前回ちらっと写っていた木造校舎。

今回は、旧宇太小学校をクローズアップです。

いいよね!?いいよね!?木造校舎。≧(´▽`)≦

月日を重ねるごとに重みや風格が現れ…。

「立派だわぁ~Σ(=°ω°=;ノ)ノ」としみじみ。
  

宇太(うた)小学校は、平成18年3月まで学び舎として沢山の人を育ててきました。

校舎の老朽化や少子化に伴い菟田野区にあった3つの小学校(宇太・下芳野・宇賀志)が統合。

新たな地に菟田野小学校が開校し、宇太小学校は132年の長い歴史に幕を閉じました。

132年前!?…明治!?(  ゚ ▽ ゚ ;)

明治維新を迎えた日本は、新政府の学事奨励に応じ発展。

明治5年、大政官布告によって「学令」が

公布されました。

明治7年、古市場 宇太水分神社社務所内に「精成館」、

精成館の分校として、見田 観音寺内に「重遠館」、

岩崎 妙覚寺内に「遷善館」が開設。

本校の歴史は、3つの学び舎から始まりました。
   

当時は、下等小学(今の小1~小4の4年間)と、上等小学(今の小5~中2の4年間)に分かれていたそうな。
修学期間は6ヵ月とし、半年ごとに進級する仕組みのようです。

入学時は下等8級、半年後には下等7級…下等1級の次は、上等8級からまたスタート。

半年ごとに進級しちゃうなんてスパルタ教育みたい~。

真剣に勉学に勤しまなきゃ、おいてかれちゃうよぉ~。(/TДT)/


「精成館」は、第三大学区第十四中学区第百十七番小学精成館。

つらつらととても長い校名。(-"-;A

「重遠館」も、第三……第十四……第三百十七番小学重遠館。

「遷善館」も、第三…   〃    第百十八番小学遷善館。

番号では親しみにくく誤りも生じる為 学舎名で呼ぶことが多くなり、

明治9年には、地名をとって 古市場小学、見田小学、岩崎小学と改称されたようです。

し・か・し、「第三大学区堺県管内第十四中学区大和国古市場小学」

あ゛ぁ゛~!!Y(>_<、)Y

なんでも略す今の時代では とても考えられなぁ~い。。。

                          
明治20年、古市場尋常小学校と改称し、

       高等小学校が併設。

明治25年、3校は古市場尋常小学校へ

       統合となりました。


大正期は、校歌・校章・校旗が作られ、

       算術・国語・歴史・唱歌・体操・
       裁縫など科目も充実。

       運動会や修学旅行も行われ

       たようです。


日本が戦争へ歩み進み始めた昭和10年4月、校名は「宇太尋常高等小学校」に。

そして、翌月の5月22日、大変な事態が起きてしまいます。

真夜中に出火、学校は全焼してしまったのです。

急きょ、水分神社社務所・西法寺・岩崎託児所・松井青年会館・天理教宣教所・安楽寺などを仮教場に使用します。
火災保険金、町・政府からの借入、町内外からの多数の寄付金等 沢山の方々の協力を受け、昭和13年5月1日 新校舎落成式が行われました。

(5月1日は創立記念日)


終戦を迎え軍国主義が追放された昭和22年、宇太国民学校を宇太小学校と改称。


校舎を真上から見ると「圭」の字に似た格好をしています。

本館が下の横棒にあたり、本館に並行して北に3棟の校舎があります。

そして、3棟の校舎と本館を縦1本の渡り廊下で繋いでいます。
  

この建て方は、もしも火災が起きても全焼にならないようにと考えられたのだそうです。

広い敷地ならではですね。        
普通 進級と共に教室は変わりますが、この学校では校舎が変わるのですから6年間を通じて学校の全ての面を知る事が出来たでしょう

今の時代では、開放的過ぎて防犯面で心配ですが…。


ぐるりと校舎を一周してみました。

ガラス越しに教室を覗いてみると、黒板や定規など懐かしい小物や風景に会いました。(^ε^)♪


校舎と校舎の間には、岩石園という庭園の遊び空間が設けられています。
  

                       
様々な種類の石を並べ囲いを作り、  
中央には池(水は抜かれていました)、大きな石で橋をかけ、石の日時計に辿り着くというユーモアたっぷりの設計が楽しいと感じました。

大人にとっては石の庭園かも知れませんが、子供達にとっては立派な遊具。
石の上を飛び跳ねたり、座ったり、跨ったり、飛び越えたりと 決まった遊び方がある訳ではなく、子供達が自らで遊び方を考えるという事に深い意味があるんだと思います。

見て感じ、触って感じる素敵な園だったのだろうと感じました。

植物を植える菜園の奥手には、山へと上がる階段がありました。

見上げてみると、石碑のような物が見えたので上ってみました。

「中上為吉先生頌徳之碑」がありました。

中上為吉とは、明治25年~35年まで10年間在任された初代校長です。



体育館と本館をつなぐ通路から本館の様子が見えました。

通路の広いしっかりとした階段、昇降口、保健室…。
  
懐かしい木造校舎の匂いがします。

本当に3年前まで使われていたのだろうか?

タイムスリップしたような不思議な錯覚に陥りました。(●´ω`●)ゞ


運動場は踏まれなくなった為、草が生え、水はけも良くありません。

正面玄関の横には 二宮尊徳像がありました。

古い学校には定番のお方ですよね。

昭和15年から ここに立っていらっしゃるようです。
  

ちょっと(かなりDASH!)無理をして、尊徳さんの読んでる本を覗いちゃいました目アップ

実は ずっと不思議だったんです。

どんな本を読んでるんだろう…、本当に字が書かれてるの?って。

判明しましたよ~!(*^ー^)ノ

本の表紙には「大學」と書かれていました。

開いてるページには漢字らしき文字が見えるけど、背が足りなぁ~い。(。>0<。)
  

これ以上は危険なので諦めました。

う~ん、残念ダウン。。。


                              utaハロウィン


所在地 奈良県宇陀市菟田野区古市場

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