京都 無鄰庵

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 ブログって何書いていいか難しいですね(;^_^A。これだけたくさんの人が書いてるのでなかなかオリジナルな内容のものはできないもんですよね。まあ別に、単なる日記と思ってつらつらと書きつづればよいのかも知れませんが、人が読む(可能性がある)と思うと妙に意気込んでしまいますよね……。それに単なる日記なら別に公開する必要もないと思ってしまいますし。
 そんなこんなで全然書けてないわけですが、今日も別段面白い内容なわけではないですが、まあそんなに読む人もいないでしょうから、気負わずダラダラ書いていくことにします。

 実は昨日、京都に行ってきました。京都は見どころが多くて一日ではとても味わいつくせない都市ですね。
 昨日は大きく分けて南禅寺周辺の地域(鴨東)と嵐山の方へ行って来たのですが、鴨東は特に面白い場所ですね。明治初期にはこの地域は工業地としての開発が期待された場所で、琵琶湖疎水を利用した日本初の水力発電所もつくられました。しかし結果から見れば、工業開発は失敗し、むしろこの地域は富豪の別荘地帯となっていきます。
 たとえば元老山形有朋の別邸無鄰庵は、明治20年代末に建設されています。この無鄰庵は現在でも南禅寺正面に存在し、公開もされているのですが、多くの観光客はここを素通りしてしまいます。これは実にもったいない・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。この庭園を設計したのは小川治兵衛という庭師でした。彼はこれをきっかけにすぐ近くの平安神宮神苑や円山公園の庭園、その他周辺の別荘など数多くの庭園を手掛けていきます。近代における東山の景観がつくられるうえで彼は重要な役割を担っていたと言えるでしょう。
 無鄰庵の庭園で印象的なのは、芝の貼り込みと背の低いツツジ。この二つは庭に全体としてすっきりした印象を与え、どことなく西洋風の雰囲気を感じさせます。官僚閥を操り陸軍を率いた権力者というようなイメージを持たれがちの山県ですが、庭や別荘にも凝っていたようで、意外な趣味の良さを感じさせる庭園です。
 無鄰庵でもう一つ見どころなのが、敷地内にある洋館です。ここは明治36年、日露戦争開戦前に山形、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎が開戦に関する会議を行った場所として知られます。この建物は外見は白く塗られた「洋館」であり、内部も洋風の造りではあるのですが、壁面をよく見ると土壁に漆喰をぬった「塗り壁」であることが分かります。要するに、「土蔵」的な構造の建物がもつ白い壁の特性を生かして、洋風の外見を纏わせたわけですね。これは藤森照信さんにならっていえばいわゆる「擬洋風建築」に分類できるでしょう(詳しくは藤森『日本の近代建築』岩波新書)。
 そして圧巻は「無鄰庵会議」の行われたとされる二階の一室。このさして広くない部屋は壁面全体が桃山時代の狩野派の壁画で覆われおり、外光を遮った淡い光のなかにそれが浮かび上がる様子はことばで言いつくせない凄味があります。そしてここで山形らの明治政府首脳が日露戦争開戦の会議を行ったと思うと一層強い感慨を抱かされました。
 もしこの辺りに行かれたら、ぜひとも無鄰庵を見るべきですね。見過ごされがちで観覧者が少ないので落ち着いて鑑賞できますし。これまで私も庭園なんてさして興味もなかったのですが、なんとなくその面白さに気付かされた気もします。美的な面だけでなく、庭園には様々な土木技術なんかも関わっているみたいで、その点も興味をひかれます。
 というわけで、今日は無鄰庵について書きました。できれば写真も載せたいのですが、容量オーバーで無理みたいです(ノ_-。)。どなたか容量を減らす方法とかご存知でしたら教えてくださいませ。今回はプチ観光案内的なノリで書いてみました。しばらくはこの京都ネタをつらつら書いていこうかなと……。


日本の近代建築〈上 幕末・明治篇〉 (岩波新書)/藤森 照信
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▲日本近代建築史の入門書としておすすめ。といっても建築史関係はほとんどこれしかよんでないんですが(;^_^A。体系的、かつ読みやすく面白い本です。


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