ラテン!ラテン!ラテン!

渋谷からラテンアメリカ映画を発信!!


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しばらくぶりのブログです。

「ブログ、更新してませんね~」と言って下さる皆様に感謝!!
ようやく書く気になりました。

まずは、2013年に、このブログでご紹介した「ビルバオーニューヨークービルバオ」
著者、キルメン・ウリベ氏の新刊のご紹介と来日イベントを。

前作の出版から3年。バスク語で書かれた物語が、金子奈美さんの静謐な翻訳で、また読めるのかと思うと嬉しい限りです。

奈美さんからご連絡いただき、いつも腰の重い私が、「おお~っ、全部行ってみたい!」と思ったイベントの数々です。

新作「ムシェ」の刊行記念の来日だそうで、早く読みた~い!

ムシェ 小さな英雄の物語 (エクス・リブリス)/キルメン・ウリベ
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以下、イベントのご紹介です。
バスク語の響きが、とても好き。新たな世界が開ける感じで、サンセバスティアンでは、大人も子供もバスク語!という中で、過ごす映画祭も他にはない、雰囲気があります。


これからスケジュール調整して、可能なら、全て行きたい、と思っていますが、
少なくとも初日の吉祥寺は行きます。

ご興味ある方、お誘い合わせの上、是非に!
(下記にチラシも添付いたしました)

京都でもイベントがあります。


12月5日(土)20:00~21:30(開場:19:30)
『ムシェ 小さな英雄の物語』刊行記念トーク 
 会場:百年(吉祥寺)
 ゲスト:キルメン・ウリベ

※ こちらのイベントでは対談者を立てず、バスク語での朗読を交えながら
ウリベ氏にじっくりと作品について語ってもらうほか、来場者から
直接質問をする時間を多めに設けています。翻訳者の金子さんが通訳。
どうぞ気軽にご参加下さい。
※ チケット1000円。百年にて書籍「ムシェ 小さな英雄の物語」(白水社)
をご購入いただいた方は100円引。
百年のHPにて予約受付中。


12月6日(日)12:00~14:00 (11:30開場)
 キルメン・ウリベ×今福龍太
 「平和の破片を集めて―他者の記憶と私たちの記憶が交わるところ」
 場所:本屋B&B(下北沢)

※ 2012年にウリベ氏が初来日した際、共に沖縄を旅した批評家の今福龍太さん
(東京外国語大学)をゲストに迎え、『ムシェ』という小説の背景とそこから
立ち上がってくる世界について対話していただきます。
※ 入場料1500円 + 1ドリンクオーダー。
B&BのHPにて予約受付中。

12月6日(日)18:30~20:00 (18:00開場)
 ポエトリーリーディング「冬の小鳥たち Txoriak neguan」
 出演者:キルメン・ウリベ、管啓次郎(詩人)、
 金子雄生(トランペット)、河崎純(コントラバス)
 場所:カフェ・ラバンデリア(新宿2丁目12-9 広洋舎ビル)

※ 特別ゲストに詩人の管啓次郎さんをお招きし、詩の朗読と音楽の夕べを
開催します。ウリベ氏の詩をバスク語と日本語で、管さんの詩を日本語と
スペイン語で読み合いながら、即興の音楽とコラボレーションする試みです。
現代詩人との共演経験も豊富なミュージシャンとの掛け合いにご期待ください。
※ 入場無料(但し1ドリンクオーダー、投げ銭制)

 12月7日(月)19:00~
 キルメン・ウリベ×藤井光
 『ムシェ 小さな英雄の物語』刊行記念トークイベント&サイン会
 場所:丸善京都本店 地下2階 特設コーナー

※ アメリカ文学者の藤井光さん(同志社大学)をゲストに迎え、バスクという
小さな地域から時間と空間を越えて紡ぎ出されるウリベ氏の作品の魅力と、
少数言語で創作しながら世界文学と対峙する作家の素顔に迫ります。
※ 入場無料。整理券を配布予定、お問い合わせは地下2階レジカウンターまで。
※ トークショー後は、当店でお買い求めいただいた書籍を対象としたサイン会
もございます。



hyakunen

BB

poetry



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本書は、「俺俺」や「夜は終わらない」の著者、星野智幸さんの選りすぐりエッセイ集。
2014年から1998年まで年代を遡る形になっている。星野さんには、「言ってしまえばよかったのに日記」というブログがあって、時々、のぞきに行っているのだが、文芸誌や新聞へのエッセイがこうして本になってじっくり読めるのが嬉しい。

静かな語り口で、時にはユーモアも交えながら16年間の足跡をたどっていくと、星野さんの決してぶれない軸にたどり着く。

2012年のエッセイ「震災を語る言葉を待つ」から、2011年の「言葉を書く仕事なのに、何といっていいのか分からない」、はたまた2002年の「戦争を必要とする私たち」まで、何度も、何度も、“言葉を書くことがきつい”状況に陥りながらも書いて来たのは、“言葉が機能していない事態には抵抗したい。言葉が通じなくなったら、私たちは孤立して生きるしかない”(「絶対純文学宣言」)ことへの危機感だ。

その根底には、言葉への信用を回復するには文学作品しかない、という踏ん張りと “形式的で空虚な言葉だけは絶対に吐かない、流通させない”(「新人作家の賞味期限」)ことが“作家としての社会的責任だ”という確固たる覚悟がある。

ラテンアメリカでは、表現活動は、おしなべて政治的行動で、作家はもとより俳優や映画監督、ミュージシャンたちも作品を通してだけではなく、様々な場面で、政治的、社会的発言をする。それが当たり前のメキシコで、文学を志した星野さんだからこその覚悟だと思う。

デビュー前の星野さんと初めて出会って、「文学をするためにメキシコへ行った」と聞いた時の衝撃。あの瞬間を、今でも鮮明に覚えている。星野さんより10年も前にメキシコに留学した私は、卒論とフィールドワーク、映画以外は、ギター弾いて、歌って呑んでいただけだったので、メキシコで文学っすか!と、とても新鮮だったのだ。

以来、デビュー作「最後の吐息」から、全ての星野作品を読んで来たが、毎回、純文学の可能性をどんどん拡げている気がする。(この点に関しては、いつかじっくり書いてみたい)

そんな星野さんだから、エッセイの内容も多彩だ。メキシコへの里帰りや死者の日のこと、台北やインドでの作家たちとの交流、韓国滞在記、そして、もちろんサッカーから、タンゴ、執筆日記に至るまで、ついつい、読み進んでしまう。ところどころ、「ぷふっ」と笑いながら読み終わるごとに、様々な想いが去来する。それを明確にすべく、今度は、1998年から、ゆっくりと時間をかけて、ひとつ、ひとつ読んでみようと思った。

そして、私も、また、ブログを書き始めよう、と。

最近、日記は書くけれど、ブログを書いていない。
余りにも色々なことが起こりすぎて、頭が整理されていないこともあるけれど、誰かに何かを伝えること、映画を通して伝えることに疲れてしまった、というのが本音だ。巨大な壁の前で途方にくれて、「もう、どうでもいいや~」という無力感に苛まされながら、日本から逃げることしか考えていなかった。サンセバスティアン映画祭やローマ映画祭で、今では友人と呼べるようになった仲間と話して「まだ独りじゃない」と思えることだけが救いだった。

そんな私に、冷水を浴びせかけてくれたのが、エッセイの帯にもある文章だ。

“どれほど極端な情勢になろうと、他人の言葉や雰囲気になびかず、自分で感じて、自分で考え、言葉遣いは人と同じでもいいから、虚無に陥らずに、自分の責任のすべてを賭けて発言するほかない。現状を生き抜き、変えるために、私の言えること、私のできることは、この当然で陳腐な文句がすべてである”

同時代に作家・星野智幸が存在してくれたことに感謝しながら、虚無から脱して、また、ゼロから始めてみようと思った。そして、その経緯の中で考えたことを書いて行こうと。

未来の記憶は蘭のなかで作られる/星野 智幸

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夜は終わらない/星野 智幸

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時間に追われる東京から離れて、浜辺の2日間で、
噛み締めながら読了した「夜は終わらない」。
(書きっぱなしですが、ネットが切れるので
まずはアップ!)

これほど、終わってほしくない物語はなかった。
星野さんの作品は、第一作目の「最後の吐息」から
読んでいるが、毎回、「おお、どこまで行くねん!」という
驚きとともに新たな境地を堪能しました。

きっとあらすじは、そここで紹介されているので、
ここでは、なぜ、そこまではまってしまったのか、
ということを書こうと思う。

この作品には「ネタバレ」なんて言葉は通用しない。
なぜなら、想像力によって読む人、それぞれの解釈が
違うと思うから。

映画でも文学でも、「こう観ろ」「こう読め」という
説明過多な作品が苦手なので、これほど、様々な部分に
読む者の余地を残してくれている作品に出くわすと、
ワクワクしてしまう。

全体を通しての主人公、玲緒奈は、複数の男から
金品を巻き上げ、疑われ始めるとあの手この手で後を
残さぬように男たちを消して来た。
でも、消すかどうかを決める前に、男に物語を語らせる。

「私が夢中になれるようなお話してよ」

ここから、まず、玲緒奈に興味がわく。
金目当てなら、あっさり消しちゃえばいいのに、
なぜ、物語を求めるのか。。。それは後々、
分かってくるのだが、私は、何も考えずに読み進めた。

死を前に最初に物語る春秋(シュンジュー)は
玲緒奈に6,000万円盗られても、ぞっこんで、自分をクズだと
思っているデイトレーダーだし、
「カワイルカ」から、「日常演劇」「フュージョン」と、どんどん物語を広げて行く
久音(クオン)は、文具会社の営業という、地味な存在だ。

クオンが語る「聞いたら二度と戻れない物語」の主人公も、見た目が
貧相な男、祈(いのる)、そう、語るのは、一般社会の中に紛れているか
はたまた、社会の外にいて、見えない人たちだ。

ラテンアメリカやヨーロッパの独立系映画では、
社会の中で聞こえない声、無視される人々を描きたい、
という監督が多々いるが、星野さんの小説にも同じことを感じた。

最初の春秋の話から、かなり面白かったので、
「え、これでダメなんですか?」と思ってしまったが、
その後の久音が語る「カワイルカ」から、もう途中で
本をおけなくなってくる。

一つの物語の中の人物が、語り始め、次にその人物の物語の
中の人物が語り始め…と、時間も空間もとけてしまったような
感覚に襲われ、どっぷりと浸ってしまうのだ。

久音は夜の間だけしか語らないので、物語の途中で、
夜が明けそうになると、次の日に持ち越される。

久音と玲緒奈の同居生活に戻ると、読んでいるこちらも、
ちょっとひと息、現実(?)に戻り、
玲緒奈と共に、夜が待ち遠しくなる。

一回目は、目次も見ないで、何も考えず、
自ら物語の世界に浸っていった。
そのうちに、「ん?この人、どこかで…」という既視感が
生まれてきても探さない。そのまま、つき進む。

私はジンとジンナの話が好きだ。

最後までたどり着くうちに、現代社会の問題が、そこここに
見えてくる。男女を交替する「日常演劇」(これは、一時期、
演劇に関わっていた人間として、実にリアル!だった)

その中の4人が互いを交換して自分の物語として
話すところで、一体、誰が誰なのか、分からなくなって来て
これこそ、ホドロフスキーがいつも言っている
「私は、あなたであり、あなたたち全員」みたいな話だと思った。

また、核融合工場の推進派と反対派が、途中から
混じり合って、一体、自分はどっちだったのか分からなくなる
という、笑っているうちに背筋が寒くなる話。(「フュージョン」)

「ええ~っ?」ということも起こるのだが、
そこでも、止まらずに読み続けた。
最後の数ページは、この物語が終わらないで欲しいと
願いながら、ゆっくりゆっくり…。

ついに最後の行を読み終わり、しばらく放心状態のなか、
ふいに、存在する者しない者、生きている人、過去に生きた人、
これから生まれてくる人、空も海も川も宇宙も、時間も世界も、
全ての境界がなくなり、融合したような感覚に陥った。

何より、野生性を失った代わりに、これだけ境界を越えることができる、
それを伝え、感じることができる「人間」が愛おしくなった。

こう書くと、とても抽象的なのだが、物語は、とてもリアルだ。
それに、時々、「ぷふっ」と吹き出すところもある。
星野さんの作品を読むと、こんなに感じてしまっていいのか、と
思うほど、五感が敏感になる。

味や匂い(臭い)や手触り、痛みまで体感してしまうのだ。

だから、私は、もう一度、読む。今度は、物語ごとに。
入れ子になったり融合したりしている物語の中を、
ひとつひとつ泳ぎたい。特に「日常演劇」から生まれてくる
物語を。

「日常演劇」の参加者、バンドネオンの音が出せる風の声を持つ丁(ひのと)が、
ミロンガを探しにブエノスアイレスに行く物語では
「ブエノスアイレスのマリア」や「ジーラ・ジーラ」を初めとする
タンゴが、ラプラタ川でショローナとアルフォンシーナが
出会う「アルフォンシーナと海」では、
歌(Llorona とAlfonsina y el mar)が流れ続ける。

そして、玲緒奈が唯一、心を許せたフェレットの名は
「トリスタン」(“トリスタンとイゾルデ”)。

読みながら、生前、埴谷雄高が、自分が宇宙を見上げる時、
宇宙にいるもうひとりの自分も、こちらを見ているんですよ、
みたいなことを言っていたなあ、と思い出した。

目の前のことに翻弄されていて、生きるのびることに必死で
見失った部分、実は、そこを認識できる人が増えてくれば、今の
危うい方向を是正できるのではないか、とさえ思う。

これだけ言葉が消費され、伝わりにくくなっている今、
言葉から受け取っているのに、言葉では言い表しにくい感情が
生まれてくるときのワクワク感を、ぜひ、体感していただければ、と思う。

そう、映画も小説も演劇も、ひと言でテーマが言えるなら、
作ったり、書いたりする必要はないのだ。

でも、言えないから、伝えられないからこそ生まれる
作品の中に、自分が伝えようとして伝えられなかったことを
見つけるとき、ため息とともに、作者に、監督に感謝する自分がいる。

そして、これだけ翻弄されている自分の中に、まだ、それを
見つける触覚が生きていたことを知った時に、また、
生きるエネルギーがフツフツと湧いてくるのだ。
夜は終わらない/星野 智幸

¥1,998
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アルフォンシーナと海


そして、あなたは、夢の中にいるように
眠りながら言ってしまう
海をまとって

La llorona
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この本を読んで、サンセバスティアン映画祭
行こうと決めた。

最初は、遠いし、「ご招待ですよ~」と言いながら、
チケットは自腹だし、ホテルも本当にとってくれるのか
どうか分からないし、その上、パネルディスカッションに
出てくれ、という電話が夜中にかかってくるし、
秋の映画の宣伝中だし…「どうしようかなあ」と
思っていたのだ。

でも、読み進めて行くうちに、せめてビルバオ美術館にある
アウレリオ・アルテタの壁画がみたい、と思った。
オンダロアまでは行けないだろうけれど、ビルバオなら、
サンセバスティアンへの通り道。
そのあたりの空気だけでも吸ってみたいと。

バスクの詩人、キルメン・ウリベの処女小説、
「ビルバオーニューヨークービルバオ」は、
その前に読んだボラーニョの「2666」から
少し距離をおけるようになるまで、読み始めることが
できなかった。
「2666」の感想も後ほど。実は、途中で
長い感想をメールで出したまま、約束していた
読後の感想を書いておらず、そのうちに、また読み返す
はめになり、しばらく離れられなかった)

本も映画もなるべく、前情報は入れないようにしている。
帯の言葉も表紙は目に入るけれど、裏側は読まない。
なんだか楽しみが半減するような気がするから。

本を開き目に飛び込んできた1行目。

「魚と樹は似ている」

この1文で、あとはもう何も考えず、小説の中に
入っていった。何も考えず…。

だから読み進めて初めて、「僕」が、キルメン・ウリベ自身で
これからビルバオーニューヨーク間の飛行機に乗る
ことが分かる。フランクフルト経由でニューヨークまで。

その間に、「僕」が小説を書こうとしていること、
バスクの画家、アウレリオ・アルテタと建築家バスティタの話、
バスティタと社会党の政治家プリエト、祖父のリボリオと漁師たち、
一番先にインタビューした父の叔母マリチュ、
そして、自分の妻ネリアと妻の息子ウナイ、様々な人々たちが
過去と現在を縦横無尽につないでいく。

フランクフルトからは、「着陸まで ○時間○分」という
表示が時々でてくるのだけれど、それで現在に引き戻されるまで、
内戦時代やそれ以前、以後の物語にどっぷり浸かってしまう。
「はっ」と気づく形で、機内の食事サービスが始まったり、
隣の席のレナータとの会話が始まったり…。

まるで「僕」の宇宙の中を一緒に旅して、時に、
めまいがしたかと思えば、ふっと我に返るほど、
境界なくつながっているのだ。
過去と夢、記憶と現実、
オンダロアとビルバオ、ロッコール島、
ストーノウェイ、エストニアもニューヨークも。

着陸までの時間が短くなればなるほど、
ページをめくる手が、ゆっくりになる。
終わってほしくない物語。
そして、最後の詩。

最近、涙腺がゆるんでいるので、しばらくは、
呆然としたまま、頭の中で
「マイテ、マイテ」という言葉だけが響く。

飛行機に乗って別の時空間を旅するのは、
とても自由だ。この東京のど真ん中の渋谷に
いながら、ビルバオからニューヨークまで
旅する人の、別の旅を小説として経験できるのだから。

この中の様々な逸話は、今、公開中のドキュメンタリー
メキシカン・スーツケース」を観た人に
ぜひ、読んでほしいと思った。

中でもアルテタとプリエトがメキシコに亡命した下りや
僕の祖母が両方の側の人を下宿人として住まわせていたこと、
なぜ、祖父のオリボルがフランコ側だったのかという疑問。

スペイン内戦が分からなくとも、あの
「メキシカン・スーツケース」で伝えたかったことと、
この「ビルバオーニューヨークービルバオ」に
でてくる人々の言葉が呼応する気がした。

「頭で考えることと心で感じることは別物なのよ」

金子奈美さんの愛がこもった訳がすばらしい。
バスク語から翻訳しながら、スペイン語だけではなく、
後半部分に関しては、バスク語から他言語に翻訳する
訳者のために著者自身がスペイン語版の変更点を取り入れた
もう一つのバスク語テキストをも参照にしたと言う。

ここまでしたのは、きっと日本語版だけだろう。

この本に声があるとしたら、低めの、でも、
力がある落ち着いた静かな声だと思った。
それは、そのまま、金子さんの日本語が醸し出す
声だ。その声が、ぶれることなく、軽快になったり、
重厚になったりするところが、本書の魅力だと思う。

難破船から引き上げたビスケットの話や、フランコ来訪と
アトレティック・ビルバオがらみの話は臨場感があって
思わず「ふふっ」となった。

バスクの作家といえば、ベルナルド・アチャガの
"Esos Cielos" (元ETA「バスク祖国と自由」の闘志だった女性が、
服役していた刑務所からバスでビルバオに戻るまでを
描いた作品)をスペイン語で読んだだけなのだが、
このキルメン・ウリベの独特の語り口と構成は、
彼が望むとおり、外に向かって開かれるバスク文学の
窓かもしれない、と思った。

間もなくバスクへと旅立つ金子奈美さんと白水社に感謝!


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オババコアック/ベルナルド アチャーガ

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みなさま、大変、ごぶさたしております。ただいま、アトランタでブエノスアイレス行きを待っておるvagabundaです。
更新をしていない言い訳をする(誰に?)にも、時がたちすぎました。とほほ。
 毎年、恒例のVentatna Surという南米最大のフィルムマーケットに参加するためにアトランタではほぼ6時間待ち。新しい施設のせいか、いつもなら、何の問題もないメールが使えない!接続できない!ということで、ブログを書くことにしました。(ネットにつながっているのに、メールサーバーにアクセスできないなんてね。何がどうなっているのか良く分からない~)

 さて、長きに渡ってブログ更新できなかったのは、ひとえにロベルト・ボラーニョの「2666」を読み始めたからに他ならない。(と、人のせいにする)なぜなら、わたくし、文字通り寝食忘れ、仕事も忘れて、どっぷりつかってしまったからです。これは、オースターの「ムーンパレス」以来かもしれない。でも、それでも、まだ足りない。
 今日、このメールが通じない時間で一気に書こうと思ったのも、あと最終章ですべてが終わる(?ほんとに終わるのかどうか?)直前だから…。そうなのです、わたくし、まだ、読み終わっておらんのです。5章からなる、この壮大な物語の4章まで終わり、あと5章を残すのみなのです。
 みなさま、分厚いからといって敬遠するなかれ。これは、オモロいッ!
特にですね、メキシコ、中南米に関心がある方、映画好きな方には超おすすめ。知り合いのラテン系映画関係者は、すでに例外なく読んでいて、大絶賛。いま、日本語で読んでる、と言うと、え~~~っ?日本語で、あの言い回しどうするの?と驚いていましたが、そんなことは心配無用。全く3人の共訳だけれど、どこを誰が訳したか分からないほど章から章へスムーズに進み、何しろ、日本語が簡潔で美しい。いわゆる翻訳調というものがなくて、大胆でリズムがあり、そのまま、ナマのボラーニョを体験できる、って感じ。もう、これはボラーニョを愛する人々が労をいとわず、とことん向き合ったのだなあ、ということが行間からにじみ出てきます。
 
 映画好きの方は、ロバート・ロドリゲスやデビット・リンチに言及されるくだりだけでも読んでほしいです。特に、ボラーニョが権威をことごとく嫌っていることと、昔の映画館がシネコンに変わって、どれだけ眩惑がなくなったか、をさらりと地の文に入れていたりしますが、私は、そこにビビッ!ときて、付箋はりまくり。
 マイナーな作家、アルチンボルディの研究者(フランス、イギリス、スペイン、イタリア)4人が、アルチンボルディがいるかもと思って、メキシコ・フアレス(ここではサンタテレサ)に導かれ、女性連続殺人事件につながっていくのだけれど、各章は、一度、全く別世界にいってから始まる。けど、最後はみな、メキシコにつながるのだ、と思う、きっと。(最後まで読んでないからね)
 それは第3章ででてきたネットカフェの受付係のセリフから、そう思った
「メキシコは様々なものに捧げられたオマージュのコラージュ」ネットカフェの受付係が、そんなことを言うのか、という疑問をいだいた方は、ぜひ、メキシコへ行ってね。あ、キューバでもいいなあ、と考えればラテンアメリカのどこでもいい。そこでは、きっと、付箋貼りたくなるセリフが、そこここの街角で発せられているから。

あ、もう搭乗時間なので、今日は、ここまで。
ブエノスアイレスに着いたら、読む余裕はないだろうから、と今回は、飛行機の中で最終章に挑戦です。いつかわからないけれど、最後まで読んだら、まだ、感想を書きますね。


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キューバ映画「低開発の記憶ーメモリアス」の原作、
エドムンド・デスノエス著「低開発の記憶」が
40年の月日を経て、新訳で登場!

新訳といっても、本邦初、スペイン語から直接
日本語に訳されました。
訳者は、東大大学院文学部の野谷文昭先生。
映画の字幕でもお世話になりましたが、
いやあ、面白いっす!!

映画を観た方は、きっとこの原作で行間が
埋まるはず。
「そうだったのかっ!」という
発見や驚きも…。

本作が初めて日本に紹介されたのは、
英訳を元にした小田実訳『いやし難い記憶』(1972)。
今回の新訳は、3つの短編が付されたオリジナルの
キューバ版から。

スペイン語のニュアンスが大切にされつつ、
日本語がすばらしいので、ぜひ。

低開発の記憶/エドムンド デスノエス

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もっちろん、映画のほうも、未見の方はぜひ!

低開発の記憶-メモリアス- [DVD]/セルヒオ・コリエリ,デイジー・グラナドス,エスリンダ・ヌニェス他

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