復縁したいと望む人は、考える、という事についてどうお考えでしょうか?
考えるという言葉の意味としては「知識や経験などに基づいて、筋道を立てて頭を働かせる。」という事ですが、こういったことが出来ていないのに考えてもわからない、という場合それは自分自身では考えているつもりになっているだけで考えていないからわからない、という事なのではないでしょうか?
わからない、というのも構いませんがそれは本当に考えた結果わからないのでしょうか?
途中で考えることを放棄した上でのわからないであればそれは別物なのではないでしょうか?
復縁したいと望む人の話を聞いていると考えるという事が出来ていないのに考えてもわからない、わからないから教えて欲しい、という人が多いと感じます。
正直考えていないからわからないのであり、もっと大元までたどれば考えていなかったから別れてしまうような原因に気付くことも出来ず、お付き合いを破綻させてしまったのです。
復縁したいと望む今、過去の考えない自分と同じままでいいのでしょうか?
それでは別れた時の自分と変わらないままであり復縁出来ることは無いのではないでしょうか?
しっかり認識していただきたいのですが考えるとは「知識」や「経験」に基づき「筋道」を立てて頭を働かせる、という事なのです。
自分が知らない事であれば調べるなりなんなりして知識を補うべきですし、経験したことが無いのであれば見るなり聞くなりして補うべきです。
そしてそれらを自分なりにとか自分の感情を交えて頭を働かせるのではなく筋道を立てて頭を働かせるべきです。
ここまでしていないのに考えてもわからない、というのは途中で考えることを放棄した結果わからない、という事でしかありません。
キツイことを言いますが復縁したい人の考えてもわからない、というのは調べることはせず、自分の思いや経験にのみ当てはめて、今の感情に基づいて途中で考えることを放棄した結果のわからない、なのです。
そのような状態であればわからないのは当たり前の事であり、はっきり言ってしまえば「考えていない」のです。
その甘えた姿勢で復縁したいという覚悟があると言えるのでしょうか?
自分自身を甘やかすあまり復縁に対する覚悟が備わっていないのではないでしょうか?
考えることを途中で放棄して人から答えを教えてもらう、という事は簡単な事です。
しかしそれで自分自身の成長はあるのでしょうか?
別れてしまったことに対して何が悪かったのか、何が原因だったのか、という事の本質は理解出来るのでしょうか?
人から簡単に教えてもらった答えで自分自身を改善することが出来るのでしょうか?
考え抜いた末にわからないのであればそれは教えてもらうべきですし、その場合であれば自分自身の身に着くと思います。
考えた末にわからないという事と考えることを放棄してわからないという事を同列にして考えてはいけません。
復縁したいと望む人は復縁するという事に対して真剣に取り組むからこそ結果を得ることが出来る、という事を知らなければなりません。
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