3月の水
◯ずきんがすき
◯夜がすき
◯高い建物にのぼりたい
以上の3点から、オイラが
「ドコダ! ドコダ!」
とやってもらうのはナイトフライトになったわけだす。リキュールさんのおかげで、曲目まで決定しただす。それは、3月の水。もともと大好きな曲だすし、二段落目が、ナルホド、ビックリするほどピッタリだす!
it's night, it's death, it's a knife, it's a gun
星の子ジョビン(愛情を込めたニックネーム)作詞作曲のこの曲、当然原詞はポルトガル語だす。ジョビン自身が素晴らしい意訳による英語版歌詞を書いているのだすが、基本的に
it's a stick,
it's a stone,
と名詞を淡々と並べる象徴的な歌詞なので、個々の名詞は、歌い手さんが割と自由に変えているらしく、単語がビミョーに違うバージョンがたくさんあるだす。
ジョビン自身はここを
trapとgunとしているだす。要するに、人が生きるために他の命を奪うというようなことを象徴する道具であればいいみたいだすな。コンボラとビリビリパッドでもいいだすか?
普通に訳すとbowとhookになるのだすが、それでもジップラインとグラップリングフックとして、やっぱりSFマップで立派に通用しそうだす。
ところで、オイラは最初『3月の水』とは雪解け水のような春の訪れを知らせる水だろうと思い込んでいたのだす。でも、よく考えたらブラジルは地球の反対側なので、季節が逆なのだすな。ブラジル大使館のサイトによれば
夏 = 12月22日から3月21日
…
ジョビンにとっての3月の水は、夏の終わりを告げる大雨のことだったのだす。感動的な最後の段落の直訳は
They are the waters of March
Closing the summer
It's the promise of life
In your heart
…
後ろを向いているコマイヌさんを見て風流人を気取って感涙し、後で子供のイタズラだとわかって大恥をかいた徒然草の商人の気持ちがわかってしまっただす。ワーン! すっかり春の喜びの歌としてオイラの中で定着しているだすよ!
でも、ちょっとタンマ(死語だすか?)だす。ジョビン自身の英語は?
And the riverbank talks
of the waters of March,
It's the promise of life
in your heart, in your heart
おお~っ!
…
翻訳とは何だろう、と時々考えるだす。
いい翻訳とはどういうことだろうか、と。
それは、原作者の思いをできるだけ忠実に読み手に伝えることであるだすな。しかし、それには文化の違いによるジレンマがついてまわるだす。日本に生えていない花の名前が出てもピンとこないので、日本にある似た草に置き換えるべきなのか、あくまで調べれば正確にその姿を把握できるように原作通りの花にしておくべきなのか。訳注として「◯◯に似た花」と入れるべきなのか。注は多すぎると無視される傾向にあるので無意味なのではないだろうか。完璧を期するのは訳者のエゴではないのだろうか、などなど。
この場合では、
1) 季節が逆転している聴き手にブラジルの常識を押し付けるか、
2) 説明するか、
3) あるいは相手に合わせるかだすな。
ジョビンは?
3) 相手に合わせただすな。つまり、春の訪れとして「3月の水」のまま北半球の人でも味わえる歌にしたのだす。「夏」という表現を避けてボカすだけではなく、ハッキリとThe promise of springと入れただす。
これ、翻訳だったら大胆な決断だすが、何たって原作者だす。葛藤ナシで100%オッケーだすな!
翻訳者なら原作者の意図を曲げないように、侮辱しないようにと神経を使う問題になるのだすが、ジョビンは自分が作ったので、相手が解る内容に、全体を変えたわけだす。それでこそ英語版の歌詞の意義があるだすね。やるだすな、チョビン! カッチイイだす。作者に気を遣わなくていいから気が楽というのはあるだすが。
というわけで、3月の水は英語版なら春の訪れに生命の息吹を祝う曲、原曲なら夏の終わりに降る豪雨に母なる自然の恵みを感じる遠いブラジルの文化に思いを馳せる曲、と、二通りの味わい方ができるのだす。一粒で二度おいしいだす!
さて…ブラジル流なら今から必死で練習して夏の終わりまでに歌えるようになれば、来年の3月まで待たなくてもベストシーズンに間に合うだす。そして、春には英語版だすな。
今はまだAしか押さえられないだすが…。だいじょぶだすか、オイラ?