほっとした気持ちで一杯になります。しかし、その心地よさが次のウソを(さそ)うことになるのです。ところが、それが裏目にでた時のつらさ!。あれほど気まずく、どぎまぎ”することはそうはありません。人間は、永久にウソをつき続けることはできないのです。
夏目漱石は「(うそ)河豚(ふぐ)(じる)である。その場限りで(たた)りがなければこれ(ほど)(うま)いものはない。しかしあたったが最後苦しい血も()かねばならぬ」(『虞美人草』)と厳しく突き放します。
企業においても、何か不祥事でもあれば、マスコミや顧客からの問い合わせに対応します。そのとき、どこまでどんな情報を開示するかについて、企業ビジョンや倫理観あるいはコンプライアンスの考え方などの企業防衛との狭間で悩むのです。とはいえ誤解してはならないのは、何でも情報を出すことが情報開示ではないということです。情報を「今、明らかにできること」と、「“今は”、明らかにできないこと」をきちんと分けて、その都度、ことの進み具合を見て、言われなくても記者会見して誠実な対応を心がけることであります。ウソを言わざるを得なくなるのは、誠実な経営の姿勢・透明性の高い広報体制が日頃から整っていないからなのです。つまりつねに新鮮な水と清らかな空気(情報)を組織に注入し、水はけと風通しがよい土壌を造ることにより、滋養分の高い栄養素や健康を損ねる毒素(情報)を吸い上げるのです。 
                     
嘘を言わないに越したことはありません。しかし、ウソなしには、人生は成り立ちにくいことも事実です。人間はその時々では、「真心(まごころ)(うそ)」を発する必要も多々あるのです。ウソが思いやり・温情で、ホントは冷酷・非情の場合は少なくないのです。だから、芥川竜之介も「わたしは不幸にも知っている。時として嘘による外は語られぬ真実もあることを」(『侏儒(しゅじゅ)のことば』)とつぶやくのです。
誰しも、身内が死に至る病に冒された時、本人に告知するかしないか?で人生で最も大きな苦しみと深い悩みを味わうことでしょう。これは明らかにウソを言うか言わないか?ではないでしょうか。告知しない場合にはすべてを徹底的にウソで固めることになるのです。これが許される極限のウソとすれば許されない極限、つまり真実を言うべき時に言うウソは絶対に許されないことになります。ところが真実を述べるべき極限ともいえる裁判においてさえ、悲しいかな、双方でウソのつきあいと(あば)きあいのバトルが展開されています。腕のいい弁護士や検事であればあるほどいかに巧みに嘘を暴き、嘘を暴かれないかの勝負とも言えましょう。
とはいえ、まっとうに生きていく上において、ウソを言うつもりはなくても、結果的にウソになるケースもあります。
以前、若くして独立したある友人が、その日の生活にも困るようになり、「こここ数日ちゃんと食べてない。来月入金のあてがあり、きっと返すから、少しでも・・・」というので、何がしか都合したことがあります。まだ、うまく行かないようで心配です。でも、居所は報せてくるので頑張っているのでしょう。
このように、本当に返すつもりで借り、心は返したくとも、実際に返せない場合だってあります。そういえば、ほとんどの言い訳の素とは「つもりちがいのウソ」ではないでしょうか。その「つもり」をどの程度にみるかによってウソの度合いが変わってくるようですね。ただ、最初から返すつもりがなくて返さない人は“詐欺師”と呼ばれます。
人生は、すべて本当のことだけを言えばうまく行くかというと、むしろそうではなく、いかに本当のことを言うべきタイミングと言い方を学ぶことといっても過言ではないでしょう。
また、儀礼を守ろうとすればどうしても一部分はあいまいにせざるを得ないことが多いものです。杓子定規(しゃくしじょうぎ)に真実しかいえない人は、誠実なようでほんとうは冷たい人でもあります。人のちょっとした失敗に対し、知らないと言えること、知らないふりをしてあげることなどは、ウソというより思いやりなのだと思います。
 日常生活においても、、今は言わない方がよいことや、ほんとうは言わないでおく、つまり、小さなウソで(まぎ)らしていた方が時には人間的であったり、あるいは円滑にものごとが進むことが多いはずです。
世の中は白か黒の二色ではありません。人生はすべていろんなグレーでもあり、多色カラーでもあるのです。つまり、刻々目の前に現れる微妙なグレーゾーンやカラーエリアをいかに切り抜けるかで人生は大きく違ってきます。その処し方に人生の妙技があると言えましょう。嘘は人生の潤滑剤でもあるのです。
今日(きょう)ほめて明日(あす)わるく()(ひと)(くち)
    ()くも(わら)うもうその()(なか)」(一休)
「善いウソの言えない・・・だから、嫌われる」
 

 

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2017-04-26 03:06:48

第一条 約束を守れ(続き)

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30代の初め、神戸製鋼に勤務していた私は、中東のカタールに製鉄所を建設するため首都ドーハに2年間住み、イスラム教に(ひた)りました。アラブの人は、約束の後や別れ際に必ず「インシャラー」((かみ)(おぼ)()しがあれば)と付け加えます。つまり、どんな約束も守れるかどうか判らないことを前提に約束しているのです。アラブ人はいい加減だという人もいますが、日中五十℃を越すような厳しい酷暑の中東に住めば、何ごとも自分の意志だけではどうにもならないことが、肌身で判ります。たとえ隣町の友だちに会う約束があっても、突然砂嵐が来たり、急にらくだが病気になれば行けないのですから。
それは現代社会でも同じ、約束はいくつかの前提条件が揃ってこそ守ることができるのです。したがい、いつもそれらのバランスを考えて言動している人がきちんと約束を果せる人になるのでしょう。 
ナポレオンでさえ「約束を守る最上の手段は決して約束をしないことである」とすべての約束は守れないと諦めているのです。
 破られる確率が一番高い約束は恋愛の約束でしょう。「好きだ」「愛してる」という言葉は、口から出た瞬間から宙を舞っています。といって、前に「いついつまでは」とくっつけると興ざめですが・・・。
時には、度胸やその場の勢いでしてしまう約束もあります。あるいはできないとわかっていても、過去のいきさつやその場の雰囲気から約束せざるを得ないこともあるのです。
絶対に守れる約束しかしない人がいいのか?、努力目標でも約束してあげる人がいいのか? なかなか難しい問題ですが、後者の度合いが強い人ほど、人間味のある人のように感じます。ただし、その場合には、守れる度合いをことばで表しておくと親切です。

「とにかく、努力はしてみます・・・」

 「あまり期待しないで待っててね」

 「ま、運がよければ・・・」

 「まあ、7、8割は大丈夫ですけど・・・」

 「かなり難しいとは思いますど・・・」

 「私も幸運を祈るばかりです・・・」

 「相手の方がどういわれますか・・・それ次第ですね・・・」」等です。

14世紀に生きた兼好(けんこう)も「人の志を頼むべからず。必ず変ず。約をも頼むべからず。信あること少なし」(『徒然草(つれづれぐさ)』)と言い、「人の厚意もあてにしてはいけない。人の気持ちは必ず変わるものだ。約束もあてにしてはいけない。信義が守られることは少ない」と諦めているようです。
だから、小さな約束でもきちんと守る人は珠玉(しゅぎょく)の人なのです。
 軽く約束、軽く破る・・・だから嫌われる                   
 
 

 

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2017-04-23 18:26:02

『だから嫌われる』第1条「軽く約束、軽く破る・・・だから嫌われる」

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第一条 約束を守れ
 どんな小さな約束でも片っぱしから守る人、これほど気持ちのよい人はいない。それだけに守れる約束をしなければ駄目だ。やさしい様でむづかしい。と同時に困難の多い約束をきちんと果してみせる事、しかも重苦しくなく楽々と果す事、恩にきせない淡々たる態度で約束すれば必ず果す人、しかもはじめの約束より実の入った果し方をする人、見事な人である
 コペルニクスは「太陽は宇宙の中心であって不動であり、太陽の運動と見えるものはすべて実は地球の運動である」(『天体の回転について』)ことを発見しました。
宇宙の約束事は、地球は太陽の周りを回り、かつ自転し、太陽は東から昇り、西へ沈むことなどの自然現象です。毎日の生活は、ある自然の約束の下に成り立っています。まずはこの自然が果してくれる約束への感謝の念が必要です。
ところが、自然と言っても、空気があること・草木があることなどは地域によっては大きく異なります。また、自然はいつもその約束を守ってくれるわけではありません。最大の約束破りは、お天気ですね。
 私たちの日常生活は、人間として社会的に生きていく上での約束事で成り立っています。その約束といってもピンからキリまであります。家族間の約束や友人間・異性間の約束、会社内での約束から会社間の約束、個人と国家あるいは国家間の約束など、私たちは実にさまざまな約束をしつつ、それを互いに守ることによって毎日を生きているといってもいいでしょう。つまり、社会は約束事で成り立っているのです。 
約束の相手もいろいろですが、その種類や軽重となるともっとバラエティに富んでいます。それらの約束を片っぱしから守っていくことが人に好かれる第一条とすれば、守れる約束だけをすればいいことになります。しかし、これがなかなかむづかしい。なぜなら、約束を守ろうとしても、自分でコントロールできることと、コントロールできないことがあるからです。そのバランスで前者が多ければ約束を守る確率は上がり、後者が多ければ下がることは必然です。もちろん、自分でコントロールできることも守れないようなことでは、お話になりません。
約束を守る確率を上げるには、前もってよく計算することが大切です。
といっても算数ではなく、双方を天秤に掛けるのです。 
近年、不祥事や事件に際して「Compliance(コンプライアンス) 法令順守」の重要性が叫ばれますが、法律を守るのは国民としての最低のルールであり、「これさえ守ればいい」というのは、人間としては恥ずかしいことです。ドイツの社会学者ジンメルもそんな人間は「倫理的異常者」と断じます。守るべきは、本来の人間としての「道徳」であり、「倫理」です。新渡戸稲造も「武士道は成文法ではない。(不言不文の)“道徳の(おきて)”で実行を強く求める力があり、武士の心に刻まれている律法である」(『武士道』)とその崇高さを誇るのです。
コンプライアンスは、我が国では「倫理(道徳)・法令順守」と訳すべきです。法令を守るのは国民としての義務、倫理道徳を守るのは人間としての義務です。私たちはこれを「いかに上回るか」を競って誇り、「倫理的正常者」の増加を図るべきです。それによって徳や品格の高揚を促し、本来の日本人の心を取り戻したいものです。
 山見博康
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