よもよも

気になった文・言葉/覚書


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「近代家族のゆくえ」

家族と愛情のパラドックス

著者は山田昌弘


昔からどうも「アットホーム」とか

「一家団欒」という言葉やイメージが嫌い。

何でだろうかと思っていたのだけど

少し整理ができたかもしれない。


「家族」=「幸せ」

って、ある種の強制イデオロギーで

近代において、

社会を成り立たせるため

もっと言えば、資本主義社会の

労働力の担い手を

家族で安定的に生産するための

手段として用いられるようになった。


家庭愛とか母性愛とか

自然発生的なもの、本能的なものとして

用いられがちだけど

実際にはそうではない。


そういう一種の信仰のようなものを

押し付けることで

家族の役割を固定化し

安定供給を図ろうとする

社会のしくみがあったということなんだろうなあ。


と、こんなことを書くと

ますます理屈女になるけれど

目からウロコ。


最後の締めとして

こんな風にくくっています。


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安らぎと愛情溢れる場のはずの近代家族とは

結局は「負担の平等(家事、こども、老人の世話など)」と

「愛情」という記号(結婚の原動力であり、結婚を持続させるための理由)の

発生をめぐって、あおりと闘争の場であることがわかってきた。


「家族でなくても安心や愛情が得られる、

家族は決して安らぎや愛情の場ではない」

このような認識をもつところから

家族関係を見直すことが

必要になっているのではないか。


「家族」=「幸せ」という

思い込みからの開放か

家族という言葉の重荷を解き放つ

1つの方法だと感じる。


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決して家族を否定するものではないのだけど

やたら、「家族なんだからあたりまえ」的な

あまり根拠の無いリクツが多すぎるとは思う。

家族をもう少し客観的に見ることで

対応できることもいろいろありそうです。
















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新聞の書評欄をみて

吉田修一の本を読みたくなりました。

(書評は田中和生)


昨日見た

「ぐるりの事。」同様

実際の事件を思わせるものを取り上げているようです。


以下抜粋


吉田修一の記述では

事件は犯人の異常さによっては起きない

事件など起こす気のないわたしたちと同じ

あたりまえの人間が些細な出来事や偶然の力によって

気づくと事件の渦中にいる。

つまり、事件を起こす異常さの当事者とは

わたしたちの社会そのものであり

わたしたちがその事件の一部を担っている。



吉田修一は「さよなら渓谷」の中で

事件を起こす人間が

事後的に表現する異常さと

事件を前にしたわたしたちが

自動的に演じてしまう善良さとの間に

コミュニケーションの回路を作ろうとしている。


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自動的に演じてしまう善良さ

それは往々にしてあるのではないでしょうか。

普段の言動の延長に事件があるかもしれない

という想像力はカットされ

自分とは無関係の世界という

予防線を張ることで

自分を守ろうとするのかもしれません。





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橋口監督の作品は

顔のしみをわざわざ大写しにするような

ちょっとだけぼかしてほしいなあと思うような話が

結構あったりする。


ので


生理的にどうかなという小さな部分があるんだよね。

気にならない人は気にならないと思うけど。


とはいいつつ、いい作品でした。



裁判のシーンが印象的でした。

実際に起こった事件を想起させる

裁判がいくつか挿入されています。

(主人公が法廷画家なので)


宮崎勤だと思われる人物を

主人公に

でも(目?)がきれいだったんだよね、

と言わせたりしています。


法廷は白黒つける場所です。

それを受けてメディアが伝えます。

私たちが見ている情報は

ほんの一部にすぎないのに

社会通念も働いて

その人のキャラクター(こころ)が

一方向に決定づけられるようなことがあります。

被告や罪が許されるという意味では

もちろんないのですが

その人の心に広がっているものは

もはや誰も知りえない。

どんなに事実や事象を並べても

実際には人の心ってわかんない、

という達観というか諦観に似たものを

監督自身が感じているのだろうなと思いました。


それは夫婦の間でも同じ。

どんなにそばにいても何を考えているのか、

どういう思いなのかということは

結局のところわからない。

近くにいるだけに寂しい気持ちに

なってしまうこともあるんでしょうね。

でも、どこかで通じ合えたなら

何かがつながっているなら

全部わからなくても違っててもいいという

別の達観ができるというような

明るい余韻を残した作品でした。


akeboshiの歌がいいですね。




















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JUNOという16歳の女の子を通して

見えてくる大人像に興味を持ちました。


JUNOのお父さん、継母

里親の夫婦


それぞれの思いや

築き上げてきたものが

にじみでているようにも思います。


私はとくに里親のダンナ、マークに

興味をもちました。


外から見れば成功者であり

魅力的な大人ですが

実際にはこの映画の中で

こどものときのままの気持ちの自分と

大人の男として、夫としての自分の間で

葛藤しています。


i'm not ready

と、吐露する場面は

なんとなくわかるような気も・・


物語の主人公であるJUNOは

毒舌で、個性的、マイペース、

異色キャラではあるけれど

芯の部分には16歳ならではの

ストレートな純粋さがあるから

魅力満載なんでしょうね。


思わずJUNOを好きになる

そんな映画だと思います。



あと、最初の実写とアニメーションの組み合わせは

最高にかわいかったし、

サントラも売れるはずです。

音楽がとてもよかった。









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なぜ、現代アートに興味があるのだろう?


ふと思いついた。

自分の感覚の変容を楽しんでいるのかも・・。


理解できない、すなわち

自分の中にないものをハッケンし

新しく触れる何かによって

自分が変容することを期待しているのではないか。


うーーん

理屈書いてみたけど

理屈抜きで

わけわからないもの

大好き。



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まちづくり学

アイディアから実現までのプロセス

西村幸夫(編)


以下おもしろかったところを抜粋




まちづくりが優れて近代の産物であるということは

近代的な所有概念によって分断されることになった

近代の地域社会を(隣は隣、人は人)

コモンズという自ら手にとることのできる環境を基盤に

再び構築していこうという運動であることに由来する。




<まちづくりと都市計画の比較>


まちづくり             日本型都市計画

住民によるガバナンス       法によるガバナンス

性善説に立つ運動        性悪説に立つ管理

アマチュアリズム           プロフェッショナリズム

ヨコツナギの地域中心主義    タテワリの専門領域中心主義

ボトムアップ             トップダウン

規範と合意             規制と強制

創意工夫             前例踏襲

プロセス中心で柔軟        アウトプット中心で剛直

最高レベルを目指す        最低レベルを保証する

総合的アプローチ         分析的アプローチ

変化を起こすように機能      変化が起きるときに機能

住民主体              住民参加


対立ではなく補完関係として機能=協動


自ら身ごもっていないものは

産むことはできないように

まちづくりとは、自らのうちにある思いをかたちにすることでもある。

逆にいうと、自らのうちに熱い思いがなければ

それをかたちにすることはできない。

思いの内実は多様であろうが、それをかたちにすることを

手助けする技法は間違いなく存在する。

それが産婆術(助産術)なのである。












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内橋克人という経済評論家の記事が

本日の愛媛新聞に。


最近は近景、遠景ということをよく思うのだけど

内橋さんの話には

市民の日々の暮らしなどの近景と

グローバルな視点、あるいはこれから先10年などの遠景と

両方がバランスよく入っているようで

とても説得力があります。


今回は内閣改造を受けての記事。

ここ数年の流れが

私にもよくわかる話だったので転記。(一部略)

キーワードが効いていて

コンパクトにあたまの中で整理できる内容でした。


==================


不均衡国家もはや限界

~共同体回復 最優先に


小泉政権以来の過剰な市場原理

安部晋三の国家主義

この2つの原理主義から

福田首相の内閣改造は

足を洗った。


「いざなぎ景気」を上回る戦後最長と

いわれた景気拡大は

実感を伴わない、まったくの

「カラ景気」だった。


経済成長を唱える

上げ潮派(構造改革派)は

雨水が地面にしみていくように

企業の利益、やがて家計

勤労者に及ぶという

トリクルダウン効果を強調したが

現実は、一握りの企業だけが

潤ったに過ぎなかった。


今日の世界は

好況と不況を繰り返す

単純な景気循環ではなく

自在に世界を駆けずり回る

投機マネーがバブルをもたらし

株価や実体経済を左右する

「ネオリベラリズム・サイクル」

ともいうべき新たな段階に入っている。


この中で日本は、先進国の中でも

最も脆弱で深刻な「不均衡国家」に

なってしまった。

まず、農業など第一次産業と

工業製品との不均衡である。


国内総生産(GDP)成長率の

6割以上が工業製品の輸出によるという

外需依存で、資源価格高騰や

食糧危機などへの脆弱性を引きずっている。


次に中央と地方との不均衡。

そしていわゆる格差問題で

経済の担い手が二極化しつつある。

一方にトヨタ、ソニー、キャノンなど

上位30社程度のグローバルズというべき

多国籍企業があり

他方、地域社会を担う

中小企業などローカルズとの差が開いている。


グローバルズは税金の安い海外に富を蓄積し

利益を日本国内に還流させない。

これが国内市場不振の一因ともなっている。


国内経済がやせ細ったのは

家計から企業に

巨額の所得移転が行われたこともある。

ゼロ金利、超低金利で失われた

家計が本来受け取るべき利息額は

2002年までの10年ほどで

330兆円に達した。


また、労働市場の規制緩和で

雇う側の「働かせる自由」が拡大する一方

働く者の権利は大きく削り落とされてきた。

さらに「好況の企業家」の急進で

民営化が進められた結果、

市民向けサービスがやせ細った。


構造改革がもたらした

こうした新たな、もっと深刻な構造問題に

どう対応するのか。

改造内閣は重い課題を抱えている。


改革が十分な成果をあげられないのは

「改革が不十分だから」と説く

「改革ハングリー」の人々もなお存在する。


そうした人々は過去の南米チリと

アルゼンチンの例に学ぶべきだろう。


ともに新自由主義改革に取り組んだが

チリはバブルと破綻が生じて

深刻な失業問題と対外債務を抱えたことで

路線を転換した。

アルゼンチンは行き詰まりを打破しようと

金融自由化、民営化など

さらに原理主義的な新自由主義政策に走り

結局国家破綻を招いてしまった。


「2011年基礎的収支均衡」といった数字にこだわり

財政再建にはやるよりも

喪失しつつある共同体を回復させ

均衡のとれた経済、国家として

「社会統合の復興」を目指す。

21世紀の構造問題に

どう取り組んでいくのかを考えなければならない。































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